26話 暗殺部隊

「ごめんね、片桐。夜遅くに……」

「ううん、迎えに来てくれてありがとう。お陰で何も言われず出て来られてよかった」

 雨の降り続ける深夜の住宅街を歩いていると、ツナが申し訳なさそうに言ったので音羽は首を横に振った。

 
 今朝話していた通り、ツナはランボとリボーンと一緒に音羽の家まで迎えに来てくれたのだ。

 「これから並中で開催される相撲大会を観戦しに行く」、という謎過ぎる理由だけれど、クラスメイトも一緒なので母が怪しむことはなかった。母があまり細かい性格でなくて、本当に良かったと思う。
 
 ――やがて、音羽たちは仄暗い街灯に照らされた並中に到着し、校門を潜った。


「片桐……!」

「おっ、片桐も来てくれたんだな!」

「極限に頼もしいぞ! いよいよ第二戦、気を引き締めてかからんとな!」

 門の側にはもう到着していた獄寺、山本、了平がいて、皆口々に出迎えてくれた。

 彼等の期待に答えられたらいいけど……。
 少し緊張して、音羽は弱い微笑を返して頷く。
 

 ――“案内”が来るまで、音羽たちは揃って一点を見ていた。もちろん、今回の勝負の当事者を。

「長ぐつ〜ぐっつぐつ〜」

 雷の守護者であるランボは牛柄の可愛い傘を差して、ご機嫌に水溜りで遊んでいる。黄色い長靴でバシャバシャと水の中を飛び跳ねる姿は、これから自分が“戦う”なんて思ってもないようだった。


「……ランボ君、大丈夫かな……」

「ほんと、何とか棄権できないかな……」

 不安で呟けば、隣で同じくランボを見ていたツナも大きな溜息をつく。

「心配すんな、ツナ。いざとなったらオレたちが割って入っから」

「ご心配には及びません! 十代目!!」

「任せておけ!」

「みんな……。で、でも……」

「――そのような行為は失格とし、阻止します」

「そして助けようとした者、助けられた者。二人分のリングが、相手の物となります」

 皆の頼もしい発言にもツナが表情を曇らせたとき、聞き慣れない女性たちの声が辺りに響いた。音羽はぱっと、声のした上の方を急いで見上げる。


 暗くて見え辛いけれど――屋上に、アイマスクをつけた二人の女性が立っていた。黒いレインコートを着ていて、褐色の肌。よく似た容姿の二人組。

 あの人たちが、チェルベッロという組織の人だろうか。ツナから聞いていた外見の特徴を思い出すと、……そうな気がする。

 ツナ曰く、今回のリング戦は彼女たちが取り仕切っているらしい。待っていた“案内人”だった。

「あいつら……! ちくしょう、ふざけやがって!」

 獄寺は舌打ちをしてチェルベッロを睨み付けていた。が、彼女たちは気にも留めていない。


「あちらをご覧ください」

「あれが、今宵の戦闘フィールドです」

「「!?」」

 チェルベッロの二人がすっ、と腕を伸ばして示した先。

 ここから反対側にある校舎を振り返れば、屋上の闇に浮かぶ黒くて大きな影。よく見えない……と目を凝らした瞬間、ピカッ!!と稲妻が走って辺りを照らした。

「な……何あれーー!!?」

 ツナが悲鳴を上げたのも無理はなかった。

 並中の屋上には、先端が鋭く尖った巨大な避雷針が、まるで塔のように幾つも聳え立っていたのだ。


 




 激しい雨が吹き付ける屋上へと上がって行って、音羽たちはドアを開けた。


「――お、屋上が……!」

「んだこりゃ!?」

 一歩足を踏み入れると、屋上には六角形を作るように避雷針が並んで立てられていた。中央にも同じものがあって、計七本の避雷針。そしてそれらを繋ぐように、何か細い管のようなものが地面に張り巡らされている。

 暗い屋上に、避雷針は不気味に立っていた。その異様な光景は、まるでこれから始まる戦闘を物語るようで。全員が息を呑む。


「今宵の戦闘エリアは、雷の守護者戦に相応しい避雷針のエリア」

「名付けて、エレットゥリコサーキット」

 先に屋上に到着していた、チェルベッロの二人が言った刹那。


 ――ドオオォン!!

 耳を劈くような爆音が屋上に轟いた。

 厚い雲が生んだ雷が、避雷針に落ちたのだ。落雷は地面に巡らされたあの管を伝い、バリバリと弾けるような音を立てて明滅を繰り返している。そのあまりの激しさに、音羽は思わず目を瞑った。


「このエレットゥリコサーキットの床には、特殊な導体が張り巡らされています」

「避雷針に落ちた電流が何倍にも増幅され、駆け巡る仕組みになっているのです」

「! そ、そんな……! 立ってるだけで死んじゃうよ!」

「あいつら……今日が雷雨だと知っててこのカードを組んだな……?」

「ランボさん、あれやるー!」

「ちょ、ちょっと待て、ランボ! 危ないから!!」

 険しく顔を顰めたツナと獄寺とは正反対に、ランボは声を上げてはしゃでいる。

 遊園地のアトラクションか何かと勘違いしている様子の彼を、ツナが慌てて抱き上げた。その拍子にランボの角が取れて、獄寺が厄介そうに拾い上げ何かラクガキしている……。


「…………」

 ――本当に大丈夫なのかな……。

 ランボを見つめ、音羽は大きく鳴る自分の心臓を宥めるように胸の前に手を当てた。

 あんな電流……見ただけで危ないことは一目瞭然だ。それなのに、こんなに小さなランボがここで戦うなんて……、正直言ってあり得ない事態だと思う。

 それに雷に打たれる以前に、戦う相手は無慈悲なヴァリアーだ。本当にどうなってもおかしくない。こんな過酷すぎる試練、子供の彼に越えられるとは思わなかった。


「雷の守護者は中央へ。対戦相手は、二時間前からお待ちです」

 不安をいっぱいに感じていると、チェルベッロから合図が。彼女たちの一人が言った言葉に、ツナが声を上げる。

「二時間も……!? ――あ!」

「!」

 轟音と共に、再び雷が避雷針に落ちたら――。

 フィールドの真向かいに、鬼のような形相をした男の顔が浮かんで見えた。ツナも音羽も、ビクッ!!と肩を跳ねさせる。

「!! で、でたぁー!!」

「――音羽。あれがヴァリアーの雷の守護者、レヴィ・ア・タンだぞ」

「! ……あの人が……」

 側にいたリボーンが説明してくれて、音羽はごくりと唾を呑む。

 落雷に照らされたその大男は、この闇に溶け込んでしまいそうな真っ黒なコートを着ていた。殺気……というより、最早殺意をありありと滲ませた表情で、彼はこちらを睨み付けてくる。

 その姿は“暗殺部隊”という名に相応しいというか、想像通りというか……。とにかく、音羽がイメージするマフィアそのものだった。とても怖い。

 ついに、自分は裏社会に足を踏み入れてしまったのだと。
 音羽はこのとき実感した。
 
 マフィアとかヴァリアーとか守護者とか、このときまでは全部、本当は夢なんじゃないかと思ってしまうこともあったけれど。目の前にある世界は、紛れもない真実だ。

 そんな場所を見つめながら、音羽はここに立っている。もうきっと、引き返すことは出来ない。


「――!」

 足が震えそう、だと思っていると。

 暗闇に紛れ、前方の上空から勢いよく影が降ってきた。音羽は目を瞠る。

 雨の向こう――レヴィの背後にある搭屋の上に、いつの間にか四人、人影が立っていた。――瞬時に、空気が張り詰める。


「またレヴィ、二時間も前から? 信じられない」

「君とは違って不器用な男だからね」

「とっとと終わらせろぉ!!」


「……、」

 どこか聞き覚えのある声がした気がして、音羽は搭屋を見つめた。
 
 黒のレインコートを着た銀髪の男、頭を機械的なマスクで覆い尽くしたレヴィよりがたいのいい大男。フードを目深に被った赤ん坊。

 それに、金髪の細身の少年。……頭に、ティアラが載っている。
 ――音羽は彼を知っていた。


「……! べ、ベル……? 何でここに……」

「チャオ、音羽♪」

 呆然とする音羽に、少年――。
 
 そう、今日放課後にぶつかってしまったあの変わった人、ベルフェゴールが、あのときと同じにんまり顔を向けてくる。
 
 うそ、まさか……。
 音羽は言葉を失った。

 だってここにいるということは――彼は、ヴァリアーの人間ということだ。

 あのときの風変わりな外国人が、まさかヴァリアーの人だったなんて。しかもそんな人と街でぶつかってしまうなんてこと、本当にあっていいんだろうか。

 信じられずただただ瞬きを繰り返していたら、ツナがこちらを振り返った。

「片桐、あいつ知ってるの……!?」

「う、うん……。実は……、」

 驚いた顔をしているツナときっと同じ気持ちになりながら、音羽は放課後の出来事を手短に話した。


 ――思えば、ベルがヴァリアー側の守護者候補であったなら、彼の呟いていた「また会う」という訳の分からなかった言葉の意味も理解できてしまう。

 ベルは、音羽が守護者の一人だと気付いたからそう言ったのだ。

 ……でも、音羽は当然教えてない。彼はどうして気付いたんだろう……?


「しししっ、無防備に首にリングぶら下げてるからすぐ分かったぜ。お前が天の守護者だって」

「! もしかして、あのとき……」

 そうだ……それまで威圧的だったベルが急に、驚いたような素振りを見せたんだ。

 彼はあのとき、音羽の首元にあるボンゴレリングを……。

 彼の目元が隠れているからどこを見られているのか分からなかったけれど、あのときからベルは、音羽が守護者であることに気付いていた……。


「おいベル、それは本当かぁ? あのちんちくりんが天の守護者だと?」

「嘘ついてどーすんだよ、スクアーロ。現に、この戦い見に来てんじゃん。守護者でもなきゃこんなとこ来ねーっつーの」

 銀髪の男――スクアーロに、ベルは淡々と答える。フードを被った赤ん坊も頷いた。

「ベルの言う通りだね。どうやらあの女は、初代以来と言われる天の守護者らしい。……ただ思った通り、何の取り柄もなさそうな一般人だけど。少々見てくれが良いくらいか」

「うむ……可憐だ……」

「おい、キモい目で見んなよ、レヴィ。あいつはオレのだから」

「え……」

 さっきまであんなに恐ろしい顔をしていたレヴィが頬を赤らめながら呟くし、ベルが間髪入れずにおかしなことを言い返したので音羽は口をあんぐり開けた。


「ふん、可哀想な奴だね。ベルに気に入られるなんて、命が幾つあっても足りないよ」

「黙れよ、マーモン」

 彼等は言い合って互いを睨む。
 
 軽口を言うような口調なのに、その声には相手に対する確かな殺気が含まれていた。

 日常生活を送っている中では決して感じることのないその気配に、心臓が一瞬ひたりと止まってしまいそうな……そんな錯覚を覚える。

 もしあそこにいるのが自分だったら――考えかけて、止めてしまった。

「……ともかく、使えないなら使えるようにするだけだぁ。次期十代目、うちのボスのためにしっかり働いてもらうぞぉ」

「!」

 不穏な場を取り成したスクアーロは、音羽を見据えてニヤリと笑った。
 その瞳の奥に覗く鋭さに、身体がびくりと硬くなる。

 ベルを含めて、彼等は“普通”じゃない。
 言葉にしがたい雰囲気――きっと、“殺し”を生業にしている人たちが纏う空気だ。

 そしてもしツナたちが負けてしまったら――音羽にとっても、あれが“普通”になってしまうのかもしれない……。


「あいつら、好き勝手言いやがって……! 気にすんなよ、片桐」

「ああ、勝つのはオレたちだぜ! 心配いらねーよ!」

「う、うん……」

 身体からすっかり血の気が引くのを感じていると、獄寺と山本が励ましてくれた。

 まだ見たことはないけれど、スクアーロの言うように、ヴァリアーのボスのために働くつもりなんて少しもない。

 ……けれど、自分はこんなに危ない場所に立っているのだと、嫌でも思い知らされてしまった。


 チェルベッロの一人が、前へと進み出る。

「――そろそろ始めます。雷の守護者はこちらへ」

 彼女の言葉は、戦いの幕開けを伝えた。
 それはランボに対するものであり、そして同時に、音羽のものでもあるような気がしたのだ。

 雷の守護者戦は、こうして始まりを迎えた――。







 ――レヴィの圧勝で終わるかと思われた雷戦。けれど、その戦いは意外な展開を迎え続けた。


 当初どう見ても戦闘力ゼロのランボだったのだが、実は彼は、電気を通しやすい皮膚のためにダメージを受けにくいという特殊体質の持ち主で。

 しかも十年バズーカの効力で十年後、二十年後のランボと入れ替わりを繰り返し、一時レヴィを追い込むほど優勢に立っていたのだ。……十年バズーカに五分のタイムリミットさえなければ、ランボは勝利していただろう。

 五分経って五歳に戻ってしまった小さなランボは、雷を全身に浴びたうえレヴィに容赦なく蹴られ死にかけた。ツナは、死ぬ気になってそれを何とか止めたのだった。

 フィールドに入らないようランボを救出したものの、ツナの行動は守護者戦の妨害という扱いにされてしまい、雷のリングのみならず大空のリングまで、ザンザスのものになってしまった。


 ――ザンザス側の持つリングは二つ。
 一方、ツナたちの持つリングは一つ。

 一度に二つのリングを取られてしまい、雷戦は幕を閉じた。
 明日の戦いは、嵐の守護者の対決だと告げられて。


「――ランボ!!」

「大丈夫か!?」

「アホ牛!!」

 雷戦の全てが終わり、ツナたちは真っ直ぐランボの元へ走った。

 ツナは彼の小さな身体を抱き起すが、意識はない。呼吸こそしているものの、ランボはピクリとも動かなかった。

「ランボ……」

 手が微かに震えてしまう……、そうだ、彼女は。

「――片桐……」

 後ろを振り返ると、心配そうにランボを見ていた音羽と目が合った。
 彼女はツナの想いに気付いてくれたように、こくりと頷く。

 音羽はツナの側まで来て、ランボの前に膝をついた。


「――お待ちください」

「「!」」

 響いたのは、チェルベッロの制止の声。
 ツナも音羽も顔を上げる。彼女たちは音羽を見ると静かに言った。

「今回の守護者戦、天の守護者には対戦がない代わり、特別に試練が与えられます」

「試練……?」

 音羽は緊張した面持ちで繰り返す。

「はい。天の守護者は綱吉氏とその守護者のみならず、ヴァリアー側から要請があった際は、ザンザス様とその守護者に対しても治癒の力を使用していただきます」

「……!」

「何だと……!? ヴァリアーが負った怪我も、片桐が治すってことか!?」

「ふむ……両者を公平に扱うためだな……」

 目を見開く音羽と不服の声を上げる獄寺に対し、リボーンだけは納得したように呻った。

「その通りです。試練をクリアした天の守護者は、ザンザス様、綱吉氏……どちらが勝利してもその役目を継承することが決まっています」

「そこで片桐音羽には、天の守護者として分け隔てなくファミリーを救えることを証明していただきたいのです」

「で、でも……オレたちの治療もしてヴァリアーの怪我まで治してたら、片桐の負担になるんじゃ……」

 音羽を見れば、彼女は困惑したように瞳を揺らしている。

 ディーノは、音羽の力はまだ目覚めたばかりだと言っていた。彼女は昨日も力を使い果たして倒れたそうなので、あまり無茶はさせられない。

「ああ……。だが、それが試練なんだろう。天の守護者の使命は“ファミリーを守り、癒す光となること”。その力を示すことが出来なければ、守護者には相応しくねーってことだ」

「そんな……! で、でも、片桐は初代以来の天の守護者なんだろ? それなのに……」

 “相応しくないから”という理由だけで、チェルベッロたちは彼女を守護者失格に出来るのだろうか。他に、候補者もいないのに。

「もし片桐音羽が双方の要請に応えられず力を発揮できなかった場合は、天の守護者として相応しくないと見なしリングを没収します」

「……ですが、今回彼女以外に天のリングの適応者は存在しません。よって、彼女からリングを没収した場合は、彼女に更なる特別試練を受けていただきます。その試練に合格するまではイタリアに滞在していただきますので、日本には戻れないと思ってください」

「!!」
「なっ……!」

 チェルベッロの言葉に、ツナたちは顔を引き攣らせた。
 音羽も青い顔をしている。当然だ、強制的にイタリアに連れて行く、と言われているのだから。

「……つまり音羽をヴァリアーに行かせないため、ツナたちはヴァリアーに勝たなきゃなんねー。そして音羽はツナたちの勝利を信じて、自分の試練を乗り越えるしか道はねーってことだな」

 リボーンは表情一つ変えず言い切って、ツナを見上げる。

「音羽に負担をかけたくねーなら、その力を使うときをきっちり見極める必要がある。そのときを選択するのも、ツナ。ボスであるお前の役目だぞ」

「っ、」

 リボーンにはっきり言われて、ツナは唇を噛んだ。

 ヴァリアー側から音羽に対する要請は、タイミングが掴めない。全てはザンザスの指示で決まるのだ。
 ツナがタイミングを間違えれば、こちらとヴァリアー。音羽は一度の戦いで二人分の傷を治す必要に迫られるかもしれない。

 負担が掛かるのは音羽の身体だ。それならいつ、誰に彼女の治癒の力を使ってもらうのか――よく考えて頼まなければ。


 ――だったら……今はどうなんだ?

 ツナは迷いながら、隣に屈んだ音羽を見た。

 ランボは間違いなく助けなければいけない存在で、彼女の力で少しでもランボがよくなるなら――その力に頼りたい。

 でも、それは今、本当に使っても良い力なのだろうか……? このあとすぐに、ザンザスがレヴィの回復も要請したら?


 ツナが思っていると、音羽がこちらを覗き込んできた。目が合うと、彼女はツナの考えを察したように小さく頷く。

「……大丈夫、沢田君。どこまで出来るか分からないけど……今はランボ君のために、私の力を使うべきだと思う」

「……!」

 普段大人しい彼女は、強い眼差しできっぱり言った。

 迷いも躊躇いもない声に、ツナも息を呑む。――気持ちが固まった。

「片桐、ありがとう……。ランボを頼むよ」

 答えると、音羽は頷いてランボの手を取る。

 音羽の横顔を見たら、頬が少しこわばっていた。けれど彼女は集中するように瞼を閉じて、唇を引き結ぶ。


 ――すると、程なくして音羽の手のひらがぽうっと光り、その光がランボの身体を包むように広がっていった。

 温かくて優しい、白い光。
 ランボの身体は薄明るく輝いて、出来ていた傷が塞がっていく。以前、黒曜ランドで目にした現象と同じだった。

「す、すげぇ……」

「これが、片桐の力か……」

 後ろで初めて彼女の力を見た獄寺と山本は、溜息交じりに呟いた。

 搭屋の上にいたヴァリアーたちも、音羽のその様子を遠巻きに見ていたのだった――。







「……あの女、どうやら役には立つらしいなぁ」

「みたいだね。――どうだい、ボス。初代以来の天の守護者を従わせれば、ボンゴレの誰もが次期ボスの器を認めざるを得なくなるんじゃない?」

「…………」

 スクアーロとマーモンが言うと、戦いの終盤になって屋上に現れていたザンザスは音羽を一瞥した。

「ふん……勝てばいいだけだ。そうすれば、あいつは必然的にこちらに来る」

「ししっ、だねー。そんときが楽しみ」

 ベルが口を歪めて笑うと、ザンザスはそちらを振り返った。

「ベル……明日の嵐戦、期待しているぞ」

「うししっ、言われなくても」

「――ゔぉおい、ボス! あの女の力はどうする?」

「あ?」

 屋上から飛び去ろうとしたザンザスの背中に素早く声を掛けたのは、スクアーロだった。

 ザンザスは眉を顰めて、顔だけを後ろに向ける。スクアーロは音羽をちらと見た。

「チェルベッロの話だと、あの女の治癒の力はオレたちのものでもある。勝者にはその程度の恩恵があっても良いと思うが、決定権はあんたにあるぜ。ボスさんよぉ」

「……てめーらカスがどうなろうと知ったこっちゃねぇ。ただ……」

 ザンザスは言いかけて――見下ろす。

「あの女のリングがタヌキ共に没収されねぇようにしろ。継承であの女が不在になるような事は許さねぇ」

「!」

 それだけ言うと、ザンザスは今度こそ屋上から姿を消した。


「ぬ……、つまりどういうことだ……?」

「バーカ。ちゃんと聞いてたのかよ、レヴィ」

 ベルが呆れた口調で言うと、マーモンが説明する。

「つまり、あの女が双方の要請に応えられないまま気絶でもしたら、天のリングはチェルベッロに没収される。ボスは、その事態を防げるなら好きにしろって言ったのさ」

「そういう事だぁ。候補者がいる以上、継承式で天の守護者が欠けるのはボスの威厳にも関わるからなぁ。……だが、守護者としての役目を果たせねぇような奴に、あの力を受ける資格はねぇ。ボスが不在の間は、オレが要請を決定する」

「なるほど……。つまり今回勝ったオレは、あの可憐な娘に癒してもらえるということだな……」

 スクアーロが言葉を重ね、レヴィは納得したように頷いた。……気味悪く、目をニヤニヤさせて。ベルは耐え兼ねてナイフを取り出す。

「ししっ……、このおっさん、一回殺りたいんだけど」

「気持ちは分かるが止めておけ。それからレヴィ、残念だが今回はパスだぁ」

「なぬっ!? なぜだ……!?」

「見りゃ分かるじゃん? あいつ、もう無理だって」

「……!」

 ベルが肩を竦めると、レヴィは眼下を見て目を瞠った。ベルも再び、音羽の姿を見下ろす。

 
 音羽は祈るように瞳を閉じて、向こうの雷の守護者の手を握っていた。時間にして数分のことである。

 だが既にその横顔は、ここからでも分かるくらい青白かった。

 彼女はまだ、あの力を完全に使いこなせている訳ではないのだ。どう見てもレヴィの回復まで出来るような余力は残っていない。

 音羽の横顔を見たら、レヴィも理解したようだった。
 
「――もういいな。行くぞぉ」

 レヴィが静かに引き下がったので、スクアーロは声を掛けて身を翻した。タン、と地を蹴って、一人ずつ下降していく。

「……」

 ベルも踵を返して、もう一度後ろを振り返った。

 音羽は青褪めた横顔のまま、それでも向こうの雷の守護者から手を放そうとしない。“救いたい”と必死になっているその顔に、ゾクゾクした。
 

「――うししっ、もっと欲しくなっちゃった、お姫様」

 呟いて、ベルは搭屋の上の地面を蹴る。

 ビュンと勢いよく闇のなかを下まで落ちて、ヴァリアーは並中を後にした。







 音羽は自分より随分小さなランボの手を、ぎゅっと握った。

 自分のなかにある力をゆっくり流し続ければ、ランボの身体の外傷は見る間に治った。今は痣の一つだって残っていない、けれど――。


 ――何だろう……。きちんと治った手応えがない……。

 音羽は眉を寄せた。

 何がどうと言われると、それはもう音羽の感覚的な話になってしまうのだが、肌や――見える所ではなくて、もっと奥の方。内臓のどこかが、何となく重く感じる。

 自分でも不思議だったけれど、それがぼんやり分かった。

 きっと特殊体質とはいえ、一度に電流を浴び過ぎたのだ。彼の内臓が受けたダメージは恐らく、音羽たちが想像している以上に大きい。


「……っ」

 音羽は唇を噛みしめた。

 ランボを助けたいと思うのに。今の自分の力では、彼を完全に治してあげられないことが嫌でも分かる。限界まで力を使ってみたけれど、ランボが目を覚ますことはなかった。


「……沢田君、ごめんなさい……。私の力だと、今はこれが限界……」

 音羽はランボの手をそっと放して、いつの間にか乱れていた呼吸を整える。自分の力不足が申し訳ない。

「いや! ありがとう、片桐……! ランボ、さっきよりだいぶ楽そうにしてるし、息も落ち着いてる! 片桐がいてくれて良かったよ……!」

「……沢田君……」

 ツナは首を振り、包み込むような笑顔を向けてそう言ってくれた。彼の言葉に救われて、ほっと息を吐き出す。


「――っ、」

 身体を起こしたら左右にふらついたけれど、音羽は自分の足でしっかり立った。これくらいで、根を上げていてちゃいけない。


 ――私も、守護者としての試練を乗り越えないと……。

 今日はランボだけの回復で済んでいるけれど、明日はどうか分からない。一度に二人を癒すくらいこの力を使ったら、疲労感はこの比ではないはずだ。

 もし気絶なんてしてしまったら――、絶対駄目だ。
 この試練を突破できなければ、雲雀の側で彼を支えることも……彼の側にいることすら、出来なくなってしまう。


「おい、片桐……大丈夫か?」

「片桐殿……顔が真っ青です、」

「大丈夫、ちょっと疲れただけだから……」

 山本とバジルが心配そうに顔を覗き込んでくれて、少し辛かったけれど微笑み返した。すると、リボーンが音羽の足元までやって来る。

「守護者戦は明日もある、音羽はもう休んどいた方がいいな。アホ牛も、病院に連れてってやれ」

「では、オレたちはアホ牛を病院に連れて行きます。十代目は、片桐を送ってやってください!」

「わ、分かった! じゃあ片桐を送ったら、オレたちも病院に向かうから…!」

 ランボを抱き上げる獄寺に頷くと、獄寺は山本、了平と共に先に屋上を出て行った。ツナは音羽を振り返る。

「じゃあ行こう、片桐。大丈夫? 歩けそう?」

「うん、大丈夫……。ありがとう、沢田君……」

 
 それから音羽は、ツナとリボーンに自宅まで送ってもらった。

 けれど、視界は既にグラグラ揺れて、家に辿り着いた頃には、記憶はとても曖昧になっていたのだった。


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