すべては琥珀色の煌めき

雲雀(+10)/何でもない秋の休日


 十月も終わりに差しかかってきた、ある晴れた日の昼下がり。

 音羽はモダン柄の白練り色の着物にたすきを巻いて、家中掃除機をかけていた。
 どうして音羽が着物を着て掃除をしているのかというと、特に深い理由はなくて、ただ午前中に新しい帯の結び方を練習したから、着替えるのが勿体ないと思っただけだ。

 慣れていない分洋服より動きにくさはあるけれど、今日はせっかくだしこのままでいようと思う。


 キッチンに客間、寝室、応接間。広い屋敷の中を順番に掃除して、最後に雲雀が寛いでいる居間に向かった。珍しく長いお休みを取っている彼は今、縁側に置いた座椅子に座って文庫本を読んでいる。

 出来るだけ彼の読書を邪魔しないように注意しながら、音羽は気持ちそっと掃除機をかけた。雲雀は特に気にならないのか、変わらず本の上に目を滑らせている。

 穏やかな光を編んだ午後の日差しが、濡羽色の着流しを着た彼の上に柔らかく降り注いでいた。日の光が彼のサラサラした短い黒髪を、すべらかな白い肌を、美しく透かしている。何の気兼ねもない、リラックスしている彼の横顔を見ると温かい気持ちに満たされた。

 久しぶりの、せっかくのお休みだ。普段スーツを纏って忙しく世界中を回っている雲雀に、少しでも充実した休みをゆっくりと過ごしてほしい。

 そんなことを考えながら音羽はつい微笑んで、掃除機の電源を切った。納戸の中に掃除機を仕舞って、居間の壁に掛けてある時計を見上げる。……そろそろ、買い物に行く時間だ。

 ――今夜は、恭弥さんの好きなハンバーグを作ろうかな。

 音羽は冷蔵庫に残っている食材のことも思い出しながら、今日の献立をぼんやりと考えた。それからたすきを外して少しだけ乱れていた袖を直し、縁側に座っている雲雀に声を掛ける。

「恭弥さん、私、ちょっとお買い物に行ってきますね」

「買い物?」

「はい、今日の晩御飯の材料を買いに。何か、食べたい物ありますか?」

「特にない。……それより、その格好で行くのかい?」

 ゆったりとこちらを振り向いた雲雀は、音羽の頭から足の先までをまじまじと見つめた。首を傾けながら、音羽は自分の着物を確かめる。

「はい、せっかく着付けたのでこれで行こうかなって……。変ですか?」

「いいや、綺麗だよ。だから、他の人間に見せたくないだけ」

「! 恭弥さん……」

 雲雀がさも当然という風にさらりと言うので、音羽の頬がぽっと熱を持った。そんなに綺麗な流し目で、微笑まれながら褒められたら、どうしたって照れてしまう。

 音羽がつい俯いていると、眼前の雲雀が本を置いてゆっくりと立ち上がった。

「僕も行くよ。君が変なのに絡まれたら困るからね」

「ふふっ、並盛ですし大丈夫ですよ。でも、恭弥さんと一緒にお出掛けできるのは嬉しいです」

 素直な気持ちを笑顔にのせたら、雲雀も優しく目を細めてくれる。

「夕方は風が強いから、羽織。ちゃんと着てきて」

「はい! あっ、じゃあ恭弥さんのも持って来ますね! 黒でいいですか?」

「うん」

 彼の頷きを確かめて、音羽は羽織を取りに行った。雲雀には普段着用の漆黒の羽織を、自分は珊瑚珠色の羽織を着て、二人は家を出たのだった。







 並盛商店街に向かった二人は、音羽行きつけの八百屋さんとスーパーを回って二、三日分の食材を購入した。結局雲雀は夕食の献立に関して特に希望がないらしいので、当初音羽が予定した通り、彼の好きな和風ハンバーグに決まったのだった。

 そうして、せっかく雲雀と一緒だからと思ってのんびりあれこれ見ていたら、いつの間にか随分時間が経ってしまっていたらしい。買うものを買って二人が帰路についた頃には、空は茜色に染まり夕方になっていた。

 
 ゆったりとした足取りで、二人は日の傾きかけた商店街の道を歩く。大通りのずっとずっと向こうに見える夕陽は、鮮やかな光を放っていてとても綺麗だ。

 ――もっと、この景色を見ていたいな。せっかく恭弥さんと一緒に外に出たし……。

 忙しい雲雀と、ゆっくり近所を散歩できるような機会はあまりない。
 
 普段は一人で歩いて買い物に来るだけの道だけど、彼と一緒だと見慣れた景色も住み慣れた町も、何だか特別なものに思えてしまって。もう少しだけこの時間を、景色を、味わいたいと思ってしまう。

 雲雀は荷物を持ってくれているから悩んだが……少しだけ。音羽は逡巡の末に顔を上げ、隣を歩く雲雀を見上げた。

「あの、恭弥さん。もしよかったら、少しだけ遠回りして帰ってもいいですか……? とっても綺麗な夕陽だから、もう少し恭弥さんと見ていたくて」

「構わないよ」

「! ありがとうございます!」

 そろそろと尋ねたら、雲雀は表情一つ変えずに快諾してくれた。それがとても嬉しくて、笑顔で彼にお礼を言う。

 音羽は「気にしなくていい」という雲雀を押し切って、彼が持ってくれていた軽い方の荷物を持った。自分の希望で寄り道をするのだから、雲雀だけに荷物を持たせるのは気が引けたのだ。

 本当に君は強情だね、なんて言われたけど、これは譲れない。音羽は笑って肩を竦めながら雲雀と一緒に歩いて行き、二人は自然と見晴らしのいい河川敷の方へと足を向けていたのだった。





「寒くないかい?」

「はい、大丈夫です。恭弥さんは?」

「大丈夫だよ」

 土手の上を歩きながら、二人は何気ない言葉を交わした。遮蔽物のないひらけた河原には、商店街では感じられなかった風がのびのびと吹いている。

 秋風は少し強く身体に吹き付けてくるけれど、夕陽に照らされているお陰か寒くはない。いつの間にか繋いでいた雲雀の大きな手も、変わらずに温かかった。

 夕陽に染まった河原は、とても綺麗だ。土手の斜面の所々にはまっすぐ伸びたススキが揺れて、黄金(こがね)色の光の粒を風に乗せているように見える。
 
 河川敷の広いところでは、小学生くらいの子供たちがサッカーボールを蹴って遊んでいて、元気な声が辺りに遠く響いていた。

 並盛はほっと息を付きたくなるくらい、今日もとても平和だ。眼前に輝く夕陽に空は染められ、川の水は光を反射して揺らめきながら眩しいほどにキラキラと輝いている。

「綺麗な景色ですね。“秋は夕暮れ”って、何となく分かる気がします」

「……それ、清少納言?」

 ふと思い出したフレーズを口にすれば、少し不思議そうな雲雀の声。特に意味を持たせていない呟きも拾ってくれた雲雀に微笑みながら、音羽は小さく頷いた。

「はい。中学生の頃に勉強したの、覚えてて。恭弥さんも覚えてたんですか?」

「偶然ね。君が試験前必死に暗記してたから、覚えてただけ」

「! そんなことまで覚えててくれたんですか?」

「応接室で何回も音読してただろ。勝手に覚える」

 それは確か、少しでも雲雀と一緒に居たい……という想いのあまり、音羽が応接室でテスト勉強をさせてもらっていたときのことだ。

 古文の暗記テストがあるのに黙読では覚えられなくて苦い顔をしていたら、見兼ねた雲雀が声に出して読んでもいいよと言ってくれたのがきっかけだった。

 あのときと同じ、雲雀の呆れ顔につい笑いながら、音羽は頭の中を通り過ぎる遠い過去の思い出を見る。


 なんだか、とても懐かしい。あの頃はこんな――裏社会に両足を突っ込んだ生活を本当にするとは思っていなかったし、雲雀とこんな風にずっと一緒にいられることは、夢みたいな音羽の願いだと思っていた。

 でも、未来は分からないものだ。大人になるにつれて、昔と変わってしまったことも本当に沢山あったけれど――。

 それでも変わらず、側にいてくれる人がいる。いつもずっと、雲雀が側にいてくれる。

 
 応接室で雲雀と過ごした時間も、こうして雲雀と一緒に並盛町を歩く時間も、きっと人生のなかでは何でもない日常の一瞬だろう。穏やかでささやかな思い出はいつか、もっと他の大きな記憶に埋もれてしまうかもしれない。

 でも、彼と一緒に見るこの景色に。何でもないこんな景色を、綺麗だと思えることに、どうしようもなく胸が震えた。溺れてしまいそうなほど温かい気持ちを、彼はいつでも隣にいてくれるだけで音羽に与え、教えてくれる。
 
 だから、彼と一緒に見たものだから、いつまでも大事に仕舞っておきたい。音羽は常々そう思うのだ。


「……何だか、今すごく幸せです」

 夕陽が包み込む景色のせいか、剥き出しの心を揺さぶられたせいか、はたまた吹き寄せる風が強いのか、音羽の目がじわりと潤む。彼の顔は見ていないけれど、雲雀は「そうだね」といつもの静かな声で答えてくれた。

 きっと微笑んでくれているのだと分かり、温もりに胸を満たされる。馴染んだ感触を確かめるように彼の手を握れば、雲雀がこちらを見下ろした気配がした。

「もう少し歩くかい?」

「! いいんですか……? でも、お肉も買ってるし、荷物も恭弥さんに持ってもらったままですし……」

「もう秋だし、少しくらい大丈夫だよ。それに、これは重いに入らない」

「恭弥さん……」

 雲雀は音羽の気持ちを汲んでくれたのか、優しい提案をしてくれた。そう、本当はもう少しだけ、彼と一緒にこの夕暮れを見つめていたい。

「……ありがとうございます。じゃあ、あとちょっとだけ……」

 音羽は雲雀に微笑んで、土手を歩く足に意識を向けた。踏みしめる土の跡に、細く伸びた二人の影が横たわる。夕陽は歩みを進めるたびに、ゆっくりと空の下に落ちていく。残る光は炎のように、強い閃光を景色に刻む。

「恭弥さん。来年もまた一緒に、この景色を見ましょうね」

「来年だけでいいのかい?」

「! ずっと……、毎年がいいです」

 顔を上げると、雲雀が小さく笑っていた。柔らかいその微笑みに見惚れていたら、彼はそのまま繋いでいた手を一度放して、音羽の頭を軽く撫でる。

「いい景色だね」

「はい」

 前を向き直った彼は、もう一度手を繋ぎ直して目を細めた。
 
 彼のその表情を、この手に感じる温もりを、きっといつまでも覚えていよう。来年も再来年も、そのあともずっと、こんな日常の一瞬を刻んで生きていきたい。

 世界で一番大切な人と、胸が締め付けられるような景色を見て、大切な瞬間を一つ一つ束ねていきたい。きっと、そうして降り積もったものが幸せだから。


 住宅街の方に伸びた階段を下りる頃には、夕陽は空の向こうに沈んでいた。風は途端に寒さを感じるものになってしまったけれど、雲雀が握ってくれた手と、彼の伝えてくれる温度が身体の芯まで、心の奥まで温めてくれている。

 煌めく星の音色が、黄昏の空に響き始めていた。



2023/1/21

postilla

昨年の秋、とっても綺麗で立派なススキを見たので書きたいなあと思ったお話でした。すっかり年明けになってしまいましたが、秋の情景をたっぷり書けて満足です(プチ着物デートも書けたので良かったです!)。それにしても、ススキほぼ出てないな…笑

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