欠陥品の僕ら








ウィーンと、静かな機械音とともに翔の背後で自動ドアが閉まった。
食材の詰まった袋を抱えなおし、ため息をつく。
と、

「っ、つめて」

頬に雫が落ちてきた。
傘立てから自分のビニール傘を適当に引き抜きながら空を見上げると、どんよりと黒く分厚い雲から際限なくコンクリートに打ち付けられる大粒の雨。

「ちくしょ、本格的に降り出してきたな」

ここしばらく、星はおろか月の影すら拝んでいない気がする。
雨が嫌いなわけではないが、季節柄仕方がないとは言えこう連日降り続けられれば話は別だ。
じとじとと纏わりつく空気にうんざりしてまた、息をついた。
傘を広げ、足早に歩き出す。

「にしてもトキヤのやつ。自分たちは 仕込があるだのどうせ暇のんでしょうだの適当なこと言いやがって、結局ふたりっきりになりたいだけだろっての!」

つい数分前にしたやり取りを思い出しぶちぶちと文句を垂れながらも、足は街路灯も少なく薄暗い道を淀みなく進む。
そして信号を二つほど過ぎたところで建物と建物の間を縫うように在る小道に曲がると、その奥には緩やかなカーブを描いて伸びる細道があった。
街路灯すらもないその道を、最奥に幽かに見える明かりを目指して歩く。
――と。ふと。
なんとなく、道の途中にあるここよりさらに細い脇道に目が行った。
その先にあるのは――なんてことはない。ただのゴミ捨て場だ。
夜闇よりもさらに黒々とした大きな影がぼんやりとだが見え、明日が粗大ごみの回収日であ ることを思い出す。
なぜ気になったのかはわからないが、小物ひとつも大事にしなければならない苦学生である自分には関係ないと正面に向き直ろうとした、そのとき。
いびつな黒い輪郭の端に、一瞬、ぼぅっとなにか白いものが見えた気がした。

「……?」

なんだろうか。
目を凝らすが、雨霞でよく見えない。
少しの間逡巡し、抱えた袋を持ち直すと意を決し小道に足を踏みいれた。
ばしゃり。ばしゃり。
一歩また一歩と近づくにつれひとつの黒い塊だったものがだんだんと個々の輪郭を顕にしだす。
洗濯機に本棚、椅子にテレビに掃除機に。
壊れたのか、はたまた違うものへと新調してか。
いずれにしても持ち主に不要とされて乱雑に放られた家具たちによってそこはち ょっとした山になっていた。
確かに大概がどこかしら壊れているようだが、なかにはまだまだ充分使えそうなものもありそうだ。

「……まさか、ゴミ漁りのためにここ来たわけじゃねーよな、俺……?」

自分の行動ながら、思わずひくりと口端が痙攣した。
そりゃあ自分は自他共に認めるジリ貧学生だが、さすがにそこまで落ちてはいない。……はずだ。
これから確実に訪れるだろう灼熱の季節を思うとあの奥にちらりと覗く扇風機に僅かなときめきを覚えなくもないが、ここで行動に移してしまったら、負けだ。男が廃る。間違いなく後悔する。
きっとトキヤや音也などには言葉にはしないものの不憫そうな眼差しを注がれるだろう。
そしてあの天然ボンボンに至っては、下手をすると憐憫をこじらせ「俺がもっといいものを買ってやる」などといって翌日には無駄に高性能で一見「これは本当に扇風機か?」と疑わしくなるようなものを買ってくるのだ。
想像しただけで羞恥と後悔がどんよりと広がった。

……ここにいてはだめだ。

名残惜しくなんかない、と扇風機から視線を引き剥がし、踵を返す。
と、二歩も進まないうちに視界の端にまたぼぅっと、淡く白い何かが映りこんだ。
ハッとそちらの方を振り返ると、大きな家具に阻まれていて気付かなかったがどうやらベッドがあったようだ。
そのベッドの上に、先程からちらついていた白いものは確かにあった。
それを視認するや否やすぐさまベッドへと足先を向ける。

――そうだ。さっき俺はあの白い何かが見えて……。

街灯も 心許なくそして家具も地面もすべてのものが降りしきる雨にぐっしょりと薄黒く色を落としている中でぽつん、と。
まるで発光でもしているようにそれは周りからは浮いて見えて。
それが不思議に思えて、だから翔は―――

「え………」

一歩二歩と踏み出そうとした足が、ピタリと止まってしまう。
それが、淡く白くまるで発光しているように見えていたその”何か”が”何なのか”がわかったからだ。
うで。
――そう。
それは、紛うことなく人の腕だった。
だらりと力なく垂れ下がったそれは、当然胴体へと繋がっている。
少し視線を上げてみれば、何故今まで気がつかなかったものか、うつ伏せでぐったりと横たわる人の姿があったのだ。

「……っ!」

反射的に翔は走り出していた。ベッドの元へと。
抱えていた袋を地面に、そして傘を横臥する男に翳すように置いてその身体を揺する。
触れた男の肩は降りしきる雨にすっかり体温を奪われ酷く冷たかった。

「おい……、なあ、おいってば。 大丈夫かよお前? なんでこんなとこで、……―――!?」

ぬるり、と。揺さぶっていた手がふいに滑った。
雨水ではない。やや粘度を持ったそれを訝しみ手元に眼をやれば、男の肩を掴んでいた自分の掌がべったりと赤黒く染まっていた。

「な、んだこれ」

翔は絶句した。
よくよく眼を凝らしてみてみれば、暗闇と雨、加えて男が黒っぽい服装をしていて気付かなかったが肌に張り付いた衣服は所々が破れ、破れた布の合間から覗く肌は悉く血や痣に塗れていた。
そして頭部も――。
男の顔の右半分をすっかり埋め隠してしまっているマットレスは、その沈む頭を中心に黒々と大きな染みを作っていた。血の出所は判然としない。
ごくり――。意図せず、咽喉が上下した。
前髪の間から見え る瞼は硬く閉ざされている。
頬も唇も蒼白く色を失っている。
そしてなにより、先程から男は一ミリたりとも動くことはなくて――
――まさか。
サッと翔の顔も青ざめる。
うまく回らない頭が、それでも最悪を想定して激しく警鐘を打ち鳴らす。
急に雨音が遠ざかり、代わりにどくどくとうるさいまでに脈動が鼓膜を震わせた。
そんなことはない。そんなはずはない。
右手で自分の胸元を掴んで深く息をする。
そんなことはない。そんなはずはない。
眼をぎゅっと瞑りそうやってもう一度自分に強く言い聞かせ、再度男の身体を揺するべく手を伸ばす――。
――と。

「!」

いま。
一瞬、だったけれど。

「……おい……?」

中途半端なところで 固まっていた手をそっと男の腕に置き、恐る恐ると小さく声掛け白い顔を覗き込む。
――ぴくり。
瞼が動いた。
やはり見間違いではなかった。
大粒の雨の中、それはともすれば見逃してしまいそうなほど微かなものだったけれど。それでも翔は見た。確認した。
それは彼が――たとえ辛うじてだとしても――生きている証拠だ。
その事実に翔はほっと胸を撫で下ろした。
しかしそれもほんの束の間のこと。
生きているならば助けなければ。

「つっても俺じゃさすがにこいつ持ち上げらんねーし、トキヤに連絡……ってああくそ! 何でこんなときに携帯忘れて来てんだよ俺……!」

空っぽのポケットから乱暴に手を抜き悪態を吐きながら苛立ちのままに糸屑を地面に投げ捨てる。

「なあお前、俺すぐ戻ってくるから、だからもうちょいがんばれよ? な?」

果して聞こえているかはわからないが、そっと顔を近づけ励ますように声をかけた。
すると、

「え、ぁ……」

翔の声に呼応してかは定かではないが濡れた睫毛が一度ふるりと揺れたかと思えば、それがゆるゆると徐に持ち上がり隠されていた瞳が半分ほどその姿を顕にした。
至近距離で見たそれは硝子細工のようにどこまでも透き通っていてきらきらと美しい。

明るいとこで見たらきっともっとキレイなんだろうな――。

暗闇の中ですらどこからか閉じ込めた小さな光を有して輝くそれは、一体どんな色をしているのだろうか。
想像するだに今まで感じたことのない何かが翔の背中をぞわぞわと震わせ息をするのも忘れて思わず魅入っていたが、その光が再び ゆるりと瞼に閉ざされるとともにハッと我に返り、ぬかるんだ小道を倒けつ転びつ後にした。







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