駅の南口から信号をみっつ越えた先にある小学校。そしてその脇に伸びる路地を少し行ったところにひっそりと、目的の場所はあった。


『Mon Bleu charmant』


4階建ての、小さな建物。
2階から上は恐らく賃貸住宅になっているのだろう、その一階部分の壁に書かれた店名に、ここが正しく真斗の探していたケーキ屋なのだと確信する。
同僚の音也にこの店を教えられた真斗はその翌々日、つまり休みである今日、起床し身支度を整えるとすぐさま家を飛び出したのだった。
時刻はいまだ9時にも差しかからない。
しかし場所を確認するだけなら何時でも構わないだろうと、誰にともなく言い訳のようなことを思いながら真斗はここまで歩いてきた。
開店はまだ少し先だと音也が言っていた通り、店はパッと見ただけでも未完成であることがありありと分かる。
店頭に並べると思われる鉢植えは一ヶ所にまとめられていて、ふたつある二人がけのテラス席には片方にしか椅子がない。
そして店の前面の壁を大きく占めている窓から覗ける内部には、配置も何もなく椅子やテーブルが置かれていた。
と、窓の片隅にちらりと人影が見えた。
すぐに入り口の扉が開き、中から二脚の椅子を抱えた青年が姿を現す。
しかし突然のことにどうすることもできない。
直立不動のままただただ青年を見守っていると、ふいにその青年が顔を上げ、ばっちり真斗と目が合ってしまった。
――何か声を掛けたほうがいいだろうか。
こんな朝早くから道の真ん中に突っ立っている自分はもしや怪しく思われやしないだろうか。
そう焦り何か言おうと真斗は一歩踏み出し口を開いたが、それまでじっと真斗を見つめていた青年が、その細めていた眼を一気に見開きガンッと椅子を落としたため驚きのあまり出した足を引っ込めてしまった。

「あ、なたは……」
「いい一ノ瀬……!」

相手に何か言われる前にと慌て、何故か名前を呼んでしまってから真斗はしまったと後悔した。
青年の名前を真斗は知っていた。
先日の音也のメールで名前を見ていたし、その後音也自身からも聞いていた。
そして顔も、真斗から頼んだわけではないが音也が携帯のフォルダから引っ張り出して見せてもらっていたため、目の前の青年がまさしく音也の高校時代からの友人でありこの小さなケーキ屋を新規オープンさせるパティシエ、一ノ瀬トキヤなのだとわかった。
しかしそれは真斗が一方的に相手を知っていただけだ。
トキヤからすれば、見知らぬ人間が店の前に突っ立ちあまつさえ自分の名前を呼んできたのだから不審以外の何ものでもない。
下手をすれば変質者の類と疑われかねないだろう。
案の定トキヤは目玉が落ちてしまうのではないかと心配になる程目をさらに開いたかと思えば、眉根をぎゅっと寄せ、唇をわずかに震わせた。
白い頬に、仄かに朱が差す。

「私の名前を……」

震えた小さな呟きに、真斗は一層慌てた。

「ちっ違うんだ、すまない、その……一十木から聞いていて……!」

両手を前に突き出し大きく首を振る。
誤解されて通報されでもしたらたまったものではない。

「……音也に?」

仲介者――共通の友人の名を出せば警戒は解けるだろうか。
その真斗の目論見通り、トキヤはぱちりと一度瞬きすると真斗をまじまじと見返した。
染まっていた頬の朱みも、どうやら治まったようだ。
ほっと胸中で息をはき、トキヤに近づく。

「そうなんだ。……恥ずかしい話だが、俺はケーキなど甘いものが好物でな。先日、会社で焼き菓子を食べていたら一十木にお前を紹介され、偶然家が近所だったものだからどのようなものか、つい気になって見に来たのだ」

照れ隠しに首を撫でる。
そんな真斗を見つめ黙って聞いていたトキヤはふいに顔を伏せ、小さく何かを呟いた。

「……………それでは…」
「……?」

俯いたトキヤが一瞬表情を暗く翳らした気がしたが、その声量はあまりに小さく真斗には聞き取ることができなかった。
首を捻り聞き返すと、トキヤはパッと顔を上げ小さく頭を振って笑った。

「なんでもありません」

それが真斗の見るトキヤの初めての笑顔だったが、その眉尻は低く下がっていた。

「音也から会社の同僚が私の店を楽しみにしているという話は聞いていましたが、てっきり女性の方だと思っていました」

すみませんと申し訳なさそうに苦笑するトキヤにつられて真斗も苦く笑う。
トキヤは手早く運び出していた椅子をテラスに並べると、あの、と真斗に声を掛けた。

「もしお時間があれば中で少し話しませんか? オーブンの調子をみるために、マフィンを焼いていたのですが」

マフィンという言葉に現金にも真斗は心を躍らせて、「よろしかったらいかがですか?」という申し出に一も二もなく頷いた。
それにトキヤはくすりと笑い、真斗のためにと大きく扉を開け放つ。
扉に取り付けられたベルが、軽やかな音を立てて真斗を迎えた。













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