14話 ひとあしの運命

「――ここが、黒曜ランド……」

 音羽は息を呑んで、荒廃しきったその施設を外側から見渡した。
 半分ほど土砂で埋まってしまったらしいそこに、人の気配は微塵もない。

 しかし、ここに雲雀がいる――。

「……、」

 音羽は恐怖心を振り払い、敷地の柵に近付いた。
 目の前にある鉄の門は少しだけ開いていて、足元には古びた鎖が。

 誰か、ここから中に入ったらしい。
 ……あるいは、犯人の出入り口か。

 ごくり、と生唾を飲み込んで、音羽は門を潜った。


 来たこともない施設内。
 管理も成されず鬱蒼としてしまった森があったり、すっかり寂れてしまった建物があったり……。
 雲雀は、どこにいるのだろう。

 普通に考えると、奥に見えている一番大きな施設――『黒曜ヘルシーランド』の看板を掲げている、あの建物、だろうか。

 ……一先ず、そこに行ってみよう。雲雀に繋がるような手がかりが、何か見つかるかもしれない。


 音羽は舗装された跡のある道に沿って、奥へと進んで行った。
 
 当たり前だが、人の姿は全くない。犯人が近くに居そうにないのは良かったが、しんと静まり返っているのも逆に何だか怖かった。


 ビクビクしながら進んでいるうち、音羽は幾つか、新しそうな“跡”を見つけた。

 人が走って、急に止まったような足跡。脆くなって崩れたと言うより、爆破されて壊れたような建築物。

 戦闘の痕、なのかもしれない。
 
 ひょっとしたら、雲雀だろうか。だとしたら、方向はこちらで合っているということだ。……そう、信じたい。

 いつ、誰に襲われるか。音羽は不安な気持ちのまま、警戒心を緩めずに前へと進む。


 こんな所に一人で来るなんて、自分でもやっぱり馬鹿だと思う。
 
 でも、何より雲雀に会いたい。音羽を突き動かしているのはそれだけだ。

 自分の気持ちを奮い立たせて歩き続けていると、段々と目の前の景色が(ひら)けてきた。目標にしていた建物にも、少しずつ近付いている。

 あと、どれくらい歩けば着くだろう?

 そんなことを考えていると。


「……!」

 前方から人の声が聞こえてきて、音羽は身を固くした。

 ……もしかして、犯人……? 途端に、心臓がバクバク音を立て始める。
 
 音羽は足音を忍ばせて、近くの木陰に隠れた。そっと歩いて木の向こうを覗き見ると――、見覚えのある姿が、目に飛び込んでくる。


「――沢田君……!」

 前方には、なぜかパンツ一丁のツナが。

 それに、保健室に運ばれたと聞いていた獄寺と、面識のない綺麗な女性に、リボーン。
 そして、口の端から血を流してしゃがんでいる、見知らぬ男がいる。

「片桐ー!!?」

 思わず木陰から一歩出てしまった音羽に、ツナが真っ先に気付いて叫んだ。

 犯人じゃなくて良かった、と胸を撫で下ろしたのも束の間、状況が全く分からない。
 音羽は狼狽えて辺りを見回した。


 ツナも、その男性も、どちらも傷だらけでボロボロだ。まるで、今の今まで戦っていたみたいに……。

 けれど、どうしてだろう。

 男性は顔つきこそ怖くて乱暴そうなのに、纏う雰囲気が、どこかそれに釣り合わない。
 不思議と恐怖心が沸いてこなくて、音羽は目を瞬かせながら彼等の方に近付いた。
 

「片桐……!お前、何でこんな所に……!」

「あ……、えっと……」
 
 獄寺に言われて、音羽は口籠った。

 何から話せばいいだろう。寧ろ、獄寺たちの状況の方が気になるのだけれど……、と思いながらも言葉を探していたら。

「……片桐……?」
 
 あの見知らぬ男性が音羽の名を呼んで、怪訝そうな顔を上げた。

 鋭い三白眼と視線がぶつかると、彼はなぜか、音羽を見たまま瞠目する。

「!お前……まさか、片桐音羽か……!?」

「……え?」

 どうして、私の名前を?

 当然分からず、音羽はぽかんとして男性を見た。

「えぇっ!?あなた、片桐を知ってるんですか!?」

 驚いたのは、ツナたちも同じだったようだ。彼も大きな声を出す。

 だが――。

「なぜここに来た!?」

「え……、あの……」

 男性はツナには答えないまま、咎めるような口調で音羽に言った。

 その声が、なぜかとても危機迫っているようで。

 真剣な瞳と、必死にも見える形相に、音羽は気圧されながらも何とか答える。

「私、雲雀さんの所に……」

「駄目だ!!お前は、ここに居てはいけない……!!骸はお前を狙っている!!」

「……!?」

 彼のその言葉に、音羽は息を呑んだ。


 “骸”――。
 それが誰なのかは分からないけれど、恐らくここに居る犯人の名前だ。

 ……でなければきっと、この人がこんなに懸命に止めてくれる訳がない。

 そこまではすぐ察しがついたものの、彼の言葉に実感はなかった。

 まさか、犯人の狙いが自分だなんて。突如そう聞かされても、音羽は犯人の名前も知らなければ、自分が狙われている理由も分からない。心当たりすら、一つも。

「!……まさか、骸の狙いがオレたちだけじゃないって、片桐のことだったの……!?ど、どういうことですか!!?」

「……いいか。よく聞け、ボンゴレ」

 ツナに問われて、男性は躊躇うような仕草をしたあと、ややあってツナを見上げた。

「……骸の、本当の目的は――、ッ!!どけっ!!」

 急に声を荒げた男性は、眼前のツナを思いっ切り突き飛ばす。

 
 ――その瞬間、ビュッ、と風を切って、何かが男性目掛けて飛んできた。


 余りの速さに、目で追うことは出来なかった。
 
 気が付けば、男性の左腕から胸にかけて、無数の針が刺さっていて。そこから、まるで水のように血が溢れている。


「……!」

 その、鮮烈な赤を見たら。
 急速に身体の芯が冷えていった。

 目の前に見えているこの光景は、本当に現実、なのだろうか。音羽の、妄想ではなくて?

 ついそう思ってしまうくらい、見えているものに現実味がない。音羽は震えそうな手を片手で押さえ、何とか崩れないよう踏ん張った。


「メガネヤローだ!」

「行ったな……一撃離脱か」

 獄寺が後を追おうとしていたが、リボーンの言葉で追跡を止める。

「山本武は無事よ!」

「!!」

 あの綺麗な女性の声がして見てみたら、なんと山本が木に凭れて座っていた。
 動かない所を見ると、気を失っているのかもしれない……。


「ああっ!!」

「!」

 そうこうしていたら、今度はツナの悲鳴が聞こえた。

 あの男性が、地面に倒れてしまったのだ。
 彼がツナを庇って怪我をしたのは、余りにも明白で。

「っ……!」

 音羽はもう、堪らない気持ちになって彼等の元に駆け出す。


 ツナは男性の側に屈んで、その身体を揺すっていた。

「目的は口封じだな」

「っそんな!大丈夫ですか!?しっかりしてください!!」

「……は……、散々な、人生だったぜ……」

 ツナが叫ぶと、男性は僅かに口角を上げて自嘲気味に笑う。

「そんな……。あっ……!」

 青白い顔で瞳を揺らしていたツナは、慌てた様子で男性の顔を覗き見た。

「あなたの、本当の名前は!?六道骸じゃない、ちゃんとした名前があるでしょ!?」

「…………オレ、は……ランチア……」

「!しっかりしてください、ランチアさん!!」

 息も絶え絶えに答えた男性――ランチアに、ツナは目に涙を浮かべて呼び掛ける。

「その名で呼ばれると……昔を、思い出すぜ……。昔の、オレの……ファミリー……。これで、みんなのもとへ行ける、な……」

 呟くようにそう言って、ランチアは、静かに目を閉じた。

「そんな……!!ランチアさん!!!」

「っ……」

 ツナは、彼の名前を呼びながら泣いていた。
 倒れているランチアの頬にも、薄っすらと涙が伝っている。


 喉が詰まって、言葉が何も出てこなかった。

 何が何だか事情が分からなかったとしても、彼は、ツナを庇ってくれた人だ。
 ツナを見ていたら、彼が悪い人ではなかったのだということは痛いほどに伝わってくる。

 だから、いつも心優しいツナが今、どれだけ苦しんでいるのかも。決して全てとは言わないけれど、彼の横顔が伝える分だけ、音羽にも分かる。 


「散々利用しといて、不要になった途端……。クソッ、これがあいつらのやり方かよ!」

「人を何だと思ってるの?六道骸……」

 吐き捨てるように言った獄寺と女性の言葉に、ツナがすっくと立ち上がる。

「やっぱりあいつ、ムカツクよ。……行こう、骸の所へ」

「だが、最後の切り札は使っちまったぞ」

「分かってる……。でも……六道骸だけは何とかしないと!!」

 ――言い切ったツナは、いつものツナとは違っていた。

 山本や、ランチア。大切な人を傷付けられて怒っている今の彼の瞳には、かつて彼に見たこともないほどの、強い決意がある。


「…………」

 音羽は、まだ微かに震えている自分の手を見下ろした。


 この先に見るものは――さっきの、現実味のない景色ばかりなのかもしれない。

 今、雲雀の元に行くということはきっと、そういうことだ。


 頭が、真っ白になりそうなあの感覚。本当の恐怖が勝ると、立っているだけで精一杯なのだと初めて知った。

 ――怖い。
 なんの誇張もなくそう思う。


 ……けれど――。
 
 引き返すなんて選択肢は、やっぱり音羽のなかに生まれなかった。

 
 例え危険を目の当たりにしても、巻き込まれても。

 今、雲雀に会いたい。

 彼にもしものことがあったら。このまま、会えなくなってしまったら。

 そんな不安を抱える方が、音羽にはずっとずっと、怖かったのだ。

 
 自分には何も出来ないと思う。
 でも、覚悟だけはもう決めてきたはずだ。
 ツナの瞳に、音羽はそれを思い出す。

 息を吸って、音羽はツナたちを真っ直ぐ見た。


「――あの、沢田君……。私も、雲雀さんを探しに来たの……。だから、一緒に行っていいかな?」

「!片桐……!でも……」

「ランチアが骸の――、敵の狙いはお前だって言ってたんだぞ……!?」

 諫めるようなツナと獄寺の声に、音羽は握った拳に力を籠める。

「分かってる……。せっかくランチアさん、が……教えてくれたのに。……でも私、……どうしても、雲雀さんに会わなきゃ……!」

 骸という犯人の狙いが、本当に音羽だったとしても。ここで、一人逃げたくない。
 
 山本もランチアも傷付けたその“六道骸”という人が、もし、雲雀のことも傷付けていたのなら尚更だ。
 

「……あなた、本気なのね。愛のために、行くんでしょう?」

「!」

 僅かに落ちた沈黙のなか口を開いたのは、獄寺の隣にいたあの綺麗な女性だった。

 彼女の言葉に音羽は目を見開き、そして、強い意志を込めて頷く。
 
 すると女性はふっと微笑して、音羽の肩に優しく手を載せてくれた。

「……だったら行きましょう。あなたのことは、私たちが守るわ」

「ああ、どうせ骸のことだ。音羽をここで避難させても、どうせまたつけ狙ってくるだろうからな。だったら、一緒に行ってケリ付けた方が良いだろ」

「リボーン君……」

 きっぱりと、頼もしく言い切ってくれた女性とリボーンに、音羽の目は潤んでしまった。

 まだ早いのに。緊張が少し、ほどけてしまったのかもしれない。
 感謝の気持ちを込めて二人に微笑むと、女性は目を細めて音羽を見たあと、ツナと獄寺を振り返った。

「いいわね、ツナ、隼人。この子のことは私たちで守るのよ」

 ツナと獄寺は、少し躊躇ったように顔を見合わせる。
 けれど、ややあって二人とも、こくりと深く頷いてくれた。

「そうだよな……片桐だってずっと、雲雀さんのこと心配してたんだよな……。……分かったよ、片桐のことは、オレたちが必ず守るから……!」

「雲雀のためってのが気に入らねーが……、しょうがねーな。……側、離れんじゃねーぞ」

「っ……ありがとう……!沢田君、獄寺君……!」

 二人が承諾してくれたことが嬉しくて、音羽は笑顔でお礼を言った。


 ――リボーンは、照れるツナと獄寺を横目に見て、それから音羽に目を留める。

 六道骸の目的は、ツナと、そして音羽。

 なぜ、並中喧嘩ランキングにもマフィアにもそう関わりのない音羽が、骸の標的になっているのか……。流石のリボーンでも見当が付かなかった。

 ――行ってみるしかねーな……。


 音羽を加え、一行は更に先へと進んで行く。







 それから――。

 ツナが予備の服に着替えている間に、リボーンがランチアと山本の容態を確認してくれた。

 ランチアは解毒が間に合えば助かるらしく、解毒剤を持っている“ヨーヨー使い”という人を探すことになっている。
 
 山本は、変わらず気を失ったままだったのであの場で待ってもらうことにした。


 ――音羽は、骸がいると思われるあの大きな建物へと向かう道中、これまでに抱えていた疑問を全て、彼らに尋ねた。

 ツナは、余り音羽には聞かせたくないようだったけれど……。
 リボーンが「ここまで巻き込まれて何も知らねーのは酷だろ」と言ってくれて、教えてもらうことが出来た。

 
 ツナが、実は“ボンゴレ”というイタリアンマフィアの十代目候補であること。

 そして、そのツナを立派な十代目にするために、リボーンがイタリアからやって来たこと。
 
 音羽の同行を一番に認めてくれたあの綺麗な女性――ビアンキは、獄寺のお姉さんだったこと。


 それから今回の事件のあらましや、敵の――六道骸たちについて。山本が気絶してしまった理由、ランチアのこと。死ぬ気弾と呼ばれる特別な力のこと。

 それこそ、全てと言っても過言ではないくらい、彼等は音羽に教えてくれた。

 とてもすぐには信じられないことばかりだったけれど、思い当たる節も確かにあったのだ。主には、ツナの家に行かせてもらったあのとき。

 ディーノもマフィアのボスだったなら、家の前にいた彼の部下の人たちの雰囲気にも納得してしまう。


 それに何より、信頼のおけるツナたちが言うことなのだから信じることが出来た。


「ごめん、片桐……。急にこんな話されても信じらんないよな……。オレも、まだ信じたくないんだけどさ……」

「ううん……。確かに驚いたし、怖いけど……。でも、沢田君たちの言うことだから、信じる。教えてくれてありがとう」

「片桐……ありがとう」

 申し訳なさそうな顔をしていたツナが、ほっと表情を崩したので音羽も笑う。
 

 ……彼等が言うからこそ、『本当なんだ』という怖さもあるが……。
 音羽は今、一人じゃない。それだけですごく心強かった。


「――いよいよっスね」

 獄寺の言葉に、一行は廃墟を前に足を留める。

 音羽は、建物を見上げて唇を引き結んだ。

 
 ――雲雀さん……。必ず、すぐに行きます……。


 例え敵に狙われても、彼を見つける。絶対に、雲雀に会うんだ。

 音羽は決意を固くして、ツナたちと一緒に前に歩きだした。
 

 ――その一歩が、音羽とボンゴレファミリーが共にする、長い時間の始まりだった。







「――ここもだわ」

 廃墟に入ったツナたちは、建物の異変にすぐに気付いた。

「階段が壊されてる……」

 ビアンキの視線を辿ると、途切れてしまって登れないそれが。ツナは目を丸くする。

「骸はたぶん上の階だな。どこかに一つだけ、生きてる階段があるはずだぞ」

「……え?どういうこと?」

「こちらの移動ルートを絞った方が守りやすいだろ?逆に言えば、自分の退路を絶ったんだ。勝つ気マンマンってことだな」

 ツナの問いに、リボーンは断定的に答えた。

 勝つ気、マンマン……。ツナはゾッとして身を震わせる。

 すると、隣にいた獄寺が不意に、床から何かを拾い上げた。


「!ケータイが落ちてる……壊れてら」

「……!!それ、雲雀さんの……!」

 獄寺の手を見た音羽は彼に駆け寄り、黒い携帯を受け取る。
 
 ツナも見てみたら、確かにあのとき雲雀が持っていたものに違いなかった。
 傷んでボロボロになっているそれに、何となく雲雀の姿を重ねてしまう。

 音羽も、同じことを思ったのかもしれない。

「雲雀さん……」

「…………」

 心配そうな顔を俯けて、音羽は雲雀の携帯を握り締める。
 その横顔を、獄寺が複雑そうな面持ちで見つめていた。
 
「ひ、雲雀さんのケータイの着うた、うちの校歌なんだよね……!」

「!うん、そうだったね」

「なっ!?ダッ、……」

 獄寺はつい本音を零しかけていたが、音羽が小さく笑うのを見て口を噤む。

 表情を緩めた音羽に、ツナはほっと息を付くのだった。





「ここでもないな……」

「ここも壊されてるわ」

 音羽たちは上へと続く階段を探し求めて、廃墟の中を歩き回っていた。
 
 どのくらい歩いたか分からない。
 でも、手当たり次第探す以外に方法もなくて、広い施設内をあちこち回っていたら。


「――あ、あったー!非常用の梯子だ!」

 軋むドアを開けてようやく部屋に現れたのは、目的の物。
 ツナの言葉通り、鉄製の梯子が暗い天井の上へと続いている。

 これでやっと、六道骸の所に行ける。
 そうすれば、雲雀の居所も分かるかもしれない。

 音羽やツナたちが、そう思ったときだった。


 ――パシッ。

「!」

 聞き慣れない音が突然聞こえてきて、音羽は慌てて後ろを振り返る。

 見れば、眼鏡をかけた制服姿の男子生徒が立っていた。
 さっき聞いた特徴からして……、獄寺とランチアを襲った骸の仲間の一人、柿本千種だ。


「出た……!ヨーヨー使い!」

 ツナが叫び、全員が身構える。

「……」

「!」

 千種は口を閉じたまま、音羽の方に目を向けた。
 ぼんやりした瞳は、目が合っているのか分かりづらい。

 彼は音羽を一瞥すると、すぐに視線をずらして唇を動かした。


「……片桐音羽、来てもらう。骸様の所まで」

「……雲雀さんは、どこですか?」

 彼の言葉には答えずに、音羽はいつもより強い口調で尋ねた。

 でなければ、震えてしまいそうだったのだ。警戒して見据えていないと、目を逸らしたくなってしまう。

「……教える訳にはいかない。会わせるなと言われている」

 機械的に、千種が言い切った瞬間。

 獄寺が彼の方に向かって、何かを投げた。


「!煙幕……」

「!」

 煙幕……、これが……? 初めて見た……。

 ツナが辺りに広がる白い煙を見て呟いたので、音羽は目をしばたかせる。
 
 驚いたような表情で素早く身を引く千種の姿も見えたけれど、すぐにその煙に包まれて消えてしまった。


「十代目」

 ツナと音羽がまだ立ち尽くしていると、獄寺の背中が目の前に。

「ここはオレに任せて、先に行ってください。……片桐、お前も」

「!」

 言われて、音羽は息を呑んだ。

 獄寺の言いたいことは分かる。音羽がここにいても出来ることはないし、彼は音羽の身を案じてそう言ってくれているのだ。


 けれど……。
 千種は、たぶん雲雀がどこにいるか知っている。
 ……だとしたら――。


「っ……ごめんなさい、獄寺君……。雲雀さんの居場所が分かるまで、私……行けない……!」

「…………そんなに――、いや……。……ッ、しょうがねーな。だったら、俺の側離れんなよ!!」

「獄寺君……!ありがとう……!」

 何か言いかけて止めた獄寺は、顔を顰めながらも了承してくれた。
 申し訳なく思いつつも、やっぱり同時に安堵していると。


「隼人、聞いて!」

 前を向き直った獄寺の方に、ビアンキが少し焦った様子で身を乗り出した。

「あなたは前にやられた時、シャマルのトライデント・モスキートで命を取り留めたの。かけられた病気が完成するまでには、副作用が起こるのよ。また激痛をともなう発作が襲うわ……。それでも、やる気?」

「あたりめーだ。そのためにオレはいる」

「…………」

 獄寺は即答だった。彼女を、振り返ることもなく。

 何の迷いも浮かんでいない獄寺の瞳を、ビアンキはじっと見つめていたが――。
 やがて、何かを悟ったように半身を翻して、ツナの肩に手を回す。

「……行きましょう、ツナ。隼人が、音羽のことも守ってくれるわ」

「え……、で、でも……」

「行ってください!十代目は、骸を!終わったら、また皆で遊びに行きましょう!!」

 ニッ、と笑顔を向けた獄寺に、戸惑っていたツナも小さく頷いた。

「そ、そうだよね、行けるよね……!……分かった、行くね!!片桐も気を付けて!獄寺君、片桐をよろしく!!」

「はい!任せてください、十代目!」
 
 ツナはもう一度獄寺に視線を送ると、ビアンキたちと共に梯子を上って行く。


「……大人しく行かせてくれたじゃねーか」

 皆が上まで上り切ると、獄寺は千種を睨んだ。

「骸様の、命令だ。……片桐音羽。あなたには危害を加えないよう、骸様から言われてる。だから、大人しく来て欲しい」

「……!」

「けっ、聞こえなかったのかよ?こいつは雲雀の居所聞くまで動かねーっつってるだろ」

「…………」

 千種は静かに眉を寄せると、眼鏡のブリッジをくいと指で押し上げる。


「……獄寺君……」

 二人の間に流れる空気が、ピリピリして痛かった。
 
 どうして彼等が“音羽に危害は加えない”のかも気になるけれど、目の前の緊迫した状況ではとても口を開けない。

 不安が募ってつい獄寺の名前を呼べば、彼は千種を睨み付けたまま。

「いいか、片桐……。メガネヤローは、お前には手を出さねーみてーだ。だから……、お前はここで待ってろ!!」

「!獄寺君!!」

 言うなり、獄寺が千種に向かって駆け出した。

 その背中に声を投げても、彼は速度を緩めない。あっという間に千種を追い越して、曲がり角の向こうに姿を眩ましてしまう。

 それを合図にでもしたかのように、千種も獄寺の後を追って行ってしまった。


「っ……!」

 残された音羽はハラハラして立ち尽くし、唇を噛む。

 獄寺はきっと、千種を誘き寄せてくれたのだ。音羽を、戦いに巻き込まないようにするために。

 彼等の向かった先をじっと見つめてみるが、どちらの姿もここからでは見えない。
 代わりに、ガラスが割れる甲高い音や、激しい爆発音がひっきりなしに聞こえてくる。


 ……獄寺は、大丈夫だろうか……。
 ビアンキが『酷い発作が起こるかもしれない』、と言っていたけれど……。
 
 もし戦っている最中にでもその発作が起こってしまったら、流石の獄寺も無傷、では済まないかもしれない。
 

 ――っダメ、ちゃんとここに居ないと……!獄寺君に、もっと迷惑かけちゃう……!

  
 考えたら今にも駆け出したくなって、音羽は首を振った。足が動き出してしまいそうなのを必死で堪える。

 
 ――でも……。


「…………、」

 ここに、ぼんやり立っているだけで本当にいいのだろうか?

 このままここでこうしていても、何より知りたい雲雀の居場所も、獄寺の無事も分からない。
 
 ……敵が、音羽には危害を加えないと言うのなら。

 もし獄寺に発作が起きたとき、彼を庇うぐらいのことは、音羽にも出来るかもしれない――。


 そう思い至った瞬間、足が動いてしまった。

「――っ」

 ――ごめんなさい、獄寺君……!

 心のなかで謝りながら、音羽は廊下を駆けて行く。
 二人の後を追いかけて一つ目の角を曲がり、奥の薄暗がりに向かって走った。


 ――ドガガガン!!!

「……!」

 今までで、一番大きな爆発音。激しい戦闘をしているらしい。音羽の心臓の動きも速くなる。

 更に急いで幾つかの角を曲がると、段々焦げくさい臭いがしてきた。
 そう思ったらすぐに、もくもくと濃い、灰色の煙に全身が包まれて音羽は足を止める。


「……ぅ、」

 臭いと、肺に入る煙たい空気が息苦しい。思わず口を覆って、しぱしぱする目を細めながらゆっくり一歩踏み出した。

 前に広がる煙の中に、フラフラと揺れる人影が……薄っすら見える。前傾姿勢になっているあの影――あのシルエットは。


「――!獄寺君……!!」

 少しずつクリアになってきた視界に飛び込んできたのは、苦しそうに胸を押さえて窓に凭れた獄寺だった。

「くっ……片桐……?!」

 息も絶え絶えな様子で声を出す獄寺は、音羽の方を見る。
 でも、顔を上げるのさえ辛そうで視線が合わない。
 
 きっと、例の発作だ。早く、獄寺の所に行かなければ……!

 咄嗟に思って、音羽は走り出した。

 千種はすぐ目の前にいるけれど、血塗れで怪我をしている。よたよたと獄寺の方へ歩いて行くので精一杯なようだから、たぶん音羽には追い付けない。

 でも後ろから不意を突かれると怖いので、なるべく彼を避けるようにして廊下を走った。

 獄寺はすぐそこだ。
 音羽が彼の前に塞がれば、千種は手出しできないはず。彼の発作が治まるまでは、少なくともそうして――。

 
 ――バリィン!!

「!!」

 あと少しで獄寺の前まで行ける、そう思ったとき、彼の顔の真横にあった窓ガラスが割れた。荒々しい音を立てて何かが、室内に飛び込んでくる。


「スキアリびょん」

 割れたガラス越しに獄寺の背後をとったのは、黒曜中の制服を着た少年だった。

 到底人とは思えないほど、長くて鋭い少年の爪。認識した直後、それが、大きく振り上げられて――、

「……!!」

 獄寺の胸に、一瞬で突き立てられた。

 そこから噴き出す血しぶきの勢いに、声を、上げることすら出来ない。

「……ご、獄寺く、――っ……?!」

 身体から力が抜けてしまいになりながらも、獄寺に駆け寄ろうとすると、足が動かなくなって。
 
 振り返れば、まるで音羽を行かせまいとするように。
 ふらついていたはずの千種が、音羽の腕をがっちりと掴んでいた。


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