2話 クラスメイト

 二時間目は、国語の授業だった。

 音羽は昨晩からずっとぼんやりしたままで、それは授業中の今も変わらない。
 かろうじてシャーペンは握っているものの、板書の書き写しはまだ追いついていないし、先生の話も右耳から左耳に流れていくばかり。

 だが、それも仕方がないのだ。
 何と言ったって、昨日はずっと恋い焦がれていた雲雀と話せたうえに腕まで掴まれてしまう……なんて、音羽にとっては大きすぎるハプニング起きたのだから――。

「…………」

 思い出すだけで、かあぁっと頬が熱くなってしまう。

 まさか、ずっと憧れていた雲雀と話すことが出来たなんて。平凡な一生徒である自分に、そんな機会が訪れることはきっとないだろうと思っていたので、未だに少し信じられない。

 でも、音羽を射抜く彼の切れ長の瞳も、繊細だけれどしっかりした指も、低くて滑らかな声も。全てちゃんと記憶に残っている彼は、音羽の頭をぼうっとさせて、たちまち思考能力を奪ってしまう。

 だから、

 ――また、会えたらいいな……。

 と、つい浮かれた気持ちで思いながら、音羽は僅かに口元を緩めた。

 彼を知ったあの日から、昨日まで。彼の姿を遠巻きにでも見ることが出来れば、それだけで充分だと思っていたはずなのに。

 叶うかどうかも分からない、けれど確かな期待が胸の中に生まれているのを感じながら、音羽はノートに視線を落とす。――と、そのとき。

「――じゃあ次の問題。片桐」
「!!」

 教卓に立っていた先生に唐突に当てられて、音羽はびくりと跳ね上がった。虚ろだった意識が、急速に現実に引き戻される。

「ええと……」

 何も聞いていなかったことに内心少し焦りつつ黒板に目を移すと、古文の現代語訳の問題が書かれていた。
 ……四択制だ。よかった、これなら分かる……。

「Bです」
「よし、正解。あんまりぼんやりするなよー、もうすぐテストなんだからな」
「はい……」

 先生に指摘され、今度は純粋な恥ずかしさで顔が赤くなった。……が、とりあえず正解したのだから良しとしよう。
 
 当てられたのが国語で助かった。これが音羽の苦手な数学やら理科やらだったなら、もっと酷い羞恥心に襲われることになっていただろう。

 ほっとした所で音羽は先生に言われたテストの存在を思い出し、今度は真面目に授業を聞き始めた。





 ―――放課後―――

 相変わらず図書室に来た音羽は何だかそわそわしてしまい、読書にも全然集中出来ないので、今日はテスト勉強をすることにした。
 それもあまり身が入らないが、それでも読書よりはマシである。

 しかし――……

 いつ雲雀が来るかもしれないというドキドキと、ほんのりした期待。
 数分ごとに浮かんでは消えるそれらに振り回されている今の音羽には、やはり集中力など欠片もなかった。

 ――昨日の雲雀さん、たぶん校内の見回りに来てたんだよね……?だったら今日も来たりするのかな……。もう一度話せたら嬉しいけど……でも、何を話したら……。

「……!……ああ、もう、集中っ」

 ふと気が緩むと、すぐに雲雀のことを考えてしまう。

 これでは明日も、「授業中ぼんやりするな」と注意されてしまうだろう。音羽は自分の頬をべしっと叩いて、喝を入れた。

 すると、そのとき。

 
 がらりと図書室の扉が音を立てて開き、音羽は勢いよくぱっと顔を上げる。

 しかし来客は、音羽が思っていた人物ではなかった。

「し、失礼しまーす……」

 遠慮がちな声で入ってきたのは、音羽と同じクラス、2-A組の生徒――沢田綱吉。そして、

「……ん?なんだてめぇ。これから十代目が勉強なさるんだ、とっとと席空けな」
「おいおい獄寺、机は他にもあるんだからいいじゃねーか。悪いな、片桐!」

 賑やかな声の二人もまた、同じクラスの獄寺隼人と、山本武だ。

 三人は2-A組でも学校でも何かと目立つ存在で、音羽とは何の接点もなく、今まで一度も話したことがない。

「あ、えっと……」

 ――…取り敢えず、ここは獄寺君の言う通り空け渡した方がいいのかな……?

 と、戸惑いつつ席を立とうとすると、沢田綱吉――みんなからはツナと呼ばれている――が、慌てて声を上げた。

「あっ、いいよ片桐さん、そのままで!獄寺君も良いよね?オレ達、後から来たんだし……それに、片桐さんも同じクラスだからさ」
「同じクラス!?いましたか、あんな奴……」
「ちょ、獄寺君失礼だよ!先月転校してきた片桐さんだよ!」
「だ、大丈夫だよ沢田君!私……クラスでもあんまり話さないから、覚えてなくて当然だよ」

 音羽が苦笑してそう言うと、ツナは申し訳なさそうに謝った。

「ご、ごめんね、片桐さん……。オレ達も偶には勉強しようかな〜ってここに来たんだけど……よかったら、一緒に勉強してもいいかな?」
「!あ、うんっ、もちろん……!」

 嵐のように訪れた三人にまだ理解が追い付いていない音羽だったが、ツナの言葉にようやく事態を呑み込み、大きく頷く。

 ……そうして、なぜか四人での勉強会が図書室で開催され、場は一気に賑やかになったのだった。





「――で、問三はこっちにaを代入して……」
「な、なるほど……」

 いつも百点を取っている秀才の獄寺が、ツナの問題集を指しながら説明する。

 音羽と山本は、それを脇で聞きながら各々問三に向き合っていた。

「そしてこっちにはbを当てはめます。答えは……」
「えーっと、答えは……8?」
「そうです、十代目!さすがっス!」
「わー、よかった!ありがとう獄寺君!」
「オレも解けたぜ!さすが獄寺だな!」
「ったりめーだ!」

 賑やかな三人の傍らで、獄寺の説明を元に問題を解き進めていた音羽は、やがて手を止めて目を見開いた。

「す、すごい……、解けた……!」

 思わず大きな声を出してしまった音羽を、三人も少し驚いた顔をして見ている。
 彼らのその視線に気が付いて、音羽ははっと我に返った。

「あ、ご、ごめんなさい、急に声出しちゃって……」
「いいって!片桐も解けたのな!」

 山本がにかっと笑って、音羽も顔を綻ばせた。

「うん、私数学とか理科とか特に苦手で……。でも、こんなに簡単に解ける方法があるなんて知らなかった!獄寺君、すごいね!ありがとう……!」
「なっ、べ、別に……」

 音羽がにっこり笑ってお礼を言うと、獄寺の頬が仄かに赤く染まる。

「そういえば片桐さん、今日国語の時間に当てられてすぐ答えてたよね?もしかして、国語得意なの?」

 ツナに問われて、音羽は遠慮がちに笑った。

「うん、私国語だけは得意で……」
「ほんと!?良かったら今日の宿題の古文、教えてくれないかな?」
「えっ……!私で良ければ、喜んで……っ!」

 並中に来て、初めてまともにクラスメイトと話すことが出来た。

 そのことに喜びを感じて、音羽は笑顔で大きく頷くのだった。
 




「ここからここまでが動詞、それでここが終止形で――……」

 音羽は、「片桐さん」と気遣って呼んでくれるツナに、「呼び捨てで大丈夫だよ」と伝えてから、さっそく古文の訳文を三人に教えていた。

 獄寺には音羽が教える必要など微塵もないのではないだろうか?と心底疑問に思ったのだが、彼が教えてくれと言うので僭越ながら教えさせてもらっている。

「って感じなんだけど……分かるかな……?」

 自分の教え方で大丈夫だろうか……?と思いながら音羽が不安げに尋ねると、山本が問題集を見つめたまま口を開いた。

「んー、じゃあ訳すると……――こうか?」
「……うんっ、合ってる!」

 示された彼の問題集を覗き込んで言うと、山本はガッツポーズをする。

「っしゃ!片桐も、教え方上手いのな〜!今度から国語は片桐に教えてもらうぜ」
「ううん、普通だよ……!でも、ありがとう……そう言って貰えて嬉しい」

 へへへっとお互い微笑み合っていると、獄寺がイラついたような声を上げた。

「おい野球バカ、へらへらしてんじゃねぇ!……片桐、こっちも出来たぜ」
「オレは合ってるか不安だけど……」

 そう口々に言う二人の回答を見てみると――、どちらも、音羽の答えと同じだ。

「――うん、私も同じ答えだったよ。獄寺君はさすがだね……!沢田君も山本君も、飲み込み早い!」
「いや、山本はともかくオレは……」
「ううん、そんな事ないよ!沢田君、数学も獄寺君に教えてもらってすぐに出来てたし」
「っ……」

 にこっと微笑む音羽に、ツナは息を呑んだ。

 ――なんだろ、片桐を見てると、なんかドキドキする……!?でも、オレには京子ちゃんが……!!

 ツナがわーっと一人で葛藤しているのをよそに、山本は音羽に話しかける。

「なあ片桐って確か、うちのクラスの図書委員だよな?図書室、よく来るのか?」

「うん、放課後はほとんど毎日来るよ。図書室の空気、すごく好きなの」

「そうなのな、じゃあオレ達もたまに邪魔していいか?なっ、ツナ、獄寺!」

「うん、もし片桐が良ければ……」

「お、おう……来てやってもいいぜ」

「ほんと……!……私、転校して初めてクラスの人とちゃんと話せたから……すごく嬉しい!ありがとう……」

 そう言ってにっこり笑う音羽に、三人は頬を赤らめた。

「っ……」
「ははっ、オレもなんか嬉しいぜ」

 ――…片桐、なんかすげぇ……!獄寺君も山本も、赤くなってる……!?

 ツナが愕然としていると、ふと思い出したように山本が壁に掛かった時計を見た。

「――あ、オレそろそろ帰んねーと。今日はオヤジの手伝いしなきゃなんねーんだ」
「そ、そっか。じゃあそろそろ帰ろう。片桐も、一緒に帰らない?」
「ありがとう。私は、もう少し勉強してから帰ろうかな……、家よりここの方が集中出来るから」

 音羽がそう答えると、三人は少し残念そうにしてくれたが、荷物をまとめて出口に向かった。

「片桐、また明日ね!」
「あんま無理すんなよ!」
「……またな」
「うん、三人ともありがとう!気を付けてね」

 音羽は三人を見送って、ふと、笑っている自分に気が付いた。気持ちも、何だかふわふわしている。

 ――嬉しいな……。転校して初めて、話せる友達が出来た……。

 ノートに視線を落とした音羽は、またつい口元を緩めてしまう。

 一人の時間が好きなのは本当だ。だけど、誰かと過ごす時間だって楽しいと感じる。

 ツナたち三人は何かと目立つ存在で、まさか彼らと関わる機会が出来るとは思いもしなかったが、話してみると三人とも親しみやすかった。

 ツナと山本の人当たりの良さは表に滲み出ているけれど、一見話しにくそうな獄寺も、そう見えるだけで話し掛けたらちゃんと答えてくれる。


 音羽は嬉しさで昂ぶる心を静め、よしっと気合いを入れ直すと、再び勉強に集中して取り掛かることにした。





 図書室を出た三人は、昇降口に向かって静かな廊下を歩いていた。

 すると、廊下の真ん中で唐突に獄寺が足を止める。

「どうしたの、獄寺君?」

 ツナと山本も足を止めて、獄寺を振り返った。

「十代目……オレ、何か変なんっス……」

 獄寺は俯いたまま、図書室にいたときと同じように、なぜか頬を赤らめている。

「オレ……、さっきからあいつの顔ばっか浮かんできて……」
「え、それって……」

 それって、もしかして―――……

「片桐だろ?」
「っ……!!」

 ツナが言おうとしていた名前が先に山本の口から飛び出して、獄寺はびくっと身体を跳ねさせた。

 ……どうやら図星のようだ。
 ツナがやっぱり……!と思っている間に、山本がいつものように二カッと笑う。

「奇遇だな、オレもだぜ!」
「……え、ええぇーーーっ!?」
「んなーー!?」

 ――まさか山本まで……!

 予想だにしなかった山本の言葉に、二人とも驚きの声を上げる。

 山本が赤くなっているのは単に照れているだけなのだろう、と何となく思っていたツナも、彼の告白には驚きを隠せなかった。

「なんかわかんねーけど、気になっちまうんだよなー」
「――それは、恋だな」

 山本が爽やかに言ってのけた瞬間、どこからともなく聞こえてくる声。

「……この声は……」
「ちゃおっす」

 ――ドゴッ!!

「痛ってぇ!!」

 ツナの脳裏に“彼”の顔が浮かぶと同時に、頭に強烈な一撃が飛んできた。

 黒い影が走った山本の肩を涙目で見上げると、案の定、ツナの最強の家庭教師・リボーンがニヤリと笑っている。

「ってて……おいリボーン、何で蹴るんだよ!」
「獄寺、山本」
「無視か!!」

 リボーンはツナに気を留めることなく、獄寺と山本を交互に見やった。

「それは恋だぞ。お前ら、すっかり色気づきやがって」
「こ、これが……?」

 獄寺はかあっと顔を赤くして、山本はそっか〜と、いつものように呑気に笑っている。

「や、野球バカ、てめぇに譲る気はねぇからな!」
「ははは、それはこっちの台詞だぜ、獄寺」
「……」

 イラついたように食ってかかる獄寺と、どこか楽しそうにも見える山本。

 そんな二人の様子を見ながら、ツナは今しがた図書室で別れた音羽のことを思い出した。

 今までよくよく見た事がなかったので何とも思わなかったが、音羽はとても可愛い、整った顔立ちをしている。
 音羽の笑顔を見ると、ドキドキしてしまうのは確かだ。ツナもそうだった。

 けれど――……
 ツナが好きだと思うのは、やっぱり京子だ。
 
 京子が「ツナ君」と笑って自分の名前を呼んでくれる姿を思い出すだけで、勝手に頬が緩んでしまう。

「……にしても、お前ら二人を惚れさせるなんて中々の女だな。一度見てみてーぞ」
「――!おい、絶対来るなよ、リボーン!お前が来ると話がややこしくなるんだからな!」

 リボーンの言葉に我に返って慌てて釘を刺すが……、ニヒルに笑っているリボーンを見る限り、たぶんツナの言葉など一切聞いてないだろう。
 リボーンなら、いつか本当に音羽を見に学校に来かねない。

「ま、何はともあれ、これでお前らは改めてライバルになったってことだな」
「ぜってーお前にだけは負けねぇからな、野球バカ」
「俺だって、負けるつもりはねぇぜ」
「……ふっ……」

 ――こいつ、絶対楽しんでるーー!

 獄寺と山本に火花を散らさせ、面白そうに口角を上げているリボーン。
 ツナは、新たな気苦労が増える事を確信した。

「…………」

 がっくりと項垂れて、それから二人の仲裁に入るツナを、リボーンは山本の肩の上から見下ろした。

 いつもと少しだけ様子の違う二人と、特に変わりのない自分の生徒。

 ――ツナは、そいつに惚れたって訳じゃねーのか。あくまで、京子一筋なんだな。

 リボーンは騒いでいるいつもの三人を意識の外で見つめながら、新たに現れた並中の生徒――“片桐”という謎の女の正体について、静かに思いを巡らせるのだった。

 

prevlistnext
clap
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -