4話 友達

 キーンコーン――……

 六時間目の授業終了を知らせるチャイムが鳴ると、生徒たちは皆一斉に帰り支度を始める。

 音羽も教科書を鞄に仕舞いながら、はぁ、と小さく溜息をついた。

 ――どうしよう……80点かあ……。

『じゃあ、片桐音羽。今度の数学のテストは、80点以上取ってもらおうか』

 昨日、図書室で雲雀に言われた言葉を思い返すたび、複雑な気持ちになる。
 
 憧れの雲雀がなぜか数学を教えてくれたことも、名前を聞いてくれたことも、あのときは全部夢のような時間で、本当にとても嬉しかった。

 でも、80点以上を取らなければ咬み殺されてしまうらしいし(本当に咬み殺されるかは別として)、何よりせっかく雲雀が教えてくれたのだから、応えたい。

 ――ああ……やっぱり、勉強するしかない……。

 音羽は決意を固めながら、のろのろと教室を出た。
 数学のテストは来週の金曜日。今日は金曜日だから、テストまでちょうど一週間ある。

 音羽が取り分け苦手にしている数学の点数は、いつも大体70点前後だ。一番酷いときは50点代、80点が取れたことはほぼないと言っていい。

 でも一週間あれば、音羽だって80点取れるかもしれない。
 苦手教科はつい後回しにしてしまいがちだったが、雲雀が教えてくれたとなれば勉強も俄然やる気が出る――はず。


 そんなことを考えながら、音羽は今日は図書室には向かわずに、真っ直ぐ昇降口に歩いて行った。

 テストは来週の金曜日から、再来週の木曜日まである。
 最初から根を詰め過ぎてしまうのも、逆に終盤疲れてしまって良くない。

 ――今日は、ラ・ナミモリーヌでケーキでも買って帰ろう……。
 
 今日は“ゆっくりペースで勉強する日”に決めて、音羽は並盛町にあるお気に入りのケーキ屋さんへと向かった。





 ラ・ナミモリーヌは、並盛町で一番人気のケーキ屋さんだ。いつ来ても女性客で溢れているが、今日も例外なくそうだった。

 併設されたカフェには、楽しそうにお喋りをしている女性たちの姿。ショーケースにはきらきらしたケーキがたくさん並べられていて、店の隅にはフィナンシェやマドレーヌなどの焼き菓子を詰めた箱も置いてある。

 音羽はショーケースの前に立ち、整列したケーキたちをじっくり眺めた。

 ――うーん、どれにしよう……。やっぱりミルフィーユかなあ。ここのミルフィーユ、すごく美味しいんだよね。でも、王道のショートケーキも捨てがたい……。

 見れば見るほどどれも美味しそうに思えて、つい目移りしてしまう。クリームたっぷりのケーキや丸く膨らんだシュークリームを見ていると、自然と頬が緩んだ。

「――あれ、もしかして音羽ちゃん?」
「……?」

 不意に、後ろから聞こえてきた自分の名前。
 聞き覚えのない声に首を傾げながら、音羽はくるりと背後を振り返った。

「!京子ちゃん……!!」

 後ろにいたのは、音羽と同じクラスの女の子、笹川京子だった。

「はひ、京子ちゃんのお友達ですか?」

 京子の後ろから不思議そうに顔をのぞかせたのは、近隣にある女子校――確か緑中だっただろうか――の制服を着た女の子だ。彼女たちの足元には、牛柄の服を着た小さな男の子に、中華服を着た小さな女の子、それに小学生ぐらいの男の子が立っている。

「うんっ、片桐音羽ちゃん!先月、うちのクラスに転校して来たんだよ」

 京子はにこにこと笑いながら緑中の女の子に答え、音羽の紹介をしてくれる。

 先日、ツナたちクラスメイトと初めて話したばかりの音羽は、当然京子とも話したことがなかった。それにまさか、クラスのアイドル的存在である彼女が、影の薄い自分のことを覚えてくれていたなんて。

 こんな所で思いがけず京子が話しかけてくれて、音羽は戸惑うばかりである。

「あ、あの……」
「そうだ音羽ちゃん!私たちこれから公園でケーキを食べて、みんなと遊ぶんだけど、良かったら音羽ちゃんも来ない?」
「!!」
「わあ、いいですね!ハルもぜひ、仲良くなりたいです!」
「で、でも……」

 京子に誘われたのは嬉しいが……。突然自分がお邪魔してしまって、迷惑ではないだろうか……?

 おずおずと二人の顔を窺い見ると、二人ともにこにこと屈託なく笑って、音羽の返事を待っている。

「あの……いいの……?突然、お邪魔しちゃって……」

 音羽が遠慮がちに尋ねれば、京子も緑中の女の子も、すぐに大きく頷いてくれた。

「うんっ、もちろん!私、前から音羽ちゃんとお話ししてみたかったの!」
「京子ちゃんのお友達は、ハルのお友達ですよ!一緒に行きましょう!」

 京子たちの後ろにいる子供たちも、「ランボさんが遊んでやるもんね!」と、きゃあきゃあ騒いでいて、どうやら音羽を歓迎してくれるようだ。

「……ありがとう……!」

 みんなの笑顔と言葉に、嬉しさが込み上げて。また、彼女たちの笑顔にも釣られて。
 音羽も、ぱっと顔を綻ばせた。





 それから公園へと場所を変えた音羽たちは、丸形のテーブルを囲み、お店で貰ったプラスチックのフォークでケーキをつつきながら、改めて自己紹介をし合った。

「えっと、京子ちゃんと同じクラスの片桐音羽です」
「初めまして!緑中の三浦ハルです!」
「ガハハハ、ランボさんだもんね!」
「イーピン!熱烈歓迎!」
「僕はフゥ太だよ!音羽姉よろしくね!」
「うん、みんなよろしくお願いします……!」

 転校以来、音羽がこんなに賑やかな場に来たのは初めてだ。
 始めは少し緊張したけれど、みんな優しくて温かい人たちで、それは少し話せばすぐに分かった。

 だから次第に緊張も解れていき、音羽はケーキを食べながら京子とハルと、ラ・ナミモリーヌのお気に入りケーキの話をしたり、フゥ太から“並盛町の美味しいケーキ屋ランキング”というのを教えてもらったりして、大いに盛り上がったのだった。


 そのうち、ケーキを食べ終わったランボ、イーピン、フゥ太は公園の遊具で遊び始めて、残った音羽たちはその様子を見守りながら、女の子らしくおしゃべりに花を咲かせていた。

「それにしても京子ちゃんといい、音羽ちゃんといい、ツナさんのクラスには可愛い子が多いんですね!」

 ハルも負けてられないです!と、ガッツポーズを決めるハル。どうやらハルは、ツナのことも知っているらしい。

 一体どういう経緯があって、他の中学校に通うハルが京子やツナたちと仲良くなったのかは分からないが、話しを聞く限りかなり仲がいいようだ。

「ハルちゃんは、沢田君のことも知ってるんだね」
「はいっ!ハルは、ツナさんの未来の妻ですから……!」

 ハルはぽっと頬を赤く染めて答えると、ぼうっとした目で宙を仰ぐ。

「そ、そうなの……!?」
「うふふ、ハルちゃんったら」

 衝撃的、且つ堂々たるハルの発言に、思わず音羽まで赤くなってしまった。京子は慣れているのか、はたまた冗談だと思っているのか、楽しそうに笑っている。

「そうだ!音羽ちゃんはいるんですか?好きな人!」
「えっ……!う、うん、いる……」

 ハルに問われて、音羽は頬に熱が集まるのを感じながら正直に頷いた。

「そうなんだ!どんな人?」
「えっと……かっこよくて、強い人……かな?」
「はひっ、まさか、ツナさんですか!?」

 首を傾げる京子を見ながら、雲雀の姿を思い出して答えると、ハルが青ざめた顔で声を上げる。
 どうやら勘違いしているらしいハルに、音羽は慌てて首を振った。

「ううん、違う違う!……先輩なの」
「なんだ、そうでしたか!はあ、良かったです〜……」

 ハルが心底ほっとした様子で胸を撫で下ろしているので、音羽は思わず笑みを零す。

「その人と、お話したことはあるの?」

 京子に尋ねられて、音羽はこくんと頷いた。

「うん、ついこの前なんだけど、初めて話せたの……。でも……――」

 音羽は、その好きな人に図書室で勉強を教えてもらったものの、苦手な数学で80点以上取ってこいと言われたことを打ち明けた。

「はひー、音羽ちゃんの苦手な教科で高得点を求めるなんて、中々スパルタな方ですね!でも、関わりが出来たのは良いことです!」
「うん!ほんとに、それは嬉しいんだけど……肝心の点数が取れるかどうか……。――!」

 音羽が項垂れて呟いたとき、京子とハルが音羽の両手をそれぞれ握る。
 驚いて顔を上げると、頬を紅潮させた二人がキラキラした目で音羽を見ていた。

「音羽ちゃん!私たちに出来ることがあったら、いつでも、何でも言ってね!」
「そうです!ハルに分かるものなら、勉強だっていつでも教えますし、恋もお手伝いできることがあったら言ってください!」
「京子ちゃん、ハルちゃん……」

 恋に対する期待と、純粋に音羽を手伝いたいと思ってくれている気持ちが、彼女たちの輝く瞳から見て取れる。

 その気持ちだってもちろん嬉しいが、音羽はそれ以上に、自分に対してそんな言葉を掛けてくれる女の子の友達が出来たことが、何より嬉しかった。

「二人とも、ありがとう……!」

 破顔した音羽が本日二度目のお礼を言ったとき、ジャングルジムに登っていたランボの声が、少し高い所から聞こえてきた。

「おーい、京子、ハル、音羽〜!ランボさんと遊べ―!」
「はーい、すぐ行くね!」
「音羽ちゃん、またたくさん、色んなお話ししましょうね!」
「うん!」

 音羽は元気よく二人に頷くと、京子とハルと一緒に、遊具で遊ぶ子供たちの元へと走るのだった。







 一方その頃、並中では――……。


 ――コンコン。

 ノックをしてから、少ししたあと。

 風紀副委員長である草壁哲矢は、風紀委員会の根城――もとい、雲雀の根城である応接室の扉をがらりと開けた。

「委員長、失礼します」

 謹厳に聞こえる声を努めて発しながら室内に入ると、革張りのソファにゆったりと腰を掛け、静かに目を閉じた雲雀がいる。

 彼は瞼を下ろしたまま、草壁には見向きもしない。

 しかしそれはいつもの事であり、この沈黙は早く用件を言え、という雲雀の意思表示でもあった。
 草壁はちらとその様子を見守ると、持っていた手帳に視線を落とす。

「……委員長、片桐音羽について調べがつきました」

 そう言った瞬間、雲雀がす、と瞳を開く。
 視界の端にそれを見て、草壁は一度、口を噤んだ。身体に僅かな緊張が走る。


 雲雀が求めている情報が何なのか、草壁には見当もつかない。
 けれど、自分が今回持ってきたこの“ごく普通”の情報を、雲雀が本当に欲しているとは到底思えなかった。

 ――であれば、彼がどんな対応をするのか――……想像するのは簡単だ。
 だが、それを予想してどれだけ叩いてみても、怪しい埃は少しも出てこなかった。ならば、それをそのまま報告する他にない。
 

 草壁は咥えた葉っぱの先を噛み、それから手帳に認めた文字を慎重に読み上げた。

「……片桐音羽、2年A組。彼女は先月転校して来た転校生で、特別な交友関係は特になし。品行方正で成績も並、トラブルというトラブルを起こしたこともなく、現在はクラスの図書委員をしているようです……」

「そう」

「……はい。また、図書委員会に所属しているためか、放課後は図書室に通うことが多いとか……」
 
「うん、知ってる」

 頷いた雲雀は、僅かにその口元に笑みを浮かべ―――草壁は、困惑した。

 雲雀の言葉にも、彼のその表情にも。

 ――なぜ委員長は、特に問題のない女子生徒のことなど調べさせた……?

 草壁は疑念を抱きながら雲雀を見つめる。

 雲雀の様子を見るに、彼は、片桐音羽が“ごく普通”の生徒であることを既に知っていたようだ。

 ……だとしたら、なぜ。
 雲雀がわざわざ、普通の生徒を調べさせた理由が分からない。

 草壁は思わず手帳を開いたまま考えるが、普段から表情が乏しく、口数も少ない雲雀の考えがそう易々と分かるはずもなかった。

「もう行っていいよ、草壁哲矢」
「……はっ!」

 立ち尽くして思考していた草壁は雲雀の一声で我に返り、一礼をしてから応接室を後にした。


「……」

 ――図書委員、ね……。

 再び静寂の訪れた応接室。
 雲雀はソファに座ったまま、ふ、と小さく笑みを浮かべた。





 自宅の自室で勉強をしていた音羽は、ふと、ペンを動かしていた手を止めた。

 自然と脳裏に浮かんでくるのは、京子やハルたち、新しく出来た友達の顔である。
 

 あのあと結局、音羽は京子たちと日が暮れるまで公園で遊び倒し、家に帰ったのはもう辺りが暗くなった頃だった。

 鬼ごっこに、かくれんぼ。童心にかえってランボやイーピン、フゥ太たちと懐かしい遊びをするのも、同い年の女の子である京子やハルたちとはしゃぐのも、本当にすごく楽しかった。

 ――また今度、みんなで遊べるといいな……。……でも、今はとりあえず勉強か!頑張らなきゃ。

 音羽はぐっとペンを握ると、机に広げていた数学の教科書とノートを再び見下ろす。

 普段なら気が重くて、手を付けるのが遅くなってしまう教科。
 でも、今回ばかりはそんなことも言っていられない。

「……テストまでに、また雲雀さんに会えるかな……」

 今度は彼の顔が頭を過り、音羽はつい呟いた。
 
 ――また、会えたらいいのに……。

「――!ダメダメ、集中……!」

 我に返った音羽は、煩悩を振り払うように首を左右にぶんぶん振った。

 雲雀のことを想うと、まるで息をするかのように、胸に熱い感情が湧いてしまう。
 数学の教科書を見るたびにこんなことをしていては、雲雀に言われた80点をとるのは夢のまた夢だ。
 
 音羽は葛藤を繰り返しながら、更けていく夜の中でペンを動かした。


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