その瞳の輝きを

局ヘカ/夢の世界を見たあとのお話


 山のように積み重なっていた書類仕事に一区切りついたので、私は気分転換に管理局の屋外エリアに足を運んでいた。バルコニーに立てば、薄い日の差す街の景色を眺めることが出来る。

 だが、私の目は景色を捉えていながら、意識の内では何も見てはいなかった。考えているのはここ数日同じ内容で、あの日見た“夢”のこと――。

 ヘカテーの、“夢の世界”で見たことだ。


『また、このアメというものを食べられる?』

 これまで飲まされ続けてきた薬の代わりにイチゴ味の飴を与えると、幼いヘカテーは私――夢の中では、彼女に実験をしている研究員の一人になっていた――にそう尋ねてきた。

 彼女が小さな頃から実験体として扱われてきたこと、その実験内容が肉体的にも精神的にも酷く辛いものだったこと。イチゴ味のその飴が、彼女が生まれて初めて食べた嗜好品だったこと。

 あのとき見た“夢”はやけにリアルに、それらを私に伝えてきた。

 目が覚めて現実に戻ったら、それは“夢”だとヘカテーに言われたが……私には、あれが現実――彼女の過去だったように思えて仕方ない。


 飴を頬張り、私に向かって微笑んでくれた幼いヘカテー。青色の髪に、ぱっちりした両目、華奢な手足、淡い色の実験用衣服。

 隔離室の強化ガラスと同じくらい冷たい小さな手は、確かにあのとき私の手を握って、繋いでくれた。


「……」

 私はあのときの彼女の手の冷たさを思い出して、右手を握る。

 手のひらはもう冷たくないし、ヘカテーは今、酷い実験を行われている訳でもない。だが、それでも胸が締め付けられた。同情とか可哀想とかそういうのよりも、私がはっきり感じているのは怒りに近いものだった。

 大切な仲間を、大切な人を傷付けられたからだ。だからもう二度と、彼女にあんな思いをさせたくない。


「――局長?」

「……!」

 ぼんやりとしていたら、不意に澄んだ声が耳に届いた。たった今考えていた彼女、ヘカテーのものだ。

 声のした後ろを振り返れば、彼女はスケッチブックを抱えて私の後ろに立っていた。隻眼が不思議そうに揺れている。

「どうかしましたか? 何か気になることでも」

「いいや、何でもないよ。ヘカテーは……絵を描いていたのか?」

「はい」

 ヘカテーは頷いて、きゅ、と僅かに腕を動かした。
 彼女は他のコンビクトたちのように娯楽室を利用することはないが、局内の気に入った所でよく絵を描いている。(私は芸術に詳しくないのでよく分からないが、ヘカテーの描くものは恐らく独創的と言われる類いの絵柄だろう。)

「スケッチブックは足りてるか? 必要ならいつでも言ってくれ、すぐに用意する」

「ありがとうございます……。でも、以前局長に貰ったものがまだあるので、大丈夫です」

「そうだった? それも随分前だった気がするんだけど……」

「いいえ、たしか一週間前の午後でした」

「……そうか、それなら良かった」

 いつものように無表情で言うヘカテーに、つい肩を竦めて苦笑する。この様子だと時間まで覚えてそうだ、きっちりしているヘカテーらしくて少し面白い。

「…………」

「ん、どうかした?」

「いえ……」

 ヘカテーがぼうっと私を見ているので、今度は私が問いかけた。するとヘカテーはゆっくりと視線を下げる。私は、つい彼女の瞳の動きを目で追った。


 ヘカテーの瞳は、とても綺麗だ。睫毛が長くて、ほんの少し垂れ目がち。夕暮れと夜の間の空の色を映したようなブルーグレイで、光を浴びるとまるで水面が反射するようにキラキラ輝く。

 私は、ヘカテーの目が好きだ。初めて出会ったときから命令に従順な彼女だが、時折私に意見するとき、そこには一瞬彼女自身の意思が宿る。それを確かめるたび、私は嬉しくなった。

 夢で見た幼いヘカテーも。微笑んだ彼女の両目にあったのは、純粋な喜びだ。ささやかな好意を手放しで喜ぶ、無垢な子供に他ならなかった。だから私は、彼女のその一瞬が、一瞬を見られる機会が、もっと増えたらいいのにと思う。


 ――そういえば、ヘカテーの目は。

 私は彼女の“隻眼”を覗き込んだ。美しい右目が私を見上げたが、左目は変わらず黒い布で覆われている。

 その左目が“ある”ことは、彼女と出会ったときに見て知っていた。そこには不思議な紋様が浮かんでいて、私もそれが何なのか未だに彼女に聞いたことはない。彼女は話したがらなかったし……今思えば、それも例の実験による結果なのかもしれないから、今後も特別な機会がない限り聞くことはないだろう。

 ただ、その隠れた左目を見れば、私は自然と彼女の頭を撫でていた。


「局、長……?」

「ああ、ごめん……。何となくこうしたくなって」

「……」

「あ、やっぱり嫌だった? 悪かっ――」

 急に距離を詰めて驚かせてしまっただろうか。そう思って慌てて手を放そうとしたら、

「嫌、じゃない……です」

 ヘカテーが引き留めるように、私のシャツの袖を少しだけ掴んできた。

 俯いた彼女の顔は見えないが、どうやら本当に「嫌ではない」らしい。ヘカテーの細い手首が、指が、縋るように私を捕まえているようで。心もとなかったが、拒絶されているわけではないことにほっと息を付いてしまう。

「……そう、か? ありがとう……」

「…………」

 彼女の厚意に甘え、私はヘカテーの柔らかい髪を撫でた。

 もし幼いヘカテーにこうしていたら、彼女は満面の笑みを浮かべたかもしれない。ただ、目の前にいる少し大人に近づいたヘカテーは、俯いたまま。ほんのりと頬と耳をピンク色に染めている。

 照れくさい、のか? そういう顔をされると……、何だか私まで少し恥ずかしくなる。けれど、少しだけいつもより嬉しそうなヘカテーの顔を見ると、胸がじんわりと温かくもなった。

 
 ややあって私がゆっくりと手を下ろすと、その動きに合わせてヘカテーが顔を上げた。あの美しい隻眼が、まっすぐ静かに私を捉える。戦闘時には見ることが出来ない穏やかさに、私はふと微笑んだ。

「ヘカテー。今度、ヘカテーが絵を描いてるところを見てもいいか?」

「……? あなたが、そう望むなら」
 
 いつもと同じように答えてくれる彼女を。少しずつ、感情の片鱗を見せ始めてくれている彼女の瞳を、私はただ守りたいと思う。

AFTER WORDS

とにかく無期の何かを書きたくて書きました。ヘカテーちゃんはほんとに可愛い…特に監督端末でアップになったヘカテーちゃんのお顔が好きです。先日服従度100%になってくれて泣きました。(歓喜)
この作品は一応百合未満のつもりではありますが、局ヘカはしっかり百合に発展してもいいかもしれないと思う今日この頃です。


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