きみらしいきみでいて

 並中の桜を雲雀と見たあと、音羽たちは屋敷に帰って来た。
 夕飯の支度をするまで、まだ時間があるので今のうちに。音羽は自分の部屋の押入れを開け、中から一冊のアルバムを取り出した。

「……あった、これだ」

 正方形でパステルカラーのアルバムは、実家からこちらに引っ越す際に買った物だ。雲雀と出会った学生時代からの写真を、整理して収めてある。
 パラパラとページを捲り、音羽はある一ページで手を止めた。

 『中学二年 春』。アルバムの隅に貼った楕円型の小さな付箋には、音羽の手書きの文字が書かれている。この頃雲雀と撮った写真はとても少ないが、だからこそ思い出深い。

 音羽は小さく微笑んで、一枚の写真を指先で優しくなぞった。
 それは、さっき見た並中の桜の前で、雲雀と並んで撮った写真だった。





 春休みが目前に迫った中学二年の春、雲雀があの桜を伐るつもりだと偶然聞いて、音羽は思わず話し中の応接室に入ってしまった。

 黒曜ランドでの出来事で、雲雀が桜嫌いになってしまったことは重々承知していた。けれど、それでも彼を初めて見つけたとき、彼の側にあったあの桜とさよならするのは、あまりに悲しかったのだ。
 雲雀の言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がり、気が付けば音羽は応接室の中にいた。

 雲雀に「なんでそんなことをいうのか」と問い詰められたり、事情を白状して恥ずかしい思いもしたけれど、結果的に雲雀はあの桜を残す選択をしてくれた。
 でも、今後雲雀の気が変わってしまうこともあるかもしれない。やっぱり伐ると彼が言い出したら、今度はもう何も口出ししないと音羽は決めた。
 
 だから、応接室での出来事から一週間後、音羽は雲雀に頼んだのだ。いつこの桜がなくなっても構わないように、桜が満開の時に一度だけ、一緒に写真を撮ってほしい、と。雲雀は少し考えた末、「いいよ」と頷いてくれた。

 
『――音羽さん、もう少し委員長の方に寄ってください』

『は、はいっ』

 春休みに入って、生徒のいない学校で。音羽は中庭の桜の下で、雲雀と並んで立っていた。
 カメラマンを務めてくれているのはもちろん草壁だ。彼は雲雀の指示でわざわざ三脚を用意して、この撮影に臨んでくれている。感謝してもしきれない。

『なに緊張してるの』

 草壁の指示通り雲雀の方に数歩ぶん寄ると、隣から少し呆れた声が降ってきた。ちらと上を見上げると、羽織った学ランの下で腕を組んでいる彼と目が合う。

『だって……雲雀さんと写真を撮ることなんて、滅多にないから……』

 涼やかな瞳に見返され、心拍数が上がっていく。音羽は慌ててカメラの方に視線を戻し、胸の高鳴りを抑えようとした。
 せっかく雲雀と撮る写真だから、出来れば自然な感じで写りたい。きっと、これから先何十年も残るものでもあるのだから。
 
『……では、撮りますよ。3、2、1――』

 深呼吸を繰り返していると、ピントを合わせてくれた草壁が少し顔を上げる。音羽は自分の思う精一杯の“自然な感じ”を意識した。口角をちょっと上げると、パシャ、と小気味のいいシャッター音。

『――ありがとうございます、草壁さん!』

『いえ、このくらいお安い御用です。どうでしょう音羽さん、確認してみてください』

 上体を起こした草壁の側に駆け寄ると、彼は横にずれてカメラのディスプレイを音羽に見せてくれる。
 腕を組んだ雲雀はいつもの仏頂面だけれど、それが彼らしくてとても自然だ。一方の音羽は微笑みながらも、緊張の隠せていないやや硬い表情で写っている。

 でも、これはこれで想像通りというか、いい写真だ。目を閉じてもいないし、第一に雲雀と一緒に写っているだけで、どんな写真も特別な宝物になってしまう。
 そう思うと嬉しくなって、音羽はにっこり大きく頷いた。

『はいっ、バッチリ撮れてます! 草壁さん、ありがとうございます! 雲雀さんも……』

 顔を上げると、雲雀はいつの間にか音羽の隣に立っていた。

『ありがとうございます』

 目を見てお礼を伝えれば、雲雀はさっきより柔らかい無表情でわずかに首を傾ける。

『満足?』

『はいっ、ものすごく!』

『そう。……、』

『?』

 短く答えてくれた雲雀が、音羽の頭に視線を留めた。

『音羽、花びらついてる』

『あ……ありがとうございます』

 しなやかな彼の指が花びらを取り、音羽が差し出した手のひらの中にそっと置いてくれる。捨てがたい小さな春を握りしめ、音羽は顔を上げた。

『!』

 桜を背景に立つ彼と、もう一度視線が絡む。初めて彼を見たあの思い出が、今に重なる。
 けれど、いま目の前にいる彼が見つめているのは舞い落ちる桜ではなく、他でもない自分なのだ。
 そう意識した瞬間から、頬が火照った。

 相変わらず桜の似合う彼が、音羽にとって一番大切な人で、彼にとってもそれは同じで。夢みたいなこの時間がたしかに存在することを、一年前の自分はとても想像できないだろう。
 
 そうして眼前の雲雀から目を逸らせないでいると、彼はやがて小さく笑った。屈んだ雲雀は、音羽にだけ聞こえる声でいたずらに囁いてくる。

『――次は君の番だよ、音羽。僕の言うこと、きいてくれるよね?』

『えっ……? あのっ、雲雀さん……!?』

 音羽は機嫌よさげな雲雀に腕を掴まれ、応接室まで連行された。その間、音羽は彼の“言うこと”を考えながら、手の中の花びらを風に連れて行かれてしまわないよう、必死に拳を握っていた。







「ふふっ、懐かしい」

 音羽はそこにあるあの日の写真を眺め、目を細めた。
 写真の中にはあのときの思い出と、ずっとずっと大切にしたい感情が変わらず綴じられている。

「――音羽。何してるんだい?」

「! 恭弥さん、これ、見てください」

 居間から聞こえた声に答え、音羽は立ち上がった。
 ゆっくりと閉じたアルバム、春の写真の一枚。その横にある透明のフィルムの中には、音羽が大事に守った捨てがたい小さな春のしるしが、今も一緒に収められている。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -