「じゃあほぼ毎日通ってるんだ?」

昼下がりのランチタイム。
会社のすぐ近くにあるこのカフェは、昼休みを過ごすOLやサラリーマンでガヤガヤとよく賑わっている。
そんな店内でも比較的静かな奥の席にタイミング良く通された真斗たちは、雑談を交えつつのんびりとランチを楽しんでいた。
そうして真斗がビーフシチューのセットを三分の二ほど、音也がハンバーグの大盛りセットを完食した頃、二人の話題は『Mon Bleu charmant』になっていた。
音也に紹介されて真斗があの店を訪ねた日、店のオーナー兼パティシエである一ノ瀬トキヤに販売するケーキの試食を頼まれ真斗はその後、休日や、時には平日退社したあとにも店を訪れたのだった。
訪れるには事前に連絡を入れておくため、その都度トキヤは試作のケーキとおいしいコーヒーや紅茶を用意して笑顔で真斗を迎えてくれた。
トキヤの作るケーキは真斗の予想通り――いやそれ以上にどれもこれもが文句のつけようもなく絶品で、「これでは俺は必要ないではないか」と
冗談混じりにいっては、「あなたのそのおいしそうに食べる姿をこの目で見なければ納得できないんです」と笑顔で首を横に振られた。
そうしておよそ一ヶ月の後、すべての準備が整った店は無事オープンの日を迎え、界隈の住人を中心にささやかな口コミの広がりも助けになってまだわずか一ヶ月足らずではあるが順調な売り上げを見せている。
オープンの当日、出社前に立ち寄った真斗がショーケースに並ぶ色とりどりのケーキたちを眺めながら「これで俺もお役御免かと」ひとり寂寥を覚えていたのも束の間、店をあとにしようとした真斗をトキヤは呼び止めたのだった。

「ああ。客の年齢層やニーズに合わせ、少しずつ改良していかなくてはいけないからな。それに季節ごとの限定ものも考えねばならんし、試作がなくともただ雑談をしに行くこともあるんだ」

その際、トキヤは残念ながら売れ残ってしまったケーキを真斗のために残しておいてくれる。
真斗が会社を出て店につく頃は丁度、店仕舞いも終わり一息つける時間らしくトキヤが翌日の仕込を始めるまでの短い間、おいしいケーキをお供に他愛ない会話を楽しむのだ。
トキヤといる時間は真斗にとってとても心地好く、ついこの間出会ったばかりにも関わらずまるで旧知の仲のような、そんな安心感を抱かせる。
それはきっとトキヤも同じなのだろう。
彼は真斗の前では始終笑顔で、真斗がケーキを食べる様子を毎度飽きもせずただにこにこと見守る彼には、少々こそばゆさを感じることもある。
ただ、そんなトキヤの時折見せるあの笑顔だけはどうしても苦手だった。
ハの字に下がった柳眉の下で細められた瞳に真斗は寂しさに似た色を感じて、トキヤがそんな顔をするたびに、だんだんと、得体の知れない不安感や焦燥感にぎゅうと胸が苦しくなった。

「……なんかさあ」
「なんだ?」

ケーキメニューをパラパラと繰りながら聞いていた音也が、真斗のほうをちらりと見て言った。

「……うーん。やっぱいいや! それよりさ、マサのセットってデザート付きだったよね? 俺もひさしぶりに食べよっかなー甘いもの! マサは何頼んだ?」
「あ、ああ。俺はその、ベリーを使ったフロマージュだ」

突き出されたメニューブックを数ページ捲り、白と赤のコントラストが鮮やかなケーキを指し示す。

「あれ? マサはてっきりモンブランだと思ってたけど。そっちでいいの?」

そう言って音也は同じページにあった、大ぶりのマロングラッセが天辺を飾ったそれを指差した。
甘味好きの真斗が、中でも最もモンブランを好み新しく見つけたケーキ屋に行ったときはかならずまずはモンブランを買って帰るのだと聞いていた音也は、メニューにあれば当然それにいくものだと思っていたが。

「ここのは一度食べたことがあるからな。うまかったぞ。クリームは濃厚であるにも関わらず甘すぎることなくさっぱりと溶け、上に乗っているマロングラッセもじっくり丁寧に煮詰められているため深い味わいがある。俺がいままでに食べた中でも上位に立つうまさだな」

甘いもののこととなると妙に熱くなる真斗に音也は内心でやれやれと肩を竦めながらも、そんなにおいしかったならまた食べればいいじゃん? と率直な疑問を投げかける。
しかしそれに対して真斗は苦笑とともに首を振った。

「いや、うまいにはうまいのだが……」
「のだが?」
「俺は、もしかするとモンブランに対して、好きであるあまりに理想を高くしすぎているのかもしれん。確かにうまいと思っても、何故か……どこかしっくりとこないというか。それゆえ店でモンブランを見つければ真っ先にそれを選ぶが、一度食べるとまた食べよう、という気にはどうしてもならんのだ」
「おお……なんというか……甘味のこだわり恐るべし、だね……。シャルマンにはモンブランないの?」
「ああ。残念ながら、まだ一度も作っていないな」

今度、頼んでみようか。
トキヤならば、ともすれば――。
これまで真斗の好みをがっちりと外さないトキヤならば真斗の望む先のモンブランというものを作り出してくれるのではないか。
メニューに載った、西洋の山を模して作られたそのケーキを見つめながら、真斗は期待を込めてそう思った。



それぞれの注文したケーキを食べ終え就業に戻った真斗と音也は、定時で上がると「一軒行こうよ」という音也の誘いで駅のほうへと並んで歩いていた。
上司の物まねをしておどける音也に苦笑しながら、左右によく手入れされた芝の生える遊歩道をゆったりと歩いていると、突然音也が前方を見て「あ!」っと叫んだ。
つられて視線の先を見れば、すでに見慣れた黒髪が。
真斗があっと声を上げるその前に、隣にいたはずの音也は風のような速さでその背中へと駆けて行っていた。

「トーキヤー! ひさしぶりーー!」

走ってきた勢いそのままに飛びつこうとした音也を、直前で振り返りあからさまに「げ」という顔をしたトキヤはするりとすばやく重心をずらして特攻を躱した。
勢い余ってべしゃりと芝生に突っ込んだ音也を振り返ることもせず、真斗を見つけたトキヤは「お疲れさまです」と言ってにっこり笑った。

「ああ。珍しいな、お前がこちら側にいるなど」

ううう……トキヤのいじわるぅといじける音也をやれやれと引っ張り起こして服や髪に付いた葉を掃ってやりながら、真斗はトキヤの姿を見る。
いつものコックコートを身に着けたトキヤは、その両手に大量の食材が入った袋を提げていた。

「買い出しか?」

「はい。秋ものの試作をしようと思いまして。南口は住宅ばかりですので、食材を揃えるとなると賑わっているこちらのほうがなにかと都合がいいんですよ」

袋を持ち上げ真斗に中身を見せるようにしてそうトキヤは言った。

「ほう、楽しみだな。何を作る予定なんだ?」
「やはり秋らしいものをと思いまして、焼きりんごのシブーストか、カボチャのプリンタルトなどを考えているのですが……」
「モンブラン作らないの? モンブラン! トキヤモンブラン得意って言ってたじゃん!」

突然割って入ってきた音也は、まだそこかしこに葉っぱを付けたままモンブランモンブランと連呼した。
それをうっとうしげに睨んでいたトキヤが、「モンブランは……」と言って一瞬だけ真斗を見た。

「でもマサは、モンブランが一番好きなんだよ?」

ずいずいと詰め寄ろうとする音也を荷物を楯にして躱していたトキヤだが、音也の放ったそのひとことにピタリと動きを止める。

「いちばん……? そう、なんですか……?」

こちらを見、ほんの僅かに期待が混じったような眼でそうおずおずと訊ねられ、真斗はすぐに頷いた。
音也に作らないのかと言われて渋る様子を見せていたトキヤにやはり作らないのかと密かに肩を落としていた真斗だが、この反応ならば押せばどうにかなるかもしれない。
何故トキヤがそこに引っ掛かったかは定かでないが俄かに見え始めた積極性の色に好機とばかりに口を開き、いつからかは忘れたが幼い頃からずっと好きだということ、ケーキ屋に行けば必ず買ってしまうこと、人気と聞けばついつい遠出すらしてしまうほどだということを熱心に語った。
しかし初めのうちこそ乗気を示していたトキヤだが、だんだんとその瞳に翳りを見せ始め、終いには視線を下へと落としてしまった。

「トキヤ? ……どうかしたのか?」

心配になり声を掛けるとトキヤはパッとすぐに顔をあげ、小さな声でなんでもありませんと言って微笑った。

「本当にお好きなんですね、モンブランが」

そうしてまた少し顔を俯かせると、


「でも、…………、……………」


瞼を閉じて言葉を溢した。
けれどそれはあまりにか細く、樹木のさわめきに邪魔をされ真斗の耳に届きはしなかった。
瞳を開いたトキヤはまたあの笑顔を張り付けていて、真斗は静かに息を呑む。
胸がじくりと騒ぎ始めた。その表情に、聞こえなかったはずのその言葉に、痛んだ胸はそれは違うと叫んでいる気がした。
しかし真斗が何かを言うより前に、すみませんとトキヤは溢して一歩退き、

「やはり材料もすでに買ってしまいましたので、モンブランは次の機会でもいいですか?」

申し訳なさそうに頭を下げると返事も待たず、「もう戻らなくては」とだけ言い残してその場を後にした。
足早に遠ざかっていく背中にずくずくと痛みが真斗を押すが、ひき止める言葉を忘れた真斗にはただ為す術もなく見送ることしかできなかった。











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