特別な月夜

雲雀(+10)/糖度高め/未来編前/中秋の名月


 夏の暑さが和らいで、秋の気配を感じ始める今日この頃。


 音羽は携帯で天気予報を確認して、にっこりと微笑んだ。

 『今晩は雲一つない夜空。キレイな満月が見えそう』。
 その一文に安堵して、音羽は携帯を仕舞い立ち上がる。


 荷物を持って並盛町にある雲雀の屋敷を出ると、秋晴れの空が頭上に広がっていた。
 日中はまだ強い日差しを感じるときもあるけれど、それでも随分風が涼しくなったように思う。

 ふわりと髪を掬う澄んだ秋風に、気分がまた高揚するのを感じながら、音羽は軽い足取りで並盛にあるスーパーマーケットへと向かった。

 
 今夜は、中秋の名月。美しい満月が夜空に浮かぶ、絶好のお月見日和だ。
 そしてお月見日和と言えば、お月見団子!

 京子とハルに、「ボンゴレアジトで一緒にお月見団子作らない?」と誘われたのは、つい先日のことである。音羽は二つ返事で「作りたい!」と答えて、中秋の名月の今日、ボンゴレアジトで京子たちとお団子を作ることになった。

 だから音羽は、これからスーパーに自分の担当している材料を買いに行って、それからアジトに向かうのだ。

 雲雀は今仕事で留守にしているが、夜には屋敷に帰って来る。
 
 彼が帰ったら、縁側で一緒にお月見したい。


「ふふっ、楽しみ。早く行こうっと!」

 音羽はついつい独り言ちて微笑みながら、浮かれた足取りでスーパーに歩いて行った。





 買い出しを終えた音羽はボンゴレの地下アジトに到着して、真っ直ぐ厨房へと足を運んだ。

 厨房のドアは開きっ放しで、中からは京子とハルの明るい声が聞こえてくる。
 音羽は顔を覗かせて二人の姿を確かめたあと、中に入りながら声を掛けた。

「京子ちゃん、ハルちゃん、お待たせ……!」
「あ!音羽ちゃん!」
「こんにちは!待ってましたよ〜!」

 音羽に気付いた京子とハルが笑顔で迎えてくれて、音羽は微笑みながらテーブルの上に材料の入ったビニール袋を置く。

「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃったかな?」
「ううん!私たちもたった今来て、準備してた所なの!」
「はいっ、ナイスタイミングです〜!」
「本当?良かった……!」

 音羽がほっと胸を撫で下ろしていると、ピンクと、淡いグリーンのエプロンをそれぞれつけた京子とハルが、にっこりと破顔した。

 京子はすっかり長くなった髪を後ろで一つに結び、一方ハルはすっきり切ったショートボブをサラサラと靡かせている。
 外見は大人っぽくなったが、二人の性格は昔と変わらず穏やかで、温かい。

 大切な友人である彼女たちとこうして時々会うのは音羽の楽しみの一つでもあるため、音羽の顔は自然と綻んでいた。


「今日はお天気も良さそうですし、まさにお月見日和ですね!」
「うん、本当だね!満月、すごく綺麗に見られそう」

 音羽も髪を結んで、水色のストライプ柄エプロンをつけながらハルに答えると、彼女はうっとりと宙を見上げる。

「はぁ、ツナさんとお月見……、想像するだけでロマンティックですっ!」
「うふふ、ハルちゃんったら!」
「ふふっ。……」

 二人の変わらないやり取りに微笑んで――音羽もつい、雲雀とお月見するところを頭の中に描いてしまった。


 雲雀は仕事から帰って来たら、いつも真っ先に着流しに着替える。たまにラフな部屋着を着ることもあるけれどそれは本当にごく稀なので、きっと今晩も着流しに着替えるはずだ。
 
 和服を着た雲雀はいつも以上に綺麗だなあと、音羽は普段から秘かに思っているのだが……。
 雲雀が着流しを着てお月見をしたら、きっと、絵になり過ぎてしまうと思う。それこそ、モデルさんか何かに見えてしまいそうだ。


「…………」

 音羽が思わず、彼の姿を浮かべてぼうっとしていると。

「――音羽ちゃーん!聞いてますかー?」
「……!!ご、ごめん!ぼうっとしちゃってた……!」

 ずいっと勢いよく視界の中に入ってきたハルに、音羽はハッと我に返る。

「うふふ。音羽ちゃん、ひょっとして雲雀さんのこと考えてた?」
「えっ……!えっと、」
「隠さなくても、音羽ちゃんのお顔を見たら分かりますよ〜!相変わらずラブラブで羨ましいですっ!」

 京子とハルに口々に言われて、音羽の頬がぽっと色付く。
 堪らず俯くと、「音羽ちゃんも変わらないねっ!」と、先程自分が二人に対して思っていたことを言われてしまい、音羽はついついはにかんだ。


「――じゃあ、そろそろ作ろっか!」
「はい!忙しいツナさんたちにゆっくりお月様を観てもらって、ちょっとでもリラックスしてもらいましょう!」
「うん!」

 京子とハルの掛け声に頷いて、音羽たちはお月見団子作りを始めたのだった。





 少し間が空いて集まったこともあり、三人は年甲斐もなく楽しく騒ぎながらお団子を作った。
 けれど京子もハルも料理上手なので、お団子は三人が三人とも「美味しい!!」と声を上げてしまうくらい、上手に出来上がったのだった。


 厨房で片付けまで済ませた音羽たちは、ダイニングテーブルを囲んで珈琲を飲みながら寛いでいた。

「お月見団子って初めて作りましたけど、上手く出来て良かったですね!」

「ほんとだね!ツナ君たち、喜んでくれるかなあ」

「きっと喜んでくれますよ!……あ、ハル、お月見するなら並盛神社が良いんじゃないかなって思ったんですけど、どうですか?」

「そうだね、ここは地下だし……。皆いるとなると人数も多いから……、並盛神社なら、雰囲気もあるし良いかもしれないねっ!」

「それじゃあ決まりですね!音羽ちゃんたちは、お家でお月見ですか?」

「うん、縁側で見ようかなあって思ってるよ」

 ハルに尋ねられ、音羽は頷いて答えた。


 同級生の皆と賑やかにお月見するのもすごく楽しそうだが、群れるのが嫌いな雲雀が彼等の集まりに参加しないことは、火を見るよりも明らかだ。

 年月が経つと共に“その件”に対しての理解を深めてくれている京子とハルは、ただ頷いて、少し残念そうに眉尻を下げてくれた。

「そうですよね……音羽ちゃんたちがいないのは、ちょっと寂しいですけど……。でも、お二人でゆっくり過ごされてくださいね!」

「うん!次の機会に、また皆で一緒に見よう?」

「うん……!ハルちゃん、京子ちゃん、ありがとう」

 二人の気遣いに笑みを零すと、にっこり笑ったハルがふと、壁に掛かった時計に目をやる。

「――あ!もうこんな時間ですね!そろそろツナさんたちが帰ってくるかもしれません」
「!ほんとだ、私もそろそろ帰って準備しないと……」

 時計を見ると、いつの間にか六時前になっていた。
 楽しい時間はいつもあっという間だなと思いながら、音羽は椅子から立ち上がる。

「じゃあお団子、わけっこしましょう!音羽ちゃん、好きな分持って行ってくださいね!」
「雲雀さんとのお月見、楽しんでねっ」
「うん!二人ともありがとう!」

 音羽は二人にお礼を言って、あらかじめ持って来ていた容器に良さそうな数のお団子を詰めると、ツナたちの帰りを待つ京子とハルと別れたのだった。





「――これでよしっ、と!」

 屋敷に戻り、夕飯とお月見の支度を終えて、音羽はふうっと息を付いた。

 せっかくなら本格的なお月見にしたいと思い、事前に用意していたススキを活け、三方に和紙を敷いてお団子を載せた。

 雲雀の屋敷の物置には、彼の好みによってちょっと古風な物が仕舞われていたりするので、大よそ一般家庭には置いていないであろう三方もごく自然にあったという訳だ。

 そして――。
 本格的なお月見のために、音羽がしたもう一つの準備。

 音羽は和室にある鏡台の前まで行って、もう一度自分の姿を確かめた。

 (はなだ)色の地に藍摺(あいずり)の紅葉文様が細かく入った着物を着付けた、自分の姿が映る。
 帯は柔らかい利休白茶で、帯留めは珊瑚を選んだが――ちゃんと着付けられているだろうか。

 雲雀が難なく着付けられる人なので、音羽も自分で出来るようになりたいと思い練習しているのだが、まだまだ難しく感じてしまう。
 ……でも、一先ずは大丈夫そうだ。少なくとも、パッと見ておかしなところはない。


 そんなことを考えていると――。
 玄関の扉がガラ、と開く音がした。

「!」

 雲雀が帰って来たのだ。音羽は慌てて台所に戻ってお団子を積んだ三方を冷蔵庫に仕舞い、活けたススキを死角に隠す。

 別に隠す必要は全くないのだが、何となくサプライズにした方が楽しくなるのではないかと思ったのだ。音羽が着ている着物は隠しようがないが……着付けの練習で着物を着て出迎えることもあるので、怪しまれることはないだろう。

 音羽は既に楽しみが膨らんで、思わず笑顔になりながら玄関先まで急ぐ。

「おかえりなさい!」
「ただいま、」

 目を伏せて靴を脱いでいたスーツ姿の雲雀に声を掛けると、彼は顔を上げて目を瞠った。

「どうしたの、それ」

 表情こそ変わらないが、艶やかな低音の声に珍しく驚きの色が含まれている。……普段着物を着て出迎えたとき、彼はこんな風に驚いていただろうか?

 ふと疑問に思ったものの、雲雀の視線が音羽の頭から爪先までを遠慮なく滑るので、すぐに考えられなくなった。

 何だかいつも以上に見られているような気もして、音羽の頬がほんのりと赤く染まる。

「えっと、着付けの練習をしてて、」
「……ふうん」

 恥ずかしくて俯きがちに答えると、雲雀が少しだけ笑うのが分かった。
 彼はゆっくりと家の中に上がり、音羽の目の前に立つ。

「……っ……」

 これだけ長い間一緒にいても、未だに雲雀と距離が近付くだけでドキドキしてしまう自分が、少し恨めしい。

「髪も結ったんだね」

 雲雀はそう言いながら、音羽の顎をそっと押さえて顔を上げさせた。
 同じ床に立った彼は音羽より随分と背が高くて、じっと見下ろされる。

 どこか楽しげに見える瞳が、音羽の瞳の奥を覗いていた。

 音羽が今なお感じている緊張も、羞恥も、彼への想いも。全部見透かされてしまいそうで、堪らず目を伏せてしまう。
 
 そんな音羽に、雲雀はふ、と微笑を浮かべた。

「似合ってるよ、音羽。綺麗だ」
「!……あ、ありがとう、ございます……っ」

 指の甲で頬を撫でられながら、満足そうに雲雀に言われて、音羽は今度こそ真っ赤になった。 

 見上げなくても分かる、たぶん雲雀は今、すごく楽しそうな顔をしているはずだ。
 彼は音羽が恥ずかしがるのを分かっていて、敢えていつもよりストレートに褒めているのだから。

「ほら音羽、中に入るよ。早く君とゆっくりしたい」

 柔らかい笑みを口元に浮かべた雲雀に、そう言われて頭を撫でられたら。

 揶揄われても、やっぱり雲雀に褒めてもらえるのは嬉しいなと思うし、何年経っても彼には敵わないと、改めて実感する。
 
 音羽は眉尻を下げて微笑み、雲雀に促されるまま温かな光の零れる室内に歩いて行った。







「ごちそうさま」

 いつも通りスーツから着流しに着替えた雲雀は、夕食を食べると食後のお茶を手に取った。

「美味しかったよ」
「ふふ、良かったです」

 お茶を一口飲んだあと、目を上げてそう言ってくれた雲雀に音羽もにっこり笑って答える。
 
 ちょうど、音羽も食べ終えたところだ。食器を下げて軽く片づけをしたら、雲雀にお月見をしたいと切り出そう。
 
 楽しみだなあとこっそり顔を綻ばせ、音羽は食器を持って流し台の方に行った。
 すると、後ろから雲雀も自分の分を持って来てくれて、台の上に重ねてくれる。

「!ありがとうございます、雲雀さん」
 
 音羽はお礼を言って、さあ何から片付けようかと、たすきを取り出しながら流しを見回す――と、不意に身体が温もりに包まれた。

「!!」

 驚いて振り返ろうとするが、雲雀に後ろからしっかり抱きしめられていて身動きが取れない。
 突然のことに、音羽は思わず小さく声を上げた。

「ひ、ひば――」
「違う」

 名前を呼ぼうとすれば、不機嫌そうな声に遮られてしまう。
 雲雀が何を言いたいのかすぐに分かって、音羽は項垂れた。

「……恭弥、さん……」
「そう。君、何回言えば直るわけ?」
「う……ごめんなさい……」

 素直に謝ると、雲雀が耳元で小さく溜息をつく。

 雲雀には名前で呼ぶようにと近頃ずっと言われているのだが、もう何年も「雲雀さん」だったので中々慣れない。

 でも、それでは駄目だと言われてしまって、最近では音羽がこうして「雲雀さん」と言ったり、言いそうになるたびに彼に注意されている。のだが。
 

 ちゃんと「恭弥さん」と呼び直したのに、雲雀が背中から離れる気配はない。名前の呼び方が気に障ったのではないのだろうか? 

「恭弥さん……?どうしたんですか?」

 ずっと雲雀に抱きしめられていると、やっぱりドキドキしてしまって。
 心臓の動きが速くなるのを感じながら、音羽は回された雲雀の腕に触れ、肩口に圧し掛かる彼に尋ねる。

 すると雲雀は、片手で音羽の首筋をするりと撫でた。

「君の方こそどうしたの?着物、ただの練習にしてはやけにきちんと着付けてるし。……もしかして、誘ってるのかい?」

「!?ち、違いますっ……!」

「ふうん、そう?」

「ん、っ……!」

 雲雀の低くて甘い囁き声が、耳に直接入ってくる。
 彼の柔らかな息遣いを感じると、いつものように体がぞわぞわした。

 肩が、跳ねてしまいそうなのを必死で我慢していると、髪を上げて無防備になっている(うなじ)に、熱いキスを落とされる。

「あっ……っん……!」

「……どうしたの、音羽。そんな声を出すなんて、やっぱり僕を誘ってるんじゃない?」

「ッ!?や、っ……そこ、しゃ、喋らな、で……!」

「どうして?首もここも、好きじゃない」

「ひっ……!ぁ、み、耳、やだぁ……っ!」

 意地の悪い言葉を囁く舌に敏感な耳介をねっとりと舐められると、すぐに膝が震えてしまった。
 声なんて出したら、雲雀を悦ばせてしまうだけなのに。
 
 彼の息が、声がそこに触れるだけで、押し殺せない音が口の端から零れてしまう。

「嫌なら言いなよ。君が企んでる事、全部話したらやめてあげる」
「……!!」

 雲雀の言葉に、音羽はすぐ降参した。
 コクコクと何度も大きく頷けば、雲雀はほんの少しだけ顔を離してくれる。

 “企んでいる”つもりではなかったが、音羽の“隠し事”はどうやら雲雀にバレていたらしい。

 確かに、いつもより気合いを入れて着付けたのは確かだけれど、それだけで気付かれてしまうなんて……そんなこと、本当にあるのだろうか? 雲雀の余りの鋭さに、つい疑念を持ってしまう。


「で、僕に隠して何をしようとしてるの?」
「……っ……か、隠すつもりじゃ、なかったんですけど……」

 雲雀に肩を掴まれて、彼の方を向かされながら、音羽は潤んだ目を伏せた。まだ息が上がっていて、上手く声が出ない。

「ただ、ちょっと驚かせたくて……。お月見、恭弥さんと一緒に、したかったから……」
「……お月見?」
 
 ちら、と雲雀を見上げると、彼は不思議そうに数回目を瞬かせた。音羽はこくりと頷く。

「今日、中秋の名月だからお月見したくて……。お昼に京子ちゃんとハルちゃんと、お団子作ったんです。だから、雰囲気が出るかなと思って、着物を……」
「…………」

 音羽の話を聞き終えると、雲雀は暫し黙って、それから今日一番の大きな溜息をついた。

「はあ……それならそうと、素直に言えばいいのに」
「……う……ごめんなさい……」

 まさか、ちょっとした出来心(と言うほど悪いことでもなく、ただの小さなサプライズのつもりだったのだが)で、あんなことになるなんて……危なかった。流しではしたない声を出してしまったのが、とても恥ずかしい。
 
 こんなことなら、雲雀の言う通り最初から普通にお願いすればよかった……、と音羽はしょんぼり肩を落とした。すると、

「音羽」

 雲雀に呼ばれて、彼の手の平に頬を包まれたかと思ったら、ふと上を向かされる。
 
 雲雀の顔はまだ少し呆れたままで、けれど優しく微笑んでいた。

「いいよ、お月見。付き合ってあげる」
「……!!ほんとですか……!!」

 彼のその一言に、音羽は打って変わってぱあっと顔を綻ばせたのだった。





 家中の電気を消して、縁側にススキとお団子の載った三方を並べる。雲雀が好きなので日本酒の用意もしてようやく場が整うと、音羽と雲雀は並んでそこに腰を下ろした。

 家が真っ暗になって分かったが、庭が仄明るい。
 肌を包む夜風は心地よくて、側に置いてあったススキも気持ちよさそうにサラサラと揺れていた。

 雲雀に寄り添いながら、音羽は顔を上げて空を見る。

「わあ……綺麗……」

 まんまるの満月が、夜空にぽっかりと浮かんでいた。綺麗な金色で、冴え冴えとした秋夜の空に煌々と輝いている。

 やはり、中秋の名月、だからだろうか。いつも以上に月が美しく見えて、音羽はつい感嘆の声を漏らした。
 

 雲雀も見ているだろうかと隣に視線を向けると、彼は片膝を立てた寛いだ姿勢で月を見ながら、薄い唇をお猪口に付けている所だった。

 長い睫毛に縁取られた彼の瞳は明月に向けられ、少し肌蹴た逞しい胸元と引き締まった脚が、月の光で色っぽく浮かんでいる。
 大人になった雲雀の色香は、本当に心臓に悪い。

 相変わらず整った彼の横顔の美しさに、音羽はつい見惚れてしまった。テレビや雑誌で芸能人やモデルさんを見ても、決してそうはならないのに。


「何、音羽。月を見るんじゃないの?」
「!み、見てますっ……!」

 視線にも鋭い雲雀は、音羽のそれにもすぐ気付いたらしい。面白がるような笑みを湛えて目線だけをこちらに流す彼に、音羽は慌てて答えて月を仰いだ。

 雲雀はいつもより明度の低い灰色の瞳を細めると、やがて三方に載っていた団子を一つ摘まみ、口に運ぶ。

 彼の唇がそれに触れる頃には、音羽はまた、雲雀の方を見てしまっていた。雲雀が何と言うのか気になって、つい飲み下すのを待ってしまう。

「……うん、悪くない」

 日本酒には余り合わないけどね、と雲雀が言い添え、音羽はほっと息を付いた。
 自分も一つ取って食べてみると、昼間に味見したときと同じように、ほんのりと優しい甘さが口に広がる。

「ほんとだ……、美味しいですね」

 味は同じはずなのに、より美味しく感じるのはきっと、雲雀と一緒に食べているからだ。

「?」

 幸せな気持ちになりながら微笑んでいると、ふと、雲雀の手が伸びてきて。
 音羽の頬を、彼の指先が優しく撫でる。

「おいで、音羽」
「……、」

 雲雀は機嫌良さそうに口元を緩めて、音羽の腰に手を回した。
 彼の力に身を委ねれば、ぴったりと。隙間もないくらいに、抱きしめられる。


 雲雀の胸に頬を寄せたら、熱かった。雲雀の体温を感じるからか、音羽が赤面しているせいか、分からない。
 ドキドキと脈打つ自分の心臓の音が、はっきりと速くなっていく。

「着物、上手に着られてる。少し上手くなったんじゃない?」
「!そ、そうですか……?」
「うん。君のそんな姿が見られるなら、月見も悪くないね」
「……っ」

 片手で肩を抱かれ、片手で頭を撫でられながら囁かれると、嬉しくて何も言葉が出なくなる。
 雲雀の心地よい熱と、甘やかな月光にすぐにでも呑み込まれてしまいそうで、音羽は雲雀の着流しをそっと掴んだ。

「……恭弥さん。今日、どうして分かったんですか?私が、その……隠し事してるって……」

 隠し事というかサプライズのつもりだったんですけど、と一応付け加えると、「見てれば分かるよ」と、さも当然と言わんばかりの顔で答えられてしまう。

 そんなに自分は分かりやすいだろうかと少し心配になったが、雲雀に頭を撫でられると心地よさが勝って、音羽はうっとりと目を細めた。
 
 雲雀の一定で、ゆっくりした心音がとても落ち着く。
 きっと、世界中の何処を探したって、音羽がこんなに安心できる場所は他にないだろう。


 ふと、雲雀の肌を白く照らす光を見て、音羽は思った。

 中秋の名月だから、だけじゃない。

 お団子を食べてより美味しいと感じたように、雲雀と一緒に見る月だから。
 雲雀が隣にいてくれるから、月が一層綺麗に見えたのだと。

「……恭弥さん。また来年も一緒に、お月見してくれますか……?」

 少し顔を上げて雲雀を見ると、彼は覗き込むように音羽の瞳を見て、やがて悪戯に微笑んだ。

「さあ、どうだろうね」
「……!……」

 呟くと同時に雲雀が身体を屈めて、彼以外に何も見えなくなる。

 唇に触れる熱い感触に目を閉じると、「今度は君が付き合う番だよ」と、雲雀の吐息交じりの声が聞こえた。


(公開:2019/9/14)
(修正:2022/7/5)

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