夢の道はまだ遠い


『――じゃあ行ってくるよ。帰りは夜中だから、君は先に寝てて』

 雲雀は玄関で靴を履くと、ゆっくりと音羽の方を振り返った。

 彼はこれから、ボンゴレの任務でイタリアに行くのだ。帰るのは一週間後。少し長い間、この家を留守にする。


『……はい、分かりました。……恭弥さん、気を付けて行ってきてくださいね』

『心配しなくていいよ。君の方こそ、気を付けて』

『はい、私も大丈夫です』

 ――本当は、すごく寂しいけど……。

 言葉にするのは、ぐっと堪えた。
 駄々をこねたって仕事だから仕方がないし、雲雀を困らせてしまうだけだ。

 だから微笑んで頷いたら、雲雀の表情もほんの少し緩くなった。彼は音羽を見つめて、その手を伸ばす。


 一人で出掛けるときいつもそうするように、雲雀は音羽の頭を優しく撫でてくれた。よしよしと褒めるみたいに。安心、させるみたいに。大きな手のひらが温かい。

 気持ちよくて目を細めると、頭に載っていた雲雀の指がなめらかに音羽の輪郭を伝った。くすぐったくて、肩が縮こまる。指は顎先まで下りると、今度は頬を包んでくれた。

 普段は雲雀の方が背が高いけれど、今は音羽が床板の上に立っているので、目線の高さが同じだった。

 目が合ったら、それが合図みたいに。
 
 引き寄せられるようにして、お互いの唇を重ね合う。柔らかく触れるだけのキスに、うっとりした。角度を変えて何度かそれを繰り返し、やがて、どちらともなく身体を離す。

 ぬくもりが遠のくこの瞬間が、お見送りのとき一番寂しい。

『じゃあね、音羽。いい子で待ってなよ』

『っ、はい……。いってらっしゃい、恭弥さん』

 雲雀の微笑についドキッとしていると、彼はまた小さく笑った。最後にもう一度音羽の頭を一撫でしてから彼は踵を返し、玄関の扉を開ける。

 雲雀の姿が見えなくなるまで、音羽は玄関に立っていた――。





 ……というのが、今から四日前の話。

 音羽は雲雀を見送ったときのことを思い出して、もう何度目になるか。
 真っ暗な和室に引いた布団の中で、また寝返りを打った。

 
 ――雲雀が並盛に構えたこの屋敷を留守にするのは、何も珍しいことじゃない。現に、ほんの先々週もそうだった。

 彼は日頃から風紀財団の仕事で世界中を飛び回り、利害が一致したり気が向いたりしたら、ボンゴレからの依頼も受けてあちこちに赴くからだ。

 そういうときは、たいてい音羽も一緒に連れて行ってもらえる。けれど今回みたいに、決まってここに置いていかれることも度々あった。

 それは、雲雀が何か、危険な仕事や依頼を抱えているときだ。

 詳細を聞いたことはないものの、『危ないから君はここで待っていて』と雲雀はいつも真剣な顔をして言うので、きっとそういうことなのだと思う。

 でも、それを知っていたら余計に心配になるものだ。
 朝起きたら、彼から無事返信が来ているかの確認から始まり、今日は怪我をしなかったかな、とか、明日は大丈夫かな、とか。一日に何度も気を揉んでしまう。

 雲雀が人並み外れて強いことはよく知っているけれど、それでも離れている以上、心配は拭えなかった。


 ……本当は、自分も一緒に連れて行ってもらいたい。

 心配するのが辛いから、というのもそうだけど、彼を側で支えたかった。余り役には立たなかったとしても、それでも、彼が傷付いたときはその傷を治してあげられる。

 それが出来るだけで、どれだけ安心できることか……。

 雲雀にはもちろん訴えたが、聞き入れてはもらえなかった。『君を危険な目に遭わせたくない』、の一点張り。

 雲雀が音羽の身を何より案じてくれていることも、大切にしてくれていることもよく分かっているけど、でも。

 音羽だって、同じくらい雲雀が大切なのだ。嘘偽りなく、誰よりも。
 雲雀も、それは知っているはずなのに。

 ……けれど、自分が絶対に雲雀の足手纏いにならないかと言われたら、言い切れる自信はなかった。音羽は雲雀と違って、戦える守護者じゃないからだ。

 それもあって、音羽はこの状況を甘んじて受け入れている。最近は、雲雀に訴えることもせずに。


「…………」

 考えていたら、目が増々冴えてしまった。
 溜息をつきたい気持ちになりながら、音羽はまた、反対側に寝返りを打つ。

 隣に、ぽっかりと空いたスペース。
 普段は雲雀がそこに寝ていて、手を伸ばせば触れられる距離にいる。

 でも、何だかんだいつの間にか、二人で一緒の布団に寝ていたり。

 朝起きたら雲雀のぬくもりに抱きしめられたまま一番に目が合って、とても幸せな気持ちになるのだ。


 ……ああ、思い出したらもっと寂しくなってきた……。
 雲雀が恋しい。彼が帰ってくるまで、あとまだ三日もあるのに……。


「……連絡、来てないかな……」
 
 眠れないし、寂しいし、音羽は気を紛らわせるためにも枕元に置いてあったスマホを取った。

 時間を見たら、深夜の一時。
 イタリアは今頃夕方だろうか。

 メッセージアプリを開いたけれど、雲雀からの返事はまだだった。既読にはなっているから、たぶん夜にでも返してくれるつもりなのかもしれない。そっと、アプリを閉じてスマホを置く。


 ――恭弥さん……、会いたい……。

 また真っ暗になった無音の部屋は、やっぱり一人ぼっちであることを嫌でも意識させてきた。

 この生活が始まった頃は、いつか慣れるかもしれないし、と自分に言い聞かせてきたけれど……。本当は全然、逆だった。

 雲雀がいない時間を一人で過ごすたびに、彼の存在の余りの大きさに気付かされる。

 雲雀の静かな寝息、視線が絡まったら優しく細めてくれる瞳。頭を撫でてくれる手も、抱きしめてくれるぬくもりも。……今はない。


「……っ」

 夜になると、やっぱりダメだ。暗い静けさに後押しされて、色々考えてしまう……。
 ついに涙が滲んでしまって、音羽は指でそれを拭った。
 
 ――今日は特に、ひどいと思う。だから、

 …………もう、何でもいい。
 何か、雲雀を感じられるものが近くに欲しい。じゃないと寂しすぎて辛かった。


 音羽は枕元に置いているスタンドライトをつけて、布団から起き出した。部屋がオレンジ色に、ほんのりと明るくなる。

 何にしようかと思ったけれど、すぐに浮かんだのは視界に映ったそれだった。音羽の布団の上にもあるもの。

 音羽は部屋の隅にある押し入れに歩いて行って、そこを開けた。中から、普段雲雀が使っている白い枕を引っ張り出してくる。

 ふかふかのそれをぎゅっと抱きしめたら、ふわりと雲雀の匂いがした。大好きな、良い匂い。
 何だか彼を抱きしめているみたい、にも思えて、ほんの少し満足する。

 そのまま布団に戻ってライトを消して、音羽は枕を抱いたまま横になった。

 ――枕を選んで、良かったかもしれない。
 抱きしめる格好だけで何だか安心するし、雲雀の残り香が、心から愛おしい。


「……恭弥さん、早く帰ってきて……」

 つい、声に出して言いながら、音羽はゆっくり目を閉じた。
 雲雀の香りに包まれて、寂しさが少しだけ溶けていく。

 このまま眠って朝になったら、雲雀からの返事を見よう。

 音羽は深く呼吸して、穏やかな眠りが訪ねてきてくれるのをじっと待った。


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