二話 目覚めた先は

「お兄様。私、今日はお花を摘みに行きたいわ!」

「ふふ、お前は本当に花が好きだね」

 暖かな陽光が降り注いでいる。風は優しく庭の草木を揺らし、小鳥たちは可愛らしい声でいつまでも歌っていた。

 兄は、幼い妹の手を取った。小さな少女は喜んで、その柔らかな手を握り返す。
 庭で戯れる仲の良い兄妹を、屋敷の縁側から、その父と母が微笑んで見守っていた。
 
 幸せな時間。平和な毎日。
 この家には何があっても、愛に満ち溢れていた。そう、何があっても。

 あの時までは――。





 眩しい光が目蓋の奥を照らす感覚に目が覚めた。

 先ほど見たものは、ただの夢だったようだ。懐かしい、思い出。

 穏やかな日差しと、少し冷たい風に頬を撫でられゆっくりと目を開けた。澄みきった青空が視界いっぱいに広がる。
 少し重い上体を何とか持ち上げると、遠くから声が聞こえた。

「邪見さまー! 女の人、目が覚めたよーっ!」

 声のした方を見ると、幼い少女がこちらに向かって駆けて来た。きらきらした瞳が、真っ直ぐこちらを見つめている。

「よかった、気が付いたんだね! お姉ちゃん昨日の夜あっちで倒れちゃったから、ここまで運んできたんだよ」

 愛嬌のある笑顔でそう言いながら、少女はちょこんと側の地面に座った。

「……助けてくれたの? ありがとう……」

「うん!」

 礼を言うと、少女はまた満面の笑みを浮かべてみせる。
 そうしていると、やがて向こうから小さな"何か"が駆けてきた。緑色の体色を持ち、身の丈は少女より小さく、手には不思議な杖のようなものを持っている。

 恐らく妖怪だろう。
 そう思っていると、少女が尋ねてきた。

「ねぇ、お姉ちゃんはどうしてあんな夜中にここにいたの?」

「……旅をしている途中、鬼に追われて逃げていたの」

 純粋な問いについ目を伏せながら答えると、先ほどの緑色の妖怪が口を挟む。

「お前、その分厚い着物で走って逃げてきたのか?」

「……あなたは、妖怪?」

「そうじゃ、悪いか!?」

 一応の確認するために聞いてみたのだが、機嫌を損ねてしまったらしい。強く睨まれ、ゆるゆると首を横に振る。

「お姉ちゃん、妖怪は怖くないの?」

「怖くないわ。……あなたは、怖くないの?」

 尋ねると、少女はにっこりと微笑んだ。

「怖くないよ。りんは、人間のほうが怖い。……りんの家族は、みんな野党に殺されたから……」

 表情が曇るのに比例して、りんの声も段々か細くなっていく。
 しかし、気を取り直したように、りんは力強い声で言った。

「……でもね、寂しくないよ! 今は邪見さまも阿吽もいるし」

 りんが緑色の小妖怪をちらと見る。邪見、というのが、この緑色の小妖怪の名前のようだ。
 それからりんは一層嬉しそうに笑って、明るい声で続けた。

「それにね、殺生丸さまも一緒だから、全然寂しくないの!」

「……殺生丸、様……?」 

「うん! 昨日お姉ちゃんを助けてくれたのも殺生丸さまなんだよ! 殺生丸さまはね、とーっても強いんだぁ!」

「……強い……」

 りんの言葉を聞いて、ふと考え込んでしまう。

 邪見は女のその姿を見逃さなかった。何か思うところがあるようで、女の表情はどこか少し険しい。

 そのとき、りんと邪見の背後から砂を踏む足音が大きく響いた。

「あ、殺生丸さまだ!」

 そう言って駆け出すりんの方を見てみると、そこには銀色の髪を靡かせた美しい妖怪が立っていた。

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