48話 一流の研究者

 イタリアを発ち、ドイツに着いた翌日。
 音羽は草壁が運転してくれる車に乗って、ドイツの街中を走っていた。

 窓の外を見れば、そこは昨日とは打って変わって大都会。大きなビルやマンションが所狭しと建っていて、少しだけ日本の――東京を思わせる。

 ここには東京に建っているような高層ビルは少ないけれど、どこの国でも都会はある程度似た風景になるようだ。


 ――皆、元気にしてるかなぁ……。

 車窓を流れていく景色を眺め、音羽は母国にいる皆の顔を思い出した。

 たまに電話はするけれど、父や母、それに京子やハルたちとはもう一年以上会っていない。皆変わっていないだろうか。

 懐かしくて、少し恋しくもなりながら音羽は目を細める。

 寂しいなぁと思うことは何度もあったけど、でも、彼等に会える日もそう遠くはないかもしれない。――音羽専用の匣が手に入れば、これまでと同じペースで世界各国を飛び回る必要も、きっとなくなるはずだから。


「……」

 音羽は同じ後部座席に座っている雲雀に、ちらりと視線をやった。彼は車に乗り込んでからずっとそうしているように、長い脚を組んで今も静かに瞼を閉じている。

 眠っているようにも見えるのに、彼の横顔には全く隙が感じられない。……何か、考え事でもしているのだろうか?

 思わず彼を見つめていると――不意に、雲雀が目を開けた。

「――何?」

「!」

 流し目でこちらを見ながら、低い声で呟く雲雀。彼の瞳と視線が絡み、音羽はハッと我に返る。

「な、何でもないです……」

「……そう」

 小さく首を振って答えると、雲雀はまたゆっくりと目を閉じてしまった。

「…………」

 本当に、彼の感覚の鋭さには未だに驚いてしまう。目を閉じているはずなのに、いつもまるで開けているみたいだ。

 音羽は雲雀の端正な横顔をもう一度見つめてから、再び窓の外へと視線を投げた。景色は、さっきと同じように後ろに向かって過ぎていく。

 ――本当に、“あの人”がドイツ(ここ)にいるのかな……。

 音羽はまだ見ぬ“彼”の姿を想像して、それから昨日、雲雀が飛行機の中で話してくれた内容を思い出した――。







『――ある研究者と、ようやくコンタクトが取れた』

 草壁が操縦してくれているプライベートジェットに乗り込み、座席のベルトを締めた所で、隣に座っている雲雀はやっとそう切り出した。

『彼は気まぐれでどこにいるのか、いつも滞在地が変わってね。連絡先を調べるのさえ苦労したけど、ようやく話が纏まったよ』

『……“彼”って? 恭弥さんは、その人に会ったことがあるんですか?』

 どこかうんざりしているようにも見える雲雀に、音羽は浮かんだ疑問を率直に尋ねた。すると雲雀は音羽を見て首を緩く横に振り、きちんと質問に答えてくれる。

『いいや、会ったことはないよ。今までずっとメールでやり取りしていたからね。……でも、君の話をしたら食いついて居場所を教えてきた。金に目のない男のようだけど、一応科学者だし……何より腕だけは信用できるはずさ』

『……?』

 ――科学者としての腕は、信用出来る……?

 彼が、他人のことをそんな風に評価するのは珍しい。音羽はただただ首を傾げた。雲雀の言う人が誰なのか、全く見当もつかない……。

 真剣に考えながらつい眉根を寄せていると、雲雀の手がゆっくりと。音羽の顔にかかっていた髪を払い、耳に掛ける。

 顔を上げたら、彼は楽しそうに微笑していた。――まるで、『丸二日焦らして、君が悶々と悩んでいる姿を見るのは楽しかったよ』、とでも言うみたいに。

 目を丸くする音羽が次に聞いたのは、彼がついに口にした“答え”だった。


『――ケーニッヒさ。匣を開発した、研究者の一人のね』







「…………」

 音羽は瞬いて、窓の向こうにずらりと続く街路樹を眺めた。

 雲雀の口から出てきたその名前を聞いたときは、思わず大きな声を上げてしまうほど驚いた。……本当は、今でもまだ信じられていない。

 だって、“あのケーニッヒ”と雲雀が連絡を取っていたなんて、誰が想像できただろう。しかも、自分の匣開発に彼が関わることになるとは。


 ケーニッヒといえば雲雀も言っていた通り、ヴェルデ、イノチェンティとともに匣を開発した研究者の一人だ。

 他の二人は原因不明で亡くなっているけれど……生き残っている彼だけは、今も匣兵器の研究を続けながら、開発した兵器を闇の武器商人に流している、という噂を聞いたことがある。

 そんな人が、まさか個人の依頼を引き受けるなんてちょっと想像できない。……のに、これから彼に直接会うのだと言われても、現実味があるはずなかった。


 音羽は小さく息を吐き出し、仄かに胸を埋める不安と緊張を少しだけ外に逃がす。

 ……一体、どんな人なんだろう。どんなことをするんだろう? 本当に、私の匣兵器が出来るのかな……?

 少しずつ、けれど着実に目的地に近付く車の中で、音羽は身を硬くする。きゅっと膝に置いた手を握りしめ、フロントガラスの向こうに視線を据えた。







 ――それから、車を二十分ほど走らせた頃だろうか。

 ビル街を抜けてしばらく走ると、さっきよりもずっと小さな町に着いた。高い建物もなければ舗装されたコンクリートの道もなく、いつの間にか車のタイヤが掴むのはレンガ道になっている。

 辺りの景色は、一言でいえば外国の下町のようだった。

 闇の武器商人に兵器を卸している科学者の拠点なんて、もっと薄暗くて治安の悪そうな所だと思っていたけど。今窓の外に映っている景色は、想像よりもずっと普通だ。

 町の大通り沿いには三階建てくらいのコンクリートを打ちつけたアパートが整然と並び、ベランダには洗濯物や白いシーツが風に大きくはためいている。歩道には大人や子供、老人の歩く姿もあって、人々が日常生活を営んでいる姿がよく見えた。

 
 観察していると、道の脇にあった駐車スペースに車が入り、ゆっくりと停車した。サイドブレーキを引く音に続いて、草壁が後部座席を振り返る。

「――恭さん、音羽さん、着きました。ここからは少し歩きます」

 彼に運転のお礼を伝えたあと、音羽は雲雀に続いてドアを開け、外に出た。草壁はトランクを開けて、中から鍵付きの黒いアタッシュケースを取り出すと先頭に立って歩き始める。


 三人は車を停めた場所から、ひっそりとした裏路地へ入った。
 裏路地、ではあるものの、周囲の建物が低いので、穏やかな午後の光が辺りを温かく包んでいる。

 それから角を幾つか曲がり、三人はやがて両脇を建物に挟まれた、人一人通れるくらいの細い道に入った。両側の建物の壁には小窓しか付いておらず、出入り口がない。どうやらここは完全な裏道のようだ。

 歩調を変えずに歩みを進め、三つ目の建物を通り過ぎたとき。草壁が、ピタリと足を止めた。

「……恭さん。指定された場所はここかと……」

「……」

 草壁は言いながら、小道の左側を見る。音羽も彼の視線を追いかけた――が、そこにあるのは建物と建物の間の、僅かな隙間だけ。子供が通れるかどうかくらいの幅しかない。

 ……こんな所が指定された場所だなんて、どういうことだろう?
 
 思っていると、隣にいた雲雀がズボンのポケットに手を突っ込んだ。彼はそこからリングを取り出し、サッと素早く右手の中指に嵌める。

 ――藍色に灯る炎は、霧のリングだ。
 霞がかったように風に靡く炎を、雲雀はじっと見つめている。

「……」

 彼は少ししてからリングを外し、またポケットに仕舞った。そして――。

 雲雀は、そのごく僅かにある隙間へと右脚を踏み出す。と、その瞬間、彼の姿はまるで透明人間にでもなったかのように、一瞬で消えてしまった。

「! 恭弥さん……!」

 音羽は思わず小さく声を上げた。雲雀がいた形跡は、最早見える範囲に残っていない。

「……どうやら、霧系のリングでカモフラージュしているようですね。我々も行きましょう」

「……はい……、」

 真横にいた草壁に言われ、音羽は頷いた。先にどうぞと促されて、恐る恐る一歩を踏み出す。――その刹那。


「――っきゃあぁ!!?」


 音羽の身体は、勢いよくガクン! と前のめりに傾いた。――地面がない!?

 爪先が掴むはずだった地面はそこになく、気付くと同時に辺りの景色がパッと変わる。視界は穏やかな午後の路地裏色ではなく、薄暗い灰色に占められた。

 そして何より、内臓が浮き上がるようなひどい浮遊感。


 ――落ちる……!!


 何が何だか分からない、ただただ怖くて、目をきつく瞑ってしまう。

 それでも何か掴まるものはないか、落ちたときに少しでも衝撃を和らげようと本能が働いて、音羽は手を前に伸ばした。すると――。

「!!」

 伸ばした腕を強く掴まれ、重力よりも速く身体を下に引かれる。

 続けて感じたのは、身体全部を丸ごと抱きしめられる感覚だった。柔らかいような硬いような、生温かいその感触に、音羽はおずおずと目を開ける。


「――はあ……何やってるの、君……」

「きょ、恭弥、さん……」


 瞼を持ち上げた先に現れた呆れ顔、聞こえたいつもの低い声。今にも鼻先が触れそうな距離で、雲雀は音羽の目の前にいた。
 
 どうやら落ちる寸前、彼が腕を引いて音羽を抱き留めてくれたらしい。

 雲雀が呆れているのは明らかだったけれど、音羽は心底ほっとした。「ありがとうございます……」と蚊の鳴くような情けない声を漏らし、はぁ……と深く安堵の息を吐き出す。

 ……だが、それも束の間。


「!! あ、あの! っも、もう大丈夫です……!! 降ろしてください……!!」

 音羽は自分の足が未だ宙ぶらりんなことに気が付いて、慌てて雲雀の胸を押した。
 あんまり安定感があるからすぐには気が付かなかったけど、今音羽は全体重を雲雀に持たれていたのだ。――ものすごく恥ずかしい……!

 早く地面に降りたくて、思わず足をバタバタさせると、雲雀は音羽の腰を両腕で抱きかかえたまま不敵に笑う。

「……へえ、いいの? また転んでも知らないけど」

「……え……?」

 ――また転ぶの? そんなに危ない場所、なの……?

 意地悪く細められた瞳と、吊り上げられた口の端、を認識しながらも、音羽はつい動きを止めてしまった。さっきの落下の恐怖が、まだ身体に染みついている。

 だからこわごわと、そっと首を覗かせて下を見ると――。


 かなり急な、灰色の階段が下に向かって伸びていた。


「…………」

 ……たしかに、ぽいっと勢いよく落とされたら、また転んでしまうかもしれない。
 でも雲雀がわざわざそんなことをしなければ、音羽でも転ぶことはないだろう。……そこにあるのはそんな、普通より急な階段だ。

 静止してそこまで思考した音羽は、ようやく気が付いた。――雲雀に、ただ揶揄われていたことに。

「っ……! 恭弥さん!! 私で遊ばないでください……!!」

「はいはい」

 音羽が怒って声を上げると、雲雀はくすくす笑いながらやっと下に下ろしてくれる。


「……」

 階段の上にしっかり立って、音羽はまだ楽しげにこちらを見下ろしてくる男を軽く睨み付けた。――人の困った顔を見て楽しむなんて、なんていう悪趣味だろう。

 ……でも、そうは思っても強く言えないのが惚れた弱みだ。結局、音羽を助けてくれるのはいつだって雲雀で。

 そう思うと、むくれる気持ちも次第に消えた。音羽は気を取り直して、足元に視線を移す。


 裏路地から一歩踏み出した先には急勾配なこの階段があって、音羽は足を踏み外して転んでしまった。

 ただでさえ目に見えない空間のはずなのに、一歩踏み出した先にこれがあるなんて、造りが危なすぎる。……もしくは、それが狙い、なのだろうか? だとしたら、侵入者を防ぐため……?

 音羽は考えながら、後ろを振り返って見上げてみた。

「……!」

 そこに黙って佇んでいた草壁と、しっかり目が合ってしまう。

「……も、申し訳ありません……。先に行こうかと思ったのですが、狭くて……」

「!」

 草壁はそう言って、気まずそうに視線を逸らした。彼の言いたいことを理解して、音羽も慌てて首を竦める。

 草壁は音羽と雲雀に気を遣って先に行こうとしてくれたものの――この階段の幅は狭い。追い越そうにも二人が邪魔で、草壁はそこにいるしかなかったのだ……。

「……いえ、私の方こそすみません……」

 音羽は草壁に深々と頭を下げて、やっぱりこんな恥ずかしい思いをさせた張本人を、恨めしく思わずにはいられなかった。







 三人は続く階段をゆっくりと降りて行った。

 壁も天井も階段も、一面が灰色で薄暗い。地下二階、くらいだろうか。

 随分下に階段の果ては見えるけれど、そこまでは決して近くなかった。段差が急なのでどうしても足取りは遅くなるし、白っぽい照明は照明器具というより道しるべというくらいの明るさで、満足に足元を照らしてはいない。

 それでも雲雀はスタスタと階段を降りて行くので、音羽はなるべく速く彼に追いつけるよう注意しつつ足を動かした。



 ――やがて――長い階段を降り切った先には、周囲の壁と同じ材質で出来た、鉄製の重たげなドアがあった。
 
 ドアノブはないものの、ドアのすぐ横にはセキュリティーモニターのような機械が取り付けられていて、真上には監視カメラが設置されている。

 きっと、“何かしらの方法”で開く扉なのだろう。

 
「これは……耐炎性の、ナノコンポジットアーマーのようですね」

「……随分と用心深い」

 草壁が壁に近付いて確かめると、雲雀は怪訝な顔で呟いた。彼はそのまま一歩前に進み出て、頑丈そうな鉄のドアに近付く。すると――。
 

『――個人データを照合します。こちらにリングの炎をかざしてください』

「!」


 突然、ドアの横にあったセキュリティーモニターに電源がついて、機械的な女性の声が雲雀にそう促した。音羽は急に響いた音声に驚いてしまい、つい肩を跳ねさせる。

 モニターの下からは、細長くて黒い棒が一本伸びていた。……あれに、炎をかざせということだろうか。
 
「……」

 目をしばたかせている音羽とは対照的に、雲雀は別段躊躇いもせず雲のリングを取り出して自分の指に嵌めた。そこに紫色の炎を灯し、彼は音声案内通りに棒の先端に炎をかざす。

『……個人データを照合、確認中。――認証が完了しました」

 モニターがそう言えばロックの解除音が鳴って、ガシャン! ガシャン! とけたたましい金属音がドアから響いた。

 ロックの外れた鉄の扉は、ゴゴゴ……とまるで地響きのような音をさせて、重々しく上に上がっていく。

「…………」

 鉄の扉の向こうには、静かな暗闇が落ちていた。無機質な鉄の廊下がぽっかりと口を開けて、三人を闇の中へ誘っている。

 音羽がごくりと唾を飲んでいると、雲雀は迷うことなくその中に足を踏み入れた。草壁にどうぞと手で示されて、音羽は深呼吸したあと雲雀の背中を追ったのだった。

 





 ガシャン――と背後の扉が重く閉まると、廊下の床に埋め込まれていたライトが一斉に点灯した。

 だが、下から差す光だけでは空間を全ては照らせず、辺りはまだ薄暗い。
 ただ、冷たい金属製の壁と天井で覆われたこの廊下の、進む先だけはしっかり見えた。

 雲雀は後ろを振り返り、音羽がきちんと自分の後ろ、そして草壁の前にいることを確かめてから歩き出す。

 人一人が通れる幅の狭いそこを、真っ直ぐに進んで行った。廊下は途中で左右に伸びていたものの、雲雀は点灯したライトだけを追う。
 
 人工的な景色の中をしばらく進んで、途中で小部屋のような何もない空間を幾つか通り過ぎ、やがて雲雀たちは大きな部屋に踏み入った。


 ――薄暗い室内。天井には所々小さなライトがついているが、壁や作業台に設置されたモニターやパソコンのディスプレイの方が、よほど室内をチカチカと照らしている。

 廊下と同じ金属で出来ている壁や床は、その光をぼんやりと跳ね返していた。

 ――なるほど、“科学者の研究室”らしい。

 モニターにはどの画面にも匣やらリングやらの図面が映っていて、壁際には分厚い本やファイルをぎっしり並べたスチールラックが置かれている。隙間に入りきらなかったらしい物たちは、その上に重ねるようにして乱雑に置かれていた。

 この部屋の持ち主は整理整頓が不得意なようだ、雑然とした周囲を確認したあと、雲雀は部屋の最奥へ視線を向ける。


 ――大きな機材とモニターの隙間から、こちらに背を向けて座っている男が見えた。

 ちょうどここから真向かいの壁を向いているうえ、遠くて物影にも隠れてしまっているのでかなり見えにくい……が、白衣を着た細身の男だ。
 
 机上で何か作業でもしているのか、こちらに気付いた気配がない。

 メールのやり取りしかない男の顔など知る由もないが……彼が、ケーニッヒで間違いはないだろう。

 思っていると、後ろから草壁が前に進み出てきた。

「――失礼します。約束をしていた者ですが」

「……ああ、うん、分かってる。すぐに行くから少し待っててー」

 草壁が通る声で言えば、男は滑らかな日本語で答えひらひらと右手を振った。

 向こうを向いたままで表情は見えないが、そこに特別驚いた素振りはない。

 恐らくこちらの存在に気が付いていながらも、作業を優先させていたのだ。現に彼は早々に右手を下ろし、作業を再開している。


「…………」

 雲雀は、静かに眉を寄せた。

 メールでやり取りする限りでは、特に気に障ったこともない。日本語も使えてスムーズだったし、金さえ積めばこちらの要求も呑む実に分かりやすい男、というのが雲雀の彼に対する印象である。

 ……ただ、約束の時間を過ぎても目の前の事に没頭してしまうのは、研究者の性なのか。

 待たされることに少し苛立ちを覚えていると――ガタ、と椅子を引く音。

 視線を奥へと戻せば、立ち上がった彼がコツコツと靴音を響かせてこちらに歩いて来る。モニターと機材の隙間を、彼の影がゆっくり通った。


「――ああ悪いね、待たせちゃって」

 あまり悪びれる風でもない声とともに、男は大きな機材の向こうからひょこっと顔を出した。

「こんにちは、雲雀。時間ピッタリだね」

 彼――ケーニッヒは言うと、にっこりと深く笑う。

 蜂蜜色の癖毛な髪に、垂目がちな深緑の目。白衣の下には二つ目までボタンを開けた淡い黄色のカッターシャツと、ライトグレーのスラックスを着ている。

 年は雲雀と同じくらいか、或いは少し上かもしれない。彼の纏う軽い空気のせいで、年上の感じがしない。

「あ、入り口、スムーズに入れただろ? あらかじめ君に伝えてたし、君の炎のデータをメールで送ってもらってたから、システムに登録しておいたんだ」

 彼はどこか弾んだ声で言うと、距離を詰めてこちらに手を差し出した。

「改めまして。会うのは初めてだね、雲雀。俺はケーニッヒ、よろしくね」

「…………」

 雲雀は差し出された手を見下ろして、それからゆっくりと視線を上げる。ケーニッヒの顔を見て目を細めると、彼もそれが“拒絶”だと分かったのか肩を竦めて手を引っ込めた。

「あははっ、やっぱり雲雀はメールの印象通りだ。いつも必要なこと以外話さないもんね」

「……僕は、思っていたより君が軽薄な男だから驚いているよ」

「ははっ、毒舌だなあ! メールはほら、一応仕事の依頼だからキチンとしなきゃと思ってさ。……で、それはさておき……、この子が、雲雀の依頼してきた新しい属性の子?」

 ケーニッヒは気分を害した風でもなく、雲雀の後ろに立っていた音羽の方へ視線を向けた。

 振り返ると、音羽はいささか緊張した面持ちで雲雀の後ろから出てくる。

「……片桐音羽です。匣のこと、よろしくお願いします、」

「へえ……、君がボンゴレの……」

「…………」

 ぺこりと頭を下げる音羽に、ケーニッヒの目の色が少し変わった。際限のなさそうな好奇心が、音羽を無遠慮に捕まえて光っている。雲雀はつっ、と眉を顰めた。


 ケーニッヒには、二人がボンゴレの守護者であること。また、音羽は七属性以外の属性を持っていることを伝えてある。

 当然裏社会にどっぷり浸かっているこの研究者は、初代以来のボンゴレ天の守護者にも、未だ謎多き新属性を持っている彼女にも興味しかないはずだ。

 じろじろと音羽を眺めるケーニッヒを睨んでいると、彼はやがて腰を屈めて「こちらこそよろしくね」と言いながら音羽に微笑みかけた。音羽は、馬鹿正直に「はい!」と固まりながら頷いている。

「ふふ、なるほど……雲雀が専用の匣を持たせたくなる気持ち、分かるなぁ。こんなに可愛かったら心配だもん、音羽ちゃん」

「「「!」」」

 ケーニッヒの言葉に、雲雀、草壁、音羽はそれぞれに息を呑む。

 あわあわと口籠りながら首を振る音羽をケーニッヒが楽しそうに見下ろし、雲雀は今すぐトンファーを取り出したい衝動に駆られながら彼を睨み付けた。草壁は雲雀の視界の端で、慌てたように両手を胸の高さに上げている。

「あははっ、そんなに睨まなくても大丈夫だよ、雲雀。安心して? 俺、研究とお金の次に女の子が好きだけど、人のものに手を出す趣味はあんまりないんだ」

「……」

「もう、怖い顔だなぁ。……じゃあこれ以上雲雀を怒らせないうちに、そろそろ本題に入ろうか」

 彼は馬鹿らしい発言をようやく止めてそう切り出すと、白衣のポケットに手を突っ込んで、中から雑に折りたたんだ数枚の書類を取り出した。

 彼はそれに目を通し、先ほどより幾分真面目な声でスラスラと話し始める。

「えーっと。そう、彼女の七属性の炎データを、以前雲雀が送ってくれたんだよね。だけどここの設備の方が正確な測定が出来るから、まず彼女の炎データを改めて収集したい。――それから一つ確認なんだけど、恐らく彼女の属性に合致していると思われる天のボンゴレリングの炎データは、測定したことないんだよね?」

 問われて、雲雀は息を一つ吐き出した。

「……ああ、匣が出来た頃に壊してしまったからね」

「なるほど……。その頃だと、測定に必要な設備は、まだマフィア間で一般化してなかったから仕方ないか。……それじゃあ、壊すまでの間にリングに炎を灯したことは?」

 彼は今度は音羽の方を向いて尋ねる。音羽は記憶を辿るように、視線を上に巡らせた。

「たしか……一度だけ。もう十年近く前ですけど……。それからリングを壊すまでは使う機会がなかったので、一度も炎を灯したことはありません」

「一度だけ、か……。その時の炎、何色だったか覚えてる?」

「白、でした……」

 雲雀は音羽の答えを聞いて、約十年前――あのリング争奪戦のことを思い出す。

 ザンザスがリングを継承しようとしたとき、音羽がキューブに嵌めた天のリングには真っ白な炎が灯っていた。彼女が天のリングに炎を灯したのは、確かにその一回きりだと、雲雀も記憶している。


「白、か……。やっぱり、俺の推測は正しいかもしれないな、」

 ケーニッヒは顎に手を当てウロウロと歩きながら、何やら呟いている。しかし、彼はふと足を止めるとこちらを振り返った。

「……うん。雲雀、この依頼正式に受けるよ。彼女だけが持つ属性が何なのか、俺も気になるし。報酬は事前に決めていた額でいい、サービスだ」

「期日のことも忘れられたら困るよ。今日を入れて、あと六日で完成させてもらう」

 間髪入れずにそう言えば、ケーニッヒはわざとらしく困ったように眉尻を下げる。

「そうだ、今回はすごくタイトなスケジュールなんだよねぇ。……まあ、その分はちゃんと貰うつもりだから構わないけど」

「……」

 口元にニッと余念なく笑みを浮かべ、彼は草壁を流し見た。雲雀も草壁に視線を合わせ、小さく頷く。

 合図を受け取ると、草壁は黒いケースの鍵を開けケーニッヒの方に進み出た。彼にだけ見えるように、それを開ける。
 
「――、うんうん、確かに! それじゃあ契約成立ってことで……! 早速、実験してみていい?」

「変な真似したら咬み殺すよ」

 喜々とした顔でケースを確かめ、音羽と雲雀を交互に見る彼を、雲雀は牽制の意味を十二分に籠めて睨み付けた。

 ケーニッヒは、肩をすぼめて手を横に振る。

「雲雀は心配症だなぁ。大丈夫だって、実験は全部ここでやるし、気になるなら側で見ててもいいからさ。……さっ、音羽ちゃん! こっちに来て?」

「は、はい!」

 音羽は返事をして、素直にケーニッヒの後ろに続き研究室の奥へと歩いて行く。
 ケーニッヒは、まるでひよこか何かみたいに自分の後をついてくる音羽を振り返りながら、彼女に楽しそうに話し掛けていた。

 ……本当に、始終軽くて馴れ馴れしい男だ。ああいう男は取り分け嫌いで鬱陶しい。雲雀は眉間の皺を深くする。

 もし彼がこんな人間だと知っていて、尚且つもっと時間に余裕があったのなら、今回の依頼はしなかったかもしれない。

 だが――。

 残されたこの時間のなかで確実な物を作ることが出来るのは、恐らくこの世界ではこの男しかいないだろう。

 それもまた、彼女のためなら仕方がない。

「……はあ、」

 雲雀は深く溜息をついて、二人の後を追いかけた。


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