27話 帰還

 翌日、午後十時過ぎ――。

 嵐の守護者戦を見守るために、音羽は並中へと向かっていた。昨日と同じくツナ、リボーン、バジルが迎えに来てくれて、四人で灯りのついた閑静な住宅街を歩いて行く。


「片桐、体の調子どう?」

「うん、大丈夫。寝たらすっかり良くなったよ」

 ……と、微笑んでツナに答えたものの。
 本当は、まだちょっと疲れが残っていた。

 でもツナたちにこれ以上心配をかけたくなかったし、自分も「大丈夫」と思っていた方が気が楽だったのだ。

「無理しないでね……。今日は獄寺君だし、昨日のランボみたいなことにはならないと思うから……」

「……それは、どうだろうな」

 ツナが言ったら、リボーンは表情を僅かに曇らせる。

「獄寺の相手、ベルフェゴールは、“プリンス・ザ・リッパー”――“切り裂き王子”って通り名なんだ」

「切り裂き王子……?」

「ああ、本当に王族の血を引いてるらしい」

「!」

 “王族の血”。

 リボーンの言葉に音羽は目を見開いた。
 初めて会ったとき、ベルが言っていたのだ。自分は“王子”だと。
 
 あのときは何かの変な冗談かと思っていたけれど、リボーンが言うのなら本当なのかもしれない。本当の王族……ということは、絵本に出てくるようなあの“王子様”と同じなのだろうか……?

「……」

 ――とても、そんな風には見えないけど……。


 子供の頃に読み聞かせてもらった、『シンデレラ』とか『白雪姫』とか。そういう物に登場する王子様は、もっとこう……爽やかで凛々しい感じだったはず。
 でもベルは……雰囲気だけで言うのなら、王子様というよりやっぱり“暗殺者(ヒットマン)”だった。


 そんなことを頭の隅で考えていたら、リボーンがベルについて話してくれた。

 ――彼は王族でありながら、常人離れした類い稀なる戦闘センスを持て余し、自らヴァリアーに入隊した変わり種。戦闘においてだけなら、ヴァリアーで最も才能があるのは彼だと。


「獄寺君……、そんな恐ろしいのと……」

「厳しい勝負になることは間違いねーな」

「……」

 二人の会話に、音羽は俯いた。

 ツナが言っていたように、獄寺なら昨日のランボのようなことにはならないだろうと、音羽も思っていたけれど……。ベルがそんなに手強い相手なら、何が起きても不思議ではないかもしれない……。



 ――話をしているうちに、四人は並中に到着した。

 相変わらず、とても静かな夜の学校。
 校門を過ぎたら、今夜も先に来ていた山本と了平が出迎えてくれる。

「よっ!」

「山本! お兄さん!」

「こんばんは」

 音羽は二人に軽く挨拶をして、辺りを見回した。


 ――獄寺君、まだ来てない……?

 てっきり山本たちと一緒に来るものだと思っていたが、彼の姿はどこにも見当たらない。

「あれ……獄寺君は?」

 首を傾げていると、同じく気付いたらしいツナが山本たちに尋ねる。

「なんだ、ツナたちと来ると思ってたんだけどな」

「まだ来ていないぞ」

「ど、どうしたんだろ……?」

 ツナは不安そうに俯いた。

 獄寺が、ツナに何も言わずに来ないなんて……ちょっと想像出来ない。

 音羽もどうしたのだろう? と考えていると、山本の肩に飛び乗ったリボーンが言う。

「もしかして、シャマルに止められてるのかもな。シャマルのことだ、勝機のねー戦いに弟子を送り出すはずねーからな」

「え……じゃあ……!」

「新技が完成してねーんだな」

「そ、そんな……!」

「…………」

 焦りを浮かべて、眉尻を下げるツナ。音羽もその場に視線を落とす。

 ――でもやっぱり、獄寺が何の音沙汰もなしに来ないなんて信じられなかった。
 ……彼はきっと、来てくれると思う。

 
 顔を上げたら、「ぜってー来るって!」と山本も笑っていた。彼の屈託ない表情を見ると、ツナたちも「そ、そうだよね……」と気を取り直したように苦笑する。

 そうして音羽たちは獄寺が来ることを信じて、ひとまず今日の舞台――校舎の三階を目指して、校内に入って行ったのだった。

 

「…………」

 そんな一同の後ろ姿を、校舎の影から見ている男がいた。

 暗闇に紛れて身を潜めていたその男は、ツナたちと、そして音羽の背を見据えて唇を引き締める。彼は学ランのポケットから携帯を取り出すと、それを静かに耳元に当てた。







『緑〜たなびく〜並盛の〜』

「……、」

 木々の間――不意に響いた心地よい並中の校歌に、雲雀はピタリと動きを止めた。

 それは丸二日聞くことのなかった、携帯の着信音。雲雀はトンファーを掲げていた腕を下ろし、ポケットに手を突っ込む。


「――お、電話繋がったみてーだな。良かったじゃねーか、恭弥」

「…………」

 誰のせいで。

 雲雀は跳ね馬を睨み付けた。


 ――あれから雲雀は、言葉通り彼と戦いながら下山して移動し、今は並盛山の麓まで戻って来ていた。

 そうこうしていたらいつの間にか、圏外を脱することが出来たらしい。戦い続けて音羽に電話を掛ける暇もなかったから、いよいよ彼女の方から連絡してきたのかもしれない。

 雲雀は未だ鳴りやまないそれを取り出し、ディスプレイを見た。…………溜息が一つ。


「……何だい、副委員長」

『!』

 応答を押して低い声で応えれば、電話の向こうで草壁が息を呑む。

 視界の端で、跳ね馬がこちらを見て苦笑していた。……増々イライラする。が、草壁はこちらの機嫌の悪さを素早く察知したのか、直球で本題に入った。

『……委員長、並中への不法侵入者を数名発見しました。また、我が校の生徒の何名かも、この時間の並中に集まっています』

「……へぇ」

 にやりと、口の端が吊り上がる。

 丁度良い、この苛立ちを発散させるには。


「で、それは誰なの? もちろん特定は出来ているね?」

『はい。沢田綱吉、山本武、笹川了平、そして――音羽さんの姿も、確認しました』

「!」

 ――音羽?

 思いがけず出た彼女の名前に目を見開く。
 
 なぜ彼女がこんな時間の並中に? しかも、草食動物たちと一緒に。
 ――考えてすぐ、一つの可能性が頭に浮かんだ。
 

 沢田綱吉ら草食動物たちが揃い、雲雀が並盛を留守にしているこのタイミング。跳ね馬がしつこく話したがっているリング絡みだ。それ以外にあり得ない。

 音羽は元々、この煩わしいリングの話に積極的だった。守護者になると強い意思で決めたくらいだ、厄介ごとを持ち込んで来た沢田綱吉たちと行動を共にしようとしても、何ら不思議ではないだろう。

 彼女はどれだけ危険だと分かっていても、それが雲雀のためになるならば、と。無鉄砲に飛び込んで行ってしまう女だ。

 
 雲雀は浮かべていた笑みを消し、前を見据えた。

「不法侵入者の特定は出来たのかい?」

『いえ、それはまだ……。しかし、只者でない事は確かです』

「音羽は?」

『無事です。音羽さんの様子も確認しましたが、特に危険が迫っているようには見受けられませんでした』

「……そう。すぐ並盛に戻るよ」

 音羽は無事でいる――それにひとまず息を付き、雲雀は電話を切った。

 
 なぜ今自分がここにいるのか。悟った雲雀は、ディーノを見据えて睨み付ける。

「……僕を並盛から遠ざけるために、修行とか何とか言ってこんな所まで連れて来たんだ?」

「あ〜……まあ、そうだな……。リング争奪戦の舞台が並中だなんて知ったら、お前、黙っちゃいねーだろ?」

 跳ね馬はばつが悪そうに頭を掻きながら、分かりきった事を言う。

「当たり前だよ。知ったからには、ここにいる訳にはいかないな……僕は帰るよ」

「あ、待てよ! 恭弥!」

 後を追いかけてくるディーノを無視して、雲雀は歩き出した。

 一刻も早く、彼女の所に行かなければ。そう思えば、歩調はいつも以上に速くなっていた。







 図書室のある三階に到着した音羽たちは、廊下の反対側にいるヴァリアーたちと向き合った。

 獄寺は校舎の方にも来ていなくて、一時は気持ちを切り替えていたツナも再び不安そうな顔をしている。音羽もそわそわした。

 ――彼なら、きっと来てくれると思っている。……でも、時間は刻一刻と迫っていた。


「ししっ、待ってたぜ、音羽」

「! …………」

 ベルは音羽を見ると、どこか機嫌良さそうに話し掛けてきた。……変に気に入られてしまったのか……、とにかく反応に困ってしまう。

 ふいと視線を逸らしたら、ベルはまた笑って肩を竦めた。

「そっちの嵐の守護者全然来ないじゃん。王子不戦勝? ま、それでも別にいいけど。リングも手に入るし、あと少しでお前もこっちのもんになる」

「ご、獄寺君は、必ず来ます」

 それだけきっぱりベルに言い返して、音羽は窓の外に目をやった。


 向かいの校舎の壁には、大きな時計がかかっている。

 カチ、カチ、と秒針を刻む音。
 
 それは距離的にきっと、自分のしている腕時計からする音なのに、いつもより大きく聞こえる気がした。少しずつ、心音がその速さを追い抜いていく。


 ――戦闘開始の午後十一時まで、あと二分を切ってしまった。誰もが息を呑み、獄寺の到着を待つ。……ああ、また針が動いた。あと一分も残されてない……。


「……」

 ――獄寺君……、

 音羽が、最悪を想像してしまったその瞬間。


 ――ドガン!!

「えっ!?」

「!」

 激しい音がしたかと思えば、視界に捉えていた校舎の時計が爆発した。黒煙に覆われてタイムリミットが見えなくなる。何が起こったのか、誰もが辺りを見回したとき。


「――お待たせしました、十代目!! 獄寺隼人、いけます」

 待ちわびていた彼の声が、廊下に大きく響いた。









 ギリギリで獄寺が間に合ったので、嵐の守護者戦は無事に行われることになった。

 今回のフィールドは、校舎の三階全域。

 そしてフィールドのあらゆる場所には、“ハリケーンタービン”という超強力な突風を発生させる装置が、多数設置されているらしい。窓ガラスさえ破砕してしまうくらいの突風なのだから、身体に直撃すれば一溜まりもないだろう。

 更に、今回の戦いには時間制限が設けられた。試合開始から十五分以内に嵐のリングを完成させなければ、ハリケーンタービンが順次爆発してしまうのだ。

 まさに、荒々しく吹き荒ぶ激しい嵐のような戦場。
 
 獄寺はツナたちに見送られ、廊下の中央へと進み出た――。


「――今回のフィールドは広大なため、各部屋に取りつけたカメラで観覧席に勝負の様子を中継します」

「また、勝負が妨害されぬよう観覧席とフィールドの間に、赤外線感知式のレーザーを設置しました」

 チェルベッロが言うと、ツナや音羽たちのいる観覧席の前にレーザーが現れた。昨夜の雷戦のように、他の人間が守護者戦に割って入るのを阻止するためのようだ。


 獄寺は鋭い目で目の前にいる対戦相手――ベルフェゴールを睨む。

 ここで自分が負けてしまえば、ザンザスの所持するリングは三つ、ツナたちは一つになってしまう。残りは雨、雲、霧戦の三試合なので、その三試合を全勝しなければこちらに活路はない。

 万が一にでもツナが負けることがあれば……音羽はヴァリアーに連れて行かれ、ツナたちも恐らく始末されるだろう。何としても勝たなければ……。


 拳を握りしめると、目の前にいたベルがニヤリと笑いながらこちらに歩いて来た。
 警戒して、身体に僅かに力が入る。ベルはまるで挑発でもするかのように、獄寺の顔を覗き込んできた。

「ししっ、この勝負、オレの勝ちだから」

「……けっ、それはこっちの台詞だぜ」

「だってオレ王子だし、あいつが王子の側にいるのは当たり前だろ?」

「……あいつ? ……って、まさか、」

 獄寺が目を瞠れば、ベルは微笑んでこちらの肩に手を載せてきた。

「そ。あの“Principessa”」

「!!」

 彼が耳元で囁きかけてきたその言葉は――イタリア語だ。


 王族の血を引いているらしいこの男は、彼女のことを“姫”と呼んだ。それがどういう意味か、獄寺にもすぐ分かる。宣戦布告だ。

 この男はリングのみならず、音羽を手に入れるためにこの勝負に臨んでいる。もし獄寺が負けたら音羽はリーチだ。沸々と怒りが沸き上がり、獄寺はベルの手を振り払った。

「んなこと、ぜってーさせるかよ……! てめーにだけは勝つ!!」

「ししっ、出来るもんならやってみな」

 二人の男は睨み合ったまま、互いに距離を取る。

 ――こうして、嵐の守護者戦が幕を開けた。







 “常に攻撃の核となり、休むことのない怒涛の嵐”。
 
 嵐の守護者の戦いは、その使命の通り激しさを極めたものだった。


 切り裂き王子と称されるベルは、ナイフの他に見えないワイヤーを使う両刀使い。
 視認の難しいワイヤーに獄寺は随分翻弄されてしまったものの、最後にはベルがワイヤー伝いにナイフを投げていたことに気が付き、彼の技の仕掛けを全て見破った。

 そうして、痛手を被りながらもベルを追い詰めた獄寺。彼がリングを手に入れるのだと、誰もが胸を撫で下ろしかけていたのだが――。

 ベルの勝利を求める本能は、尋常ではなかった。

 獄寺のダイナマイトの爆発を直に受けてもなお、ベルは獄寺に掴み掛かったのだ。二人は取っ組み合いになってリングを奪い合った。……けれど、この試合は元より制限時間付き。

 ハリケーンタービンの爆発が迫り、ツナに諭された獄寺はリングを諦め、無事ツナたちの元に帰って来たのだった。

 嵐戦の勝者はベルとなり、結果的にツナたちは負けてしまったのだが……ツナたちの誰もが、それでいいと思っていた。

 友達の――仲間の命と引き換えに得るものなんて、何一つないと思っていたから。



「――すいません、十代目……リング取られるってのに、花火見たさに戻って来ちまいました……」

「よかった、獄寺君……。本当によかった……!!」

 煙の中から出てきて床に倒れた獄寺に、ツナが一番に駆け寄った。
 音羽たちもそのあとに続く。


「獄寺君、大丈夫……!?」

「っ……、片桐、すまねー……」

「!」

 ツナの向かい側に屈んで獄寺を助け起こすのを手伝うと、獄寺は眉を寄せて音羽から視線を逸らした。

 獄寺がそう言ってくれた理由は分かった。音羽のヴァリアー行きにリーチが掛かってしまったからだ。

 でも、もし獄寺の身に何かがあって、その犠牲のうえに自分の安全だけが保証されてしまったのだったら――それは絶対に喜べることじゃない。だから、首を横に振った。

「ううん、獄寺君のせいじゃないから。それより、獄寺君が無事でよかった」

「……っ」

 素直な気持ちを言ったら、獄寺は俯いてしまった。

 彼は唇を噛みしめると、力を振り絞るように立ち上がる。そのまま、側にいた山本に何かを告げると、「オレだってお前なんかに頼みたくねーんだよ!」と言い募り、またふらりとよろめいてしまった。


「おい、無茶すんなよ!」

「早く手当てしなきゃ……!」

 身体が崩れ落ちる寸前、山本が獄寺を支えて廊下の脇に座らせたので、音羽は慌てて彼に駆け寄る。そうして獄寺の側に屈んだとき、後ろから丁度、チェルベッロの声が。


「――それでは、次の対戦カードを発表します」

「明晩の勝負は、雨の守護者の勝負です」

「「「!」」」

 ――雨の守護者……。

 音羽は山本を見上げ、それから恐る恐るヴァリアーの方に視線を向ける。


「――この時を待っていたぜぇ!! やっとかっさばけるぜぇ!!」

 廊下の向こうから大きな声が響いてきた。ヴァリアー側の雨の守護者、スクアーロだ。彼は不敵な笑みを浮かべて、山本を睨み付けている。

「前回の圧倒的力の差を思い出して逃げんじゃねーぞ、刀の小僧」

「ハハハ、その心配はないぜ。楽しみで眠れねーよ」

「……!! ガキが……」

 山本はスクアーロの威迫に臆することなく、あっけらかんとして答えた。その態度が意外だったのか、スクアーロは眉を寄せている――、。


「……!」

 見ていたら、スクアーロと目が合った。

 あの鋭い目つきで見据えられたら、勝手に肩が跳ね上がってしまう。

 向こうは視線を逸らさない、まるで何かを考えているように。慌てて音羽は視線を外した。……そうだ、獄寺を早く治さないと。ぐったり壁に凭れかかって座る、獄寺を向き直る。

 彼の呼吸は荒かった。出血が多いせいかもしれない、傷が塞がれば少しは楽になるはずだ。

「獄寺君、今治すから――」

「――ゔおぉぉい、チェルベッロ! こちらも要請すれば、天の守護者の力を使えるんだったなぁ?」

「「!!」」

 音羽が獄寺の手を取ろうとしたら、スクアーロが声高に言った。音羽だけでなく、視界にいたツナたちもびくりと身体を揺らす。

「はい、それが天の守護者の試練でもありますので」

「それなら、今それを要請するぞぉ。ベルにその力を使ってもらおうじゃねぇかぁ」

「っ……!?」

 驚いて振り返ったら、スクアーロは音羽を見てニヤリと笑った。

「ベルは嵐のリングを獲得した。うちのボスも、文句はねぇはずだぜ」

「――片桐音羽、ヴァリアー側から要請がありました。速やかにベルフェゴールの治療を行ってください」

「…………」

 チェルベッロから指示があれば、それはもう試練の開始を意味している。どれだけそれが不本意でも、音羽に選択権はない。


 ――私の力、まだ完全に戻ってる感じがしない……。たぶん、今日は治せて一度きりだ……。

 音羽は胸に手を当てて、唇を噛んだ。もっと自分に力があれば、獄寺の傷も治すことができたのに……。

 おずおずとツナたちを振り返ったら、皆やっぱり少し複雑そうな顔をしていた。でも、すぐに頷いてくれる。その瞳に音羽を責めるような色はない。

「大丈夫だよ、片桐……。これも試練の一つだって、皆ちゃんと分かってるから、」 

「……沢田君……」

 ツナが苦笑して言うと、皆そうだ、と言ってくれた。視覚で捉えられそうな温かいその声に、胸がじわりと熱くなる。音羽は頷き返して、目の前にいる獄寺を見た。

「片桐、オレのことは気にすんな。元々大した怪我じゃねーからよ。……だから、行って来い」

「獄寺君……」

 獄寺は音羽の心を汲んで、荒い息のまま笑ってくれる。

 敵であるヴァリアーを助けるような行為、皆、気分が良いものではないはずなのに。彼等は受け入れてくれた。それがどれほど、音羽を勇気づけてくれたか分からない。


「……っ、ありがとう」

 胸がいっぱいになりながら、音羽はゆっくりと立ち上がった。

 唇を引き結び、意を決して一人ヴァリアーの方に歩み寄る。


 近付くだけで、足の底から喉元まで恐怖がせり上がってきた。彼等は殺し屋。とても残忍で、怖い人たち。今にも足が震えそうだ……。でも、逃げちゃいけない。


「……」

 音羽は痛いほどの視線を浴びながら、ヴァリアーの前に立ちはだかった。ドクドクと、廊下中に響きそうなくらい自分の心臓が鳴っている。とても重い音で。

 深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしていたら、ベルを抱えていたゴーラ・モスカが前に進み出て来た。彼はベルを転がすように荒く床に落とすと、元の場所に戻って行く。

 ベルからは反応がなかった。床に落とされた衝撃にも、うんともすんとも反応しない。……気を失っている。


「…………」

 音羽はヴァリアーの動きを警戒しながら、仰向けに倒れたベルの側に行って屈んだ。

 まともにハリケーンタービンの爆発に巻き込まれたせいで、ベルの服はボロボロ、あちこち深い傷だらけ。獄寺より重傷なのは一目瞭然だった。

 音羽は躊躇いながらもベルの左手を取って、いつものように目を閉じた。意識を、集中させていく。

 敵だと思っている人相手に力が使えるものだろうか、と少し不安だったけれど……それは杞憂だった。いつものようにすぐ手のひらが温かくなって、瞼の向こうに光が見える。


 握っていたベルの手から、徐々に彼の身体に生気が戻るのを感じていた。この感覚はいつも不思議だ。――でも、今日も何かが引っ掛かる。

 昨日のランボのときと同じように、どこか治しきれていない感覚が直感的にあった。そしてそれが、今の自分には治せないものだということも。


 ――閉じたときと同じようにゆっくりと瞼を持ち上げたら、服に付いた血の跡はともかく、ベルの身体に出来ていた外傷はほとんど綺麗に治っていた。

 彼の手を放せば、直後、疲労感と倦怠感に襲われる。身体が重い、すぐに動けない……。

 音羽が、意識して深い呼吸を繰り返していると――。

「―――、」

「……!」

 ベルの指先が微かに動いた。







「っ……」

「――おう、ベル! お早いお目覚めじゃねぇかぁ!」

 力なく微かに開いていたベルの唇が動くと、スクアーロがずかずかとこちらに歩んで来た。その大声に意識が明瞭になったのか、ベルはのろのろと身体を起こす。

「……しし……王子、生還……? ……ん」

「……、」

 こんな時でも微笑したベルは、隣にいた音羽に気が付くと口を噤んだ。恐らく、目が合っている……と思う。彼はにんまりと笑みを深めた。

「へぇ……お前が助けてくれたんだ?」

「……う、うん……」

 試練だから仕方なくだけど……、と心の中で付け足して、音羽は頷く。

「スクアーロが天の守護者の力を要請したんだよ。ベルは勝負に勝ったからね。それに、ちゃんとベルが目を覚ましていることだし、天の守護者の試練としても合格って所かな」

「……うしし、ほんとだ、オレのリング……」

 マーモンの言葉に笑って、ベルは右手に掴んで放さなかった嵐のリングを目線まで持ち上げた。リングは鈍く、妖しく、その側で煌めいている。


「これでまた、一歩近付いた訳だ……?」

「え……?」

 恍惚とした様子でリングを見ていたベルは、上擦った声で呟いた。彼の視線が、リングからこちらに移る。嫌な予感……早く、立ち上がらないと。重い脚に力を込めようとした瞬間――。


「――ひゃ……!?」

 ベルに突然、右腕を強く掴まれた。リングを持っているのとは反対の手で。ぐっ、と彼の方に引き寄せられる。

 長いブロンドで隠された彼の顔が、すぐ鼻先まで迫っていて音羽は息を呑んだ。近すぎる――と後ろに下がろうとした途端、ベルの口が、耳元に。

「――絶対王子のものにしてやるから……覚悟しとけよ、姫?」

「……!?」

「な、っ……!」
「て、てめぇ……!!」

 ベルの言葉は、ツナたちにも聞こえたらしい。或は彼の行動のせいかもしれないけれど、ツナや獄寺の驚いたような、怒ったような声が後ろから聞こえてきた。

 その声に、ベルの発言の意味を考えかけていた音羽ははっと我に返り、掴まれた腕を思いきり引く。

「は、放して……っ!」

「ししっ、……それで抵抗してるつもり? 放す訳ないじゃん」

「っ……!」

 身体を離せるだけ離して精一杯抵抗するけれど、ベルの腕は全く、びくともしない。さっきまで気絶していて覚醒したばかりのはずなのに、どこにこんな力が残っているんだろう。

 余裕綽々のベルは、こちらの嫌がる反応を楽しんでさえいるようで。悔しくて睨んだら、彼はもっと愉快そうに笑った。

「――おい、その辺にしとかねーと、」
「ぐああぁぁっ!!!」

 山本が見兼ねたように横から歩いて来てくれたとき、男の大きな呻き声が突然廊下中に響き渡った。

「「「!!」」」

 全員が何事かと声のした方を振り向けば、派手な音を立ててヴァリアーの部下らしき男が飛んでくる。
 背中をしたたかに打ち付けたその男は腹部を殴られたのか、苦しそうにそこを押さえて震えていた。


「な、何!? 何が起きたの!?」

「あいつが、修行から帰って来たんだ」

「あいつ……?」

 リボーンの声が聞こえて、ツナも音羽も目を瞬かせて騒動の先を見つめる。


 ――すると、男が飛んで来た方向から、コツコツと静かな靴音。

 現れた、線の細い影。


「―――」

 音羽は目を見開いた。

 “彼”は左右に視線を走らせると、音羽の顔を真っ先に見てくれる。

 その表情に安堵の色が映ったのは一瞬で――彼は、音羽の腕を不躾に掴んでいる男を見据え、直後容赦ない殺気を渦のように放った。

「――ねぇ。君、誰? 僕のものに勝手に触れるなんて、良い度胸だね。……咬み殺すよ」


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