六話 生きる意味

 翌日、一行はやっと旅路についた。紗夜の身体の調子も一日休んで回復し、その日は途中で休憩を挟みながらも歩き続けた。

 紗夜はゆっくりと歩を進めながら、移り変わっていく周りの景色を眺める。
 村の外に出たのは鬼に追われたあのときが初めてだったが、今はこんな風に色々な景色を見ながら歩いていた。
 一行が進んでいる森は、木々が濃い緑を湛えている。楽しげな声で歌う小鳥が、時折紗夜たちの頭上を舞って飛んだ。

 特に感じる所のないまま歩き続けていると――やがて、正中にあった太陽がいつの間にか西へと傾き始めた。
 それから野宿の場所を定め、邪見とりんと食事を共にし、またあっという間に夜になる。辺りはすっかり暗くなり、焚き火が暗闇に赤く浮かび上がった。

 邪見とりんは昼のうちに遊び回っていたので、紗夜よりも疲れているらしい。まだそんなに遅くない刻限に、二人はすやすやと寝入ってしまったのだった。


 それから、数刻後――。

 紗夜はもう何度目かの寝返りを打った。日中歩き疲れているはずなのに、まったく眠気がしない。だから何を考えるわけでもなく、しばらくぼんやり火を見ていた。

 やがて、少し風に当たりたいと思い始め、のろのろと身体を起こす。
 ちらりと殺生丸を見ると、彼は静かに目を閉じて木の根元に腰を下ろしていた。

 三人を起こさないよう気を配りながら、紗夜はそっと森の奥へと向かう。


「…………」

 殺生丸はふと目を開けて、暗がりへと入り込んで行く紗夜の背を見つめていた。





 森の奥に入って行くと、少しだけ開けた場所に出た。真っ暗な中を照らすのは、青白い月の光だけである。

 紗夜は近くの木の下に座ると、空を見上げた。生い茂った木ばかりが視界を占領し、光を届けるはずの月はこれっぽっちも見えない。風が流れ、木の葉や草がさわさわと揺れる音だけが聞こえていた。

 本来なら不気味に感じるであろうこの暗い景色も、紗夜にとっては落ち着く、という部類に入るものだった。


 そのとき、背後から草を踏む音が聞こえて、紗夜は意識を現に戻した。ゆっくりと後ろを見て、紗夜の瞳が僅かな驚きで揺れる。

「…………」

 そこにはいつまにか、いつもの無表情で立つ殺生丸の姿があった。殺生丸は何も言わずに紗夜の隣まで来ると、木に背を預ける。

「…………」

「…………」

 二人とも何を言うでもなく、ただ沈黙が流れた。

 紗夜は、何か用があるのかと思い殺生丸の言葉を待ってみたが、彼が口を開く気配はない。

 そのうち、紗夜はふと、彼に対して抱いていた疑問を思い出した。

「……あの……一つ聞いても良いでしょうか?」

「何だ」

 話しかけると、彼は短く返事をくれる。紗夜は、疑問の核心を問うてみた。





「……どうして、私を殺さなかったのですか?」

 紗夜からの問いに、殺生丸の気が一瞬だけ張りつめた。

 なぜ、自分はあのとき紗夜を殺さなかったのか。それは自分でも考えてみたことだ。だが、その答えはまだ出ていない。

 あのとき、殺生丸は紗夜を殺してもいいと思っていた。それが真の望みだと本人が言ったからだ。
 しかし、なぜか殺生丸はそうしなかった。今一度考えてもその理由は分からない。
 長い沈黙の末、殺生丸は呟いた。

「……理由などない」

 紗夜はその言葉をぼんやりと聞き入れている。

「……そうですか……」

 ややあって、紗夜はいつものように憂いと悲しみを宿した目をして呟いた。
 そして暗闇の中、その瞳を見ているうちに、殺生丸は彼女に尋ねていた。

「……お前は、生きようとは思わないのか」

 殺生丸の言葉に、紗夜は前を向いたまま目を見開く。しかし、すぐにそれを細めると、暗闇によく響く声でこう言った。

「……私は、死ぬために生きています」

「! ……」

 独り言のような呟きで、けれどそこにはしっかりと彼女自身の強い意思があった。

 殺生丸は何も言わなかった。否、言えなかったのだ。
 紗夜はゆっくり立ち上がると、元来た方へ歩き出す。

「……おやすみなさい……」

 振り向きざまにそう言った紗夜は、僅かに微笑んでいた気がした。





 闇に消えていく紗夜の背を見送って、殺生丸は空を見上げた。ここに来たとき、紗夜がそうしていたように。

 繁茂している木々が空を黒く塗り潰している。木々は、殺生丸たちがいた所を隙間なく取り囲むようにして生えていた。その圧迫感に、殺生丸は目を細める。

「紗夜……お前は何に囚われている……」

 誰も聞くことはないその呟きは、風に流れて消えていった。





 あの場を去ってから、紗夜はまた焚火の側に身体を横たえた。

 『――生きようとは思わないのか』

 先ほど聞いた、殺生丸の低い声が頭の中に響く。

 生きたいと、心から生きたいと願って生きる――。そう思うことはないのか。
 恐らく彼の言葉の意味はそういうことだろう。

 紗夜は彼の言動を少し意外に思いながら何度か瞬きをして、すぐ間近にある黄土色の土に目を落とした。

 もう何年も、そんな思いを抱いたことはない。きっと、これからも変わらない。

 そう思って、紗夜はゆっくりと瞳を閉じた。眠気が少しずつ迫ってくる。
 夢に落ちる寸前、紗夜は自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。

 私は、死ぬために生きている。

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