七話 早すぎる別れ

 次の日――。

 紗夜は、昨日より軽い足取りで歩いていた。なぜなら、昨日まで着ていた分厚い打掛を脱いだからである。

 脱いでも手荷物が増え、邪魔になるばかりだからと思い着たままでいたのだが、りんが阿吽に乗せればいいと提案してくれたのでそうすることにした。

 そのため、今は一番下に白小袖、その上に薄い青色の小袖を重ね、一番上には浅葱色の花模様が織られた鮮やかな群青色の小袖を着ている。

 公家としてそこそこの身分を持っていた紗夜は、打掛がない格好など初めてだった。
 だが、動きやすく身体の負担は格段に軽減したので、それを不服に思うことはなかったのであった。


 それから、しばし歩いたあと。

 丁度良い具合に木陰がある開けたところに出て、一行は休息を取ることになった。

 殺生丸はすぐに何処かに行ってしまったが、前々からよくあることだと聞いていたので特に気にはならなかった。

「ねえねえ! お花、探しに行こうよ!」

 紗夜と邪見が木陰に座るなり、りんが言った。当然、邪見が眉をひそめる。

「おい、今休憩になったばかりじゃぞ?」

「あっ、そっか! 紗夜ちゃんも疲れてるよね? じゃあゆっくり休んでて! 邪見さまと行ってくるから!」

「なっ! わしだって疲れて――」

「ほら、行くよ邪見さまっ」

 そうして邪見は強制的にりんに引きずられて行った。邪見には申し訳ないが、紗夜も事実少し疲れていたので助かった。

 りんは今日から、紗夜のことを“お姉ちゃん”ではなく、“紗夜ちゃん”と呼ぶようになった。それは、彼女が自分に心を開いてくれている表れなのだろう。
 紗夜も、りんといると気持ちが少し軽くなることに気付いていた。


 ――そうして、どれくらいが経ったのか。 紗夜が身体を休めながら、しばらく木陰で風を感じていると。

「きゃあああぁぁっ!!」

 林の向こうから突如、悲鳴が聞こえた。

「!!」

 慌てて立ち上がる。聞き間違えるはずがない、りんの悲鳴だ。紗夜は声のした方向へと一心に駆け出していた。

「はぁっ、居た……」

 息を切らして木の陰から前方を見ると、馬に乗った男たちに抱えられた、りんと邪見の姿がある。格好を見るに、どうやら野党の集団のようだ。

「このガキは身売りにでも売り飛ばそうぜ」

「こっちの小妖怪も、見世物ぐらいにはなるだろ」

 そんな声が聞こえてくる。

 ――助けないと……!

 りんは初めて会ったとき、家族を野党に殺されたと言っていた。きっと今、ものすごく怖い思いをしているはずだ。

 咄嗟に身体が木陰から飛び出しそうになったとき、はっと気が付いた。

 いま自分が飛び出して、一体何ができるだろう。
 きっとすぐに野党に捕まってしまうのがオチだ。そうなれば、もうどうすることも出来ない。

 そうなるよりは、自分はここに留まり、殺生丸にこの事態を伝えた方が上策なのではないだろうか。

 ――どうすれば……。

 早くしなければと焦り、判断の方向に迷っていると、ふと、あの人の顔が浮かんだ。

 邪見とりんに何かあれば、そうなるかもしれない、殺生丸の悲痛な顔が。


 あの人が本当に悲しげな表情をするのかは分からない。それでも、自分自身の想像上のその表情は、紗夜の足を動かすには充分だった。

 ――ザッ!

 草木を揺らして野党の前に飛び出した紗夜に、邪見がいち早く気が付いた。彼は悔しげな目で紗夜を見つめながら叫ぶ。

「紗夜! 何故隠れていなかった!? お前だけでも残っておれば、殺生丸さまにお伝えすることも出来たじゃろう!」

 紗夜は邪見には答えず、野党たちを見据えながら、そちらにゆっくりと歩を進めた。

「ああ?」

 野党の一人が紗夜存在に気が付き、こちらに目を向け訝しげにそれを細める。他の野党より身につけているものが良さそうなので、恐らくこの男が頭領なのだろう。

 お頭は紗夜の方に馬を進めると、一瞬息を呑んでから値踏みするような目で紗夜を見下ろした。

「……お前、中々の美人だな。……決めた、俺と一緒に来い」

 お頭は野党の中でも若く、二十半ばほどに見える。剥き出しの欲望を宿した瞳が、浅ましく揺れていた。

「早く乗れ」

 お頭が馬上から手を伸ばし、紗夜の腕を掴む。その力に痛みを感じ、ほんの少し顔を歪めたが、紗夜はまっすぐお頭を見上げた。

「何だ? 嫌だっつっても聞かねえぞ」

「……私のことは好きにすればいい。その代わり、あの二人を放してください」

 これでこの男が二人を放してくれなければ、最悪の事態になるだろう。冷静に告げながらも、紗夜は内心少しの焦りを感じていた。

 と、紗夜の言葉に一時ぽかんとしていた邪見とりんは、我に返って叫ぶ。

「紗夜、お前……!」

「だめだよ、紗夜ちゃん!」

 そんな二人の様子をちらりと見て、お頭は考える素振りを見せたあとにやりと笑った。

「おいお前ら! ガキどもを放せ!」

「え、いいんですか、お頭!?」

「ああ。こんな上玉が簡単に手に入るんだ。そんなガキどもの代えなんていくらでもいるだろうが」

 お頭は品の欠片もなく笑うと、紗夜を馬の背に引き上げた。それと同時に、邪見とりんが柔らかな草の上に放り出される。

「行くぞ、お前ら!」

 お頭の合図とともに、野党たちが馬の腹を一斉に蹴った。

「紗夜ちゃーんっ!!」

 別れの言葉も言えぬまま、馬が無情に走り出す。

 りんの泣き叫ぶ声が後ろから響き、やがてその声も聞こえなくなって、紗夜は静かに目を閉じた。

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