二十五話 呪い

 八年前のあの日と同じように、村全体が炎に包まれていた。轟々と音を立て、赤く燃え盛る屋敷。
 紗夜は困惑した瞳で、女――朝霞を見つめた。

『私は朝霞。お前の、本当の母親だ』

 はっきりと告げられた言葉は、到底信じられるものではない。朝霞の言葉には何の証拠もないのだ。

 紗夜はここで、この村で、屋敷で何もかも失ってきた。心も生きる希望も大切なものは何もかも。
 紗夜の知る母親は、自分を強く憎んでいたあの母――桜しかいない。

 そう、思っているのに。見れば見るほど朝霞と紗夜の顔かたちは似通っていて、彼女の姿に己の影を見つけることは容易かった。

「どういうことなの……?」

 混乱した中で口を開けば、掠れた声が漏れ出た。状況を受け入れきれない紗夜を見て、朝霞は冷たい微笑を浮かべる。

「この姿を見ても信じられないか? ならば、こう言えばお前も思い当たることがあるはずだ。紗夜よ、考えたことはなかったか? 桜は、お前より兄のことを愛していたと」

「!!」

 朝霞に言われて、紗夜は息を呑むと同時に思い出した。
 母は八年前のあの日、紗夜を一人で村から出そうとしていた。蓮がついて行く必要はないと。蓮の身を一番に案じていた。

 母はいつも兄のことを気に掛けていた。そして兄が死ぬと母は豹変し、紗夜を心底邪魔な子供として扱った。
 母のあの恐ろしい瞳は、今でも忘れられない。

「っ……」

 紗夜は言葉を呑んだ。朝霞はこう言いたいのだ。“母”は紗夜にとって本当の母親ではないから、ずっと蓮の方を可愛がっていたのだと。

「桜は実子でないお前を心から憎んでいた。だからこそ桜は、お前に本当のことを教えなかったのだ。“お前は私の本当の子ではない”と言われるより、実母に憎まれその生を否定されながら生きている方がお前にとっては辛いだろう。心の傷はより深くお前を抉り、やがて壊していく」

 朝霞は微笑したまま、紗夜の様子を窺うように小首を傾げた。

「余程お前のことが憎かったのだろうなぁ。だから桜は、自分を実母と思わせたままお前を恨み、当たり続けた。桜が一時お前を可愛がっていたのも全て幻、偽りの感情に過ぎない。そして私も、お前の生を望んだことなどない。お前は誰にも愛されていなかった」

 紗夜は俯いて地面を見つめ、拳を強く握りしめた。

 「そんなはずない」と思うより、「そういうことか」と思ってしまう自分がいる。朝霞の言葉を受け入れてしまう自分がいる。きっと朝霞の言葉は真実だ。そう、すんなり胸に落ちてきた。

 兄が死んでからずっと母に憎まれてきた。
 兄が死んだのは自分のせいだ、そう思われても仕方がない。そう思っていたし、だからこそ何度も自分にそう言い聞かせてきた。

 けれど、兄がまだ生きていた頃の幸せな思い出はたしかに胸の奥にあって。紗夜にとってはただ一人の母親。やはり特別な存在だった。愛情を求めることはもうなかったが、それでも。

 だが、そう思っていたのは紗夜だけだったのだ。紗夜は本当に母に――桜に憎まれていた。

「…………」

 ――分かっていたのに、憎まていたことなんて。今更落ち込むことに何の意味があるのだろう。

 頭ではそう思っていても、心は確かに傷ついていた。
 真実なのだ。実感は全くないが、本当の母親は朝霞だということも。
 そして、その朝霞もどういう訳か紗夜を憎み、紗夜の心を蝕もうとしている。

 ――でも。
 
 でも、私はもう一人じゃない。

 紗夜は顔を上げて、ここまで一緒に来た仲間を見回した。りんも邪見も、目が合えば力強く頷いてくれる。
 以前ならきっと、またここで立ち止まってしまっていた。絶望して生きる気力を失って、死ぬことに逃げただろう。

 でももう、あの頃の私とは違う。

 紗夜はこちらを振り向いた殺生丸を見つめ返した。彼の瞳は出会ったときと変わらない。強く凛としたそれが、今は紗夜に大きな生きる力を与えてくれる。
 側で生きろと言ってくれた彼の言葉が、紗夜の生きる希望なのだ。

 ――もう私は迷わない。大切なものが出来たから……!

 紗夜は強い意志の籠った瞳で朝霞を睨んだ。その瞳の輝きを見て、朝霞は眉を顰める。

「ほう、そんな顔をするようになったか。……では紗夜、これを見ればお前はどうする?」

 朝霞は己の懐に手を差し入れ、何かをこちらに差し出した。

「! それは……!」

 見覚えのある鈍い光。その短刀に紗夜も殺生丸も息を呑む。

 それは紗夜の結界を破ることのできる、要が持っていたあの短刀だった。

 『――あの短刀を……私に、与えた者です……。あの人は貴女を憎んでいる……貴女を、殺そうとしている……。あの人は、貴女の――』

 死の間際、要が自らの命を削りながら言った言葉が蘇る。要があのとき何を言おうとしていたのか、今分かった。紗夜はキッと朝霞を睨みつけた。

「あなたが……あなたが要を利用して、あんなことをさせたのね……!」

 この女が要を死に追いやったのだ。要の心の隙に付け込んで彼を唆し、利用して、最後には口止めするために命を奪った。苦しそうに血を吐いていた要の姿を思い出すと、肚の底から怒りが沸いてくる。
 そんな紗夜を見て、朝霞は楽しげに目を細めた。

「そうだ、あの男のお前への執念は並外れていた。幼い頃ならばいざ知らず、幼馴染に殺されるというのは今のお前にとっては苦痛でしかないだろう? だから私が命を与え、死人だと悟られぬよう術までかけて利用してやったというのに……。あの男は結局何も出来ぬまま死んでいった。お前を殺すことも、お前と共に生きることも出来ずにな」

 呆れた声で要を侮辱する朝霞に紗夜は歯を食いしばった。頭が沸騰するようなこんな感情は、今まで感じたことがない。激しい波に呑み込まれてしまいそうになりながら、けれど必死に理性を繋ぎとめる。

 朝霞の狙いはまさにこれなのだろう。紗夜を傷つけて弄ぶためだけに発された言葉だ。そう必死に言い聞かせる。

 ――真実は私の目で見届けた。要は最期の一瞬まで、微笑んでくれていた……!

「っ……どうしてこんな周りくどいことをするの!? 要の命を利用して、殺して……私の命が欲しいなら、わざわざこんな手を使う必要なんてないでしょう!!」

 紗夜は震える唇で叫んだ。すると朝霞は、紗夜を冷ややかに見おろし、静かに口を開く。

「それでは意味がないのだ。……紗夜よ、どうして実の母である私がお前を苦しめるようなことばかりすると思う?」

 朝霞は答えを待つ紗夜をきつく睨みつけて、残酷な声音で言い放った。

「憎いからだよ。私はお前が、この世で一番憎い。お前を苦しめて苦しめて、最後にこの手で殺すこと……それだけが私の望みだ。お前の大切なものを使って奪って、お前を絶望の淵に追い込んで殺さなければ、この憎悪は決して消えることはない」

「……っ、どうして……」

 ――どうしてこの人は、ここまで……。

 彼女は紗夜を苦しめるためだけに、要を使ってその命を弄び、紗夜の命を奪おうとした。
 だが、紗夜にとって彼女と会うのは、これが初めてだ。ここまで強い憎しみを向けられる理由が分からない。
 
 僅かに声を荒げた朝霞は一息付くと、やがて元の調子で話し始めた。

「……私は、お前が憎い。お前をこの世に産み落としたときから――。だから紗夜、私はお前が苦しむように呪いをかけた。その身を食らえば強い妖力と寿命が得られるという、妖怪に命を狙われ続ける呪い。けれど、その身を喰らおうとすると結界に阻まれる呪い。お前と妖怪たちのしがらみに巻き込まれた周りの人間は次々と死んでいく。だが、お前だけは生き続け、永遠の責め苦を味わう。そんな呪いをな」

「!!」

 その場に居た全員が、驚きに目を見開いた。紗夜は手で口を押え、朝霞を唖然として見つめる。

「あなたが……私に……?」

 生まれてからずっと、呪われていた体。
 この体のせいで沢山の犠牲が生まれ、紗夜は心を失いかけた。

 それがまさか、実母によってかけられた呪いだったなんて。

 紗夜が驚きのあまりがくりと地面に膝を着いた瞬間、殺生丸が闘鬼神を抜いて地を蹴った。
 殺生丸は真っ直ぐに朝霞を狙って、宙を舞う。

 ――呪いの元――この女を倒せば、紗夜の呪いは解ける。

 目を細めて朝霞を見据え、殺生丸は闘鬼神を振り上げた。だが、朝霞は狼狽えることもせず向かってくる殺生丸を見つめ、不敵な笑みを浮かべる。

「ふふ……聡いな殺生丸。私を殺せば紗夜にかけた呪いは解ける。だが、私はそう易々と倒せる相手ではないぞ?」

 朝霞はそう言うが早いか、後方にぱっと飛び上がると、屋敷の屋根の上に軽やかに着地した。そしてすっと右腕を上げると、掲げたそれを振り下ろす。

「行け、お前たち」

 朝霞がそう言った瞬間、どこから現れたのか。幾百もの妖怪が群れを成し、咆哮を上げて殺生丸に向かって飛んでくる。

「殺生丸様!」

 紗夜が声を上げたが、それは微かに聞こえただけで、妖怪の猛った唸り声に掻き消された。
 殺生丸は無数の妖怪に囲まれながらも、顔色一つ変えずに刀を振るう。そして妖怪を薙ぎ倒しながら、嫌な笑みを浮かべている朝霞を見た。

 ――この女……紗夜の母と言いながら妖怪を操り、人間の臭いもせぬ。この臭いは……。

 殺生丸は思いながら、飛びかかって来た妖怪を斬る。妖怪たちは絶叫して絶命し、やがてどんどん数を減らして、今では殺生丸をぐるりと囲む程になった。

「さすが大妖怪、殺生丸様と言ったところか。この程度の妖怪どもでは歯が立たぬな」

 朝霞は、息も上げずに宙に佇み、敵を睨みつける殺生丸を見て呟くように言った。

「当ったり前じゃ!殺生丸様を誰じゃと思っておる!」

 邪見がぴょんぴょんしながらそう叫ぶと、朝霞はふと、りんと邪見を見下ろし、ニヤリと笑った。

「なるほど。ではこうしてみよう、お優しい殺生丸様はこの状況で仲間を救えるかな?」

 朝霞はそう言いながらつい、と指を動かす。すると、殺生丸を囲んでいた中の数十匹の妖怪が、りんと邪見に向けて飛んで行った。

「!!」

 殺生丸はすぐに急降下しようとしたが、それを阻むように周りにいた妖怪が押し寄せてくる。

「っ、どけ!!」

「きゃああ!」
「せ、殺生丸さまーー! お助けをーー!!」

 ザン、と目の前の敵を斬った瞬間、りんと邪見の悲鳴が響いた。

「「きゃああああ!!!」」

「!!」

 殺生丸は息を呑んで地上を見る。
 そして、目を見開いた。

「っ……!」

 紗夜がりんと邪見を庇うように立ちはだかって、妖怪たちを自らの結界で阻んでいる。

「紗夜ちゃん……!」

「紗夜……! 助かったわい……」

 二人の無事な姿に、殺生丸は息をついた。
 だが、紗夜が妖怪たちの前に飛び出したことで、妖怪たちの目の色が確かに変わった。

 紗夜の結界に阻まれ、その身が焼け焦げていくのに、妖怪たちは紗夜に向かうのを止めようとしない。
 朝霞の命令でりんたちを狙っていたはずが、妖怪たちの目には最早紗夜しか映っていないようだった。

 ――呪いのせいか。雑魚が紗夜に狙いを定め始めた……。

「――邪見、りんを連れて離れていろ」

 殺生丸はこちらに牙を向けて来た妖怪を刀で斬り落としながら、邪見に告げる。すると、りんが反発の色を含んだ声を上げた。

「で、でも殺生丸さま、紗夜ちゃんが……!!」

「ええい、行くぞりん! 足手まといのお前がいては、殺生丸さまの手を煩わせるだけじゃ! それに、紗夜には結界がある!」

 邪見の言葉に、紗夜は振り返って微笑んだ。

「そうよりんちゃん、私は大丈夫! だから、行って!」

 ――妖怪も、朝霞も、狙いは私。私の側を離れていれば、二人は安全だわ。

「っ……紗夜ちゃん、殺生丸さま……! 気を付けて!!」

 邪見はそう叫ぶりんを引っ張って阿吽に乗せ、妖怪たちの手が及ばない、少し離れた上空へと舞い上がった。
 それを見届けて、殺生丸は紗夜を見下す。紗夜を襲っていた妖怪は、もう力尽きて地に落ちていた。

 紗夜もまた、殺生丸を見上げ小さく頷く。その瞳は力強いが、僅かな不安があるのが見て取れた。
 殺生丸は紗夜の澄んだ瞳を見つめながら、闘鬼神の柄を強く握った。

 ――紗夜、お前は必ず私が守る。

 ほとんどの敵を滅してしまった殺生丸と、彼を見上げる紗夜。朝霞は二人を面白くなさそうに見ていたが、やがて紅を引いた唇に弧を描き、冷たく微笑する。

「大切なことを忘れているぞ、殺生丸。私は私の力を以って、紗夜に呪いを与えた(あるじ)だ。紗夜の結界は私の意のままに操れる」

「何……?」

 殺生丸は怪訝に眉を寄せた。すると朝霞は手のひらを紗夜に向けて、すっと横に滑らせた。

「!」

 その瞬間、体がいつもと違う感覚になって、紗夜は身を震わせた。言葉にはしがたい、けれど確かに抱く喪失感。

 ――まさか……!

 紗夜のこめかみに冷汗が伝う。

 結界が、消えた……!!

「っ……!」

「ふふふ……さあお前たち、贅沢な食事の時間だ。紗夜を喰らい尽くせ!」

 朝霞が手を伸ばした刹那、その場にいた全ての妖怪が紗夜に向かって押し寄せてきた。

「――!!」

 紗夜は、恐怖に体を強張らせる。
 このままでは、妖怪たちに喰われてしまう。早く、早く逃げなければ……!

 そう思うのに、体はまるで何かに固められたようにぴくりとも動いてくれない。
 目の前に、大蛇のような妖怪の恐ろしい毒牙が迫った。それを阻むものは今はもう何もない。
 朝霞の満足そうな笑みが遠くに見えた。
 飢えた妖怪を、初めてこんなにも近くに許した。
 大蛇の牙が体を穿つ痛みを想像して、目を閉じたとき。

 肉を裂く鋭い音が響き、生温いものが頬を掠めた。紗夜は反射的に閉じていた目を開ける。

「っ……!」

「無事か、紗夜」

 降り注いだ静かな声。目を見開いた先にいたのは、あの恐ろしい妖怪ではなく、強く優しい彼。
 その姿を認識して自分の口から漏れ出た声は、何とも頼りないものだった。

「殺生丸、様……」

 掠れた声でその名を呼べば、殺生丸はふわりと地に降り立ち、血に濡れた刀振って腰に戻す。
 殺生丸はただの一振りで、紗夜に向かっていた残りの妖怪を殲滅していた。

 そして、金色の瞳で紗夜を見つめると、安堵したようにその頬に触れ、紗夜の頬についた血を指で拭ってくれる。

「っ……殺生丸様!」

 恐怖で張り詰めていた心が緩み、紗夜の瞳に涙が滲んだ。どんどん潤んでいく紗夜の目に、殺生丸はふ、と柔らかな笑みを零す。

「もう大丈夫だ」

「はい……っ」

 殺生丸の手に頬を包まれて、紗夜の胸は温かいものでいっぱいになった。

 ――やっぱり私には、殺生丸様が……。

 紗夜は瞳を伏せながら、包むように殺生丸の手に触れた。
 朝霞は二人を見下ろしながら、顎に手を当てて考える素振りを見せる。

「あの数を一振りで……。紗夜の結界を唯一破れる妖怪というのも伊達ではないか」

 殺生丸は紗夜から手を放し、朝霞を睨みつけた。
 朝霞の顔には焦りの色も見えず、何か企んでいるかのように気に入らない笑みばかり浮かべている。殺生丸は紗夜を自らの後ろに庇いながら、朝霞の方を向き直った。

「貴様こそ、“なりそこない”にしては呪いだの何だのと、卑しい術ばかり使っているな」

「ふふ、これは私が元々持っている霊力だ。そして今や妖力をも持っている。紗夜を苦しめて殺す方法など幾らでもあるのだよ。全ての鍵を握るのは、この私だ。そして殺生丸、お前もまた私の駒の一つに過ぎない……」

 朝霞は静かにそう言うと、つっ、と殺生丸に指を向けて印を結んだ。
 その刹那――。

「っ!!!」

 左肩に激痛が走り、殺生丸は思わず右手でそれを押さえる。
 内側から抉られるような、引き裂かれるような、そんな痛みが体中を駆け抜けた。

「殺生丸様!? 殺生丸様、大丈夫ですか!?」

 肩を庇うように背を曲げた殺生丸の異変に気付き、紗夜が顔色を変えて駆け寄って来る。殺生丸は苦痛に顔を歪めながら、朝霞を睨みつけた。
 
 心当りは、あれしかない。

「さぞ苦しいだろうな、殺生丸。だが、お前も既に気付いていたはずだ。この短刀で要が刺した傷痕。そこから広がる黒い痣に」

「!!?」

「…………」

 やはり、と殺生丸は眉を寄せた。一方で、何も知らない紗夜が困惑した顔を向ける。

「殺生丸様、どういうことですか……?」

 青白い顔をした紗夜をしばし見つめ、殺生丸は着物の合わせ目を僅かに開いた。着物の隙間から見えた殺生丸の肌に、紗夜はハッと息を詰める。
 殺生丸の首筋には、左肩から伸びた黒い痣が広がっていた。
 
 着物で隠れてはいたが、昨日よりも痣の範囲が広がっていることを殺生丸は知っていた。痣の内側に感じる裂くような鋭い痛みが、何よりそれを証明している。

「っ……殺生丸様、どうして……!」

 紗夜が着物の裾を握り締めながら、今にも泣きそうな顔で殺生丸を見ていた。
 なぜ教えてくれなかったのかと、彼女の瞳がそう訴えている。

 理由など、きっと紗夜も分かり切っているはずだ。けれど、殺生丸からの答えを求めている。

 ――紗夜、お前にそんな顔をさせたくなかった。

 殺生丸は、紗夜の怯えと悲しみに満ちた顔を見つめ返した。

「…………私は、お前を守ると決めた」

「っ……!!」

 殺生丸は痛みに耐えながら、紗夜に心配を与えぬよう努めて静かに告げた。紗夜は弾かれたように目を見開く。

 紗夜に、心配をかけたくなかった。
 彼女はただでさえ、自分を苦しめてきた真実を知るために気を張っている。そこに殺生丸の体に異変が生じたと知れば、紗夜の心の負担は増す一方だ。
 
 そのうえ痣の原因が要の刀傷だと知れば、紗夜はきっと自分が殺生丸を巻き込んでしまったと、自分を責める。
 いくら過去を過去に出来た紗夜とて、今を共に生きる殺生丸に自分に関わることで何かあれば、責任感の強い彼女が自責の念を抱かぬはずがない。

 殺生丸は、紗夜の心を守りたかった。彼女の笑顔を、命を守ることが出来ればそれでよかった。

 紗夜はぽろぽろと涙を零しながら、目を伏せる。

「ごめんなさい……ごめんなさいっ、殺生丸様……ッ!」

 紗夜は溢れて来る涙を腕で拭い、そのまま顔を覆った。殺生丸が紗夜の腕を掴もうとしたとき、愉悦に満ちた朝霞の高笑いが響く。

「ふふふ……あははははっ! 要はこの短刀にも呪いがかかっているとは知らず、殺生丸を突き刺した。だが、よくやってくれたものだなぁ。紗夜、お前がそれほど苦しんでくれるのなら、あの男の命を使ってやった甲斐もあったというものだ!」

「――黙れ!」

 追い打ちをかけるような朝霞の言葉に、殺生丸は胸に湧き上がるものを吐き出すように声を上げ、闘鬼神を抜いた。

 左肩はもう、痛みで感覚がない。しかし、右腕は使える。
 殺生丸は絶えず襲う痛みに耐えながら、朝霞に向かって飛び上がった。

「ふふっ、涼しい顔をしているが、お前にかけたその呪いは少し動くだけで気を失う程の痛みを伴う。本当は立っているのもやっとであろうに……そこまで紗夜が愛しいか!」

 朝霞はそう叫ぶと、また指を殺生丸に向けて、印を結んだ。

「!! ぐっ……っ、は……っ…!!」

 途端、心臓を握り潰されるような痛みに襲われ、殺生丸は中空で動きを止めた。口の端からつっ、と一筋血が流れる。

「「殺生丸さま!!」」

「っ……!」

 りんと邪見の悲鳴に近い声に、紗夜もぱっと顔を上げて、宙に浮かんだ殺生丸を見上げる。
 殺生丸はゆっくりと地に降り立つと、闘鬼神を地に刺してその柄に体を寄せた。さすがに息が上がったが、膝を着くことは殺生丸の矜持が許さない。

 朝霞はその姿を見ると、己もゆっくりと下降した。そして殺生丸の眼前に降り立ち、静かにそっと微笑する。

「殺生丸。お前にかけたその呪い、術をかけることは出来ても解くことは出来ない。例え私を殺したとしてもな。そして、その痣が全身に広がったとき、お前は――」


 死ぬ。

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