36話 大空戦

 大空戦の夜。ツナはリボーンと一緒に中山外科医院のランボの病室を訪れていた。リボーンは、ランボが眠っているベッドの側の椅子に腰を下ろしている。

「昼に意識を取り戻して、相当ウザかったらしいぞ。まだまだ安静が必要らしいけどな」

「ハハ、良かった……、ランボ」

 リボーンの言葉にほっとして、ツナは寝ているランボを見守った。

 見た目には擦り傷一つないランボだが、医師には内臓へのダメージが大きいため、意識を取り戻すにはしばらく時間がかかるだろうと言われていた。

 けれど、今日の昼に一度目を覚ましてくれたらしい。まだ酸素マスクは付けているものの、ランボの表情は穏やかだ。

 ツナはその寝顔に口元を緩め――それから、ゆっくりとリボーンに視線を移す。聞くのは怖い、が、気にならない訳がなかった。

「……あの、九代目だけど……」

「ここにはいねーぞ」

「……! じゃあ、やっぱり……」

 リボーンが即答して、ツナはさあっと青褪めた。想像したのはもちろん最悪の結果だ。一瞬恐ろしい未来が脳裏を掠めたとき、リボーンが静かに言う。

「音羽が頑張ってくれた甲斐もあって、死んではいない。だが、余談を許さねー状況だ。今はディーノが設備のいい所に運んでいる」

「……そっか……」

 ツナは深く息を吐き出した。

 音羽が精一杯治癒の力を使ってくれたことは、よく分かっている。それでも治り切らないほど、九代目の傷は深かったのだ。まだ、安心は出来ない……。

 俯いて胸の痛みを感じていると、リボーンは気を取り直すようにぴょんと椅子から飛び降りた。
 
「――それより、お前に新兵器ができてるぞ」

「……し、新兵器?」

「来い、こっちだ」

 言いながら、リボーンは病室の片隅に置いてあったアタッシュケースを取ってツナに渡した。とんでもない武器か何かじゃないだろうな、思いながら受け取ると思いのほか軽い。

「バトル用のマフィアスーツだ。レオンの体内で生成された糸で織った、特別製だぞ。死ぬ気の炎でも簡単には燃えねーんだ」

「! マフィアスーツって、マフィアのカッコすんのかよ!?」

 武器でないことに安心したのも束の間、ツナは怖そうなマフィアの服を想像しならケースを開けた。

「安心しろ、見た目は並中の制服と一緒だ。オレのスーツと同じ素材って意味だ」

 その言葉通り、中に入っていたのはツナが普段身に着けている並中のベストとシャツ、ズボンだった。言われなければ、これが特別製だなんて思いもしないくらい普通である。ツナはほっと胸を撫で下ろした。

「見ろ、そいつを作ってレオンはすっかりやつれちまった。おまけの機能もつけてくれたからな」

「おまけ……? あ……ありがとな、レオン」

 ツナが確かにほっそりしてしまったレオンの頭を撫でると、彼は「どういたしまして」とでも言うようにぺろりと指を舐めてくれる。ツナは屈めていた身体を起こして、特別製の制服をぎゅ、と抱えた。

「そいつに着替えたら行くぞ。リング争奪戦、最後の戦いに」

「――うん」


 昨夜、ザンザスが投げてきた大空のリングの片割れ。ツナはそれを指先に持ち、静かに見つめて頷いた。

 いよいよ、本当に最後の戦いだ。今日で全てが終わり、全てが決まる――。







「――で……骸様からは?」

 灯りのない黒曜ランドの一室で、千種が尋ねてきた。クロームは小さく首を横に振る。

「全く反応がないの……そっぽ向いてるみたいに……」

 ――骸様……、まるで他の人に話しかけてるみたい……。

 クロームは彼に意識を集中させ、もう何度目かそう思う。彼が応えてくれないことに疑問は確かに湧くけれど、自分が立ち入れることではないのはよく分かっていた。

 目を伏せていると、犬が前のめりに言う。

「なんだそれ!? 骸様と連絡取れないんじゃ、お前ますますいる意味ねーびょん!!」

「…………ごめん」

「許すか、バーカ!!」

 怒鳴られて、でも何も言葉が見つからなくて謝ったら、彼は不機嫌そうにベーッと舌を突き出した。いつもの顔。

「……私……行くね」

 クロームはごそごそ荷物を整えて、鞄を肩に抱える。

「……並中?」

「うん……招集されてるの」

 千種の声に頷き、霧のリングを手のひらに握りしめ、クロームは一人黒曜ランドを後にした。







 並中の中庭。ツナは獄寺、山本、了平、バジルと合流して――ヴァリアー、そしてザンザスと対峙していた。

「ザンザス……」

「来たか、カス……」

 ザンザスの鋭い瞳が、ツナを睨み付けてくる。

 少し前ならそれだけで悲鳴を上げていた。でも、今はその恐怖より彼に負けたくない気持ちの方が強い。だから、真っ直ぐ正面からその視線を受け止める。

 ツナたちが互いに睨み合っていると、ふと、校舎の屋上の方からチェルベッロの二人が下りて来た。

「――お待ちしておりました」

「これで沢田氏側の守護者は、嵐、晴、雨……そして、霧の守護者が揃いました」

「! 霧……って……! 君は……!」
 
 チェルベッロの視線が向けられた先――ツナは、中庭にやって来たクロームの姿を見て目を見開く。

 今日は守護者戦ではなく、ツナとザンザスの戦いのはずだ。獄寺たちが来るのは言われなくても分かっていたが、クロームがこの場に来るのは正直意外で。

 まだ驚いていると、チェルベッロが重ねて言った。

「残りは雲、雷、そして天の守護者ですね」

「……え、残りって……」

 もしかして、全員来るの……? ツナが疑問を浮かべながら呟いたとき、中庭に新しい足音が。

「――あの……」
「用件は何?」

「! 片桐!! 雲雀さん!!」

 聞き慣れた声に振り向けば、そこにはいつもの飄々とした雲雀、そして彼の後ろでは音羽が顔を出している。音羽の方はともかく、雲雀も揃って来るなんて。しかも……、雲雀の言った言葉。

「あの、用件……って? ……っていうか片桐、今日授業休んでたけど、体調は大丈夫なの……?」

 ツナは今朝のことも思い出し、音羽に聞いた。


 ――今朝、HRで雲雀が担任に『片桐音羽は、今日体調不良で欠席するから』と一方的に報告しに来たことは、2年A組の誰もが知る所である。

 きっと昨晩、九代目の件で彼女にはかなり無理をさせてしまったので、雲雀の計らいで休んでいるのだろう……とツナは思っていたが、正直今夜も休んでいてよかったのではないかと思う。

 が、そんなツナの想いとは相反して、音羽は緩く首を振り微笑んだ。

「うん、休めたからもう大丈夫。心配してくれてありがとう」

「お前たちも呼び出されたのか。オレたちと一緒だな」

 了平が言うと、クロームもこくりと頷く。

「守護者は必ず来るように、チェルベッロから……」

「え……?」

 ……つまり雲雀や音羽、クロームに加え了平たちも、チェルベッロから呼び出されて今ここにいる……? だとしたら、一体どうして?

 ツナがチェルベッロに視線を向けると、彼女たちは淡々と話し始めた。

「そうです。命ある守護者全員に、強制招集を発動しました」

「……強制招集?」

「奴もいるぞ」

「?」

 リボーンが些か警戒した声で言って、ツナは彼の視線を追う。

「ム……」

「マーモン……!!」

 そこには、小さな檻に入れられたマーモンの姿があった。レヴィが持っているその檻は鎖で雁字がらめにされていて、ほぼ監禁されていると言ってもいい。霧戦で逃げ出したはずのマーモンだったが、どうやらヴァリアーに捕まえられていたようだ。

「――もっとソフトにお願い〜! 超重傷なのよ〜!」

「!?」

 不意に聞こえてきた甲高い男の声に、ツナたちは振り返る。

「! ルッスーリア!!」

「生きていたのか!!」

 マーモンに引き続いて登場したのは、了平の対戦相手だったルッスーリアだ。

 晴戦後、彼はゴーラ・モスカから制裁を受けていたが、そのときの傷が余程酷かったのだろう。彼は垂直に立った大きなベッドに固定されて、丁寧にしろと叫んでいた。
 ……が、本人の雰囲気や口調のお陰か、悲愴感が漂わない。

「――沢田氏側の雷の守護者も来たようですね」

「!?」

 チェルベッロの言葉に、ツナは耳を疑った。雷の守護者、といえば。

 まさかと思って見てみると、やはりチェルベッロの女が、酸素マスクをつけたまま眠るランボを抱えて歩いて来る。

「な……なんでランボまで!? 意識取り戻したばっかりなんだぞ!?」

 ツナは青褪めて声を上げた。まだ小さなランボにこんな無理をさせるなんて、冗談じゃない。そう思ったが彼女たちは冷静で、そして冷淡だった。

「強制招集をかけたのは、他でもありません」

「大空戦では、七つのリングと守護者の命を懸けていただくからです」

 





「リングと……守護者の命を懸ける……?」

 ツナは、恐る恐るチェルベッロの言葉を復唱した。音羽も雲雀の隣に立ちながら、今しがた紡がれた彼女たちの言葉を頭の中で反芻する。

 ――“命を懸ける”……。その言葉の本当の重みを図りかねていると、彼女たちは事もなげに。

「そうです」

「……ちょっ、何言ってんの!? ランボは怪我してるんだぞ!! ランボを返せ!!」

 頷いたチェルベッロに、ツナが抗議した。音羽はこめかみに嫌な汗が浮かぶのを感じる。

 ……これまで淡々と過酷なルールを説明してきた彼女たちのことだから、薄っすら感じてはいたけれど――あの言葉は“本当”、なのだ。“大空戦では、リングと守護者の命を懸ける”。

 彼女たちはいつものように、ツナが身を乗り出して叫んでも表情一つ変えなかった。

「下がってください。状況はヴァリアー側も同じです」

「そーよ! ガタガタ言わないの!」

 同意したのはルッスーリアだ。彼(彼女……?)は苦しそうに息をしながら言う。

「招集がかかったら……どんな姿だろうと集まる。それが、守護者の務めよ……!」

「その通りだよ。僕もザンザス様の怒りが収まって、力になれる機会を窺っていたのさ」

 檻に入れられたマーモンも声を上げた。

「ししし、よっくゆーよ。捕まったけど殺されずに済んで、饒舌になってやんの」

「お黙り、ベルちゃん!!」

「スクアーロは……? いねーのか……?」

 ヴァリアーのやりとりを見ていると、いつもより表情を硬くした山本がチェルベッロを向き直って聞く。

「……雨戦の顛末はご存知のはずです」

「スクアーロの生存は否定されました」

「……」

 返ってきた答えに、山本は唇を噛んでそれ以上声を発することはなかった。

 
 声が一旦途切れると、チェルベッロの一人が前に進み出る。

「――では、大空戦を始めましょう」

「えっ、ちょっと待ってよ!! まだ納得は……」

「出来なければ失格とし、ザンザス様を正式なリング所持者とするまでです」

「っ……」

「のやろー……」

 彼女たちにそう切り捨てられれば、こちらは何も言えなくなる。

 ツナたちも音羽も。まだ不本意な気持ちが残るまま、半ば強制的に大空戦は幕を開けることになった――。




 まず行われたのは、守護者のリングの回収だった。

 皆が懸命に戦って手に入れたボンゴレリング。もちろん、音羽の天のリングもチェルベッロに手渡した。

 そういえば、雲雀は雲戦でリングを投げ捨てていたけれど、雲のリングは彼女たちがちゃんと保管していたらしい。彼女たちが抱えた箱の中には、既に雲のリングが鎮座していた。


 そうしてリングの回収が終わったら、今度は大空戦のルール説明。

 大空戦も他の守護者戦と動揺に、大空のリングを完成させることが勝利条件の一つらしい。ただし、フィールドはこれまでと違って学校全体。今までと比べて、かなり範囲が広くなっている。

 そして、それに伴い用意されたのが観覧席と、各所に設置された小型カメラ、大型ディスプレイ。それから、どこにいても状況がある程度分かるようにと、守護者にはカメラ搭載型のモニター付きリストバンドが支給された。

 これで今皆がどうしているのか、その場にいなくても様子を見ることが出来るらしい。


「――では、守護者の皆様はリストバンドを装着し次第、各守護者戦が行われたフィールドに移動してください。なお、天の守護者だけはこの場での待機となります」

「ぬ? フィールドだと? 今更どういうことだ?」

「質問は受け付けません。従わなければ失格となります」

 レヴィの質問にもあっさりそう言い返すチェルベッロに、獄寺は小さく舌打ちをした。

「ったく、ムカつく女だぜ」

「見てるだけじゃなさそーじゃん。楽しみ」

 ベルはにんまり笑って、これからの展開にうずうずしているようだ。


「…………」

 音羽はリストバンドを左手首に着けながら、ごくりと唾を飲んだ。

 ここから先のことは全部、一人で何とかしなきゃいけない。
 雲雀はグラウンドに行ってしまうし、他の皆も自分のフィールドだった所に行かなければいけないのだから。

 そうなると、当てにできるのは自分だけだけれど……。その自分には何の戦闘力もないうえに、身を守る術すらない。一つだけ幸いなことがあるとするならば、音羽にはリングを奪い合うような敵がいないこと、だろうか……。

 けれどそうは言っても、これから何が起こるかは分からない。皆はまた守護者同士で戦うことになるのかもしれないし、もし……殺し合い、にでもなってしまったら。自分は、どうしたらいいんだろう……。

 リストバンドを着けることは出来たものの、指先は緊張で少し震えていた。身体中に力が入っている。始まるまでに気持ちを、落ち着けないと……。


「――音羽」

「……! はい」

 深呼吸をしていたら雲雀に呼ばれて、音羽は隣にいる彼を振り返った。雲雀はまだリストバンドを着けている途中で、手元に視線を落としている。彼は、目を伏せたまま。

「怖いかい?」

「!」

 雲雀の率直で静かな問いに、肩が自然と跳ねてしまった。音羽はすぐに頷いて、下を向く。

「……怖いです。これから何が起きるのか、全然分かりませんし……」

「まあ、君は自分を守る術も持たない小動物だからね。不安になるのは当然のことさ」

「…………」

 素直に不安を口にしたら、リストバンドを着け終わった雲雀が頭上でふ、と口元を緩める気配がした。どこか楽しそうな色さえ声に滲ませている雲雀が、少し羨ましくて恨めしい。

 でも、彼に返せる言葉はなくて項垂れていると――ぽん、と。
 音羽の頭に、彼の手が載せられた。顔を上げれば、視線が絡む。


「心配しなくていいよ。僕が守ってあげるから、君は安心して待っていればいい」

「……! 雲雀さん……」

 雲雀の瞳は、音羽が思っていたより随分優しい色をしていた。細めた瞳の中にあるのは嘘でも誤魔化しでもない、彼にとっての真実だ。

 彼のその自信に満ちた瞳と言葉に、音羽の胸のさざめきがまたゆっくりと静まっていく。

 雲雀は、不安がる音羽をいつでも安心させてくれた。彼が言うなら大丈夫だと、自然と思わせてくれるのだ。それをまたきちんと胸に刻み込んだら、音羽もようやく微笑むことができる。

「……はい、待ってます。雲雀さんが来てくれるのを」

「うん」

 音羽が言うと、雲雀は微笑して頷いてくれた。彼のその表情を瞳の奥まで焼き付ける。


「――では、やるなら今しかないか……」

 雲雀と話していると聞こえてきたのは、了平の声だった。彼はここから少し離れたツナたちの集まりの中で、軽く咳払いをしている。

「え?」

「円陣だな!」

「気合い入れましょう!」

「! そ、そうだね」

「お前たちはそこにいればよいからな。10メートルルールに改訂したからよいんだ!」

 了平が遠巻きにいる音羽と雲雀、クロームに向かってそう声を掛けてくれる。何でも彼の説明だと、10メートル以内にいる人間は円陣に入ったとみなす極限ルールらしい。


「よーし、行くぜ!」

「沢田ファイッ!!」

「「「「オーー!!!」」」」

 一致団結した掛け声が響き、守護者の皆はそれぞれの場所に移動する。

「では後で」

「ボス、音羽、気を付けて……」

「頑張れよ」

「無茶すんな」

「…………」

 皆それぞれ声を掛けて行くなか、雲雀は円陣で密集した彼等に憤慨したのか口をムスッと引きしめて行ってしまった。
 
 けれど、去り際。彼がこちらに視線を送ってくれたのを音羽はしっかり受け止めて、苦笑するツナの横でつい微笑んだ。







 大空戦を見に来たDr.シャマルとコロネロが、ちょうど中庭にやって来たとき。チェルベッロが、他の守護者たちが各フィールドに到着したことを告げた。

 それと同時に、校舎の壁に設置されたモニターに不思議なポールが映される。三階建ての校舎と同じ高さで、てっぺんは受け皿のような平たい作りだ。

 あれは一体……? 音羽が首を傾げていると、チェルベッロが説明した。

「これは、各フィールドに設けられたポールです。この頂上にはフィールドと同じ種類のリングが、それぞれ置いてあります」

「ですが今回、天のリングには専用のポールを用意しておりません。ですので、天のリングのみ、他の六つのポールのいずれかに他のリングと共に置かれています」

『……! リング……!? まさか、また奪い合えってのか……?』

『それって、先に天のリングを取った方が天の守護者をもらえるってこと? じゃあ、オレたちも戦えちゃうんだ?』

「!!」

 モニターから流れてきたのは、獄寺とベルの声。

 もしベルの言う通り、天のリングをヴァリアーに取られたら……! 焦ってチェルベッロを振り返る。

「いいえ。これは、あくまで大空戦。先程もお伝えした通り、大空のリングを完成させることが勝利条件の一つです」

「天の守護者は、大空戦においての勝利者側に帰属することになっています。ですので、一時的に天のリングを所有したからと言って、天の守護者の帰属が決定することはありません」

「……よかった……」

 彼女たちの言葉に、音羽はほっ……と胸を撫で下ろした。

 あんなに高さのある六つのポールから、天のリングを探し出すこと自体かなり難しいし、もし見つけられたとしても音羽には簡単に取れない高さだ。あらゆる方法でリングを取ろうと試みても、その間にヴァリアーが邪魔してくることは目に見えている。

 やはりこの最終決戦も、これまでの守護者戦のときと同様、ツナに勝ってもらうしか道はない。

「――ただ」

 考えていると、チェルベッロが言葉を続けた。

「戦闘に関しては、どうぞご自由に」

「え!?」

「!」

 ツナが慌てた様子でチェルベッロを見る。

 何となくそんな気はしていたけれど、やっぱり戦いが始まってしまうんだ……。
 ――でも、雲雀の対戦相手だったモスカはもういない。雲雀の手は空いているし、彼の気が向いたなら他の守護者と共闘することもあるかもしれない。

 だとしたら、思ったよりスムーズにヴァリアーとの決着もついてしまうんじゃ……? そう、音羽が思っていると。

「ただし……出来ればの話ですが」

「…………?」

 付け加えたチェルベッロの言葉は、とても意味深だった。音羽やツナ、モニターに映っていた皆が不思議そうな表情を浮かべた――そのとき。


 ――手首に、鋭い痛みが走った。


「――っ!!」

 あの、リストバンドを着けた箇所。突然針で刺されたような痛みがして、音羽は身をこわばらせる。

 ――なに……!? 何が起きたの!?

 慌ててリストバンドを見て、咄嗟に引き剥がそうと指を掛けた、けど。その瞬間、まるで雷に貫かれるような衝撃が音羽の全身を駆け巡った。

「っ――う……っ!!」

 とても、立っていられない。痺れるような痛みが突然襲い掛かってきて、音羽は膝から地面に崩れ落ちる。身体が、燃えるように熱い。熱くて、痛くて、苦しくて。息が、。

「な、何!? どうしたの、片桐!?」

 すぐ駆けつけてくれたのか、近くでツナの声がした。

 でも彼に応えようとしても、振り仰ごうとしても、身体が全然動かない。浅い息をするだけで精一杯、身体が、自分のものではないような――。
 音羽の意識は、途端にぼんやり虚ろになった。



「っ……あ……、」

「片桐!! あ、熱い……!?」

 ツナは音羽の身体を揺さぶって、その普通ではない温度に驚いた。どう考えても高熱だ、風邪で出る熱なんてレベルじゃない。しかもこんな、一瞬で。

「ただ今守護者全員に、リストバンドに内臓されていた毒が注入されました」

「!! なんだって……!?」

 狼狽えているとチェルベッロが言って、ツナはモニターを振り返る。

 見れば、他の守護者たち――敵も味方も関係なく、皆苦しげに地面に倒れ伏している。いつも涼しい顔をしているあの雲雀でさえ、今は苦痛に表情を歪めて片膝をついていた。

「デスヒーターと呼ばれるこの毒は、瞬時に神経を麻痺させ、立つことすら困難にします。そして全身を貫く燃えるような痛みは徐々に増してゆき、三十分で――絶命します」

「ど、どういうことだよ!! 大空戦なのに、何でみんながこんな目に!!」

「大空であるボスの使命だからです。全てに染まりつつ、全てを飲み込み包容することが、大空の使命」

「守護者全員の命がボスに委ねられる戦い。それが、大空戦なのです」

「委ねるって……こんなの……!!」

 あんまりに理不尽だ、何も聞かされないまま、無理やり……! ツナが怒りで拳を震わせていると、チェルベッロが制するように口を開く。

「ただ、毒の進行を止める方法が一つだけあります」

「!! それは、何なの……!?」

「それは、守護者のしているリストバンドに、同種類のリングを差し込むことです。リストバンドの凹みにリングを差し込めば、内臓されたデスヒーターの解毒剤が投与される仕組みとなっています」

「そして……大空戦の勝利条件はただ一つ。ボンゴレリング全てを、手に入れることです」

 チェルベッロはツナの方に歩み寄り、四角いキューブが等間隔についたチェーンを差し出してきた。

「このチェーンに、全てのボンゴレリングをセットできます」

「……っ、分かったよ……!」

 ツナはチェーンを受け取って、素早くズボンに引っ掛ける。そのまま音羽の側に走って、膝をついた。

「片桐、必ず助けるから……!」

 ツナは荒く呼吸を繰り返して、ぐったりしている音羽の肩を支えると、中庭の奥――隅の方に移動させる。


 ――熱と痛みで、朦朧とする意識の中。音羽は、ツナの必死な声を聞いた気がした。







「――っ……」

 リストバンドから注入された毒に蝕まれ、雲雀はついに耐え切れずグランドに倒れ伏していた。

 身体が、信じられないほど熱い。

 これまでに経験したことのない熱が全身を取り巻いて、脈がどんどん上がっていた。動いてもいないのに息は上がり、時間が経過すればするほど燃えるような痛みが身体中に広がっていく。

 ―――音羽……、

 苦痛に耐えて閉じた瞼の裏に浮かんだのは、彼女の姿だ。

 さっき手元のモニターに映った音羽は、当然毒を投与されてすぐ地面に倒れていた。辛そうに顰めた彼女の顔が、頭から離れない。

 雲雀でさえこの有様だ。音羽が同じ痛みと苦しみを今現在感じているのだと思うと、居ても立っても居られなくなる。

 ――早く、音羽を助けないと。そう強く思うのに、身体は雲雀の意思に反して動かなかった。


「……く……っ、」

 歯痒さと苛立ちで、雲雀は唇を噛みしめる。顔を上げれば、解毒剤の鍵であるリングを載せたポールは、腹立たしいほど高く空へと聳え立っていた。

 普段の雲雀ならあんなポールを倒すことなど造作もない。だが、今は起き上がることさえ難しい状況だ。伏せているだけで、猛烈な痛みが駆け抜けている。


 ――しかし――。

 だからといって、ここで寝そべったまま諦める訳にはいかない。

 音羽の解毒に必要な天のリングは、現状では入手困難なポールの上にあることに加え、六つのポールのうちのどこにあるのかも分からない。音羽自身が見つけて手に入れるなど、到底不可能な話だろう。
 
 貴重な守護者であるらしい彼女を、チェルベッロとかいうボンゴレの関係者らがみすみす見殺しにするとも思えないが、それも当てにできる訳がなかった。

 
 制限時間は、三十分。
 
 残された時間も多くないうえ、音羽は敵にも狙われている存在だ。早く自分が向かわなければ、あのいけ好かない男たちに彼女を連れて行かれかねない。

 つまるところ、音羽を助けられるのは自分しかいないのだ。他の誰でもない自分が、助けなければ。


「……っ、音羽……」

 雲雀は、地についた手に力を入れた。何とか上体を起こし、ふらふらと立ち上がる。

 身体の感覚はほとんどなかった。熱のせいで視界もグラつく。


 だがそれでも、彼女の命を諦めるなど、雲雀にとってはこの世で最もあり得ないことだった。
 音羽を失うかもしれない今、自分の感じる痛みなど余りに瑣末なことに過ぎない。


 雲雀はこめかみに汗が伝うのも気にせず、トンファーを取り出しポールに向かって駆け出した。



 ――『待ってます。雲雀さんが来てくれるのを』。

 そう言った音羽の柔らかい笑顔が、雲雀の胸のなかに浮かんでいた。


prevlistnext
clap
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -