23話 心のよすが

 イタリア某所に構えられた、大きな屋敷。

 その一室の中央にはマホガニーのアンティーク調(なが)テーブルが置かれていて、人々は薄暗い室内に集まり卓を囲んでいた。

 燭台に載った蝋燭の灯りだけが、辺りをぼんやりと照らしている。


「――スクアーロが持ち帰ったハーフボンゴレリングにより、九代目の了承を得られそうです」

「次期ボンゴレボスの披露式典も、近々開かれるでしょう」

「これでいよいよ、ファミリーの実権は九代目の直系……実の息子であるボスのものですね――、XANXUS(ザンザス)様」

「…………」

 横柄に足を組んで上座に座っていた男――ザンザスは、部下の言葉に僅かに目を細めただけだった。痣の浮かんだ顔は、他にぴくりとも動かない。

 ――部屋に、短い沈黙が落ちたとき。


 けたたましい音を立てて、部屋のドアが勢いよく開いた。

「ゔぉい、お呼びか、ボス? ハーフボンゴレリングの褒美をくれるってんなら、ありがたく頂戴するぜ」

 声高に言いながら室内に入ってきたのは、日本から戻って間もないスクアーロだった。

 彼は靴音を響かせて大股に歩き、ザンザスの側まで行く。ザンザスは、椅子からゆらりと立ち上がった。

「――がッ!! ……っく、何をしやがる!!」

 突如頭を鷲掴まれ、そのまま机に顔ごとぶちつけられたスクアーロは、鼻血を拭いながら身体を起こした。
 
 事の元凶を睨み付ければ、ザンザスは今しがた届けたリングの片割れを指先で摘まんでいる。

「フェイクだ」

「!!」

 彼が指で潰せば、パリン、と。

 ボンゴレリングの片割れは、余りに脆く砕け散った。偽物。室内に動揺が広がり、スクアーロも唖然とする。

「――家光」

 ザンザスは眉を顰めて、颯爽と出口へ向かった。

「日本へ発つ。奴らを……根絶やしにする」







 日も傾いて、少し肌寒い風が吹き付け始めた並中の屋上。

 そこで、雲雀とディーノは今日も修行に明け暮れていた。昼休みに休憩したきりで、二人とももう四時間くらい闘い続けている。

 そんな彼らの様子を、音羽は草壁とロマーリオと共に、屋上の端で見守っていた。

「委員長……、以前よりキレが良い……」

「へへっ、そうだろうよ。なんせ、うちのボスが鍛えてるんだからな」

 尊敬の眼差しで雲雀を見る草壁と、誇らしげにディーノを慕うロマーリオ。
 二人の会話を聞きながら、音羽は雲雀の姿をじっと見た。


 たしかに雲雀は、修行を始めたときよりも動きが素早くなったと音羽も思う。戦闘技術については詳しくないけれど、彼の動きがこれまでと違っているのは素人の目で見ても分かるくらいだ。

 雲雀はディーノの鞭の動きを的確に把握し、俊敏に捉えていた。
 それはとてもすごいことで、大変喜ばしいこと、なのだけど……。
 
 どこか、全力で喜べない自分がいる。

「…………」

 音羽は溜息を胸の内に仕舞い込みながら、背後のフェンスに凭れ掛かった。
 どこか憂鬱な、この気持ちの理由は分かっている。

 雲雀は毎日どんどん強くなっていくのに、自分はあの日から、まだ一歩も前に進めていないからだ。
 音羽だって毎日雲雀たちの怪我を治そうとしているけれど、治癒の力は一向に使える兆しがない。 

 彼の力になりたい、と思って始めたことなのに。このままだと、雲雀の足手纏いになってしまう。

 また出そうな溜息を、音羽は何とか飲み込んだ。



「…………、」

 後方に退いたディーノは、先ほどから気になっていた音羽の方を振り返った。

 ツナと話して、また前向きに自身の課題と向き合っていた音羽。
 だが、その後も中々成果が出ないので、最近はああいう少し沈んだ表情を見ることが多い。

 対する雲雀は日々メキメキと力を付けているので、彼女が焦るのも無理はないだろう。

 自分に出来ることがあれば何だってしてやりたいが、こればかりは彼女にしかどうにも出来ない。ディーノも歯痒く思うものの、せめて焦らせることのないように、彼女を見守ろうと決めていた。

「……なあ恭弥、一旦休憩しねえか?」

「……」

 俯いた音羽に一度声を掛けてやりたくて、ディーノは雲雀に提案する。

 普段ならこちらの申し出は尽く拒否する雲雀だが、今回だけは素直にトンファーを下ろした。音羽のことが気になっていたのは、彼も同じらしい。

 雲雀は真っ直ぐ、音羽の方へ歩いて行った。





「あ……、お疲れ様です」

 俯いてついぼんやりしていたら、いつのまにか目の前に雲雀が立っていた。
 音羽が顔を上げて微笑めば、彼も少しだけ表情を和らげてくれる。

 音羽はここ最近の日課で、彼の身体を観察した。

 服の上から擦った痕がある腕、掠り傷のできた手の甲。この数時間で、また少し小さな傷が増えている。

 音羽はいつも練習させてもらっているように、雲雀の手を取って目を閉じた。力を使うために、意識を手に集中させる。

 彼の手を包み込んだ自分の手のひらに、体温とはまた違う温かさが、じんわりと広がった。

 ……けれど、それだけ。
 黒曜ランドで発したという光が出ることもなければ、雲雀の傷がみるみる癒えることもない。


「……ごめんなさい、雲雀さん……」

 数分粘ってみたけれど何も起きないので、音羽は雲雀の手をそっと放した。

「大丈夫だ、音羽。まだ時間はある、焦らなくていい。お前のペースでゆっくりやれば良いからな」

「……はい」

 項垂れていると、ディーノが笑って言ってくれた。彼に微笑み返して、音羽も頷く。


 ――でも、そうは言ってもヴァリアーとの戦いは刻一刻と迫っているはずだった。あまり悠長にしている時間はない。

 皆は着実に前に進んで、強くなっているのに。自分はまだ、立ち止まったまま。
 何の成長も出来ていないことに、苛立ちすら感じてしまう。


「――音羽」

「……!」

 ぎゅっと拳を握っていたら、雲雀の骨張ったしなやかな手が伸びてきて。包み込むように、丸めた拳を握られる。

 顔を上げれば、彼は真っ直ぐ音羽を見つめてくれていた。表情は普段と一つも変わらないのに、彼が心配してくれているのが分かる。

 まるで、「大丈夫だよ」と言うみたいに。雲雀のあたたかさが、音羽の焦りに寄り添ってくれているようだった。

「……」

 彼の体温を感じていたら、彼の瞳を見つめていたら、さざめいていた胸が不思議と落ち着いていく。

 雲雀が一緒にいてくれるのなら、きっと何とかなる。そう、自然に思えてしまうのだ。

 ――焦ったって仕方がない、よね。小さな修行を積み重ねることしか、今の私には出来ないんだから……。


 暮れなずむ空の下、音羽は雲雀の手を柔らかく握り返した。微笑めば、彼も穏やかに目を細めてくれる。

 諦めることだけはしたくない、と。
 音羽は彼の顔を見て、強く思った。

 

 ――そうして、音羽たちが屋上でそれぞれの修行を行っているあいだ。

 ツナたちは、強大な敵と対峙していた。そのことを、音羽たちはまだ知る由もない。







「ツナー! 朝よー!」

「うわぁああ! ヴァリアーが来たぁ!!」

 突然響いた母の声に、ツナは叫んで飛び起きて、荒い呼吸を繰り返した。

 すぐさま辺りを見回せば、自分の部屋、自分のベッド。いつもと同じ朝だ、変わったところは何も――。


「……夢……? あ、指輪がない……」

 昨日まで、ネックレスにして首に引っ掛けられていたそれ。けれど、今はどこにも見当たらない。

 おかしいな、と首を傾げていたら、居候のランボとイーピンがドアの向こうから顔を出した。

「ツナー、ご飯だって!」

「ランボ、イーピン……。と、父さんは?」

「知らんもんね!」

「え、知らない……? ま、まさか……」

 ――指輪の話の全部が、長ーい夢だったんじゃ……。

 きっとそうだ……! 寧ろそうであってくれ! ツナが顔を綻ばせたとき。

「んなわけない」

 切実な願いをぶち壊したのは、もちろんリボーンだった。彼は九代目の勅命が入った額縁を掲げながら、ニヤリと笑う。

 ……そうしてよくよく見てみれば、失くなったと思った指輪は、ツナの指にしっかりと嵌められてしまっていた。
 
 ツナは昨夜の出来事が全て、夢でも妄想でもない現実なのだと、ついに観念して認めたのだった――。
 






 事態が動いたのは、昨日の夕暮れ時のことだった。

 雷の守護者であるランボが敵に狙われていると知って、ツナや獄寺、山本、了平ら他の守護者も助けに集まり、そこでついにヴァリアーと遭遇したのだ。

 見るからにヤバそうな敵の連中。

 その中でも、ツナが最も恐怖したのはボスのザンザスだった。あの鋭い眼光を思い出せば、今でも手足が冷たくなる。

 そうして彼らと対峙して、一触即発の事態になりかけたとき。その場を収めたのはなんと、ツナの父親、家光だった――。



『同じリングを持つ者同士の、ガチンコ勝負!!?』

『ああ。あとは、指示を待てと書いてある』

 悲鳴じみた声で尋ねると、家光はツナが初めて見るような真面目な顔で頷いた。

 “指示”、とは何なのか。
 その場にいた全員が思考していると。

『『お待たせしました』』

 茂みの中から飛び出した、二つの影。

 やがて地に降り立ったのは、奇妙な出で立ちをした二人の女だった。
 変わったアイマスクに褐色の肌。色素の薄い髪も服装も、二人は全てがよく似ている。

『今回のリング争奪戦では』

『我々が審判をつとめます』

 彼女たちは言うと、一枚の紙を掲げた。

『我々は九代目直属の、チェルベッロ機関の者です』

『リング争奪戦において、我々の決定は九代目の決定だと思ってください』

 二人が示した用紙には、確かに九代目の死炎印が。つまり、本物の勅命ということだ。

『九代目は、これがファミリー全体を納得させるためのギリギリの措置だと仰っています。異存はありませんか? ザンザス様』

『…………』

『ありがとうございます』

 ずっと黙しているザンザスは変わらず無言で、彼女たちはそれを肯定の意味と捉えたようだった。

 再度チェルベッロが口を開こうとすると、今度はすかさず、家光が割って入る。

『待て、異議ありだ。チェルベッロ機関など聞いたことがないぞ。そんな連中にジャッジを任せられるか』

『異議は認められません』

『我々は九代目に仕えているのであり、あなたの力の及ぶ存在ではない』

『なに……っ』

 苦虫を噛み潰したような顔をする家光に、チェルベッロは言葉を続けた。

『本来ハーフボンゴレリングは、ボスの持つ一組と門外顧問の持つ一組。計二組が存在し、後継ぎの式典の際に九代目と門外顧問の二人が認めた八名に、二組のリングを合体させた、完全なるボンゴレリングの状態で継承されるものなのです』

『ですが今回、異例の事態となってしまいました。二人が相応しいと考える守護者が食い違い、それぞれが違う人物に一方だけを配ったのです。ただ――』

 チェルベッロは言葉を切り、ツナたちの方を見る。

『今回唯一、両者の意見が一致した守護者がいます』

『……!! それって……』

 ツナの頭には、彼女の姿が浮かんでいた。

『天の守護者。今回は彼女のみ、正当な後継者として既に認められています』

『九代目が後継者と認めた、ザンザス様率いる六名と、家光氏が後継者と認めた綱吉氏率いる六名……』

『真にリングに相応しいのはどちらなのか、命を懸けて証明してもらいます。なお、この戦闘に、既に継承が決定している天の守護者は含まれません。が――』

『天の守護者はザンザス様、綱吉氏。どちらに軍配が上がっても、次期ボンゴレ十代目の守護者の任に就くことになります』

『そ、それって……!!』

『もしこの勝負に負けたら、片桐はヴァリアーに行く、ってことか……!?』

『それは……、納得できねえな……』

 ツナと獄寺、山本は、それぞれに困惑していた。

 もし万が一ツナたちが負けるようなことになれば、音羽は否応なしにヴァリアーへ――ザンザスの守護者として、ボンゴレファミリーに加わらなければならないということだ。


『しししっ、どんな奴が来るか楽しみ♪』

『まあどうせ一般人だから、使い物にはならないだろうけど。初代以来の天の守護者だからね、ボンゴレで見物料くらいは取れるかな』

 青褪めた顔をするツナたちとは反対に、ヴァリアーの前髪が長い少年と、フードを深く被った赤ん坊は軽い口調で言い合った。

 どう考えても悪すぎる状況だ。
 一体、音羽に何て説明すれば……。

 考えている間に、チェルベッロの二人は話を進めてしまう。

『では、場所は深夜の並盛中学校。詳しくは、追って説明いたします』

『それでは、明晩十一時。並盛中でお待ちしています』

 さようなら、と言い終えて、彼女たちは薄闇に包まれた街の中へ消えたのだった。


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