22話 目に見える言葉

 並盛山を下山して、音羽は急ぎ足で学校に向かっていた。
 
 昼間に並盛山を出たはずなのに、バスを待つ時間も含めて四時間くらい移動に掛かってしまったから、空も町ももう夕焼け色に染まっている。
 
 でも、苦労して行った甲斐があった。
 
 怖い気持ちも不安な気持ちも、きっと皆同じなのだ。それを抱えながらも、仲間を守りたい一心で各々が強くなろうと努力している。

 ツナたちと話してそれを知ることが出来たから、気持ちが随分落ち着いた。
 一人で頑張っている訳じゃない。


 ――私も、雲雀さんを守りたい。その気持ちがあれば、きっと強くなれるよね……?

 もらった答えを刻み込むように、音羽はぎゅっと手を握る。


 雲雀の顔を思い出したら、住宅街を歩く歩調は自然と速まっていた。

 彼はまだ、学校にいるだろうか?

 足は誇張なく棒みたいで既にへとへとだったけれど、それよりも彼に会いたい。

 今日は何も言わずに学校を休んでしまったし、何となく、雲雀にさっきまでの出来事を伝えてから帰りたくて、音羽は並中までの道を急いだ。





 下校中の並中生とちらほらすれ違っているうちに、音羽は夕陽に照らされた並中の前に到着した。生徒たちに逆流して門を潜り、校舎の中に入って行く。

 きっと雲雀は屋上だ。ひょっとしたら、まだディーノとの修行を続けているかもしれない。

 廊下を走って階段を駆け上がり、音羽は息を切らしながら屋上のドアの前まで行った。
 そっと、ドアノブを回して開ける。


「――あ、れ……?」

 ドアの向こうには、フェンスで型抜きされた朱色の空だけが広がっていた。ひつじ雲があたたかい色に染まっている。

 ――探していた姿は……、見当たらない。

 絶対ここだと思ったのだけど、どこに行ったんだろう? もしかして、もう帰ってしまった?

 きょろきょろ辺りを見回したあと、音羽は屋上から首を引っ込めた。

 ……ひょっとしたら、まだ応接室の方にいるかもしれない。行ってみよう。

 そう思って、ドアをそろりと閉めようとしたとき。


「――音羽?」

「! ……ディーノさん?」

 朱色の屋上から確かにディーノの声がして、音羽は引き掛けていたドアノブを再度押し戻した。

 声のした方に歩いて行けば、塔屋の影になった場所にディーノが座り込んでいる。

「……! ディーノさん、その怪我……!」

 彼の姿を目に留めて、音羽は息を呑んだ。

 ディーノはこれまでの修行では見たことがないほど、あちこちを絆創膏や包帯で手当てしていた。

 しかもその上から、また新しい血が滲み始めている。どう見ても掠り傷程度じゃない。

「大丈夫だ、音羽。大したことない。……今日は、恭弥の機嫌が特別悪くてな。手に負えなかったぜ」

「雲雀さんの……?」

「ああ。音羽も、恭弥の怒りが収まるまでは会わない方がいいかもな」

「……?」

 苦笑するディーノに、音羽は目を瞬かせた。

 雲雀の機嫌がそこまで悪いなんて、何があったんだろう……?

 でも、ディーノ本人も言っているし、何より彼の怪我の度合いを見たら間違いはなさそうだ。雲雀に、何かあったのではないかと気になって、そわそわしてしまう。

「――で、音羽。ツナたちには会えたか?」

「あ……はい、会えました」

 ディーノがゆっくりとその場で立ち上がったので、音羽は彼に意識を戻して答えた。

「リボーン君とバジル君にも会って……。みんな頑張ってるんだって知ることができたら、ちょっと元気が出ました」

「そっか、よかったな」

「はい」

 眩しい夕陽を背にしたディーノの顔は、逆光になって見え辛かった。

 でも、彼がいつもと変わらず穏やかに微笑んでくれているのが、何となく見える。音羽も、にこりと微笑み返した。

「やっぱりまだ力は使えないんですけど……。でも、みんなのために……雲雀さんのために、もっと頑張ってみます」

「…………」

「? ディーノさん?」

 口を噤んだディーノが、どこか苦しそうに眉を寄せた気がして。
 音羽は、彼の顔を見上げて目を凝らす。


 ……けれど、気のせいだったみたいだ。
 ディーノはさっきと同じように笑って、音羽の頭をぽんぽんと、手を載せるくらいの力で撫でる。

 雲雀以外の男の人に触られたことはなかったから、少しだけ驚いたけど……。

 ディーノのそれは触れるというより、もっと軽いものだった。きっと、教え子である自分を励まそうとしてくれているのだと、音羽はすぐに理解する。

 これが、外国人特有のスキンシップか……と納得しているうちに、ディーノの手は離れていった。

「……音羽なら、絶対大丈夫だ。オレが保証してもいい。だから、明日からまた頑張ろうな」

「はい!」
 
 今朝まではちょっと落ち込んでいたけれど、一人じゃないことを再確認できたら、まだまだ諦めずに頑張ろうという気持ちになる。

 ディーノが、ツナの所に行くことを勧めてくれたお陰だ。

「ディーノさん、今日はありがとうござい――」

 ました、と、お礼を言おうとしたら。


 ――バタン。

「!!」

 ドアの閉まる音が響いて、音羽は慌てて出入り口を振り返った。

 そこには誰の姿もないけれど、こんな時間にここに来る人なんて、彼しか思い浮かばない。

「っ私、行かなきゃ……! ディーノさん、今日はありがとうございました! また明日……!」

「あっ、音羽!」

音羽は早口に言って駆け出すと、急いでドアを開けて屋上を出て行った。


「あー……これはちょっと、マズいかもな。恭弥が今のを見ちまってたら……」
 
 音羽を見送り、ディーノは苦い顔で頭を掻く。恐らく明日は、今日よりもっと機嫌の悪い雲雀と会うことになるだろう。

 ディーノはしばらく、ドアを見つめて立ち尽くしていた。







 屋上のドアから飛び入って、音羽は階段を駆け下りた。

 ――すぐに追いかけたはずなのに……! 雲雀さん、どこに行っちゃったんだろう……!?

 まるで瞬間移動でもしてしまったみたいに、雲雀の姿は周囲のどこにも見えない。

 でも、さすがに学校にはまだいるはずだ。だとしたら……やっぱり応接室、だろうか?


 音羽は目的地を応接室に変更して、廊下を走った。

 屋上まで来たのなら、彼も音羽の存在には気付いたはずだ。出入り口から見えるところに立っていたから。

 けれど、どうして何も言わずに帰ってしまったのだろう……? 雲雀の機嫌が悪いと聞いたさっきみたいに、胸がそわそわ落ち着かない。

 早く、彼に会って話したかった。
 何だか、そうしなければいけないような気がする。


 感情に急かされるまま駆けて行き、音羽はようやく応接室の扉の前で立ち止まった。

「雲雀さん、失礼します……」

 まだ息が乱れたままノックをして、声を掛ける。

 ……でも、返事がない。
 いつもすぐ返してくれるはずなのに。

 ――おかしいな……。もしかして、居ないのかな……?

 首を傾けながらもう一度ノックをしてみるが、やっぱり返事はなかった。
 いつもと違うことばかりで、段々不安になってくる。


 本当は勝手に入っちゃいけないと思ったけれど、どうしても確かめたくて。
 音羽はそっと、扉の引き手に手を掛けた。

「……!」

 ゆっくり扉を開けると、雲雀はソファの長椅子に腰を掛けていた。

 まだ電気を付けていない薄暗い室内でも、雲雀の後ろ姿が見えただけで少し安心する。
 やっぱりまだ帰ってなかったんだ、と彼に会えたことが嬉しかった。


 ――でも、雲雀はやはり、一向にこちらを振り返る気配がない。

 何かあったのは確かなようだ。ディーノも、今日の雲雀は特別機嫌が悪いと言っていた。


「あの……雲雀さん……?」

 おずおずとその背に声を掛け、音羽は意を決して雲雀のいるソファに近付いた。

 雲雀に対して、こんなに近寄り難いと感じたのは初めてかもしれない。
 そんなことを思いながら数歩進むと、彼はようやくこちらを振り返ってくれる。


「っ!」

 雲雀と目が合って、音羽は思わず身を竦めた。

 こちらを射抜く彼の瞳が、とても鋭い。これまでに、向けられたことがないくらい。

 
 ――雲雀は、どう見ても怒っていた。
 それは間違いなく音羽に向けられているもので、心臓がいつもとは違う意味で跳ね上がる。

 彼は緩慢な動作で立ち上がると、音羽の方に歩いて来た。威圧感に堪らず後退りしたくなったけれど、それを必死で我慢する。

「音羽……君、今日何してたの?」

「え……今日は、沢田君とリボーン君のところに行って、守護者の話をしていました……けど……、」

「ふぅん」

 冷たい声の理由を求めて雲雀を見上げたら、彼は興味なさそうに返事して、けれども眉根をきつく寄せる。

 ……どうしよう……、きっと彼の気に障るようなことを何かしてしまったんだ。感じたこともない不安が、胸にどっと押し寄せてくる。

「あ、の……雲雀さん……? 私、何かしてしまいましたか……?」

 すぐにでも謝りたい気持ちになりながら、でもやっぱり原因が分からなくて雲雀を見つめた。
 
 彼に嫌われてしまうのが、何よりも怖い。


「……音羽」

 雲雀はこちらをじっと見下ろし、低い声で呟いた。

「君は、僕のものだという自覚が全くないようだね」

「……え? それってどういう――、っ?!」

 口を開いた瞬間、考える間もなく雲雀に腕を掴まれた。
 びっくりしていたらあっという間に景色が反転して、背中が柔らかい物に押し付けられる。

「!」

 咄嗟に目を瞑り、慌てて開ければ天井が。すぐ目の前には、まだ怒っている様子の雲雀が映る。

 ――音羽はなんと、彼の手でソファに押し倒されていた。


「っ……」

 当然のことかもしれないけれど、雲雀の顔が、すごく近い。
 初めて下から見上げるその表情は、怒っているはずなのにとても綺麗で――勝手に、頬が熱くなる。

「…………、!!?」

 とても直視してられず視線を横に逸らした、ら。とんでもないものが目に飛び込んできて、音羽は硬直した。

 ――す、スカート……!!捲れてる!!!

 倒れた勢いで、裾が太ももの際どい所まで。そのうえ、雲雀の膝が音羽の脚のあいだに入っている……、閉じられないし、まさかと思う光景に目を疑った。

「ひ、雲雀さん……! や……っ、!」

 恥ずかしさで発熱しそうになりながら、せめてスカートを直そうと慌てて身体を起こす。が、雲雀にすぐ両手首を掴まれて、そのまま一纏めに頭上のソファに縫い付けられてしまった。

「っ……!」

 完全に、身動きが取れなくなる。

 抵抗するというより、恥ずかしさに堪えきれなくてもがいてみたけど全然駄目、どうにもできない……。

 目にじわ、と涙が滲んでくる。

「雲雀さんっ……」

 堪らず雲雀を見上げて訴えたら、彼は今日初めて、愉しそうに笑った。

「いい顔。恥ずかしいの? 音羽」

「だ、だって……! 雲雀さんが……!」

「僕が、何?」

「……っ……」

 押し倒してるから、と口にすることは出来なかった。だって、そんな、恥ずかしい。とてもじゃないけど言えない。
 
 唇を噛むと、雲雀は面白そうに音羽を見る。空いたもう片方の手で音羽の頬をするりと撫でて。いつもと、同じ触れ方で。

 それが、すごくずるい。

「っ……、」

「ねぇ、君はあの草食動物なんかに会うために、学校を休んだの? 僕に、何の連絡もしないで」

「……!」

 考えてもみなかった彼の言葉に、音羽は目を見開いた。

 その言葉は、まるで――。

「!!」

 思った瞬間、雲雀が肘を折った。さらに顔が近付いて、意識がすぐ視覚に向かう。

 今にも、鼻先が触れ合ってしまいそうな距離。

 雲雀の綺麗な切れ長の瞳に見据えられたら、いつもより速い鼓動を刻んでいた心臓が、さらに加速してしまう。

 それが苦しい、くらい、で。
 思わず息を呑むと、彼はゆっくり目を細めた。

「……君は僕のものだって、ちゃんと自覚させてあげる」

「えっ……雲雀さ――、ひゃっ?!」

 雲雀の言葉にドキッとしたのも束の間。
 彼の顔が突然首筋に埋まり、音羽は身体を跳ねさせた。

「っ、や……、ッ、ふ……!」

 雲雀のさらさらした髪の毛先が。吐き出された小さな吐息が、頬や首に当たって物凄くくすぐったい。身を捩って、笑いそうになるのを何とか堪える。

「っひ、雲雀、さんっ! 待っ、くすぐった――、ッ?!」

 訴えようとした瞬間、首筋に初めての感触が這って音羽は目を見開いた。


 ぴちゃぴちゃと湿った音。温かくてぬるぬるした、柔らかい感触。
 うそ、舐められ、てる……!?

「雲雀さ、ん! 待って、っ、……ぁ!」
 
 彼を止めようと声を上げるけれど、何か……言い様のない感覚に襲われて、言葉が上手く発せない。

 さっきのくすぐったさとは全然違う、雲雀の舌が首を這うたび、背中がひくんと跳ねてしまって。こそばゆいだけだったはずの彼の息も、唾液で濡れた場所に当たるだけで声が出そうになる。
 
「んっ……っ! 雲雀さん、だめ……っやめて、ください……!」

 早く彼を止めないと、いつかおかしな声を出しそうだった。そんなの絶対無理、恥ずかしすぎて死んでしまう。

 なのに、雲雀の力はとても強かった。音羽が抵抗したくらいではびくともしない。

「雲雀、さんっ、ほんと、に……っ!」

「……やめないよ、君がちゃんと理解するまではね」

「ッひぁ……!!」

 ちゅ、と肌にやさしく吸い付かれたと思ったら、首と肩の付け根の所をかぷりと甘噛みされて、痺れるような感覚が身体に走った。

 堪えていた声をとうとう漏らしてしまうと、雲雀が少しだけ顔を持ち上げる。

「へぇ……君ってそういう声で啼くんだ?」

「!! やっ……!」

 意地悪く、機嫌良さそうに雲雀が口の端を吊り上げて、音羽は彼から顔を背けた。頬が一気に、かぁっと火照る。

 今すぐ自分の口を塞ぎたい。何なら顔も覆ってここから飛び出してしまいたけれど、両手の自由は雲雀に奪われてしまっている。

 逃げも隠れも出来ない恥ずかしさに追い詰められて、目尻にどんどん涙が溜まった。

「ねぇ、音羽」

「っ……ぅ……、」

 こちらを見下ろす雲雀に呼ばれ、少しだけ彼の方に顔を向ける。ぽろ、と涙が零れ落ちた。

 雲雀は音羽の目をじっと見つめて――。
 ぽんぽんと、軽く載せるように頭を撫でる。

「あの人にこうされて嬉しかった?」

「……!!」

 “あの人”。

 雲雀がそう呼ぶ人物を、音羽の頭をそういう風に撫でた人を、音羽は一人しか知らない。

 さっきから自分の中に浮かんでいた答えが、確信に変わっていく。

 音羽は、雲雀の問いかけに否定の意味を込めて、ぶんぶんと首を横に振った。


「っ……雲雀さん、ごめんなさい……!」

「……、」

 瞳を見つめて謝ったら、雲雀はそれを僅かに瞠る。音羽はそのまま言葉を続けた。

「今日、雲雀さんに連絡するか迷いました……。でも……、迷惑になるかもしれないと、思って……」

「……迷惑? なぜ?」

「だって……雲雀さんは風紀の仕事もあるし、修行だってあるから……。いちいち連絡なんてしたら、迷惑かなって……、」

「…………」

 彼の反応が怖くて、段々、声が小さくなった。視線を逸らす変わりに瞬けば、雲雀は目を丸くしている。

 少しして、彼は呆れたように溜息をついた。

「はぁ……本当に君は。馬鹿にも程があるね」

「ば……っ、!?」

 これまで面と向かって人にそう言われたことはあまりなかった気がして、音羽は雲雀の言葉に軽く衝撃を受ける。
 ぽかんと口が開いたままの音羽を、彼は気にも留めていない。

「君はもう僕のものだ。僕のものが僕に連絡をするのは、ごく当然のことだよ。……それに――」

 雲雀は言いかけて、手で音羽の頬を包み込んだ。

「こうして君に触れていいのも、僕だけだ」

「っ……!」

 雲雀は音羽の目の下を親指でゆっくり撫でると、瞳の色を和らげる。
 心臓を鷲掴みにされたみたいに、ぎゅっと胸が苦しくなった。

 多くを語らない彼は、いつもその目で確かな言葉を伝えてくれる。だから音羽も、気付けば声に出していた。

「私も…………、私も、雲雀さんだけがいいです……っ」

「……当然だね」

 雲雀はふ、と不敵に微笑して、掴んでいた音羽の両手を放してくれた。

 そのまま彼に抱き起こされて、音羽は急いでスカートを直し、ソファに座る。


 雲雀は、目尻から流れた音羽の涙を指先で拭って、視線が絡むといつものように微笑んでくれた。

 彼のご機嫌が完全に元通りになったのを感じて、ほっとする。それに……すごく、嬉しい。


 だって、これはたぶん……ヤキモチというものだ。あんなに群れることを嫌っている雲雀が、まさかこんなに独占欲が強いなんて思わなかったし、きっと誰も信じられないと思うけれど。 

 でもそれは、どれもこれも音羽のことを好きでいてくれている証拠だから。だから、すごく嬉しい。


「これからは、僕のものだって自覚をちゃんと持ちなよね」

「はいっ!」

「……何嬉しそうにしてるの?」

 ついにっこり笑って答えてしまうと、雲雀はまた怪訝な顔。音羽は眉尻を下げて、肩を竦めた。

「ごめんなさい、つい嬉しくて……」

「嬉しい?」

「はい。だって、雲雀さんの気持ちが伝わるから……。……雲雀さん。私も、雲雀さんが」

 大好きです。

 そう、伝えようとしたら。


「ん……っ」


 唇を、雲雀のそれで柔らかく塞がれた。


 突然のことに驚いて身体が硬くなったけれど、雲雀のキスが、とても優しくて。温かさに、少しずつほどけてしまう。

 目を閉じると、胸の奥まで幸せが広がった。緩やかに心拍数が上がっていく。苦しいのに心地良いなんて、不思議だった。


 ――どれくらいそうしていただろう。食むように触れるキスを繰り返し、やがて雲雀がゆっくりと離れていく。

 目を開けると、彼は楽しそうに口元を緩めていた。

「顔、真っ赤だね」

「だ、だって……、」

「初めてなんだ?」

「!」

 思わず口籠った部分をさらりと言われ、増々頬が熱を持つ。何も言えなくなって俯くと、頬に触れられて上を向かされた。

「ねぇ、さっきの続き、言ってよ」

「つづ、き……? あっ……!」

 さっき言おうとしていた、“続き”。なんて、

 恥ずかしいから、もう言えない。あのときなら、流れでちゃんと言えたのに……。


 ……でも、やっぱり彼には伝えたかった。
 彼が誰より大切で、誰より一番に想っていること。

 音羽は彷徨わせていた視線を雲雀に向け、唇を動かした。息を吸って、喉の奥から声を絞り出す。

「わ、私も…………雲雀さんが、」
「恭弥」

「え……?」

「恭弥って言って。音羽」

「……!」

 雲雀の悪戯な微笑みに、息を一瞬忘れてしまった。
 
 名前で、なんて、今まで呼んだことがないのに。ただでさえ、気持ちを言葉にすることに、信じられないくらい緊張しているのに。

 こんなタイミングで彼に言われたら――、どれだけ恥ずかしくても言うしかなかった。


「……っき、恭弥、が……大好き……っ!」

 もう破れかぶれで言ってしまうと、彼は満足そうに目を細めた。明らかに確信犯な彼の顔を見たら、やっぱり激しい羞恥心に襲われる。

 ああ、恭弥なんて……! 名前で呼んでしまった……!

 今にも飛び出したい気持ちになりながら、音羽は発火しそうな顔を両手で覆った。

 すると、雲雀にその手を押さえられて、取り払われる。真っ赤になった顔を覗き込まれた。

「可愛いよ、音羽」

「っ……! もう、やだ……! 雲雀さん、何も言わないで下さい!!」

「どうして? 可愛いから可愛いって言ってるだけなのに」

「〜〜っ!」

 完全に揶揄われている。
 こちらの反応を面白がっている雲雀を、軽く睨みつけたけれど。

 彼にとってそれは、きっと大したことではなかったのだろう。雲雀は小さく笑って、こちらに顔を近付ける。

 ぁ……、と声の漏れた唇を、彼はまた、自分のそれでゆっくり塞いだ。



「っ……」

 雲雀がキスすると、音羽はぎゅっと目を閉じて息を止めた。

 たった今拗ねていたくせに、拒まず自分を受け入れる彼女が心から愛おしい。

 初めて奪った口付けも、名前を呼ばせた声も。全部、自分のものだ。
 何一つ余すことなく、音羽の全てを自分のものにしたい。

「んん、っ……」

 つい、自分が満足するまで続けようとしていたら、音羽がくぐもった声を出した。
 唇を放してやれば音羽は少し苦しそうに眉を寄せ、すぐに息を吐いて吸う。

 そんな些細な表情、仕草に、笑みが零れた。


 ――僕をこんな風に出来るのは、君だけだよ。

 想いを込めてもう一度唇を重ねたら、音羽はまた大人しく受け入れた。

 今度はすぐに放してやると、彼女は潤んだ目をこちらに向ける。

 恥ずかしそうに、けれどそれよりも幸せそうにはにかんだ音羽の額に。雲雀はこつんと自分の額を当てて、音羽の身体を柔らかく抱きしめた。


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