「は? 死? 死……ってお前、どういうことだよ」
「どういうもなにも、言葉の通りです。その数字は、彼が死ぬまでの時間を示しているんですよ。彼には、……廃棄コードがかけられているんです」

トキヤは言った。
普段は凛とし鋭いテノールが、いまはなんとも心許ない。
『廃棄コード』という、翔には耳慣れない――といってもこの短時間でむしろ"耳慣れた"もののほうが少ないのではとも思うが――単語だが真斗とセシルにはどうやら思い当たる節でもあったようだ。
二人は一様に目を見張り、真斗はまじまじと、そしてセシルはもの悲しげにウィンドウへと視線を落としたのだった。

「廃棄コード……というのは文字通り我々アンドロイドを廃棄する際に入力する、パスワードの総称です。それを入力されたアンドロイドはそれと同時にこの赤いウィンドウを、九桁のカウントダウンを起動させておよそ一ヶ月の後……全ての動作機能を停止します。そうなってしまえばもう、そのアンドロイドが動くことは一生、ありません」

つまりは"死ぬ"――と。そういうことか。
画面の右上で、数字は止まることを知らず非情にも減っていく。
たとえ怪我が治ったとしても。そうしてこいつが目を覚ましたとしても。
自分はただ減っていく数字を、それが"0"に向かっていくのを何もできず歯噛みして見ているしかないのか。
何かこいつを助けてやる手立ては

「ありますよ」

――ある、のか。

「あるにはあるんです。解除する方法。彼を、助ける詮術。コード入力の性質上誤って入力してしまうということは考えられませんが、起動させたのち"やっぱり"というのは決してないことではないでしょう? だというのに時すでに遅し……では掛けた方も掛けられた方もなんとも浮かばれないですから。そのような事象を考慮し、再び同じパスワードを入力すれば解除がなされるようにちゃんとプログラミングされているんです。ですが――」
「なんだよ。じゃあさっさとこいつにもっかいその」
「話は最後まで聞いてください」

遮って発した言葉をビシリと厳しく遮返された。
そんなことができればとっくにやっています。トキヤは組んだ腕を苛立たしげに指で叩きながら翔を睨み付け言った。
射抜くような凄みに気圧され思わず押し黙る。
自然と落ちた目線の端で、四桁目の数字がまた一つ、減った。

「トキヤ……。気持ちは分かるが翔にあたるな」

そんなトキヤを、真斗が溜息混じりに諫める。
トキヤも自覚があったのかすぐにすみませんと小さく零すとばつが悪そうに居住まいを正した。

「……それがひとの為に作られたモノの業だと、理解してはいるんですけどね」
「……」

自嘲するように呟いたトキヤを真斗がむすりと一瞥くれる。
真斗はトキヤを無視して話を戻した。

「いいか翔、廃棄コードとは数字あるいはアルファベットをランダムに十二個、組み合わせ並べられたものでな。その羅列を知っているのは原則そのマスターだけなのだ。……最も、俺は忘れたがな」

最後をやや強調し、おまけとばかりフンと鼻を鳴らして隣に立つ自分のパートナーを細めた瞳で打見した。
トキヤが居心地悪げにサッと視線を逸らす。
そのうしろで音也が、俺 なんて存在自体知らなかったよーと暢気な声を上げた。

「あ。でもそれなら、時間は掛かるけどいっこいっこ試してみたらいいんじゃない?」

閃いたとばかりに手を打つ音也に即座にトキヤが首を振る。

「簡単に言いますがあなた、コードの組み合わせが一体何通りあるか分かっているんですか?」
「へ? 組み合わせ? う、うーん……?」
「はあ……。いいですか、数字の0から9とアルファベット26字を合わせれば一桁だけでも36通り。それを十二桁、重複を許して配列するとなればその組み合わせは――52,251,400,851通りです」
「ごっ! ごひゃく、おく……!」
「そうですよ。ですから時間が掛かるなんて悠長に言っていられる次元の話ではないんです。あなたの言うようにひとつひとつ潰していけば当然いつかは正解に辿り着けるでしょうが、これにはタイムリミットがありますから。タイムリミット……たった一ヶ月程度では、相当運がよくなければ解除など到底不可能です」

なんてことだ。
苦々しく吐き捨てるように言うトキヤに音也も、そして翔も何も言えなくなる。
あまりにも桁が大きすぎて理解が及ばないが、人間より、そして他の同胞たちよりも知識量・計算力を有するはずの彼がその口で不可能と断言するのだから、それは事実不可能なのだろう。
あるにはある。彼がそう濁したのはこういうことだったのだ。しかしそれが非現実的、実現なんて夢のまた夢であればそれはもう、ないに等しいじゃないか。
胸元に添えていた手をぎゅっと握りこんで、翔は眠る男を見下ろした。
真斗かトキヤの手によってか治癒なんたらがいつの間にか実行されていたらしくその表情は初めの頃より幾分か快復の兆しを見せ始めていて、白かった頬も唇も、気持ち程度とはいえ色を取り戻しつつあるようだ。
しかしその傍らに表示された止めようのない数字の羅列を思うと、翔の胸にはなんとも言いようのない虚無感だけが広がってしまう。

「…………ちょっと。いいですか」

そうして誰も何も言葉を発さず数分が経ったなか、おもむろに口を開いたのはセシルだった。
ぱらぱらと一同の視線が彼に集中する。

「コードを解除することはできなくても、もしかしたらコード自体を消す……なかったことにすることはできるかもしれません」
「コードを……なかったことにする……?」
「イエス。……とは言ってもこれはワタシの推測にすぎないから。ほんとにできるかどうかは、わからない。でも、やってみる価値はあると思います」

いつになく表情を引き締め言い放たれた言葉に、その内容に全員の瞳が驚きに開かれた。

「解除ではなくコード自体を、消す? なかったことにする? そんなことができるわけ……――いや、そうか! ああ、私としたことがすっかり失念していました。セシル、その方法ならば恐らく、彼を救うことができるはずです」

ぶつぶつと口の中で呟いていたトキヤがパッと顔を上げ、きらりと光る蒼瞳をセシルに向けた。そして確信を持って大きく頷いて見せる。
それを見てセシルが少しホッとしたような表情になった。
そして矢庭に翔のほうを向くと、その身をぐっと近づけて翔を呼んだ。

「それならばショウ、アナタにおねがいがあります」
「あ? ……おれ?」

いきなり話を振られて翔は瞠目した。

「イエス。オトヤやマサトでも、もちろんワタシやトキヤでもダメ。だからショウにおねがいです。彼のマスターになって。彼を助けるには、きっとこれしかないから」
「俺が、こいつの……?」

翔は首を捻った。
この場で、このアンドロイドの新しいマスターになれるのは自分だけ。それは翔にも理解できる。ふたりはアンドロイドだし、もうふたりはそのアンドロイドの所持者であるのだから。
業務用以外のアンドロイドの複数所持が法律で禁止されているという一般常識くらいなら翔にだってある。
そしてそうすることによってこいつのこのわけの分からないカウントが止まるというなら、もちろん翔は一も二もなく了承しよう。
けれどしかし、翔がマスターになることとそれでこのアンドロイドに掛けられたコードが解除される――いや、なかったことにする……だったか。その、なかったことにするということとの因果関係がいまいちピンとこないのだ。
その翔の疑問を察知したかのように、トキヤは目線で頷き言った。

「思えば簡単なことだったんです。だと言うのになぜ私は今の今まで、セシルに言われるまで思い至らなかったのか」

ケーブルが繋がったままのタブレットを手元に引き寄せ、パタパタと片手で操作しながらも彼は早口に続けた。

「廃棄コードとは言わばそのマスターとの契約そのものであり、パートナーが変われば当然コードも新しいものへと変更されます。従って元のコードは破 棄されることになります。加えてそもそもコードが一種の命令だと考えれば、たとえ元のコードが起動された状態だったとしてもそれはパートナーの更新とともに無効に……そう、なかったことに、されるはずです」
「ああ――」

なるほど。そういうことか。
トキヤの説明の一切を正しく理解できたわけではないが、大事な要点はわかった。それさえわかれば、充分だ。

「ようは、俺がこいつのパートナーになれば、こいつは助かるってことか」
「それ、さっきワタシが言いました」
「はあ……私の説明はなんだったんですか」
「こっ細かいこと気にすんなよ」

横からのじっとりとした視線を一蹴しつつも瞳が泳ぐ。
わざとらしく咳払いをし、とにかくだな。と強引に話を戻した。

「たったそんだけのことでそのわけわかんねーカウントが止まるっつーなら、頼まれなくったって俺の選択肢はひとつっきりだぜ」

土色だった相貌が、まだ完全とは程遠くとも初めを思えばいまは頗る好くなったと言っていい。
そのことに翔はたまらなく安堵感を覚える。

「ひとだろうがアンドロイドだろうが見つけた場所がどこだろうが素性なんてこれっぽっちも知らなかろうが。目の前でおッ死ぬのをただ指咥えて見てるなんて俺にはできねーもん。んなことするくらいなら俺はなんだってするよ。そいつのマスターだろうがなんだろうが、なってやる」

たとえ最初に見つけたのが自分ではなかったとしてもこの場に自分以外にも彼のマスターたりえるものがいたとし ても、それは変わらなかっただろう。
目の前の命を放っておけない。
自分はそういう性分の人間なのだ。
アンドロイドを所有すると言うことを、それによるリスクを翔は知らない。
真斗や音也の口からそのような類のことを――稀に愚痴のようなものを零すことはあるがそれはまた別の問題で、リスクとは呼べないだろう――聞いた事もない。
それは単にふたりが翔に話しても仕方のないことだと思っているからかもしれないし、事実もしそんなことを言われたとしても翔にはへえ。とか大変そうだな。という他人事そのものな返ししかできなかっただろう。
なんといっても翔はアンドロイド所持者ではないのだから。
しかしたとえリスクがあろうがなかろうが、それが重大であろうがちっぽけであろうが翔にとってはそれこそちっぽけなことだ。
音也も大概だが、翔は自分が物事を比較的楽観して考えるくせがあるという自覚を持っている。
何かあっても、なんとかなるだろう――そう思ってしまうのだ。
この男は発見場所も怪我の原因もその身にかけられた理不尽ともいえる命令の理由も――もはや存在そのものが謎であり不可解であり、アンドロイドということを差し引いてもこの男自体が有する問題やリスクはきっと翔が想像するよりずっとあるかもしれない。いや、ないはずがない。
けれどそんな考えても埒が明かないことをぐずぐずと考えるのは無意味だし無駄だし、だったらそんなものはすッぱり無視して己の性分を全うしたい。
男の、長い橙色の前髪から覗く潰れた眼窩を見下ろ しながら翔はまあ、なんとかなるさと自分に言い聞かせた。




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