24話 芽ぐむ輝き

「まだ震えが止まらない……」

 修行修行と言っていたリボーンに、珍しく「学校に行け」と言われ、あれからツナは大人しく通学路を歩いていた。

 けれど昨日ヴァリアーと会ったときのことを思い出していたら、手が、小刻みに震えてしまう。
 
 あんな怖い奴らと戦うのだと言われて普通にしていられるほど、ツナの気は太くないのだ。

「逃げ出したいよ……逃げてみよっかな……」

「――ツナ!」

 思わず本音が漏れたとき、後ろから呼び止められた。肩にぽんと腕が載せられ、慌てて振り返る。

「よ!」

「や、山本!」

 彼はいつもの屈託ない笑顔を向けると、ツナから離れた。

「さすがに昨日は眠れなくてな。落ち着かねーから、学校行こうと思ってさ」

 ――やっぱり山本も緊張してるんだ……。

 と、思ったら。

「いやー、ワクワクすんなー!」

「なっ……!」

 ――精神構造がちがーう!!

 山本はこんな時でも山本だった。
 
 ツナが呆気に取られていると、「大丈夫だって!」と彼は笑う。

「最初はオレ、自分があのロン毛に勝つことしか考えてなくてさ。未だに状況もよく分かってねーし。……でも、みんなが揃ったとき思ったんだ。オレじゃなくて、オレたちの戦いだって……。一人じゃねーんだぜ、ツナ。みんなで勝とうぜ」

「や、山本……」
「――ったりめーだ!!」

「!獄寺君!!」

 聞き慣れた声にツナと山本が顔を向けると、獄寺が段ボール箱を抱えて立っていた。

「相手が誰だろうが蹴散らしてやりますよ! 勝つのはオレたちです。任せてください、十代目!!」

「!」

 ――またいつものパターンだー! 二人の根拠のない盛り上がりに巻き込まれていくー!

 自信たっぷりな獄寺に、ツナは心の中で叫ぶ。

 けれど、二人にそう言われると……。
 不思議と少し落ち着いた。何とかなるような、そんな気もしてくる。

 ――震えが、止まってる……。

 自分の手を見下ろしたら、それは、ツナの感情を直に現していた。

 戦うのは一人じゃない。
 仲間がいれくれるのだと、二人が教えてくれたからだった。
 




 ――その後、これから修行に行くという獄寺と別れて、ツナは山本と一緒に学校に向かっていた。

「――あっ!」

「ん? なんかあったのか?」

 道中、昨日チェルベッロが言っていたことを思い出し、ツナは声を上げた。山本がこちらを覗き込んでくる。

「いや、片桐に昨日のこと報告しなきゃと思ってさ……。はぁぁ、何て言うかなあ……」

「ああ、そうだな……。でも、負けたらヴァリアーに行かなきゃなんねーなんて、あいつらも無茶言うよな」

「ほんと、滅茶苦茶なことだらけだよ……って、あぁぁ!!!」

「どうした、ツナ!?」

 さぁっと血の気が引くのを感じながら、ツナは慌てて山本を見上げた。

「も、もし片桐がヴァリアーに行くなんてことになったら、雲雀さんが黙ってないよ……! しかも絶対、確実に咬み殺される!!」

 その場面を想像すると、さっきとはまた違う恐怖で身体が震える。

 雲雀なら容赦なくツナたちを咬み殺すだろうし、彼は音羽のためなら争奪戦など関係なくヴァリアーと乱闘もするはずだ。

「ははは、だな……。あいつ、そのこと知ってんのか?」

「うーん……、どうだろう。ディーノさんが伝えてるかもしれないけど……」

「いずれにせよ、雲雀は納得はしねーだろうな。……でもよ、ツナ」

 山本はツナを見下ろすと、白い歯を見せてニカッと笑った。

「オレたちが勝てばいいだけの話だぜ!」

「う……、うん……そう、だね……」

 ――山本、やっぱりポジティブ……!

 ツナは彼の楽観的な思考を心底羨ましく思いつつ、音羽に何と説明しようか頭を悩ませた。





 いつものように登校した音羽は、ひとまず教室に向かった。

 一度荷物を置いたら、すぐ屋上に行くつもりだ。今日も、雲雀とディーノが修行で負った傷を癒すという、音羽なりの特訓がある。

 今日こそは……! と、自分に喝を入れながら、音羽は教室の前で足を止めた。扉を開けようと手を伸ばす。


「――あ、片桐!」

「! 沢田君、山本君! おはよう」

 名前を呼ばれて振り返ったら、ツナと、何だか久しぶりに会う気がする山本が立っていた。彼も雨の守護者候補だとディーノが言っていたので、今まで修行していたのかもしれない。

「おはよう、片桐」

「おっす! なんか久しぶりだな!」

「そうだね、山本君に会うの久しぶり……! やっぱり、修行してたの?」

「まあな。親父に剣道教えてもらってんだ。片桐も、守護者の話受けたんだよな? 修行、順調か?」

「う、うん……。やることにはやってるんだけど……、なかなか上手くいかなくて」

 爽やかに笑った山本の問いかけに、つい歯切れ悪く答えてしまう。
 苦笑すると、山本はきょとんとした。

「そうなのか? でも、片桐ならぜってー何とかなるって! 気楽にいこうぜ!」

「! うん、ありがとう……!」

 山本は、心からの笑顔で明るく言う。自分にはない彼の前向きさに、どこか救われるような気持ちになって音羽も微笑んだ。


「……あ、あのさ、片桐……! 実は、片桐に知らせなきゃいけないことがあるんだ……」

「うん……? 何かあったの……?」

 ツナがどこか堪り兼ねたように声を発して、音羽は首を傾けた。
 彼はなぜか言い辛そうに、口をもごもごさせている。
 
 少し緊張したその表情に、嫌な予感がした。何か悪い話の気がする。つい身構えながら、音羽はツナの言葉を待った。


「えっと……実は昨日の夜、ヴァリアーが来ちゃってさ……」

「…………」


 思いがけない彼の言葉に、ぴたりと思考が停止した。

 え、聞き間違いかな? と思って、何度もツナの声を頭の中で再生した、けど。


「……え……、ええぇっ!!?」

 繰り返されるのは同じ言葉。
 ツナの顔は大真面目だし、何なら強張っているので、音羽は今現在廊下にいることも忘れて思わず大きな声を上げてしまう。
 
 周りにいた生徒たちにまじまじ見られて、慌てて開いた口を押さえながらツナを見た。

「ほ、本当なの……? ヴァリアーが来るのは十日後だって聞いてたけど……」

「うん、そうなんだ……オレもよく分かんないんだけど、なんか早く来ちゃったみたいで……。とにかく、今日から守護者同士の戦いも始まっちゃうんだよね……」

「そ、んな……」

 どんよりと声を落としたツナ。音羽は呆然とする。

 だってまさか、もうヴァリアーが来たなんて。しかも、今日から戦いまで始まってしまう。

 ――どうしよう……。私、まだ何も出来るようになってない……。このままじゃ、私……。

 頭のなかがぐるぐるした。焦るし怖いし、全身の力が抜けそうだ。

 背筋がすぅっと冷たくなるのを感じていると、ツナはまた神妙に言葉を続ける。

「そ、それでさ、片桐が選ばれた天の守護者なんだけど……。天のリングは、もう完成された形のリングらしいんだ。だから、片桐が守護者になることは決まってて、片桐が戦う必要はないんだけど……。ただ……」

「……ただ……?」

 言葉を切ったツナの顔が、これまで以上に曇っていった。それを見て、心臓が嫌に跳ね上がる。 

 彼は一呼吸置いて、音羽に目線を合わせた。

「もし……オレたちが負けるようなことになって、ヴァリアーが勝ったら……。そしたらそのときは、片桐がヴァリアー側の天の守護者として、ボンゴレファミリーに加わることになるって……」

「…………」

 ついに、音羽は言葉を失った。

 ツナの言っている“意味”は分かる。

 こちらが負ければ、天の守護者に決まっている音羽は必然的にヴァリアーの所に行く。音羽だけが、ボンゴレファミリーの一員になる。
 
 ――でも、どうして突然そんな横暴な話になってしまうのか、理解はできない。

 音羽はツナたちだから、雲雀も選ばれてしまったから、その助けになりたいと思ったのだ。
 
 それなのに、音羽が一人守護者に選ばれてヴァリアーの所に行っても、何の意味もない。

 しかも暗殺のプロ集団の中に、こんな一般人がのこのこ入って行くなんて……。
 命知らずにも程がある。きっと暗殺なんてする前に、音羽の方がいつか暗殺されてしまうだろう。


 余りにも現実味のない恐ろしい未来を想像すると、何も言葉が出なかった。
 でも、それはもしかすると想像だけでは済まないかもしれない。しかも、近い将来、かも。

「あ、あの、でもっ! まだ負けるって決まった訳じゃないし!! オレたちも、片桐がヴァリアーの所に行かないよう頑張るから……!!」

「そうだぜ、片桐! 勝負はまだ始まってねーからな! オレたちが勝てばいいだけの話だ!」

「う、うん……」

 ツナは音羽を励まそうとしていたけれど、山本は心の底からそう思っているようだった。

 
 でも、たしかに山本の言う通り、勝敗なんてまだ分からない。

 ツナたちが勝つ可能性だって、ゼロという訳じゃないはずだ。だから、現段階ではそんなに落ち込む必要もないのだと、頭では分かっている。


 ――ただ……。

 もし万が一、ヴァリアーが勝ってしまったら……?

 音羽は一人イタリアに行くことになって、家族とも友達とも……雲雀とも、離れ離れになってしまう、のだろうか……?


「…………」

 押し潰されそうな不安。――ああ、このままじっとなんてしてられない。


「あっ、片桐!?」

「っごめん……! 私、ちょっと行ってくる!」

 音羽は困惑したツナの声に答えて、屋上へと急いだ。







 階段を駆け上がる音羽の頭の中には、ツナの言葉が巡っていた。

 思い出して、想像すると怖くなる、から。たった今聞いたことを、全部、雲雀にも聞いて欲しい。

 彼と一緒なら、音羽は何があっても大丈夫だと思える。どんなことがあっても乗り切ろうと、強い気持ちが湧いてくるのだ。

 ――だから早く、一刻も早く、彼に会いたい。

 息が苦しくなった頃には、屋上のドアの前に着いていた。急いでそれを開けると、外の空気がぶわっと入り込んでくる。

 そのまま、屋上に一歩足を踏み入れた瞬間。


「――!! 音羽さん! 今は……!」

「!?」

 草壁の、制止を促す大きな声が聞こえてきて。音羽は反射的にその場で足を止めた。

 何事かと思って正面を見れば、いつもと同じように雲雀と、ディーノ姿がある。けれど――。


「……!!!」


 二人は、血塗れだった。


 どちらの血を被っているのかも分からない。擦り傷、切り傷、打撲痕が、遠目から見てもはっきり分かる。

 血だらけの制服、ポタポタと地面に滴る鮮やかな赤――。今度こそ、身体から力が抜けていく。鞄が、手から滑り落ちる音が遠くに聞こえた。

 
 そこにいる雲雀の姿は、これまで見てきた修行の中で一番傷付いていた。なのに雲雀もディーノも、草壁が声を発したことにも、音羽が来たことにも気付いていない。

 それくらい、未だ戦いだけに意識を向けて、集中して、互いに睨み合っているのだ。
 彼等の姿に、嫌でも“あのとき”のことが蘇ってしまった。


「あ……」

 思い出すと、身体が勝手に震え出す。呼吸がどんどん浅くなって、息が、上手く出来ない。

 目の前の雲雀の姿が、黒曜ランドで見た彼の姿に重なった。

 彼にもうこんな怪我をさせたくないから、自分は、天の守護者になろうと、思ったのに。


「――っ、音羽さん!」

 視界の端から草壁がこちらに走って来るのと、目の前にいる雲雀とディーノが武器を構えて動き出したのは、ほとんど同時だった。

 ディーノの鞭が、トンファーを構える傷だらけの雲雀に向かって伸びて行く。
 その動きが、やけに遅く見えて。

 音羽は気付けば、二人の間に走り出していた。


「だめ――!!!」

「「!!」」


 叫んで、手を伸ばしたら――。

 カッ、とまばゆい光が、手のひらから溢れ出た。

 輝く光のその先で、雲雀とディーノが目を見開く。
 

「っ……!?」

 音羽も、驚いて足を止めた。

 まるで、日の光のような温かさ。けれど、月のように柔らかい光。

 溢れたそれは雲雀とディーノの周りを包んで、煌々と降り注いでいる。

「こ、れ……!」

 自分のなかにある何か――力のようなものが手のひらに集まって、それが光になるのがはっきり分かった。

 黒曜ランドで意識を失う直前に、薄っすら感じたものと同じ。それよりも、もっとリアルな感覚で――、今まで音羽がずっと求めていた感覚だった。


 顔を上げると、まだ少し驚いた様子の雲雀と目が合う。ディーノは嬉しそうに微笑して、服の袖を捲って掲げてくれた。

「……!」

 現れた彼の白い腕。
 そこには掠れたような血の跡がほんの少しだけあったけれど、傷痕は一つも見えない。

 ――やっと……! やっとできたんだ……!!

 とても、一言では表しきれない感情が胸に広がったら。

 手から零れていた光は、静かに音羽の内側に消えていった。





 雲雀が実際に音羽の力を目の当たりにしたのは、これが初めてだった。

 彼女の手から溢れた眩しくも温かい光に包まれたら、それまで感じていた身体の痛みがゆっくり消えて、楽になったのだ。
 
 破けた袖から切り傷のあった腕を覗けば、まっさらな肌。傷は全て塞がって、痕一つない。彼女の努力は、ようやく実を結んだ。
 

「――やったな、音羽!!」

「はいっ……、私……っ!」

 雲雀が音羽の方に歩き出すと、跳ね馬が横を足早に過ぎて行く。駆け寄った跳ね馬に音羽は大きく頷いた。

 余程嬉しかったんだろう、彼女は言葉も出ない様子で、大きな瞳に涙を溜めて。潤んだその目でその人を見ないで欲しいけれど、今の彼女は仕方がない。
 

「音羽……」

 案の定、ディーノが万感の思いでも込めたように音羽の名前を呼ぶので、雲雀は歩調を速めた。

 彼の手が、また、音羽の頭に伸びている。男の手癖の悪さに辟易しながら、トンファーを翻した。

「ちょっと……触らないでくれる?」

「あ……悪ぃ、恭弥……」
「っ……、雲雀さん……!」

 触られる前に跳ね馬の腕をトンファーで退けたら、目をごしごし擦って何も見ていなかった音羽がちょうど顔を上げる。

 彼女は雲雀を見ると、すぐに側に寄ってきた。嬉しそうな、キラキラした目。まるで子犬か何かみたいなその表情に、つい口が緩む。
 
「うん、頑張ったんじゃない」

「……!」

 半分見せつける意味も込めて音羽の頭を撫でてやると、彼女はぱぁっ、と素直に顔を綻ばせた。

 「なっ……」と、隣で跳ね馬が息を呑むのを良い気味だと思いながら、雲雀はそのまま、するりと音羽の頬を撫でる。


 途端、ほんのりと赤く染まる頬。
 恥ずかしそうに伏せた瞼をもう一度持ち上げて、彼女は頬に触れていた雲雀の手を両手でそっと取った。

 その小さな柔らかさに、絡んだ視線に、胸が締まるような感覚を覚えた。

「……」
 
 音羽は雲雀の腕をつぶさに見ると、傷の治りを確かめだす。
 手の甲、腕、顔。見える場所を一通り確認すると、やがて納得したのか雲雀の手をゆっくり放した。

「よかった……、本当に治ってた……」

 安心しきったようにほうっと深く息を付いて、音羽は目を細める。――刹那、その身体がふらりと揺れた。


「――あ、おい!」

「! 音羽、」

 雲雀は倒れ込んできた音羽の身体を受け止めて、その顔を覗き込む。

 彼女は気の抜けた表情のまま目を閉じて、すやすやと眠っていた。
 きっと、力を使った疲労のためだ。黒曜ランドの一件で、彼女がしばらく眠りこけていたという話を思い出す。


「寝ちまったみてーだな……。どうすんだ、恭弥?」

「……家まで届けてくるよ」

「お前、音羽には言ってんのか? 並盛を離れること」

「…………」

 雲雀は答えず、腕の中にいる音羽の寝顔を見つめた。


 ――跳ね馬曰く、これから数日間、色々なシチュエーションで鍛えるために海やら山やら、あちこちで特訓をするらしい。

 馬鹿なことを考えるものだと思うが、確かに環境が変われば戦い方も変わってくるだろう。
 
 そのために雲雀はしばらく並盛を離れるのであるが――それはつまり、音羽にも会えなくなるという訳で。

 彼女には今日中に伝えるつもりをしていたが、言うタイミングを逃してしまった。

 
「……」

 雲雀は音羽の身体を横抱きに抱え直し、草壁が開けたドアから屋上を出た。
 階段を下りながら、何度でも彼女を見下ろす。

 ――本当は、音羽のことも連れて行ってしまいたい。自分の目の届かない場所に、彼女を置いておきたくなかった。

 だが、一緒にいれば音羽が無茶をすることは明らかだ。

 きっと根を詰めて力の開花を急ぐだろうと思っていたが、その力が開花した今、彼女は雲雀が怪我をするたびにこの力を使おうとするに違いない。

 今の状態を見れば、やはり音羽を連れて行くことは出来なかった。

「……僕が戻るまで、大人しく待ってなよ」

 雲雀は音羽を抱く手に力を込めて、眠る彼女に囁いた。


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