51話 戻らない時間

 ツナの訃報を聞いた次の日。
 音羽は昨日と同様に、ケーニッヒの研究所で炎の抽出作業を行っていた。

 ケーニッヒ曰く、音羽は七属性の炎を扱うことが出来ても、身体に流れているその波動は既存の七属性の波動とは全く異なるので、通常の匣兵器製作時に使用する炎エネルギーでは代用が出来ないらしい。

 なので、彼は音羽が灯した炎を直接集めてそれをベースにし、新しい“天属性”の匣を作ってくれるそうだ。この短時間で、既に理論上製作可能な匣兵器の設計図も出来上がっていると言うので、さすが開発の第一人者である。

 全ての作業はケーニッヒが行ってくれるので、音羽はただ右手の四本指と左手の三本指に七属性それぞれのリングと器具を付け、意識を集中して炎を同時に放出するだけでよかった。


「………」

 機械音だけが響く研究室で、音羽は気を集中させる。

 手元から零れる七色の炎。赤、黄、青、緑、藍、紫、そして――橙。

 小さなオレンジの炎は、この中で一番温かい色をしている。当然、思い出すのはツナの顔だった。音羽は小さく眉根を寄せる。

 彼の死を、まだ完全に受け入れ切れていない。そんな話は嘘だと否定したい気持ちもあるし、どこかで“嘘”を願っている。

 でも――聞いた話はすべて事実で、ツナはもう……この世にはいないのかもしれない。
 認めたくはないけれど、そう思う自分も確かにいた。


 昨夜ひとしきり泣いたあと、音羽は眠れないままベッドに入って、ツナが射殺された経緯について、草壁から聞いたことを思い出していた。

 ミルフィオーレはボンゴレ本部が陥落した時点で、ツナを“交渉”の席に呼び出したそうだ。

 だが、そこでは交渉など一切行われず……ツナは、一方的に殺された。敵は初めから、そのつもりだったのだ。


 マフィアが住まう裏社会では、そんな背信行為は当たり前、仕方がないことなのかもしれない。

 でも……、やっぱりそんなのあんまりだ。卑怯だし、酷すぎる。どうしてあんなに優しいツナが、そんな目に。

 彼の柔らかい笑顔が脳裏を掠めるたび、心の中がざわついた。(おもり)のついた鎖が、心臓にぐるぐると巻きついているような気さえする。

 
 音羽はもう何度目か、ツナと初めて話した中学二年生のときのことを、また自然と思い出していた。

 その頃は、まだ音羽が並中に転校してきたばかりのときで。気軽に話せるような友達もいないし、放課後の図書室通いが日課になっていた頃だ。

 同じクラスの獄寺や山本と一緒に図書室にやって来たツナは、一度も話したことがなかった音羽にも、とても優しく接してくれた。

 そのあとも、音羽が秘かに困っているとさりげなく声を掛けてくれたり、色々あって落ち込んでいるときには、元気が出るよう励ましてくれたのだ。

 黒曜ランドの一件も、ヴァリアーの一件も、彼はいつも中心になって音羽や皆を助けてくれたし、そのあとも彼はずっと仲良くしてくれた。

 気が付けば、もうすぐ十年来の付き合いになろうとしていたのだ。音羽にとってツナはとても大切な仲間の一人で、そして、ずっと変わらない友人だった。
 ――そんな人が、いなくなってしまった。


「……」

 悲しくて悔しくなれば、その度に心臓を締め付ける鎖の力が強くなる。錘の重さも増していき、音羽の心を何度も深い海に沈めようとした。

 けれど、それでも底に足が付かないのは、きっと、その悲しみ以上に。


 ――俯いたまま、音羽は机の上に置いていた拳に力を込めた。指に嵌めている器具が邪魔で、上手く手を握れない。

 でも、握った拳の上では七色の炎がゆらゆらと揺らめいて、それはまるで音羽の感じている怒りに呼応しているようだった。
 理不尽な暴力に対する怒り、大切な友人を失った悲しみ。

 燃える炎は音羽の感情を吸って、強さと大きさを増している。 

「――昨日と違って、今日は随分調子が良いね」

 不意に声を掛けられて、音羽はゆっくり視線を持ち上げた。







 にっこりと笑いながらケーニッヒが声を掛けると、音羽は小さく微笑んだ。

 少しだけ困ったように下がった八の字眉。悲しそうな微笑を向けて、彼女はすぐにまた目を伏せる。今は話せる気分じゃない、と横顔が語っていた。

 彼女がそんな顔をする理由は、一つしかない。

 分かっていながらそんな音羽をしげしげ見つめ、ケーニッヒは首を傾ける。

「……音羽ちゃんが今考えているのは、ボンゴレ十代目のこと?」

「……!」

 音羽は息を呑んで顔を上げた。「なぜそのことを?」と、素直に表情に出る彼女に苦笑する。

「知ってるよ、ボンゴレ十代目の訃報はね。俺も“こっち側”の人間だから、そういう情報はすぐに入ってくる。しかもそれがボンゴレのボスとなれば、伝達速度は光速さ」

 ケーニッヒは言いながら、音羽の曇った顔を覗き込んだ。

「……ボス想いなんだね、音羽ちゃんは」

 ――どこかの誰かと違って。

 心の中で付け足しながら、ケーニッヒは相変わらず後ろのソファで傲然と座っている雲雀をちらと見る。彼は、ボスが死んでもあの調子を崩さない。

「……同級生だったんです、沢田君は……」

「……そっか、」

 音羽が目線を落としたまま呟いて、ケーニッヒは再び彼女を見下ろした。

 生憎、ケーニッヒはボンゴレ十代目と面識がない。だから、彼女に特に返してやれる言葉はなく唇を結ぶ。


 ボンゴレ十代目、沢田綱吉。
 噂では、“とてもマフィアのボスらしからぬ男”と聞いたことがあるが、善良な音羽のこの様子から察するに、所謂彼は“良い人間”だったのだろう。

 彼女にとってはただの“ボス”というだけではなく、恐らくは“友人”だったのだ。
 だからこそ、深い悲しみを湛えた彼女の瞳の奥底には、傍目にも分かるような確かな怒りが揺れている。

 ――意外だな。ボンゴレが死んで、てっきり昨日より沈んでるんじゃないかと思ったけど。……寧ろ、炎は安定してる。ボンゴレを殺されたことに対する怒りが、彼女の覚悟を強めているのか。

 人一倍穏やかに見える彼女が、怒りを原動力にしているのは少し不思議な感じがした。だが、だからこそ興味深くて見入ってしまう。


 ケーニッヒは、音羽の手元に視線を移した。すると、やはり彼女の炎は、彼女自身の心を表すかのようにただ煌々と、静かに燃えていて。

 燃え尽きることなどないのではないか、そう思うくらい、強い光を発していた。









 音羽たちが、ドイツで匣兵器の製作に取り掛かっていた丁度その頃――。


 イタリアを出た小型ジェット機は、まっすぐ日本に向かって飛んでいた。ゴゥゴゥとエンジン音だけが響くその機内には、パイロットたちを除いて二人の男しかいない。

「…………」

 獄寺は、機内の窓から暮れなずむ空を睨むように見つめていた。雲一つない夕空はとても静かだ。世界中に溢れている喧騒など初めから何も知らないように、ただいつもと変わりない空の色を一面に広げている。

 思わず、膝の上に置いていた両手の拳を、強く握りしめていた。


 ――なんで、こんなことになった……。


 何十、何百回考えても、獄寺はずっと“ここ”にいる。

 もっと自分が引き留めていれば、もっと自分が気を付けていれば、もっと自分に力があれば、自分が代わり行っていれば。そうすればこんな――。

 
 こんな、ツナが死ぬようなことにも、ならなかったかもしれない。


「――っ……」

 ギリ、と歯を食いしばり、獄寺はジェット機の貨物室にある黒塗りの棺を想った。

 そこには、絶対に守らなければならなかった人が入っている。例え本人が望まなくても、自分の命に代えてでも、獄寺は守らなければならなかった。

 けれど、それが出来なかった自分は……、一体何のために。

 
 ひどい後悔と、自分に対する怒り。彼を失くした悲しみが、交互に胸の中で暴れていた。それを押さえ込むので精いっぱいだ。苦しくなって、獄寺は僅かに口を開く。

「……」

 いつの間にか浅くなっていた呼吸を整え、大きな息を吐き出した。――そういえば……、あいつは。どうしてる?
 
 獄寺はふと、もう一人の存在を思い出して機内に視線を巡らせた。

 自分のいる座席とは反対側――右翼側の窓際に座っている山本を見る。


 山本も、彼にしては珍しく、獄寺と同じように眉間に深い皺刻んでいた。

 

 ――昨晩。獄寺と山本はツナに付き添い、ミルフィオーレファミリーの用意した交渉の席に赴いた。

 獄寺は罠だと何度も止めたが、それでもツナは『大丈夫だよ』と笑って決して譲らなかったのだ。だから、彼の言うままに敵のアジトに足を運んだ。

 獄寺や山本が一緒に行ったのは、当然“万が一”のときにツナを守るためである。……だが、その“万が一”が起きたとき、獄寺たちは何も出来なかった。


 彼に銃口が向けられたその瞬間、周囲の音は何一つ聞こえなくなった。咄嗟に動いた身体は側にいた敵に呆気なく押さえ付けられ、それは山本も同じだった。

 そしてツナは――獄寺たちと、大勢のミルフィオーレファミリーが見ているその前で。命を奪われたのだ。

 抵抗の色さえ見せなかったツナに銃を向けたのは、ミルフィオーレファミリーのボス、白蘭。あのときのあの男の満足そうな笑顔を、獄寺は忘れられない。思い出すたびに殺してやりたいと何度も思う。

 そして、白蘭の側に控えていた日本人。
 床に崩れるように倒れたツナを、冷たい目で見下ろしていた、あの入江正一という名の男も。


 獄寺は山本の顔を見ながらあのときのことを思い出し、眉間を寄せて目を伏せる。

 ツナが殺されたあと、獄寺と山本は敵を振り払い、倒れたツナを抱えて何とか逃げ延びた。本当は一刻も早くツナの仇を討ちたかったし、討つべきだとも思っていた。

 だが、白蘭や入江を倒すには相応の準備が必要で、獄寺は何より、最も信頼し尊敬している十代目の“意志”を尊重しなければならなかったのだ。それは、獄寺たちがこうして日本に向かっている“理由”でもある。

 
 射殺される前、ツナは『日本に行かなきゃ』と何度もしきりに言っていた。 

 それは、ボンゴレ本部襲撃後、ミルフィオーレが全世界のボンゴレの拠点――もちろん、ツナの生まれ故郷かつボンゴレとも縁が深い日本にも、容赦なく攻撃を仕掛けたからだ。

 日本にはファミリーの人間が多くいる。その安否を彼が憂えていたことは言う間でもないが、何よりツナが危惧していたのは、日本にいるツナの“関係者”たちの安否だ。

 ボンゴレに総攻撃を仕掛けてきたミルフィオーレの目的は、これまでのようなリングや匣などの戦力を奪うことではない。


 彼等の目的はただ一つ。ボンゴレ側の人間を、一人残らず殲滅すること――。


 その目的の前ではマフィアと一般人の区別すらなく、彼等はボンゴレと――ツナや獄寺たちと関わった人間を、無差別に殺し始めたのだ。

 現に、中学時代に知り合ったトマゾファミリーとも連絡が取れなくなっているし、そのほか中学時代からの知り合い、笹川京子や三浦ハルらの無事さえも確かめられていなかった。

 そして何より――山本の父親も。
 ミルフィオーレの人間に殺されたと、昨夜イタリアを出立する直前に、現地の人間から報告がきたのだ。


 状況は、ただただ悪くなっている。それでも、これ以上の犠牲を出してはいけない。

 きっと生きていれば、ツナも同じことを思って行動に移していたはずだ。だから、獄寺と山本はこうして日本に向かっている。

 ボンゴレ十代目、沢田綱吉の意志を引き継ぎ、日本にいる仲間を守るために。



 獄寺は、足元に置いていたアタッシュケースを取って膝に乗せ、静かに蓋を開けた。

 中に入っているのは、獄寺が気に入っている煙草と最近手に入れたばかりの匣兵器。そして、髑髏の封蝋を押した、一枚の封筒だ。……これが、獄寺たちが日本に向かうと決めた、二つ目の理由。

 獄寺は封筒を手に取って、中の紙を引っ張り出した。

 それは、ツナに言われるままに書き写した、獄寺にしか解読できないG文字の指令書だ。ミルフィオーレファミリーの元へ行く直前、ツナが獄寺に告げた最後の指令を写したものである。


 “――守護者は集合。ボンゴレリングにて白蘭を退け、写真の眼鏡の男、消すべし。全ては元に戻る――”。

 その言葉と共に渡されたのは、日本人の男が映った一枚の写真。――入江正一だ。

 『入江を消せ』という具体的なこと以外、獄寺はまだこの指令書に書かれている意味を理解できていない。

 “守護者”というのは、ボンゴレの七人の守護者のことで間違いはないだろう。だが、次に出てくるボンゴレリング――これはもう壊してしまって、既にこの世には存在しない。

 そして、入江正一。入江を消せば、“全てが元に戻る”。……元に戻る……、とはどういう意味なのだろう?

 獄寺はもちろん、ツナ本人に意味を尋ねた。けれど彼は何一つ答えてはくれないまま出立し、ついにその真相を確かめることは出来なくなってしまった。

 
 しかし、ツナがあのタイミングで、獄寺に無意味な指令を与えるはずがない。

 今はないボンゴレリングを用いて、どうやって白蘭を退けるのかは分からないが――。守護者を集めること、そして白蘭の部下、入江正一を倒すこと。
 目下、すぐにすべきことは見えている。


「…………」

 ――十代目はきっと、こうなることを見越して、オレにこの指令を伝えたんだ……。十代目は、オレを信じて託してくれた。

 獄寺は紙と写真を封筒に仕舞い、それを強く握りしめた。

 もうここにはいなくても、彼と自分のファミリーを想う気持ちは寸分違わず同じはずだ。きっと、この先ずっと。彼の意志は、必ず自分が継いでいく。

 ――日本には、ランボがいる。山本とランボ以外の守護者がどうしてるのか知らねーが……、全員日本に縁のある奴らだ。だから、日本を拠点に守護者を集める。そしてまず、入江を、倒す……!


 沈みかけていた夕陽は、もうすぐ地平線の向こうに入ろうとしていた。消える間際の赤い閃光は、その色を空に刻みつけるように一際強く輝いている。

 獄寺はその光を瞳に受け入れ、その色を、輝きを、心の中に確かに刻んだ。
 彼の、最期の姿とともに。







 獄寺と山本が、ジェット機の中で日本への到着を待っているあいだ――。

 その日本では、小さなヒットマンが地に膝をついて呻き声をあげていた。


「――くっ……」

 どことも知れぬ薄暗い森の中に、リボーンはいた。 

 ランボの放った十年バズーカをなぜか避けることが出来ず、時空間を移動して、気付けばこの見知らぬ土地に来ていたのだ。だから恐らく、ここは十年後の世界。

 ……ということは、十年後の自分はこんな場所にいたのか? だとしたらここはどこだ?

 そう考えるも、ここがどこなのか思考する余裕も、辺りをじっくり見回す余裕も、今のリボーンにはない。なぜなら――。

「っ、動けねぇ……」

 歯を食いしばり、リボーンはありったけの力を振り絞って身体を動かそうとした。だが何度やってもそうだったように、身体はピクリとも動かない。まるで、金縛りにでもあっているかのように。

 ――ただ、それだけならリボーンももっと冷静でいられただろう。身体が動かなかったとしても、打開策を考えることくらいは出来る。

 しかし、今はそれさえ不可能だった。

 身体が重く、息が苦しい。呼吸をするごとに体内に黒い煙を取り込んでいるような、その煙が徐々に自分を蝕んでいるような――充満した何かが、自分の命を脅かそうとしている。

 こんなときの自分の勘は、大抵間違ってはいない。残念なことに。

 身体の抵抗が無駄だと理解したリボーンは、動こうとすることを止めた。そうすれば幾分かマシな呼吸が出来るようになって、代わりに周囲の安全をもう一度確認できる。

 
 森の中は、とても静かだった。赤い夕陽が沈んでいる所を見るに、あちらが西か。鳥や獣の声もしなければ、人の気配もない。助けを望むこともできないが、襲われる心配もなさそうだった。

 ――それはある意味吉と言えるか……。今襲われたら、流石のオレでもやべーからな……。

 リボーンは僅かに眉を寄せた。だがそれは表情筋が動かないだけで、心の奥では珍しく焦燥している。

 見ず知らずの土地で、なぜか動くことも出来ないこの状況。そして少しずつ、けれど着実に奪われていく体力と気力。
 やがて、何もしていないのに呼吸をするだけで、息が、上がり始める。

 ――クソ、どうなってやがる……。

 リボーンは歯噛みした。身体の重みが増していく。上体を、起こしていられない。

 
 ドサッ、と地面に倒れ伏し、リボーンは荒い呼吸を繰り返した。急速に視界がぼやけ、それでも必死に意識を保とうとする。気を失うのは、一番マズい。

 だが、頭でそう理解していても、意識は徐々に闇へと引き摺り込まれた。目の前の景色が揺れて、歪み、身体中から全ての力が抜けきったとき――。

 リボーンの頭に浮かんだのは、ダメダメな自分の教え子。ツナの、慌てたような心配したような、いつもの情けない顔だった。







 二時間後、山本と獄寺を乗せたジェット機は、長時間のフライトを経てようやく日本に到着した。

 通常であれば都内の空港に着陸する所だが、今回は訳が違う。

 主要な空港は既にミルフィオーレの監視下にあると推測し、二人は並盛山の麓に造られている、ボンゴレ専用の小さな飛行場に着陸した。

 この飛行場を使うには様々な手続きが必要になるため、普段はほとんど使わない。が、数時間森を歩けば、アジトの出入り口まで辿り着ける立地にある。
 
 周辺は特別なカモフラージュを施してあるので、ミルフィオーレの追跡も当分の間は逃れられるはず――そういう訳で、獄寺がすぐにこの飛行場を利用できるよう、手配してくれたのだ。


 二人は飛行場の管理者である部下たちから日本の状況を聞いたあと、アジトを目指して森の中を歩き出した。

 もちろん、大切な友人の眠る棺を持って。



 ――既に日が暮れて暗くなってしまった森の中を一時間ほど歩き続け、二人は少しだけ休憩を取ることにした。
 
 いくら成人男性二人で担いでいると言っても、やはり中に人一人入った棺はとても重く、一度目の限界がきたのだ。飛行場にいた部下たちに手伝ってもらうことが出来ればまだよかったが、この異常事態のなか彼等には別の重要な仕事が山ほどある。

 だから、手伝うと言ってくれた部下の申し出は断った――のだが、二人きりで担ぐそれは、山本たちの体力より気力の方を消耗させた。道中、お互いに一言も言葉を交わせないくらいに。


 山本は草の上に座って身体を休めながら、周囲を見回した。森の中には、風に揺れる木の葉の音だけが聞こえている。敵がいる気配はない。

「――チッ、やっぱり繋がらねー……。アホ牛にもアジトにも、連絡は出来ねーな……」

 獄寺は耳に当てていたスマホを、苛立った顔で仕舞った。代わりに煙草を取り出して火を付ける。

「そうか……。本部が壊滅した今、普段の連絡手段は一切使えねーみてーだな……」

 山本は彼の横顔を見ながら答えた。

 
 ボンゴレでは普段から通信傍受を防ぐため、保護された端末を使って連絡を取り合うことになっている。だが、先日ボンゴレ本部が壊滅したことにより、各個人に支給されている保護端末は全て使えなくなってしまった。
 
 日本にいるはずのランボや他の守護者たち、それから日本のボンゴレアジトとも未だ連絡が取れていないのはそのせいだ。さっきの飛行場にある設備から各方面へ連絡しても駄目だったので、予備の伝達システムにも不具合が起こっているのだろう。

 日本のボンゴレもかなり追い込まれている状況のようだが、彼等と連絡が取れるまで悠長に待てるだけの時間はない。

「クソ……一刻も早く、アジトに行かなきゃなんねーってのによ……」

「…………」

 煙草をふかす獄寺の声には、ありありと焦りが浮き出ていた。山本にもよく分かる。自分も、表には出さないよう努めているが同じだった。


 夜が深まれば、視界はさらに悪くなる。そのうえ、敵の動きも昼より活発になるはずだし、自分たちは今棺を抱えていていつもより動きが鈍い。一般クラスの敵ならともかく、今ミルフィオーレの隊長クラスと出くわしでもしたら……とても厄介だ。

「……」

 ――だとしたら……オレか獄寺、どっちかが先にアジトに行って応援を呼んで来るか?

 考えていたら、獄寺が顔を上げてこちらを見た。

「……おい山本。お前、先にアジトに行って誰か呼んで来い。夜は敵も動きやすくなる、二人でちんたら森の中歩いてるよりマシだろ。ここはまだ安全なようだし、オレなら一日は持つ。日が出たら動けるように、お前は誰か連れて戻って来い」

 彼は、自分と同じことを考えていたようだ。……だが、山本は僅かに眉根を寄せる。

「……ならオレが残るぜ。今は大丈夫だが、危険なことには変わりねーだろ。野宿になるし、敵に遭遇する可能性もある」

「あぁ? てめーにそんな心配されるほどオレは落ちぶれてねーよ。何なら、お前をここに残す方が余程不安だ。……それに、」

 獄寺は言いかけて口を噤み、視線を静かに地に落とした。

「……右腕のオレが、十代目の側を離れる訳にはいかねーだろ」

「獄寺……」

 初めて聞くような苦しい獄寺の声に、掛ける言葉は見つからなかった。

 いつもツナの隣に堂々と控えていたはずの彼の姿は、今は少しだけ小さく見える。或いは傍から見れば、自分もそうなのかもしれない。

「……分かった。そんじゃ行ってくっから、また連絡する。お前も……何かあったら連絡しろよ」

「ああ、繋がればいいけどな。……頼んだぜ」

 獄寺は煙草を咥えて緩く笑むと、早く行け、と顎をしゃくった。山本は頷き返し、刀を背負う。踵を返す前、ボンゴレのエンブレムが彫られた棺を見た。

 ――ツナ……、親父……。

 心の中を過った、温かくて明るい大切な二人の笑顔。

 自分は何も出来ないまま、彼等を失ってしまった。悲しみと後悔の重い波が打ち寄せて、何度も自分を呑み込もうとする。

 けれど、その前に。山本は視線を前に向けて、森の中を駆け出した。


 しんとした冷たい夜風が、顔や身体に吹き付ける。

 山本は、ツナや獄寺たちと出会った中学時代のことを思い出していた。振り返ればあの頃から、いつの記憶にも二人がいる。

 ――もう、戻れないんだな。

 冷たい空気を吸って、吐いて。山本は記憶の中を辿りながら走り抜けていく。波が、すぐ後ろまで追い付いてくる。だから再び、意識を視界の前方に向けた。

 それを何度か繰り返し、何十分も走り続けた、そのときだ。

「――!!」

 目の前の地面に転がった、小さな影。

 山本は自分の目を疑って、思わずその場に足を止めた。


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