21話 強さのみなもと

「う……坂、結構きつい……」


 ――ボンゴレリングの話を聞いた三日後。

 音羽は一人、ツナが修行しているという並盛山を、山道に沿って登っていた。

 少しずつ葉が色付き始めた木々の中を歩いていると、緩い傾斜でも自然と息が上がってしまう。額に薄く浮かんだ汗を、手の甲で軽く拭った。

 
 ――音羽がなぜ、平日の昼間からこんな場所で山登りをしているかというと。
 
 それは今朝、並盛山に行ってツナに会うよう、ディーノに電話で勧められたからだった。


 リングの話を聞いてから三日間、音羽は雲雀やディーノが修行中に負った軽い傷を治すため、治癒の力を使おうとしていた。

 けれど幾ら気を集中させても、黒曜ランドでのことを思い出しても、力を使える気配は一切なし。不安だけが募った数日間だった。

 守護者として役に立ちたいと言ってみたは良いものの、治癒の力を使えなければまるで意味がない。しかも、ヴァリアーが来るまでに日数もないときている。当然焦った。

 沈んでも仕方ないと思ったけれど、上手くいかない日々に悶々としていると、ディーノが『ツナの所に行ってみろ』、と。

 理由はよく分からないけれど、家庭教師である彼が言うなら取り敢えず行くしかない。たぶん、ディーノにも何か考えがあるのだと思う。

 そういう訳で、音羽は学校を休み、只今ツナを探して登山中なのだ。


 ……ちなみに。

 雲雀には、今日学校を休むことを伝えていない。彼の電話番号もアドレスも教えてもらっているから、今朝連絡しようか迷ったけれど……。

 学校を休むくらいでいちいち連絡していたら、修行で忙しい彼を煩わせてしまうかもしれない。

 雲雀に面倒くさい、と思われるのが怖くて、音羽は彼に何も言わないまま学校を休んだ。
 それが少し気掛かりではあるけれど、彼に迷惑をかけて嫌われるよりずっといい。

「はぁ……」

 ――私って臆病だなぁ……。

 小さく溜息をつきながら、音羽は後ろ向きな思考を追い払うようにひたすら足を動かした。

 日の光が透ける山の景色を見つつ、そろそろ中腹に差し掛かったかな、と思ったとき。


「――うおぉぉぉ!!」

「!」
 
 前の林の向こうから聞こえた雄叫びに、音羽は肩を跳ねさせた。聞き覚えのある声……、きっとツナだ。音羽は迷わず駆け出した。


 木々の合間を縫って林を抜けると、崖の近くの開けた場所に出る。
 
 そこには思った通りツナ(死ぬ気弾を使って修行しているためか、パンツ一枚の姿になっている)と、ツナのように額に――青い炎を灯した見慣れない少年が、激しい戦いを繰り広げていた。

 会いたかった人たちの姿を見つけて、ほっと安堵する。

「――沢田君、リボーン君!!」

「来たな」
「え……?」

 声を掛けて手を振ると、ツナの額に灯っていたオレンジ色の炎がシュウッと消えた。
 三人の側まで行って足を止め、音羽は荒く息を付く。

「えっ、片桐!? どうしてここに!?」

「片桐? ……!もしや、あなたが……!」

 突然現れた音羽に、ツナと見慣れない少年は目を丸くしていた。でもリボーンだけは、音羽がここに来ると勘付いていたようだ。彼はニッと笑みを浮かべる。

「ああ、片桐音羽。天の守護者に選ばれた、ツナのファミリーだ」

「あ、あの……初めまして、片桐音羽です」

 リボーンに視線を送られて、音羽は初対面の少年にぺこりと頭を下げて挨拶した。
 天の守護者、という聞き慣れない肩書きが何だか変な感じだ。

「初めまして、拙者バジルと申します。沢田殿の修行相手を務めている者です」

「あ……!あなたが……!」

 青い目を細めて柔らかく笑った少年――バジルに、今度は音羽が目を丸くする。

 確か、ディーノから聞いた話でちらりと登場した名前……。ボンゴレリングを、ツナの所に運んで来たという少年だ。

「拙者のことを知っているのですか?」

「はい、ディーノさんから少しだけお聞きしました!あの、よろしくお願いします」

「そうでしたか。こちらこそ、よろしくお願いします」

 もう一度頭を下げると、バジルも同じように挨拶してくれた。
 穏やかな笑顔の彼に、音羽は優しそうな人だな、と率直な印象を持ったのだった。


「……?」

 とても丁寧に挨拶を交わす二人を見守って、ツナはつい首を傾げた。

 ――あれ……? バジル君、何か普通だ。片桐の傾国の力、効いてないのかな……?

 そんな人いるの? と思ったけれど、元々ツナみたいに例外もあるし……。そうじゃなかったとしても、他の例外だってあるかもしれない。

 少し考えたものの、ツナはすぐ音羽の守護者の件を思い出し、彼女に声を掛けた。

「あ……そういえば片桐。ありがとう……守護者のこと、引き受けてくれて……」

「ううん。私に出来るか不安だけど……でも、雲雀さんのために、私も何かしたくって」

「そっか……。片桐のカテキョーは、ディーノさんだっけ? 修行はないの?」

「音羽は天の守護者だからな。他の守護者みてーに戦闘スキルを磨くより、安定して治癒の力を使えるようになるのが修行みてーなもんだ。……ディーノに、ここに来いって言われたのか?」

 リボーンが尋ねると、音羽はこくりと頷く。

「ずっと、あの力を使おうと頑張ってるんだけど、全然上手く出来なくて……。どうして沢田君やリボーン君の所に行くよう言われたのか、私もよく分からないんだけど……」

「……」

 俯いて少し表情を暗くした音羽に、リボーンは考えるよう唸った。

「……おいツナ、バジル。少し休憩するぞ」

 やがてリボーンは号令をかけると、ぴょんとツナの肩に飛び乗った。







 並中の屋上のフェンスの側で、雲雀は鋭い視線を空に向かって投げていた。
 
 雲一つなく晴れ渡った青空は高く、普段なら間違いなく昼寝日和だと思うような良い天気だ。

 だが、今の雲雀は到底そんな気にもならない。寧ろ、自分の心持ちとは余りにも対照的な空に苛立ちすら覚えている。

 ――つまり、雲雀は今とても不機嫌なのだ。
 

「――よう、恭弥」

「…………」

 そんな日にも関わらず、普段と変わらない調子で声を掛けてきたのは跳ね馬だった。それだけで、不快感がさらに増す。

 雲雀は後ろを振り返り、彼の顔を睨み付けた。

「僕は今機嫌が悪いんだ」

「だろうな、見りゃ分かるぜ。音羽が来てねーんだろ?」

「!」

 跳ね馬の言葉に目を瞠る。


 ……そう、それは正しかった。
 今日はなぜか、音羽が学校に来ていない。

 朝、日課の全校の遅刻者、欠席者の確認をしたときに、音羽の名前が欠席欄に載っていた。

 一応学校に連絡を入れているということは、何か事件に巻き込まれたとか、そういう訳ではないようなので安心したが……何より気に入らない。

 音羽から雲雀には、何の連絡もないのだ。
 彼女の全ては、もう自分のものなのに。連絡も寄越さず、彼女は一体何を考えているのか。

 雲雀の不機嫌の理由はこれだった。

 そのうえ、たった今跳ね馬が言い放った言葉。この男は、音羽がここに居ない理由について、何か知っている。

 音羽のことに関して、自分が知らないのに他の男は知っている、など。雲雀にはとても許せることではなかった。

「……何か知ってるなら、さっさと言いなよ」

 湧く怒りに任せて殺気を漏らし、雲雀はトンファーを構える。

「知ってるも何も、今日学校を休んでツナの所に行けって音羽に言ったのは、オレだからな」

「……草食動物の所に……?」

 なぜ音羽が、そんな所に行く必要が?

 疑念を抱いたのは勿論だが、それより音羽が今、他の男の元に居るということの方が問題だった。

 彼女が、自分の目の届かない場所で他の男と一緒にいる――。音羽のことを信じているとかいないとか、そういう次元の問題ではないのだ、雲雀にとっては。

 少し想像するだけで肌の下に流れる血液が波打ち、ざわざわと胸の側に集まってくる。
 

「……」

 ディーノは、思わず息を呑んだ。これまでに感じたことのないほど強い殺意が、雲雀から溢れている。

 それはディーノに対するものでもあり、恐らくツナに対するものでもあった。とにかくこちらの鳥肌が立つくらい、雲雀の感情が逆立っているのが分かる。

 ――こいつ、音羽のことになると本当に見境なくなるな……。今日はオレも本気にならねーと、……やべぇかも。

 ディーノはごくりと唾を飲み、鞭を取り出す。

「……今の音羽には、ツナやリボーンの言葉が必要だとオレが判断した。だから行ってもらったんだ」

「……守護者の事かい? 全く、あなたが来てから碌なことがないな。グチャグチャにしてもし足らない」

 雲雀は言うなり、勢いよく地を蹴った。

「っ……!」

 躊躇なく殴り掛かってくる雲雀を、ディーノは鞭で防ぐ。が、雲雀はそれを物ともしない。瞬時に体勢を立て直し、また襲いかかってきた。

 鋭い眼光が、本気でディーノを殺そうと見据えている。それほど、雲雀の怒りは頂点に達してしているのだ。

 傷の塞がったディーノのこめかみには、僅かに汗が浮かんでいた。







 並盛山の開けた場所で、音羽たち四人は円を描くように地面に座り込んでいた。

「音羽。ディーノから、天の守護者について詳しく聞いたか?」

 リボーンに尋ねられて、音羽は小さく首を傾ける。

「役割、みたいなものについては聞いたんだけど……。詳しいことはまだ……」

「そうか。あいつ、雲雀の相手に随分手こずってるみてーだな。……天の守護者はな、しばらくのあいだ空席だったんだ」

「「空席?」」

 ツナと音羽は声を揃えた。リボーンは頷く。

「ああ。他の、嵐、雨、雷、雲、晴、霧の守護者たちは、初代から代々受け継がれてきたのに対し、天の守護者だけは……適応者が見つからず、ずっと空席のままだったんだ。ボンゴレの長い歴史の中でも、今まで天の守護者がいたのは初代のその一代きりだった」

「え……ってことは、片桐は初代以来の天の守護者、ってこと!?」

「ああ、そういうことになる。それだけ、天の守護者の適応者は中々いねーってことだ」

「片桐、すごい……」

「……そうだったんだ、……」

 音羽は相槌を打って、項垂れた。

 初代以来の守護者だなんて……増々、責任を感じてしまう。何としても、この前使った癒しの力を早く使えるようにならなくちゃ……。

「だが音羽、気負うのは禁物だぞ。お前は責任感が強ぇからな、ダメツナでも見て落ち着いていけ。ディーノも、そのつもりでお前をここに寄越したんだろうしな」

「おいリボーン! それ、どういう意味だよ!?」

 まるで音羽の心を読んだように言ったリボーンに、ツナがすかさず喰い掛かる。

 音羽は苦笑した。
 リボーンは励ましてくれているのだ。きっと、自分が不安な顔をしているから。


 ツナと目が合ったら、彼も真面目な顔になってしまった。視線を彷徨わせて、彼は少し迷った素振りを見せる。

 やがて、ツナはゆっくりと口を開いた。

「あのさ、片桐……。実はオレも、すごく不安なんだ。リングとかヴァリアーとかおっかないことばっかりだし、修行もきついし、本当は今にでも逃げ出したいくらいなんだけど……、」

 言葉を切ると、ツナは顔を上げる。

「でも、みんなが頑張ってるから、オレも頑張れてるんだ。みんなに危ない目に遭って欲しくないから、守れるようになりたいって、思ってる」

「沢田君……」

 ツナの栗色の瞳には、音羽と似た色が残っていた。けれど、宿った光はとても強い。

 それはきっと、彼の持つ意思の強さだ。仲間のために強くなりたいという、意思の。


 ――ツナは、不思議な人だと音羽は思う。

 普段は優しすぎるくらい優しくて、周りに振り回されている姿もよく見るのに、こんな――非日常的で皆に困難が訪れているときは物凄く頼もしい。

 黒曜ランドで決着をつけたのも、最後の最後はツナだった。

 “ボス”、なんて言葉は彼には似合わないと思うのに、なぜかしっくりきてしまう。

 
 みんなを守れる強さが欲しい――そう思う気持ちは、音羽も同じだった。その想いがツナを強くしているのなら、きっと音羽だって、もっと強くなれるはず。

 ツナの言葉を聞いていたら、素直にそう思うことができて音羽は微笑んでいた。

「……ありがとう、沢田君。なんか私も、出来る気がしてきた」

「えっ、あ……ごめん! オレ、偉そうなこと言っちゃって……」

「ううん、全然偉そうじゃないよ。寧ろ、元気をもらえて嬉しかった。みんな頑張ってるんだもん……私も、もっと頑張ってみるね」

「う、うん! 一緒に頑張ろう!」

 ツナも安心したように顔を綻ばせたので、音羽は大きく頷いた。





 ツナと音羽が話す様子に、リボーンは笑みを浮かべた。

 全てを包み込む大空――。
 ツナは確実に、その素質を持っている。

 ディーノは、音羽が力の開花に行き詰っているのを見兼ねて彼女をここに寄越したのだ。ツナなら、音羽の背中を後押しできると踏んで。予想は当たっていた。

 ――やっぱりボンゴレのボスに相応しいのは、ツナ。お前だぞ。

「な、何だよ、リボーン」

「何でもねぇ。……そろそろ、修行を再開するぞ」

 目が合って怪訝な顔をするツナに答えると、音羽がゆっくりと立ち上がった。


「――それじゃあ、私もそろそろ戻るね。修行の邪魔しちゃってごめんなさい。……バジル君も、急に来てすみませんでした」

 音羽は制服のスカートに付いた砂を払うと、眉尻を下げて言う。ツナが立ち上がると、同じようにバジルも腰を持ち上げた。

「いえ、お会い出来て良かったです。片桐殿も、どうか無理をなさらず励んでください!」

「バジル君……ありがとう!頑張りますね!」

「!は、はい……!」

「あっ、」

 音羽がにっこり笑い掛けると、ついにバジルの頬がほんのりと赤くなる。見逃さなかったツナは、意図せず小さな声を出してしまった。

 ――やっぱり……!! バジル君も、片桐に惚れちゃったよー!!


「じゃあ沢田君、リボーン君も、本当にありがとう!頑張ろうね!」

 ツナの心の叫びなんて当然気付かないまま、音羽は元来た方へ走り去って行く。
 そんな彼女の後ろ姿を、バジルは今や名残惜しそうに見つめていた。……少なくとも、ツナの目にはそう見えたのだ。

「すごいよ、片桐……すごすぎるよ……」

「ふん。音羽なら、オレの五番目の愛人にしてやってもいいぞ」

「なっ、上から目線!? っていうかお前、赤ん坊だろーー!!?」

 どこか満足げに鼻を鳴らすリボーンに、ツナは今度こそ声にして叫ぶ。
 
 山の中に響いたその声に、下山していた音羽はつい首を傾げたのだった。


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