男がアンドロイドかもしれない。
その仮定を確定に変えるのは、そう難しいことではなかった。
男の長い前髪を掻きあげて見てみれば、アンドロイドならば必ず刻印されているらしいシリアルナンバーが刻まれていた。
そしてよくよく覗き込んでみれば眼球が無理矢理抉り取られて引き千切れたケーブルが幾本、赤い眼窩のその奥に確認できたとトキヤは言った。
見てみますかと場所を譲られたが残念ながら翔にはその勇気はなく、小さく首を振って辞退した。

「それにしてもこのシリアルナンバー……随分と古い型のようですね、彼は……」
「イエス。トキヤと比べたらワタシもずっと古いけど、彼はワタシよりもっともっと古いみたいです」
「事故と呼ぶにはこの怪我は不自然すぎる。この土地も決して治安がいいとは言えませんから、何かの事件に巻き込まれたと考えるのが妥当なのでしょうが……しかし彼を発見した場所と、そしてこの古型ナンバーを鑑みるとあるいは――」
「ばしょ? 彼は、どこに?」
「……彼は、そこのごみ捨て場に倒れていたんですよ」
「…………そう………だったのですか……」

不穏だ。
不穏な会話だ。
セシルは自分のことのように傷ついた顔をし、トキヤも彼にしては珍しく分かり易いほどに渋面を作っている。
トキヤが言わんとしていることは、翔にも容易に察せたし、もし本当にそれが事実ならば実に腹立たしいことだ。
そうではなく何か事件に巻き込まれたのだったとしても怒りを覚える。
けれど。
けれど今は、そんな誰も正解のわからないようなことを言っているときではないだろうと翔は思った。

「今はそんな話より、こいつを助けることのが大事だろ。セシルが治せないんなら、どうしたらこいつ治せるんだ?」

真斗が処置を施したとはいえ出血はまだ完全に止まったわけではなく、硬く閉じられた瞼も頬も唇もまるで紙のように白い。
辛うじて、薄く開かれたその白唇の合間から時折聞こえる弱々しい呼吸音でちゃんと生きているのだと知れるが、どうにもこうにも見ているだけで心臓に悪いのだ。
もしかして、治せないなんて言わないよな? 伺うようにそういうとトキヤはすぐに、そんなことはありませんと顔を引き締めた。

「アンドロイドにはアンドロイドの治療法があるんです。セシルのように一瞬で治すことはできませんが、この程度でしたら確実に修復可能のはずです」

キッパリと断言したトキヤに内心胸を撫で下ろしつつも、翔は重ねてその術を問うた。

「これを使うのだ」

翔の問いに、答えたのは真斗だった。
彼はいつの間にこの場を離れていたものか、奥の扉から足早に戻ってくると、眠る男の傍らにA4サイズほどのタブレットを置いた。
青みがかったシルバーのフレームに、ボタンがひとつ。
翔はタブレットというものを所持していないしいまのところその予定はないためなんとなくではあるのだが、それは特に変わったところのないどこにでもありそうな、ただのタブレットに見えるが。
率直にそういうと、真斗はまあ、事実これは特別変わったところなど一つもないどこにでもあるただのタブレットだからな、と肩を竦めて見せた。

「ケーブルさえ繋げられれば、タブレットでもパソコンでも携帯でも何でも構わないんだ」

真斗が言うように、そのタブレットには一本の長いケーブルが差し込まれていた。
真斗はその先端を持って男の顔のすぐ傍に屈み込むと、白くすらりと長い人差指を男の耳の付け根の辺りに這わせた。
指はしばらく蒼白い肌の上をするすると彷徨っていたが、頚動脈に程近い場所に至るとふいにピタリと動きを止めた。
真斗の口から、ん、と息が漏れる。

「型が古いと、場所も異なるのだな」

誰に言うでもなく真斗はそう呟いて、触れていた箇所をくっと強めに押した。
指に押され、そこはひとの肌と同じように柔らかくへこむ。
しかし、指が離れるとそこは蓋のようにぱかりと開き、小さな丸い穴を出現させたのだった。
そこに手にしていたケーブルの先端を差し込み、タブレットを起動させる。
翔が横から画面を覗き込むと、なにやら古風な背景、そして古風な書体で"接続中"の文字が映し出されていた。
――タブレット自体は一般的なものなのだろうが、どうやらその中身は随分と一般から離れた、"彼仕様"にいじられているようだ。

「こいつらの体内には、生命維持核と自己修復基盤というものが組み込まれていてな。生命維持核というのは、俺たちで言うところの心臓みたいなものだ。そして俺たちが怪我をしても数日も経てば治っているように、外部からの損傷をゆっくりと修復させていく機能、それが自己修復基盤だ」
「セシルの詠が効かなかったのは恐らく、生命維持核が詠をブロックさせたからなのでしょうね」
「どういうことだ?」
「私たちは限りなくひとに近付くよう精巧緻密に造り上げられていても――いや、精巧緻密に造られているからこそ、外部からの電波、電磁波の類には滅法弱いんです。ゆえに生命維持核は常にそれらを自動的にブロックし、この電子社会のなかにおいても我々の活動を可能にしている。セシルの力はそもそも"詠"と呼ばれる彼独自の細緻音癒波とそして掌から発生させる特殊電磁波でもってひとの細胞に働きかけることでひと本来の自己治癒能力を急速に活発化させて治すものなんです。名前の通り、それらはどちらも電磁波ですから。表面の人工皮膚には多少なりと効果があったとしても、その先は生命維持核に遮断されてしまい自己修復基盤までに影響を及ぼすことはできなかった。と、恐らくはそういうことなのでしょう」
「へ、へえ………」

翔には、そうして意味のない相槌を返すだけで精一杯だった。
言葉が右から左に抜けていくとはまさにこのこと。
トキヤの難解な説明に翔が抱いた感想といえば精々、よくもまあ噛まずにそんなスラスラと言えるもんだなあ、程度だ。
当のセシルも、自分のことだというのに腕を組んで首をこれでもかと捻っていた。

「……トキヤの言葉、とてもむつかしい。けど、ワタシにもなんとなくわかりました。ワタシは、もともと転んでよくケガをしていたオトヤのためにと造られた。ニンゲンであるオトヤのためのチカラだから、アンドロイドの彼には効かなかった。そういうことなのだと思います」

――なるほど。
トキヤに比べたら、セシルの言葉のなんとわかりやすいことか。
今度はすんなりと理解できたことに自然と首を縦に振っていると、後ろで音也もなるほどねーと手を打っていた。
それらを一瞥してトキヤは何か思うところがあっただろうが、眉根を寄せつつもコホンと咳払いを一つするにとどめ、話を戻しましょう。と真斗の隣に移動した。

「先程真斗が説明したように、自己治癒基盤は外傷を修復させる機能です。これに、このタブレットを使ってセシルの詠のように治癒速度を上げる命令を下、せ…ば………」

言いながらタブレットを覗いていると丁度接続が完了したらしくパッと背景が黒くなり、いくつものウィンドウが次々に出現していった。
そうして最後に右上に現れた小さなウィンドウを見た瞬間、トキヤはピタリと固まってしまった。
どうしたのかと訝りつつもそのウィンドウを凝視してみる。
薄く橙がかった背景に端から端までびっしりと英文が敷き詰められているほかのウィンドウたちとは違い、そのウィンドウだけは唯一赤く、そしてその中心にただ、九桁の数字が羅列してあるだけだった。

数字は、一定のスピードでどんどんとその数を減らしていっている。
どうやら何かのカウントダウンをしているようだ。
それが何のカウントダウンなのかは、当然翔などには皆目見当もつかないが。

「なあ真斗、これなんなんだ?」

訊ねてみるが、真斗も首を捻った。

「いや、俺もこんなものは初めて見る。何かをカウントしているようだが、一体何を……」
「――それは」

――彼の"死"ですよ――

答えたのは、トキヤだった。
凍りついたように動かなかったトキヤは、一度ゆっくりと瞬きをするとスッと背筋を伸ばし、赤いウィンドウを苦々しく見下ろした。




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