57話 変わらぬ色を確かめて
――ドォォン!!
爆発音がして、音羽のいた場所が砂埃に包まれる。
「っ……!」
雲雀は飛んでくる砂塵に目を細めながら、唇を強く噛みしめて前方を見据えた。
音羽が咄嗟の判断で手を伸ばしたのは、的球が彼女に直撃する寸前に見えていた。だから恐らく大丈夫だと心のどこかで思いながらも、安堵することが出来ない。
「音羽……!」
思わず彼女の名を口にして、雲雀が走り出そうとしたとき――。煙っているその中に、小さな影がぼやりと浮かぶ。
動きを止めて目を凝らせば、土煙の晴れた先に、座ったまま手を前へと伸ばしている傷一つない音羽の姿が現れた。彼女の手の平からは光が溢れ、側にいる他の三人ごと守るように、燦然たる光の壁が出来ている。
間一髪、音羽の防御が間に合ったらしい。
光の防御壁に衝突した衝撃で、γの的球はビリビリと僅かに放電しながらも地面に墜落していた。
「はぁ……、良かったぁ……」
音羽は脱力に近い声を漏らしながら、周囲の三人に怪我がないかを確認し、伸ばしていた手をゆっくり降ろす。
彼女の無事を確認して、雲雀もようやく息を付いた。が、同時にこれまで以上に強い怒りと殺意に襲われ、鋭い瞳で事の元凶を睨み付ける。
「……ねえ君、咬み殺される覚悟はいい?」
「っ」
雲雀から溢れる凄まじい殺気に、γの表情が僅かに強張る。
しかし、彼はすぐに元の不敵な笑みを浮かべると、やれやれと言った様子で首を軽く振った。
「……まさか、片桐音羽がこれ程強い防御を持っているとは思わなかったぜ。それに、お前がここまでこの女に執着してるってこともな。……それが分かっただけでも、今回の収穫は大きい」
「逃がさないよ」
Fシューズに再び雷の炎を灯し、数歩後退するγに向けて、雲雀はトンファーを構えて駆け出した。
キューを掲げて防御体勢を取っているγにヒュッ! とトンファーを振るうと、彼はこちらを向いたまま地を蹴って空に浮き上がり、雲雀の攻撃を避ける。
「残念だな」
「…………」
口元の笑みを深め、地上から遠ざかっていくγを雲雀は黙して見上げた。
次の瞬間――。
「――ガハッ……!!」
身体を貫かれた反動で、γの口から鮮血が噴き出る。
「な、なんだぁ……? こりゃあ……」
荒い息遣いで背後に目をやるγに、雲雀は口の端を吊り上げた。
γを貫きその動きを止めたのは、雲雀の匣兵器である雲ハリネズミ。重厚感のある紫色の球体は、雲雀の身長より何倍もある大きさに膨れ上がりながらもそのまま空に浮かんでいる。
球体の表面に伸びた無数の針が、γの脇腹と肩口、そして彼の雷狐を串刺しにして捕らえていた。
「言ったはずだよ、逃がさないって」
「あの……ハリネズミか……」
「そう……。君の狐の炎を元に、彼がこれだけの針を発生させたんだ。まるで、雲が大気中の塵を元に発生して、広がるようにね」
雲雀が言うと、γはギリと歯を食いしばり、苦しげに口を開く。
「そうか、雲属性の匣の特徴は……増殖、だったな……。だが、こんな量の有機物を増殖させられるなんて、うちの雲の奴からは聞いていない……。ナンセンスな、匣だぜ……」
「素晴らしい力さ。故に興味深い」
雲雀は一度匣に視線を落としたが、すぐに顔を上げてγを睨み見た。雲の炎を纏ったトンファーを再び構え、静かに目の前の獲物を捕らえる。
「……さぁ、終わるよ」
◇
トンファーを構えて走り出した雲雀は、宙へ高く跳び上がった。タン、タンと、己の匣兵器の一部を足場にして上へと跳躍しながら、彼は雲ハリネズミに縫い止められたγに迫る。
「…………」
音羽は頭上に広がるその光景を見上げながら、ゆっくりと立ち上がった。
雲雀の鋭い瞳の中には、先程よりも強い殺気が満ちている。自分のために怒ってくれたのだと分かって、思わず手を握って彼の姿を見守った。
最後の足場を蹴った雲雀は、γの目前まで距離を詰めると切れ長の目を細める。
そして、間もなく。思いっきり引かれた彼のトンファーが、γの顎を下から突き上げるように殴りつけた。
ガッ!! と、痛い音がして、音羽は思わず身を固くする。γを殴った衝撃で雲ハリネズミの針は折れ、留める物を失ったγの身体はその場に勢いよく落下した。
受け身を取る姿勢も見られなかったので、殴打された瞬間に意識を失ったのだろう。
音羽は、自分の前方に落ちたγに立ち上がる気配のないことを確認し、すぐ雲雀の方に視線を戻す。
軽やかに地面に着地した彼は、トンファーと雲ハリネズミを匣に戻すと緩慢な動作で立ち上がり、気絶しているγを見下ろした。
「雷のリングはいらないな」
そう呟いている雲雀の無事な姿に、音羽はほっとして体の緊張を解きながら急いで彼の元に駆け寄った。
「恭弥さん……! 無事で良かった……!」
音羽が思わず彼に身を寄せてそう言うと、雲雀は少し眉を顰めて音羽の頬に触れ、じっと顔を覗き込んでくれる。
「……君は? 怪我はないかい?」
そう気遣わしげに聞いてくれる雲雀の瞳に先程見えた鋭さはなく、ただ心配の色が微かにゆらゆらと揺れていた。音羽は首を横に振り、にっこりと微笑み返す。
「私なら大丈夫です、どこも怪我してません。……それより恭弥さんは、!!」
どこも怪我をしませんでしたか? そう聞こうとした音羽の目に、彼の左腕が留まった。
スーツが黒いので分かりづらいけれど、雲雀の左腕には彼のものと思われる血が染み付き、袖から見える手首には僅かな赤がこびり付いている。
「っ恭弥さん、早く治療しないと……!」
「いい。これくらい大したことないよ」
「でも……!」
雲雀の言葉を無視して、音羽がもっとよく傷口を見ようとした、そのときだ。
「――雲雀さん! 片桐!」
「―――」
聞き覚えのある――どこか懐かしい声。音羽はピタリと動きを止めた。
――そんな、まさか……。
脳裏に、ここにいるはずのない彼の姿が過る。いつも、穏やかに微笑んでいた彼の顔。彼が、ここにいる訳ないのに。
沢田君はもう、死んでしまったのに。
そう頭では分かっていながら、音羽は引かれるように声のした方を振り返った。
雲雀のずっと向こうから、栗色の髪をした男性が走ってくる。
「――!」
音羽は大きく目を見開いて、息をすることも忘れていた。
あり得ない、と思うのに。こちらに向けて軽く手を上げるその姿は、音羽がよく知る彼そのもので。
幻か――でなければ、都合の良い夢なのかもしれない。
一瞬そんな風に思ったけれど、その姿を見たら確かめずにはいられなかった。
音羽は、気が付けば彼の方に走り出していた。距離が近付けば近付くほど、ツナの姿がはっきりする。
ツナが殺されたと聞いたときからずっと、夢だったらいいのにと思っていた。もう二度と彼に会えないのだと思うと、悲しくて寂しくて、腹が立って……本当に涙が止まらなかった。
仲間であり、大切な友人。そんな、死んだと思っていた彼が目の前に現れて、音羽は自分の胸に様々な感情が去来しているのを感じながら、ツナの前まで来てようやく足を止める。
軽く息を乱したまま、音羽はツナの瞳をじっと見つめた。
驚きと困惑を隠せない茶色の目は、音羽が知っている彼のそれだ。いつも皆をほっとさせてくれる、穏やかで優しい雰囲気。
――間違いない……、沢田君だ……!
そう思った瞬間目に熱いものが込み上げてきて、音羽はその存在を確かめるようにツナの右手を取る。
骨折でもしてしまったのか、彼の左腕は三角巾で吊るされていたけれど、今の音羽には彼にそれを問う余裕はなかった。
「っ……沢田君……! 良かった……!」
「えっ!? わわっ……! あ、あの、片桐……!?」
「……、! あ、あれ……?」
聞こえてきたツナの声に違和感を覚え、音羽は目を丸くしながらもう一度確かめるように彼を見つめた。頬をほんのり赤く染めているツナが、ぱちぱちと瞬きしながらこちらを見つめ返してくれる。
――沢田君、何だか声が高くなってるような……。それに、よく見れば背も私とほとんど変わらない……。
彼の大きな栗色の瞳が自分の瞳と同じ高さにあって、音羽はようやく気が付いた。
違うのは、声と背丈だけじゃない。死んだと思っていたツナが生きていたという驚きで、色々なものが目に入っていなかったけれど――。
よくよく見ればツナの顔も獄寺たちと同じように、どこかあどけないものになっているのだ。音羽は目の前のツナが“誰”なのかを理解して、思わず握ってしまった彼の手を慌てて放す。
「ご、ごめんなさい、沢田君……! 突然手なんて握っちゃって……! 私、てっきり沢田君だと――あ、えっと、大人の沢田君だと思って……!」
音羽は混乱してしどろもどろになりながら、少年のツナに謝った。
獄寺たちといいツナといい、どうして皆揃って少年時代の彼等になっているのか理由がさっぱり分からない。でも、少年時代らしいツナからすれば、大人の音羽に手を握られる理由も同じくらいさっぱり分からないはずだ。
けれど、その理由を――この時代の彼がどうなっているかなんて、軽々しく説明できない。でも訳もなくただ姿を見ただけで駆け寄って手を握るというのも、全く訳の分からない行動だろう。
一体どう説明したらいいんだろう……。
困惑して口籠りながら必死に言葉を考えているうちに、音羽の目に浮かんでいた涙は引っ込んでしまった。
「……」
明らかに困った顔をしている大人の音羽は、自然とツナに、十年前の彼女を思い出させた。
十年経って音羽は綺麗な大人の女性になっていたが、纏う空気は相変わらず柔らかい。
ツナを気遣ってくれているのだろう、自分が何を言うべきで何を尋ねて良いのか、彼女は思案しているように見えた。揺れる瞳と彼女の表情を見ていると、それが何となく伝わって、彼女の優しい心根は今も健在なのだと思う。
ツナは、この時代の山本に会ったときと同じ気持ちになり、自然と笑っていた。
「あはは、何だか片桐も変わらないね」
「! そ、そう……かな……? あははは……」
そう言って微笑んだツナの顔は、この時代の彼と同じでとても優しく穏やかだった。
そうだ、やっぱり彼は昔からこうだったと、音羽は心の中で思う。この笑顔に助けられたことが、今まで何度あっただろう。
思い出すと一瞬胸がぎゅっと苦しくなったけれど、まだ幼さの残るツナの笑顔を見ているとつい釣られてしまって。音羽も眉尻を下げて笑う。
同じ時間を同じだけ生きて来たわけではないのに、互いの空気にほとんど違和感を覚えない。その安心感に、思わず二人して微笑み合っていた。
――が。
こんなとき、彼がただ黙って見守っている訳もない。
「ねえ、何してるの」
「!」
「ヒッ……!」
不意に背後から聞こえた低い声に音羽はハッと我に返り、ツナは小さな悲鳴を上げる。
青褪めたツナの顔から視線を移し、背後を振り向くと、そこには不機嫌そうに眉を寄せた雲雀が立っていた。