駅から少し離れた場所にあるケーキショップ『Mon Bleu charmant』―――。
西洋の小民家を思わせる外装にシンプルだがどこか気品のある調度品でまとめられた内装。
そしてなにより常時八種ほど揃えられているケーキはどれも味も見た目も絶品で、人から人への口コミにより平日でも人の多く立ち寄る密かな人気店。
仕事を終えたその足でここを訪ねた真斗は、『closed』と彫られた木板の吊るされたドアノブに手を掛けた。
すると同時に、中から少女の笑い声が聞こえた。
一瞬真斗は手を震わせたが、今日の営業を終えたこの店にいる可能性のある少女は一人しかいないとすぐに思い至りノブを握り締めガチャリと開ける。
軽やかなドアベルの音に迎えながら中に入るとまだ照明の落とされていない店内の左手側、七卓ある客席の中でも一番大きな円卓にトキヤと恋が座っていた。
二人ともすでに私服に着替えた状態だ。
恋は真斗に気付くと笑っていた顔そのままに「あら、おかえり」といつも通りに手を振って真斗に挨拶をしてきたが、トキヤのほうはあからさまに慌てた様子でテーブルに置いてあった紙か何かを自分の後ろに隠した。


「あー、どうして隠しちゃうの? 真斗にも見せてあげればいいのに」
「み! 見せられるわけがないでしょうこんなものっ!」


頬杖を突きにやにやと瞳を細める恋にトキヤが顔を紅潮させて怒鳴る。


「何をしていたんだ?」


円卓の丁度トキヤの真向かいにある椅子に腰掛けながら真斗が訊くと、待ってましたとばかりに恋は真斗に身体を寄せてきた。


「聴いてちょうだいよもう本当おかしいったらないわ」
「恋……!」
「……何かあったのか?」


片手を口元に添えもう片方の手を縦に振るというややおばさんくさい行動をとりながらその杜若色の垂れがちな瞳を三日月にする恋をトキヤが焦ったようにテーブルを叩き咎める。
その姿があまりにも必死なものだから、真斗も少々興味が湧いてきた。
聴く体勢を取った真斗に恋は喜びトキヤは肩を落とす。


「それが、イッチーってばびっくりするほど絵がへたくそなの」


そう言って恋はトキヤに向かって「ねーイッチー?」と声を掛けたが当のトキヤはぷいっと顔を恋とは反対の方向に背けた。
そんなやりとりを見て真斗はやれやれと呆れる。


「大袈裟に騒いでいるから何かと思えばそんなことか。人には向き不向きというものがあるだろう。トキヤはパティシエなのだから菓子を美味く作れれば絵など描けなくともいいではないか」
「それがそうも言っていられないのよねえ」


パティシエに必要のないことでトキヤをからかっていたらしい恋を真斗は叱責しようとしたが、にやけた笑顔はそのままに肩を竦めて見せた恋に何かあるのかと再び訊く。
すると恋は笑いを引っ込め―――ようとして失敗したような顔をし―――て事の顛末を話し始めた。


「今日、お店にバースデーケーキの予約が入ったのよ」


バースデーケーキの予約。
それ自体には何も問題はないように思う。
ケーキ屋ならばかならずある話であるし、たとえ恋の言うようにトキヤに画力がないのだとしてもケーキに関して言えばトキヤのデザイン性は高いほうだと言える。
むしろ問題が起きようはずもないのではないのか。
しかし恋は首を横に振った。


「ケーキだけなら良かったんだけど」
「……けどなんだ?」
「そのケーキ、お子さんのお誕生日用のものらしくって。その子は買っているペットがとおっても大好きだから、まじぱんにね―――」


そこまで聞いて、真斗はああと手を打った。


「そのペットのイラストか何かを描いてほしいとそういうことか?」
「あたり」


真斗は店に入った際にトキヤが後ろに隠した紙のことを思い出す。
つまり試しに描いてみたら、笑ってしまうほどに下手だったということか。


「そしてこれがウワサの―――」
「あ……! こら、返しなさいッ!」


バッと隙をついて恋がトキヤから紙を奪い取り、そのままそれは真斗に渡る。
渡されるままに受け取り目を落とした真斗は瞬時に固まってしまった。


「ああ……っ」
「こ、これは……」


紙にはイラストがふたつ描かれていた。
ひとつはケーキ。
おそらく先程言っていたバースデーケーキのラフ案だろう。
色鉛筆で何色かに色分けされラフはラフだが出来上がりがしっかりと想像でき、これだけですでに真斗などは美味そうだと思ってしまう。
この絵だけなら、むしろ上手いといえただろう。
しかし問題はそのとなりにあった。
―――果してこれは、生き物なのか。
真斗はまずそこを疑った。
だがペットというからにはおそらく生物なのだろう。
細長い胴体―――だと思われる―――の中央の上と下、そして片側の端に突起のようなものが二つずつ付いてあり、端の突起のすぐ上からはさらに細長い何かが伸びている。
そしてそれらとは反対側のこ
れは―――顔―――なのだろうか。
顔があるからにはやはり生き物であることには間違いなさそうだ。
しかし真斗にはこのような形状の生き物の記憶は思い出せない。
辛うじて―――大きな枠で譲歩して見れば―――。


「と、トビウオ……か……?」
「ぷふ……っ!」


言葉を零した途端、横にいた恋が噴き出した。
「哺乳類を……魚類とっ……間違われてる……っ!」
「わ、笑いすぎですよ恋ッ!」
「だってイッチー、描く前は、あんなに、自信満々だったのに……! あろうことかトビウオと間違われる、なんて……!」
「いい加減私も怒りますよ!?」


目尻に涙すら浮かべて腹を抱える恋を睨むトキヤの顔はもはや林檎のように赤い。
八も年下の少女にからかわれて本気で怒るトキヤにまだまだ若いなと片隅では思いつつも、そんなことはどうでもいい。
今、とても聞き捨てならない言葉を真斗は聞いた。


「これが、哺乳類……だと…………!?」


そうすると俺は二十七年間、哺乳類の定義を誤って認識していたことになる―――!
愕然として額に手を当てた真斗にトキヤは瞳から光を天井を仰いだ。


「もう……消えてしまいたい……」
「待てトキヤ早まるな! 落ち込む前に答えを教えろ!」


ふっと遠い目をしたトキヤの肩をイラストを注視したままがしりと掴む。
もしや上下を間違えているのか。
ケーキと同じ向きで見ていたが、ケーキの絵は恋が描き、向かい側から横にトキヤがこれを描いたのかもしれないと思い紙を逆さまにしてみたが結局余計に訳が分からない。
一応向きは合っているのかと元に戻すが、戻したところでやはり精々言ってトビウオなのだが―――。


「キティよ、キティ。こねこちゃん」


頭を抱えていた真斗に恋がついに答えを言った。


「こ、ねこ……? これが……?」
「そお。耳と足先だけ黒い、トンキニーズの子ですって」


このトビウオが実は猫だというだけでも驚きなのに、まさか種類まで特定されていたとは―――。
答えが分かったところで改めて紙を目の前に翳してみる。
―――猫。
これは、猫なのか。


「す、すまんがトキヤ、図の解説を頼む……」
「私の絵は学校のテスト問題か何かですか」


オロオロと紙をテーブルに広げる真斗にトキヤがすばやく突っ込みを入れるも、それも口を尖らせた恋にすぐ「いやよそんな難問出されたら100点が取れなくなっちゃうじゃない」とバッサリ切られる。
それを聞いて真斗は「そうかいまだに満点を取っているのかお前は。相変わらず優秀だな。この珍問は解けなくても大丈夫だぞ」と恋の頭を撫でようとしたが、それは二往復もしない内に目尻を赤くした彼女に「子ども扱いしないでちょうだい!」と言って弾かれてしまった。
いつものこととは思いつつもやはり少し切ない気持ちになる真斗と赤ら顔を背けながら乱れた前髪を何度も撫で付ける恋。
歳の離れた妹をかわいがりたい兄と、素直に甘えられない妹。
そんな微笑ましい
従兄妹のやりとりをトキヤは穏やかにすさんだ瞳で見守る。
普段ならただただ微笑ましい光景だが、いまネタにされているのは自分の絵なのだ。
そうして一瞬和んだ―――傍から見れば始終和みっぱなしだったが―――空気が場を包み、まずそれを破ったのは恋だった。
赤ら顔の治まった彼女は少しだけ表情を真面目なものにして話を本題に戻した。


「イッチーをからかうのはこのくらいにしておくとして。このままじゃあ店の信用問題に関わるわ。こんな得体の知れないトビウオモドキを見たらお子さん確実に泣いちゃうもの」
「私もそろそろ泣きそうです」
「ならばお前が代わりに描いたらどうだ?
このケーキのほうはお前が描いたのだろう? よく描けているではないか。絵だというのにとても美味そうだ」
「あ。あの、それも私です」
「!?」


おずおずと手を上げたトキヤを光の速さで振り返る。
これまで散々なことを言われ続けていたこともあり真斗の賞賛にトキヤは照れたように頬を掻いている。


「本当、ケーキのことが関わると途端に常軌を逸しているというか。いっそ神掛かってるというか……。もはや神秘ね。それと、残念だけれど私も絵はそんなに得意じゃないわ」


だから困ってるのよと言って恋は頬に手を当てた。
確かに一度依頼されて引き受けたのなら完遂せねばそれが店にどう影響するか分からない。
では引き受けなければ良かったのだが、恋もまさかトキヤの腕がこれほどまでとは知らなかったわけだし、真斗も度々感心してしまうほど高い接客ポリシーを持つ彼女にはそもそも断るという選択肢はなかったのだろう。
それゆえに頭を悩ます恋に真斗もううんと唸る。
そしてひとつ閃いた。


「一十木に頼んでみてはどうだろうか」
「イッキに……? 彼上手なの?」
「ああ。たまにメモ紙にデフォルメされた動物などのイラストを描いているのを見るが、なかなか上手いと思うぞ」


そう言って真斗は携帯を取り出す。
今日は観たい特番があるのだと言っていたからいまは家で寛いでいる頃だろう。
メールボックスを開き新規作成を選択する。


「でも迷惑じゃないかしら」


期待半分気遣い半分といった表情を見せる恋の言葉に真斗は即座に「それはないだろうな」と心中で否定した。


「あいつは困っている人間を放っておけない性質だからな。きっと快諾してくれるだろう」
そう尤もなことを口にしながら手早く用件を打ち込み送信する。
その際音也に恋の名前を出したことは、当の恋には内緒の話だ。
案の定数分とたたないうちに音也から返信が来た。
それは真斗の踏んだ通りの内容、そしてその後すぐにその場で簡単に描いてみたと思われる猫のイラストが、『こんなかんじでいいかな?』と言葉を添えて送られてきた。
すぐに恋に音也の色好い返事を伝えて画像を見せると、少女は花が開いたような笑顔で喜び手を叩いた。
その様子に真斗は二つの意味合いを内に潜めて安堵を零した。
こうして三人を色んな意味で悩ませたバースデーケーキ問題は無事解決するに至った。
満足げな表情を湛えた恋は家まで送ると言った真斗の申し出を大丈夫よと辞退し帰って行った。
その小さな背中を見送りながら真斗はやれやれと独り言ちる。


「まったくいつまでたっても騒がしいやつだな。大人をからかって何が楽しいのか。おかげでトキヤが傷ついてしまったではないか」

「そうですね。しかしその傷に無自覚で塩を塗りさらにえぐり広げていたのは真斗でしたけどね」
「……ん? すまんトキヤ、何か言ったか?」


ふらっと横に立ったトキヤに聞き返すが、彼は深い溜息に乗せてなんでもありませんと弱々しく首を振った。
ふむ、と真斗は横を見る。
見るからに、意気消沈と言った様子だ。
八も下の少女にからかわれたのが相当堪えているらしい。
今日は真斗も衝撃的なものに気を取られてしまっていたため失念していたが、今度会ったときには灸を据えてやらねばな。
恋にはそのとき反省させるとして、いまは不肖の従妹のために従兄がその尻を拭ってやるか。
そう真斗は結論を出し、


「お前、明日と明後日は休みだったな? たまには夕飯でも一緒にどうだ?」


のろのろと戸締りをしていたトキヤに声を掛ける。
するとトキヤは鍵を持つ手を中途半端に上げたまま、一度パチリと瞬きするとしばらくの間のあとガクッと肩を落として項垂れた。
しかし返事は「はい、喜んで」ときたものだから、気になりつつもよしと頷き歩き出した。
その背中に向かって


「その気もないのにひとの心を弄ぶあなたも相当性質が悪いが、それで簡単に浮かれてしまう私も大概だ……」


そう零したトキヤの言葉を、街灯だけが聞いていた。




end.




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