54話 ふるさと
既に廃墟と化している、並盛町の工場跡地。その場所には、町を包む夜よりも濃く、深い闇がただ静かに落ちていた。
普段ならばこの場所には、灯り一つない暗闇と人けのない不気味さがあるばかり。
だが、今夜だけはその様相が違っていた。
「――ぎゃああっ!!!」
響いたのは一人の男の断末魔と、血飛沫の散る派手な音。地面に広がっていく生温かそうな血液が、男の持っていた免許証を赤黒く染めていく。
“山中武”。
免許証には、今しがた息絶えたこの男の名前が記されていた。彼は、不運にもミルフィオーレが現在捜索していたボンゴレ雨の守護者“山本武”と、一文字違いの名前だったのだ。
山中武は、部下がその一文字を見間違えたためだけにこんな恐ろしい場所まで連れて来られ、そして我々に殺された。実に運のない男である。
ミルフィオーレファミリーブラックスペル第三部隊隊長、
「……次から気を付けろ。余計な手間を掛けさせんじゃねえ」
「も、申し訳ありません……! 以後、気を付けます!!」
γが一睨みすると、部下は顔を引き攣らせて勢いよく頭を下げる。それを脇目に溜息をついて、γは隣にいた太猿に目を向けた。
「ご苦労だったな」
「アニキ、労いは雨の守護者を殺ったときに頼むぜ」
男を狩った獲物をまだその手に握っている太猿は、瞳を爛々とさせたまま口の端を持ち上げる。彼の軽口に、γは肩を竦めて頷いた。
「……ああ、そうだな。……お前ら、引き続きボンゴレ雨の守護者を探せ! 手掛かりを見つけ次第、すぐオレに報告しろ!」
「「はっ!!」」
短い了承の返事を残し、太猿や野猿を含む部下たちが一斉に散って行く。その姿を見届けて、γは廃工場の立ち並ぶ道を奥へと進んだ。
人の気配のなくなったそこには静けさが戻り、自分の足音だけが微かに響く。γは夜の闇の中を歩きながら、自然と昼間のこと――入江正一のことを思い返していた。
入江正一……ホワイトスペル第二部隊隊長兼、日本におけるミルフィオーレの拠点、メローネ基地の最高責任者。彼は、白蘭が最も信頼している男だと噂には聞いていたが、合ってみれば存外気の弱そうな若い青年だった。
昼間、入江がγの元を訪ねて来た際に「ボンゴレに関する事はいかなる小さな事でも、自分に伝達するように」と釘を刺してきたので、それとなくカマを掛けてみればどうやら奴は白蘭の密命持ちらしい。
あの場では差し障りなく承諾したが――γの中に、彼や白蘭への“忠誠心”は欠片も存在しない。だからこそ、こうして報告もあげずに単独でボンゴレの守護者探しが出来るのだ。
「…………」
――“忠誠心”、か。
心の中で呟いただけのはずなのに、γの足はいつのまにかその場所に止まっていた。歩き出す気も起きずに視線だけを持ち上げると、空には微かな星明かり。
夜が明ければ、きっとあのささやかな星の光は、あっという間に日に呑み込まれて消えてしまうのだろう。その姿を、最後に見た“彼女”の笑顔と重ねてしまう。
γは静かに瞼を下ろし、長い息を吐き出した。歩き出す一歩がやけに重く感じるのは、きっと、彼女と自分の間に敷かれた道があまりにも長く、遠いからだ。
◇
イタリアを出立してから十数時間後、音羽たちの乗ったジェット機がようやく日本に到着した。
機体が降り立ったのは、並盛町の外れの森にある風紀財団の飛行場。並盛に何かあった際すぐに帰還できるようにと、雲雀がかねてから造っていた施設のうちの一つだ。
かなり小規模ではあるけれど特に不便はないし、何より並盛町市街地まで歩いて一時間足らずで行ける。立地面ではとりわけ便利な場所だった。
音羽は雲雀の後ろに続いてジェット機を降り、コンクリートの地面に立つ。
日本時間は現在、早朝七時過ぎ。朝の爽やかな空気に身を包まれて、音羽は思わず大きく息を吸い込んだ。
秋の早朝は少しだけ肌寒かったし、時差ボケのせいでまだ眠気もあるけれど、それよりも久々に感じる外の空気が心地良い。しかもそれが故郷のものだと思えば尚更だった。
ひとしきり呼吸を繰り返して白んだ東の空を眺めたあと、音羽は前方にある飛行場内の建物へと歩みを進めた。きょろきょろと辺りを見回せば、以前ここに来たときの記憶とほとんど相違ない景色が広がっている。
強いて違う点を述べるとすれば、以前来たときよりも人手が――特に、霧のリングを使う術士が多くなっていることだろうか。
普段からこの辺り一帯は、一般の人が入り込まないよう、幻術によってカモフラージュが施されている。ミルフィオーレがボンゴレ狩りを行っている今、ボンゴレと全くの無関係とも言い切れない風紀財団のこの飛行場も、更に警備を強化しているのだろう。
飛行場の周辺や、建物二階の窓際にじっと立っている術士たちを見て、音羽は寂しいような怖いようなものを感じて目を細めた。でも、俯いてしまうことはない。
今は違いを見つけて落ち込むよりも、希望を見つけたい。自分に出来ることをしたいと、強く気持ちを持ち直した。
◇
やがて施設内に入った音羽たち三人は、ソファとテーブルのある客間に通され束の間の休息をとった。飛行場にいる財団の人が温かいカフェラテを淹れてくれたので、今はそれを飲んでいる。長旅の疲れが、カフェラテの甘さと温かさにじっくりと溶けていくようだった。
音羽の隣に座っている雲雀は、長い睫毛を伏せてブラックコーヒーを飲んでいた。草壁は向かい側のソファに座り、ノートパソコンを開いている。彼は、音羽たちに何かを見せようと準備してくれているらしかった。
「――恭さん、音羽さん。これを……」
ややあって、草壁がこちらにも見えるようノートパソコンをテーブルに置いてくれた。彼の示すディスプレイに、言われるまま視線を向ける。
見ればそこには、幾つもの光る点が点在している何かのレーダー画面が映っていた。何だろう? と思っていると、草壁が端的に説明してくれる。
「これは、現在の並盛町で確認できるリングの反応を示したレーダーです。ボンゴレ側は恐らく身を潜めているはずですので、この光る点は全て、ミルフィオーレの物と思って間違いありません」
「……! こんなにですか……?」
思わずその数を数え、音羽は息を呑んだ。草壁は「ええ」と頷き、それから右上部で一際大きく光っている点を指す。
「そしてこれが、今最も強いリングの反応です。リングの精製度は恐らくAランク以上……ミルフィオーレの中でも隊長クラスの人間が所持しているはずの物です。今日本にいるという情報がある人物から考えると……恐らく、電光のγでしょう」
「……電光のγ……」
草壁が口にしたその名前を反芻しながら、音羽は記憶の糸を手繰った。
たしか、少し前に雲雀と草壁が交わす会話のなかで、その人の名前が出ていたような気がする。詳しくは知らないけれど、名のある殺し屋とマフィア幹部を何人も葬った男……と言っていただろうか。
胸の中の緊張が増すのを感じながら、音羽はもう一度レーダー画面に目を凝らした。
音羽たちがいるこの飛行場の近辺に、現在敵のリングの反応は出ていない。けれど町の中心部――商店街や住宅街のある方には、ざっと数えるだけで二十以上の反応が出ていた。
恐らくこれから真っ先に向かうのは、並盛にある雲雀のアジトだろうけれど……これだけ敵がいる状況だ。電光のγらの目をかい潜りながらアジトに向かうのは、中々骨が折れるかもしれない。
足手纏いにならないようにしなきゃ……、と音羽は表情を硬くした。すると、そのとき。
「!」
不意に、スマホのバイブ音が室内に響いた。自分のそれが既に使えなくなっていることは分かっていたけれど、音羽は念のため鞄からスマホを取り出して確認する。……やっぱり違うみたいだ。
顔を上げると、ちょうど雲雀が自分のポケットからスマホを取り出しているところだった。ボンゴレからの支給品でないそれは普段通り使用できるようで、振動音は未だに鳴り続けている。
ディスプレイに視線を落とした雲雀は僅かに眉根を寄せ、それから通話ボタンを押した。
「……もしもし」
彼が静かに応答すると、電話の相手は澱みなく話し始めたようだった。一体誰からの電話なのか、何の用件なのか気になって、音羽は雲雀の顔を窺い見る。
しかし、雲雀の表情は全くと言っていいほど変わらないので、良い知らせなのか悪い知らせなのかさえ、傍から見るだけではわからない。微かに漏れ聞こえてくる声は何となく女性のもののようにも思えるけれど、はっきりとした確信は持てなかった。
「……分かった。その件については、こちらでも対処しよう。沢田綱吉への連絡もね」
やがて、特に相槌を打つわけでもなく相手の話を黙って聞いていた雲雀は、向こうの話が済んだ頃に淡々とした口調でそう答えた。彼はそのまま、電話に出たときと同じように静かに電源を切る。
「…………」
どうかこれ以上、悪い知らせが入りませんように……。
つい祈るような気持ちで雲雀を見ていると、そんな感情がはっきりと顔に出ていたのかもしれない。こちらを見た彼が、そっとその切れ長の瞳を細める。
「君が心配しているようなことじゃないさ。……電話の相手は黒川花。用件は、笹川京子に対する救援要請だ」
「え……!?」
――花ちゃんから……!? それに、京子ちゃんの救援要請!?
雲雀の口からさらりと出た言葉に、音羽は思わず目を見開いた。京子の身に、何かあったのだろうか。大きな不安がよぎるが、雲雀の落ち着き払った態度を見ていると急を要する事態ではないのかもしれない、と思えて。
何から尋ねるべきか困っていると、雲雀がふと口の端を持ち上げる。彼は眉尻を下げた音羽を見つめ、電話の内容を手短に説明してくれた。
――まず、京子の兄――了平が、海外出張(恐らく、ツナから与えられた任務か何かだろう)に行く前に、「自分がいない間、京子に何かあったらここに連絡しろ」と言って花に渡したのが、ツナと雲雀の連絡先だったこと。
そして、ゼミの合宿で京子が並盛を離れていたここ数日、黒ずくめの不審な男たちが京子を探し回っていたため、心配になった花がツナに連絡したところ繋がらず、雲雀の方に連絡してきたのだということ――。
粗方の事情を聞いて、音羽はなるほど……と納得した。
いつの間にかそういうことになっていたので、知った当時は音羽も驚いたのだが、花と了平は付き合っている。
だから了平は、妹の大親友であり自分の恋人でもある花に、京子のことを頼んでおいたのだろう。でも……ツナがこんなことになってしまったから……。彼には繋がらなかったので、花は雲雀に電話した。
了平が第二の連絡先まで用意していたのは、彼の性格を考えると少し意外に思えたものの、昔からとても妹想いな人なのでそれくらい日頃から用心していたのかもしれない。
……それにしても……。
了平が雲雀の連絡先を花に伝えてくれていて、本当に良かった。
京子を探し回っている黒ずくめの男たちは、十中八九ミルフィオーレの人間で間違いない。花が誰にも連絡出来ないまま、京子の捜索がさらに遅れていたら――想像するだけで怖くなる。
雲雀が日本に帰国したこのタイミングで花から連絡があったのも、何か運命的なものがあるように感じた。
京子の足取りが掴めていない今、胸を撫で下ろすことはまだ出来ないけれど……。出来ることは、十分あるように思える。
「……あの、恭弥さん……」
音羽は窺うように雲雀の顔を見上げ、声を掛ける。すると彼は音羽を見て小さく息を付き、頷いた。
「……ああ、分かってるさ。不本意だけど、仕方ないね」
「!! ありがとうございます……!!」
言外にあった“京子を助けたい”という音羽の気持ちを、雲雀はとうに感じ取っていたようだ。彼はすぐにそう答えてくれる。
こういう時の雲雀は、最終的には何だかんだ手を貸してくれるものの、大抵いつも不満げで中々動こうとしない。でも今日は、いつになくすんなりと了承してくれた。それに少し驚いたけれど、安堵の気持ちの方が強くて音羽は特には気にしなかった。
「……では、今後の動きはどうしますか?」
話が落ち着いた頃、草壁が雲雀に尋ねる。
「何の手掛かりもなく笹川京子を探し回るのは無謀だからね。まずは、ボンゴレ側にこの事態を伝える」
「……そうですね。ボンゴレと情報を擦り合わせれば、何か手掛かりが見つかるかもしれません。ですが、並盛にいる敵の規模を考えると……直接的な通信は傍受される可能性が高い。となると……」
「予備の救援伝達システムを使う。今回の場合は――」
雲雀は、顎に手を当てる草壁の言葉に続けながら、自分の上着の胸ポケットをトントンと軽く指先で叩いた。
すると、ポケットの中からぽこっと黄色いふわふわが覗き、次の瞬間にはパタパタと小さな羽音を立ててヒバードが。
「ヒバリ、ヒバリ!」
ヒバードは雲雀の名前を呼びながらその頭上をくるくる飛び、やがて差し出された彼の指先にちょこんと止まる。
「……ヒバードを現場に飛ばすシステムですね」
音羽はふくふくとした可愛いらしい小鳥を見つめながら、雲雀が過去にボンゴレ側と取り決めた、予備のSOS手段の一つを思い出して言った。
通信が困難な場合などに使用する予備のSOS手段は幾つかあるが、今回は発信機を付けたヒバードを、SOSのあった場所――つまり花の元に飛ばし、その発信機から救難信号をボンゴレアジトに送って、花からのSOSをボンゴレに伝えるという方法だ。
雲雀は頷き、ヒバードを乗せている手とは反対の指先で、ヒバードの頭を撫でる。
「ああ。でも、彼がここから黒川花の自宅がある市街地まで飛ぶのは、時間が掛かりすぎる。僕たちがある程度市街地に近付いた時点で放すのが効率的だろうね」
「分かりました。市街地は敵の目も増えますから、市街地付近まで車で向かい、そこでヒバードを放しましょう」
草壁はそう言うと、その後の計画を軽く雲雀と話し合い、車の手配をするべく客間を出て行った。
音羽がヒバードの方に手を伸ばすと、ヒバードはぴょこんと音羽の手に飛び移ってくれる。きょろきょろと首を動かすその仕草に、音羽は自然と微笑んでいた。
予備の伝達システムなんて使うのは今回が初めてなので、上手くいくか少し不安だけど……。ヒバードは小さくて目立たないから、きっと敵にも見つからない。だから、きっと大丈夫……。
「頑張ってね、ヒバード……」
音羽は心の中で自分に言い聞かせながら、ヒバードの頭をそっと撫でた。
京子や花、それにヒバードも。危ない目に遭わなければいいな……と願いながら。
◇
それから雲雀、音羽、草壁の三人は、風紀財団の飛行場を出て並盛町の中心部へと車を走らせた。鬱蒼とした森を抜けると、視界のひらけた海岸沿いの道に出る。
そこをしばらく道なりに進み、ちらほら人家が増えてきたところで、雲雀は草壁に指示を出して車を道脇に停めさせた。
この辺なら、ヒバードを飛ばすのに丁度いいだろう。ここから先は敵のレーダー反応も多いため、雲雀たちも徒歩で中心部に向かう方が良い。車はあとで部下に回収させれば問題ないはずだ。
雲雀はそう思いながら車を降り、後ろから付いて来た音羽を振り返る。
「音羽」
雲雀が視線で伝えれば、音羽はこくりと頷いて、手の平に載せていたヒバードを空に放った。脚に小さな発信機を付けたヒバードは、パタパタと空に舞い上がり市街地の方へ飛んでいく。
あとは、ボンゴレの受信圏内にヒバードが入ったら、救難信号を送ればいい。
「……ヒバード……」
彼の小さな姿が青空の向こうに消えていくのを、音羽は不安げに見守っていた。彼が危ない目に遭わないか、心配しているのだ。
――雲雀にとっては、黒川花から電話がかかってくることも、ヒバードを使った伝達システムを使用することも、これからすぐ先に起こることも。全て計画のうちの一つなので、今のところ順調に事が進んでいると言えるのだが、音羽にとってはそうではない。
雲雀とは違って、彼女の中には“いつ何が起こってもおかしくない”という不安と緊張が、常に混在している。
「…………」
雲雀は、瞳を揺らしている音羽の頭をそっと撫でた。彼女に言える言葉は何もないが、ただ、その不安を少しでも取り払ってやりたいと思う。
急に頭を撫でられた音羽は、雲雀が慰めてくれていると思ったのだろう。雲雀を見上げると、彼女はまだ切なさの残る瞳を柔らかく細めた。
◇
それから、出来るだけ人けのない道を選びながら、雲雀たちも市街地の方に向かって行った。歩いて十五分ほど経って、ようやく住宅街に差し掛かろうとした頃。
それまで、小型PCのレーダー画面を覗き込んでいた草壁が顔を上げた。
「――恭さん、そろそろボンゴレ側に信号を送りますか?」
彼の言葉に、雲雀はちらと腕時計を確認する。――頃合いだ。
「ああ」と頷くと、草壁はPCを操作して再びレーダー画面に視線を落とす。……が、彼はすぐに「あっ……!」と珍しく焦った声を上げた。
「まずい、発信機の信号が弱まっています……! ……――っ、完全に、消えました……」
「……!」
素早くキーボードを叩いていた草壁が項垂れ、音羽も慌てた様子で画面を覗き込みにいく。
「本当だ……、――! っもしかして、ヒバードに何か……!?」
「分かりません……。撃ち落とされた可能性もありますが……、発信機の単なる故障ということも考えられます……」
「……っ……」
渋い顔をしたまま首を振る草壁に、音羽が唇を噛み締める。赤くなる唇の色とは対照的に、音羽の顔色は青褪めた。
雲雀は彼女を一瞥したあと、草壁を振り向く。
「……哲、反応が途絶えた場所は?」
「はい、――……並盛神社です」
「……そう」
答えて、雲雀は目を伏せた。
ヒバードの発信機の反応がなくなったのは、彼が敵に撃ち落とされたからではない。並盛神社付近まで到達したときに反応が消えるよう、雲雀が事前に発信機に細工を施していたからだ。
ボンゴレに笹川京子の救援要請を知らせるため、ヒバードを黒川花の元に飛ばす――というのは、あくまで表向きの理由に過ぎない。
なぜなら、笹川京子は既に“入れ替わり”を果たしており、その身はボンゴレに保護されているはずなのだから、敢えて探す必要もないのだ。
だから、黒川花が“丁度日本に帰国した雲雀”に連絡をしてきたことも、真の目的をごく自然な形で果たすため、沢田綱吉が笹川了平に提案して仕向けたことである。
今回の真の目的――それは、十年前の沢田綱吉たちにヒバードの救援信号を追わせ、電光のγと遭逢させること。
既にタイムトラベルしているはずの沢田綱吉、獄寺隼人、山本武らが全員で来られる状況なのかは知らないが、γとの戦闘経験を経ることで、彼等は自分たちが目指すべき強さの指標を知ることが出来る。
そしてγの動きをこの段階で封じておけば、今後少しの間、こちらも動きやすくなるはずだ。
――まあ、僕が行くまでに殺されてしまえば、それまでだけどね。
雲雀は心の中で思いながらも、そうなったときのことを想像して眉を顰めた。
本来なら、彼等の生死などどうでも良い。……が、雲雀自身の目的を思えば、いま彼等に死なれては困る。……本当に、厄介なことになったものだ。
雲雀ははぁ、と息を付き、狼狽えた顔をしている二人に告げる。
「……これから、並盛神社に向かうよ。ボンゴレ側にはさっきの救難信号が届いているはずだ。信号の消えた地点に、ボンゴレは人員を向かわせて来る」
「……! そうですね……では、神社で彼等と落ち合いましょう」
雲雀の言葉に草壁が答え、音羽も大きく頷いた。
◇
雲雀たちが並盛神社を目指し始めた、少しあと――。
「――γ隊長!」
並盛の廃工場で部下からの報告を待っていたγの元に、ついに待ち望んでいた情報がもたらされた。早口に言う部下から内容を伝え聞き、γはふ、と不敵な笑みを口元に浮かべる。
「ほう……そいつは朗報だ。すぐに向かうと伝えてくれ」
◇
ボンゴレアジトを出た獄寺と山本は、目的地である並盛神社のすぐ近くまで来ていた。
今日は、朝からとても騒々しい。
まず、雲雀を見つける手掛かりになるであろうヒバードが、突如救難信号をボンゴレアジトに送ってきたこと。
そして、京子が「一度家に帰る」と書き置きを残して、アジトを出て行ってしまったこと。
この二つの出来事が同時に起こり、ツナとラルは京子を連れ戻すため笹川家に。獄寺と山本は雲雀の手掛かりを求めてヒバードを捜索するため、救難信号が途絶えた並盛神社へと向かうことになった。
アジトで見たレーダーには敵のリング反応が多数あったが、今のところ敵にバレている様子はない。基本的に戦闘は回避するよう指示を受けているが、止むを得ない場合は戦っても良いことになっている。
まだこの時代での戦い方には不慣れなことも多く、戦力差も圧倒的だ。そんな中コンビを組まされたのが、よりにもよって野球バカの山本というのが気に入らず、獄寺はアジトを出てからずっと無言を貫いている。
やがて、並盛神社の鳥居の前まで来たところで、山本がいつもの如く能天気に口を開いた。
「ここに来ると思い出すよなー、夏祭り!」
山本の言葉で、獄寺の脳裏にもあの夏祭りのときの記憶が過る。が、獄寺はすぐにそれを掻き消して、境内に続く階段脇の草むらを駆け上がった。
「あん時ゃ、雲雀と初めて一緒に戦ったっけな。そう思うと、つくづくこの神社って雲雀と縁があんのかもな」
「…………」
敵の気配がないか確認するために立ち止まると、その合間にまた山本が話しかけてきた。獄寺は再びそれを無視して一気に上の平地まで駆け上がり、木の陰に隠れて辺りの様子を窺う。
「なぁ、もしラル・ミルチの言ってた戦闘回避不能状態になったら、どうする? そん時ゃ、コンビプレイ決めようぜ」
「…………」
「やっぱ武器からして、オレ前衛かな。オレがまず突っ込むから、お前その隙に――」
山本がそこまで言ったとき、ついに獄寺の堪忍袋の緒が切れた。獄寺はバッと勢いよく後ろを振り返り、そのまま山本の胸倉を掴む。
「勘違いしてんじゃねーぞ。……今までなーなーでやってきたのは、十代目のためだからだ。他の目的でてめーと手を組む気はねぇ!!」
「……想像以上に嫌われてんのな」
睨みを利かせて言うと、山本は一瞬目を見開いて苦笑を浮かべた。分かり切ったことを言う山本に、獄寺の苛立ちは増していく。彼のシャツを掴む手に、一層の力を籠めた。
「ったりめぇだ。おめーみてーな悩みのねぇ能天気な野球バカは、一生口を利くはずのねぇ種類の人間だ。同じ空間にいるのも嫌だね!」
「お前なぁ……」
獄寺の強い言葉に、流石の山本も何か思ったらしい。彼が眉根を寄せた、そのときだった。
「「!!」」
肌を刺すような敵意、そして殺気――。不意に現れたその気配に、獄寺も山本も互いにハッと目を見開く。
「……んじゃ、お互いやりてーようにやってみっか」
「…………」
二人はボンゴレリングを封じていたチェーンを外しながら、タッと地を蹴った。
◇
――獄寺たちを襲った敵は、二人。どちらもミルフィオーレファミリーの、ブラックスペルの人間だった。
リングと匣で応戦し、下っ端らしき男らに勝利した獄寺たちは、身体に入れていた力と緊張を僅かに解く。
「今のは、ちょっとしたコンビプレイだな!」
「余計な事すんじゃねぇ! オレ一人で充分だ!!」
相変わらず気楽そうな山本の態度に苛立って、獄寺は吐き捨てるように言い放った。そのとき。
「――!」
バチ、と、何か電気でも流れるような音がして、山本は身を固くする。すると、次の瞬間――。
バリバリバリ!! と、先程よりも大きな電流の音が聞こえ、そうかと思うと頭上から聞き覚えのない男の声が降ってきた。
「――ボンゴレの守護者ってのは、腰を抜かして方々へ逃げたって聞いたが……こりゃまた、可愛いのが来たな」
「「!!」」
余裕に満ちた声に釣られるように、獄寺と山本は顔を上げる。見ればそこには、雷の炎を噴射する
「雨の守護者と嵐の守護者には違いないようだが……随分と写真より若い……。若すぎるな……」
金髪オールバックの背の高そうなその男は怪訝な顔で言うと、獄寺と山本を静かに見据えた。
明かに、さっき相手にした二人とは風格が違う。押し寄せる圧迫感、そこから生まれる緊張に、獄寺と山本は思わず唾を呑んだ。
◇
「はぁ、はぁ……!」
黒川の家を出たツナとラルは、並盛神社に向けて小走りに走っていた。
アジトを出てしまった京子を追って地上に出たツナとラルは、偶然この時代の黒川花に保護された京子と、無事再会することが出来た。京子の件は、これで一先ず安心出来たのだが……、問題は並盛神社に向かった獄寺と山本だ。
京子を探す途中、ラルが神社方面に向かう“電光のγ”を見たらしく、ツナたちは急遽獄寺たちの援護に向かうため、一旦京子を花に預けて神社への道を急いでいる。
というのも、γの向かったその方向には並盛神社以外の主要施設がなく、γという男自身もとんでもなく強いらしいのだ。
だから、もし獄寺たちがそのγと戦闘状態になっていたら――こちら側の負傷は免れないだろう。ラル曰く、例えツナとラルが駆けつけて4対1になったとしても、今の戦闘力では勝てるかどうかさえ怪しいらしい。
鬼教官のラルがここまで言う相手だ。いくら獄寺と山本が強いとは言え、どれほど持つか分からない。
早く二人の元へ行かなければ――そう気持ちは急ぐのに、敵の数が多すぎて満足に道を通ることすらままならなかった。
ツナはラルの後を追いながら、逸る気持ちを何とか抑える。彼女は家と家の間の塀からそっと顔を覗かせて、神社に続く大通りへ視線をやっていた。
「……どうです……?」
堪らずツナが声を掛けると、ラルは注意深く周囲を観察したまま小さく首を横に振る。
「この道も敵で塞がれている。やはり大きく迂回するしかないな」
「そんな……!」
二人の姿が胸に浮かんで、ツナはぎゅっと拳を握りしめた。
自分が行くまで、どうか耐えてくれ。そう彼らの無事を祈ることしか出来ないのが、ひどく歯痒かった。