13話 誓い
黒曜ランドに乗り込んだツナたちは、早々に敵に遭遇した。
相手は、黒曜中の制服を着た少年。
動物の歯をカートリッジとして付け替えると、その動物の持つ能力が使用出来るという、何とも野性的且つ厄介な相手だった。
山本は、土砂に埋まったガラス張りの元動植物園の中でその敵と相対し、片腕を負傷してしまったが、何とか勝利を収めた。
戦いの終わった山本と、そしてリボーンに突き落とされてしまったツナは、埋もれていた動植物園から地上へと引き上げてもらうのだった――。
「――ディーノの情報によると、今倒したのが主要メンバーの城島犬だ。この写真を見てみろ」
地上に戻ると、リボーンが一枚の写真をツナの方に差し出した。
「こ、これが敵の三人組!?」
渡された写真には、商店街で獄寺と戦っていた眼鏡の少年・柿本千種と、たった今山本が倒した城島犬が写っている。
そして、両端に写る二人の間にもう一人、背の高い男が立っていた。
「真ん中の奴が、六道骸だ」
リボーンが口にしたのは、この事件の主犯の名前。ツナは初めて、“六道骸”をまじまじ見る。
鋭い目付きに、古傷の多い身体。右頬にも傷がある。
殺気立った眼がいかにも凶悪そうな、まさに殺し屋とでも言えそうな容姿だった。
こんな恐ろしい相手と戦わなければならないのか……。ツナはただただ青褪める。
「これでいいわ」
「どもっス」
写真を見ていたら、ビアンキが山本の腕の治療を終えたようだった。声が聞こえて振り向けば、山本が笑顔で彼女に礼を言っている。
「……」
ツナは、そっと眉を顰めた。
――また怖くて動けなくて、山本に迷惑かけちゃったよ……。本当、こういうシチュエーション向いてないよな……。へこむよなあ……。
野球部に所属している山本は、近々大会があるのに。自分の片腕を犠牲にしてでも、敵を倒してツナを助けてくれた。
それなのに……、自分はまた、何も出来なかった。罪悪感と情けなさに、ツナの胸が締めつけられる。
しかし山本はというと、いつも通りあっけらかんとしていて、リボーンに壊れたバットを交換して貰っていた。
「まっ、でも、メガネヤローはまだ寝てるらしいし、アニマルヤローは倒したし、意外と簡単に骸をぶっ飛ばせそうですよ」
「ププッ」
獄寺がにっと笑って言ったとき、下の方――動植物園の中から笑い声が響いてきた。
「めでてー連中だぜ!!」
「!アニマルヤローだ!」
「さっき完璧に気を失ってたのに!」
城島犬のその声に、ツナと獄寺は穴の側に寄って中を覗き込む。
彼はロープで縛られた状態のまま、顔だけを上に向けてこちらを見上げていた。
「ひっかかったなー!!お前たちに口割らねーために、オポッサムチャンネル使ったんだよん!!」
「オポッサム……、死んだフリが得意な動物ね」
「んなっ!?あれ、死んだフリだったの!?」
獄寺の隣に来たビアンキの言葉に、ツナは思わず声を上げる。
すると犬はべろりと舌を出して、挑戦的な目をこちらに向けてきた。
「でも、よーく考えてみたら、お前たちに何言っても問題ないじゃん!!だから、一個だけ良いこと教えてやるびょん!!骸さんの狙いは、お前たちだけじゃない!!」
「!!」
「!!どういう事だ!?」
犬の言葉に、全員目を見開いた。獄寺が怒鳴って彼に問い詰める。
「骸さんを倒せたら全部教えてやってもいいびょん!!でも、ぜってー骸さんは倒せねーからな!!全員、顔見る前におっ死ぬびょーん!!」
「んだと、教えやがれ!砂まくぞコラ!」
「甘いわ、隼人」
ビアンキは、いつの間にか手に持てる大きさの岩を持っていて――何の躊躇いもなく、それを穴の中へと放り投げた。
「キャン!」
ゴッ!という鈍い音がしたかと思うと、犬の悲鳴に似た声が聞こえてくる。
「ヒクヒクしてるけど、あれも死んだフリかしら」
「「……」」
――やっぱこの人怖ぇーー!!!しかも、骸の目的聞けなくなったーー!!!
無表情で穴を覗き込むビアンキに、ツナと獄寺は震えた。
「だが、奴の言う通り六道骸を侮らねー方がいいぞ」
まだ衝撃冷めやらぬツナに、リボーンは冷静に言う。
「奴は幾度となく、マフィアや警察によって絶対絶命の危機に陥ってるんだ。だが、その度に人を殺して、それを潜り抜けてきた。脱獄も、死刑執行前日だったしな」
「ええっ!?この人、何してきたのーー!?六道骸、やっぱ怖ぇー!!」
ツナは恐怖を募らせた。
六道骸――。
彼の目的は、一体何なのだろうか。
そして、狙いは自分たちだけではない、とは?
……答えを知るには、先へ進むしかない。
◇
「六道骸様」
呼ばれて、ソファに座っていた骸は隣にあるベッドを振り返った。その上でのろのろと起き上がった人物は。
「おや、目を覚ましましたか?三位狩りは大変だったようですね、千種」
「ボンゴレのボスと、接触しました」
「そのようですね」
予想通りの言葉が千種から出て、骸は静かに目を伏せる。
「彼ら、遊びに来てますよ。犬がやられました」
「!」
「そう慌てないでください。我々の援軍も到着しましたから」
「…………」
慌てて起き上がろうとする千種を諫めると、彼は注意深く室内の闇に目を凝らした。
「――相変わらず不愛想な奴ねー。久々に脱獄仲間に会ったっていうのに」
手前にいた女が、嘲るように口を開く。
薄暗い室内。窓から入る薄明かりが、そこにいる“彼ら”の姿を映し出した。
――それは以前、骸たちと脱獄を果たしたメンバー。M.M、バーズ、双子のヂヂとジジ、そして――。
窓際に立っている、帽子を目深に被った長身の男。
「……何しに来たの?」
「仕事に決まってんじゃない。骸ちゃんが一番払いいいんだもん」
「答える必要はない……」
「スリルを欲してですよ」
千種が問うと、三者三様に答えを返す。
千種は彼等に対する警戒心を失っていないようだったが、骸の決めたことに逆らうはずもない。彼はただ黙して、そこにある姿をじっと見ていた。
「千種はゆっくり休んだ方がいい。ボンゴレの首は彼らに任せましょう。……直に、彼女も来るはずです」
「ええ、ええ。私の可愛い鳥たちが、バスに乗る彼女の姿を捉えていますよ」
バーズの言葉に、骸から微笑が零れる。
彼の手懐けている小鳥に音羽を追跡させ、骸は彼女の行動を把握していた。
病院に行き、風紀副委員長の草壁から雲雀の行き先を聞き出したこと。
そして音羽は恐らく、戻って来ない彼のために、こちらに向かっているのだということも。
……全て決着がつけば、自分から迎えに行こうと思っていた。が、彼女自らここまで来てくれるとは。何とも嬉しい誤算である。
――それが彼のため……というのが、少々癇に障りますがね。
しかし、もう少しで彼女に会えることに変わりはない。
それだけで、心中に生まれる不愉快な気持ちは全て、跡形もなく払拭されるような気がした。
骸は静かに目を閉じる。
幾度となく思い出した姿がまた、瞼の裏にゆるりと浮かんだ。
――淡い色をした桜の花びらが、ひらひらと舞う静かな春の日。
緩やかな風が吹き、神の社は静謐な空気に包まれていた。
そこに現れたのは、緋袴を穿いた一人の美しい巫女。彼女は屈んで、骸に優しく微笑みかける。
弧を描いた
その姿を、声を、微笑みを。一度見てしまったら、忘れることなど決して出来ない。
骸は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
――今度こそ、貴女を手に入れますよ。……“傾国”。
「……」
赤い眼を細める骸を、千種は黙って見つめていた。
◇
立て続けの戦闘を終え、ツナは混乱していた。
クラリネットを武器に戦う女、並盛にいる京子とハルを狙う不気味な双子に、それを黒曜ランドで操っていた中年男。
女はビアンキが、双子はシャマルと十年後のランボ、イーピンが倒して、京子たちを守ってくれた。
双子を操っていたバーズという男自体は卑劣なくせにとても弱くて、なんと獄寺の一蹴りで伸びてしまったくらいだ。
「一体何なの!?こんな刺客聞いてないぞ!?」
敵は写真に写っていた三人だけだと思っていたツナは、混乱も相まって半ば怒りながらリボーンに詰め寄る。
「こいつらは、骸と一緒に脱獄した連中だな」
言いながら、リボーンは何枚かの写真を取り出した。
「ディーノの情報によると、脱獄は結束の固い三人組に、M.M、バーズ、双子が加わる七人で行われたんだ。三人組以外の消息は途絶えていたんだが、まさか骸の元に来ていたとはな」
「まさかじゃないよ!」
「だってだって、ディーノがこいつらは関係ねーなって、言ったんだもんっ」
「キャラを変えて誤魔化すな!もう居ないよな!?」
ぷーっと頬を膨らませるリボーンにツッコミを入れて、ツナは辺りを見回した。
これ以上恐ろしい敵が現れたら、堪ったもんじゃない。そう思っていると。
「――いるわ」
「!!」
ビアンキの真剣な声音に、ツナは肩を跳ねさせた。
「隠れてないで出てきたら?そこに居るのは分かってるのよ」
彼女は茂みを睨み付ける……が、反応はない。
「……来ないのなら、こちらから行くわよ」
ビアンキの声に威圧の色が加わると、しんとしていた茂みがガサッと揺れた。
「ま、待って……僕だよ」
「フゥ太!」
怯えた表情で現れたのは、ここ最近姿を見ていなかったフゥ太だった。いつものランキングブックを抱え、けれどどこか顔色の悪い彼に、ツナたちは目を見開く。
「こ、こんなところに……」
「逃げて来たんじゃねーのか?」
「と、とにかく、よかったー!元気そうじゃんか!」
ツナはほっとして笑うと、フゥ太の方に駆け出した。
「皆いるからもう大丈夫だぞ!さあ、一緒に帰ろうぜ!」
「来ないで、ツナ兄」
「え……?」
思いがけないフゥ太の言葉に、ツナの足がぴたりと止まる。傾斜になった茂みの上にいるフゥ太を見上げると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「僕……もう皆のところには戻れない……。僕、骸さんについて行く……」
「な、何言ってんだ……?」
理解出来ず、ツナは困惑してフゥ太を見つめる。何かの嘘か冗談かとも思ったが、彼の瞳に偽りのようなものは一切ない。
ツナが戸惑っている内に、フゥ太は踵を返してしまう。
「さよなら……」
「ちょっ、待てよ!フゥ太!」
茂みの中に走って行くフゥ太を、ツナは慌てて追いかけた。
「十代目!深追いは危険です!!」
獄寺は、遠ざかるツナの背中に声を投げた。
しかし、彼はこちらを振り返らない。
このままツナを一人にするのも心配で、獄寺は山本と共に彼を追いかけようと足を踏み出す。
すると――。
「!!」
二人の目の前を、ビュッ、と“何か”が横切った。
辺りに渦巻いた風圧と、そして身を切るような鋭い殺気に、獄寺も山本もすぐさま足を止める。
「て、鉄柱……?」
横切った“何か”を見てみると、半分に曲がった鉄柱が木を抉って地面に落ちていた。
何という威力か……。二人は目を瞠って、後方を振り返る。
――次の刺客か……!
殺気の矛先で、コツリと鳴った足音。
二人は、緊迫した表情で身構えた。
◇
「フゥ太ー!どこー!?」
ツナは茂みの奥へと入り坂を上って、フゥ太の姿を探していた。すぐに追いかけたのに、彼の小さな姿は見当たらない。
それでも放って帰ることも出来ず、走って辺りを見回していると――。
「!」
前方に人影を発見して、ツナは目を見開いた。
「おや?」
「!ひぃっ!!黒曜生ー!!」
数メートル先、目が合ったのは黒曜中、の制服を着た少年。
咄嗟に、先ほど現れたような刺客だろうかと思って、ツナは悲鳴を上げる。
しかし、少年は驚くほど物腰柔らかに、そしてどこか安堵したように顔を綻ばせた。
「助けに来てくれたんですね!」
「え!?」
「いやあ助かったー、一生ここから出られないかと思いましたよ!」
「えぇーーっ!?」
予想外の反応に、ツナはつい唖然としてしまう。
親しみやすい、というか普通というか……。
取り敢えず、少年は六道骸が送り込んできた刺客ではないようだ。
ひょっとしたらこの少年も、六道骸に人質として連れて来られたのかもしれない。噂によれば黒曜中も征服されているらしいので、そういう人がいてもおかしくないはずだ。
ツナは少し肩の力を抜いて、少年を見る。
すらりと背が高くて、年もツナと近そうなその少年は、藍に近い色の長い前髪を真ん中で分けていた。そのせいで、彼の右目は髪で隠れてしまっている。
悪い人ではなさそうだし、出来ることなら彼も助けてあげたい。
……しかし、まだ主犯の骸をどうにも出来ていないのだ。期待の籠った彼の眼差しが心苦しく、ツナは苦笑いする。
「あの、期待してるとこ悪いんですが……。まだ、助け出す途中っていうか……」
「あっ、すっ、すいません。一人で先走ってしまって。でも、助けに来てくれたという行為に、本当に感動しているんですよ。ありがとう」
「いや……そんな〜……」
――ここに来て初めてまともな人と出会えた気がする……。なんか脱力〜……。
眉尻を下げて嬉しそうな微笑を浮かべる少年に、ツナは思わず息を付いた。
「すごいな〜、やはり選りすぐりの強いお仲間と来られたんですか?」
「いや、あの……女の人と、赤ん坊も居たりするんですけどね……」
心底尊敬する、とでも言うような少年の口ぶりに乗せられて、ツナはつい口を滑らせた。
やはり、少年を驚かせてしまったようだ。彼は目を丸くする。
「え……赤ん坊に、女の人?こんな危険な場所にですか?」
「ええ、まあ……。あいつは例外っていうか……」
「女の人は、一人ですか?他には誰か?」
「え?いや、一人だけ、ですけど……?」
なぜそんなことを聞くのだろう?
不思議に思いながらも答えると、彼はさらりと、呟くような声で言う。
「いえ、君と同い年くらいの女の子が、こちらに向かっていると聞いたものですから」
「えっ……!?」
今度は、ツナが驚く番だった。
ツナと同い年くらいの女の子――そんな女の子がこんな危険な場所に向かって来ているなんて、リボーンからは聞いていない。
一体、誰なのだろう。
……それに……。
――何でこの人……、そんなこと知ってんの……?
ツナの中で疑問、というより違和感が生まれるが、少年は特に気にした風でもない。また、あの柔らかな笑顔でツナを見た。
「それにしても、赤ちゃんもすごいですね。まさか、戦うとすごく強いとか?」
「ま、まさか!赤ん坊が戦う訳ないじゃないですか……!」
「戦ってくれたら、どんなにいいかとは思うんですけどね……」と思わず呟いた言葉が、彼に聞こえたかどうかは分からない。しかし、彼は興味深々な様子である。
「というと、間接的に何かするんですか?」
「え……まあ、詳しくは言えないんですが……。あ、そうだ!それより、雲雀さんって並中生知りませんか!?」
少年の問いをはぐらかし、ツナが尋ねると。
「――今、質問しているのは僕ですよ」
「え……?」
途端、少年の声が低くなった。
ツナが息を呑む間に、髪で隠れていた彼の右目が。露になる。
「その赤ん坊は――間接的に、何をするんですか?」
「ひ、ひっ……!」
少年の右目は、普通ではなかった。
青みがかった左目とは全く違う、赤い瞳。瞳孔の部分には、“六”という漢数字が浮かんでいる。
恐怖の余り、ツナは震え上がった。
少年が纏っていた穏やかな雰囲気は煙のように消えてしまい、ただただ威圧的な空気だけが辺りに漂って場を支配する。
ここに居たら、駄目だ。
この人と一緒に居たら。
本能的にそう思い、ツナは数歩後退る。
「そ、そうだ、はぐれちゃったんで皆の所に戻らなきゃ……!友達とまた来ます!!じゃあ、また!!」
一方的に、叫ぶように告げて、ツナは元来た方へと一目散に駆け出した。
「……クフフフ」
――骸は、その後ろ姿を見つめて笑んだ。
「やはりあの赤ん坊、アルコバレーノ」
「そのようですね」
茂みから出てきて骸に答えたのは、千種だ。骸はそのまま、“もう一人の標的”が消えていった方を、機嫌よく見つめる。
「赤ん坊は戦列には加わらないが、何か手の内を隠している……。ボンゴレ十代目に手をかけるのは、それを解明してからにしましょう。それに――」
骸は言葉を切って、細めていた瞳をゆっくり開いた。
「彼女がここに向かっていることを、彼等はまだ知らないようだ。僕の目的が彼女だと分かれば、ボンゴレは必ず彼女を守ろうとするでしょう」
「彼女がボンゴレと合流すると、厄介です。戦闘に巻き込んで、彼女を傷付けてしまってはいけませんからね。彼女がここに来る前に、ボンゴレの戦力はゼロにしておきたい」
「……その点は、大丈夫なのでは」
休みなく言うと、千種が答えた。骸は頷く。
「ええ、そうですね。彼らの手には負えないでしょう。……あちらの、六道骸は」
「…………」
楽しげに笑う骸を、千種は静かに見ていた。
片桐音羽――。
千種は名前しか知らないが、骸にとってその少女が特別な人間だということはよく理解している。
彼等の邂逅は――恐らく骸しか知り得ないことであろうが、彼にとってそれは些末な問題のようだった。
骸は、彼女をとても丁重に扱おうとしている。これまで彼に付き従ってきた千種が、見たこともないほどに。
骸の、“彼女”に対する執着心にいっそ畏怖の念すら感じながら、千種は踵を返して歩き出す彼の後ろに続くのだった。
◇
「フゥ太だけでなく、雲雀さんも捕まってたなんて……!」
ツナは茂みの中を走りながら、獄寺たちの姿を探していた。
あの黒曜生の人質も、フゥ太も。何か様子がおかしかった。
六道骸に捕まると、皆おかしくなってしまうのだろうか。怖い想像が頭を過る。
「と、とにかく早くみんなと合流しないと!こんな所で敵と出会ったりしたら、シャレになんないよ……!」
頭を振り、ツナは辺りを見回した。記憶を頼りに何となく走り続ける。
――すると、次第に見覚えのある景色が見えてきた。
ツナは立ち止まって、木々の隙間から下を見下ろす。そこに、ぼんやりと人影があった。
「発見!やっと見つけた……!」
安堵の気持ちが広がって、ツナは傾斜を駆け下りようと――してから、ハッと足を止めた。
「え……、あれって……!写真で見た六道骸だ!!」
遠目から見ても分かるほどの長身。眼光鋭く険しい顔付きは、間違いなくリボーンに見せられたあの写真の男である。
「ひぃい、バックバック!!……ん?」
恐怖の余り、ツナは思わず後ろに下がった、が。
「――!!獄寺君、山本!!……!ビアンキが、山本を庇って……!!」
目に飛び込んできたのは、胸を押さえて地面に蹲る獄寺と、木に凭れて気絶しているらしい山本。そして、二人を守るようにして立ち塞がった、ビアンキの姿だった。
獄寺も山本も、きっと骸にやられたのだ。
思った瞬間、ツナの胸にこれまでにない怒りが沸き上がる。
「――コラァ!!何やってんだ!!」
「!」
「ツナ!」
気付けばツナは叫んでいた。
ビアンキと、そして骸がこちらを見上げる。
「あ゛」
六道骸と、目が合って。ツナは我に返り頭を抱えた。
――何やってんだオレーー!!?なんでランボ叱るみたいに、ナチュラルに六道骸叱ってんの!!
自分のした愚かな行為に気付いても、もう遅い。
「――降りてこい、ボンゴレ」
案の定、六道骸が殺気に満ちた瞳でツナを睨み見た。
「いや、あの……!」
「……女を殺して待つ」
「!!」
「!ビアンキ!!」
ツナが狼狽えている間に、骸は大きな鉄球をビアンキに向けて容赦なく放った。
ビアンキの顔が引き攣る。ツナは叫んだ。
「死ぬ気になるのは今しかねーぞ。暴れてこい、ラスト一発だ」
「!」
銃声が響いたその刹那――。
ツナは、リボーンの声を聞いた気がした。
「――死ぬ気でお前を倒す!!!」
◇
「…………」
コンクリート造りの密室に、雲雀は片膝を立てて座り込んでいた。閉じ込められていて外には出られない。
当然、何とか脱出できないかどうか、既に試し済みである。が、トンファーを敵に取り上げられてしまっていては、簡単にどうこうする術はなかった。
それでも、大人しく諦めてやるつもりはない。けれど、今は少しでも体力を回復したいのでじっとしている。
身体中に感じる痛み。これは、骨も折れているだろう。感覚で分かる。
体力は限界に近かったが、それでも雲雀の胸は怒りに燃えていた。音もなく、とても静かに。
六道骸……。奴は、絶対に許さない。
雲雀をここまで痛め付けたのは、あの男が初めてだ。一方的に殴られたことも――思い出すだけで苛立って仕方ない。
ここから出たら、必ずあの男と決着を付ける。身体が痛もうが、満足に動かなかろうが、絶対に。
――もう何度目か、雲雀がやり場のない憤りを持て余しながら、考えていたときだった。
ふと、通気孔から微かな物音がして、雲雀の意識が思考から逸れる。
「……」
見上げてみれば、通気孔の僅かな隙間に“また”来ていた。
黄色い小鳥。
何が楽しいのか、あの小鳥はさっきから何度かここに来ては外に出ていき、また戻って来ることを繰り返している。
小鳥は先ほどと同じように、首を傾けて雲雀を見下ろしていた。
つぶらな黒い瞳に、ふくふくとした丸みが可愛らしい。
元来動物が嫌いではない雲雀は、その小鳥の姿に幾らか気持ちを落ち着けた。
雲雀のそんな気配を感じ取ったのかもしれない。
小鳥は小さな羽をぱたぱた動かしてこちらに降りてくると、段々雲雀の存在に慣れ始めていたのか、膝の上に置いていた雲雀の腕にちょこんと留まる。
愛らしいその様子に、雲雀は微かに笑みを浮かべた。
音羽が見たら歓喜の声を上げそうだ。動物の話をしたことはないが、彼女はいかにもこんな可愛らしい生き物が好きそうである。
――そう思ったとき、また、その顔が脳裏を掠めた。
「…………音羽」
雲雀の口を衝いて出たのは、彼女の下の名前だった。
初めて呼んだそれは、雲雀の胸の底に落ちていくように、じわりと深く響く。
今頃、音羽はどうしているだろうか。無事であればいいが……。
雲雀がこうしている間にも、六道骸が彼女の元に赴いているかもしれない。
そうなればあの男の事だ。音羽の気持ちなど考慮せず、無理やりにでも自分のものにしようとするに違いない。
少なくとも、彼女の話をしていたときのあの男の眼は、そういう眼だった。
ぎり、と爪が食い込むほど強く、雲雀は拳を握りしめる。
意図せず溢れた殺気が伝わったのか、小鳥は雲雀の腕から離れると、また通気孔から外に向かって飛んで行った。
その小さな姿を見上げ――雲雀は、ゆっくりと目を伏せる。
――初めは、単なる暇潰し以外の何者でもないはずだった。
ただ、他の人間と違う反応を見せるのが面白いだけの。
……けれど、何がきっかけだったのか。
分からないほどいつの間にか、音羽は雲雀でさえ今まで辿り着くことがなかった、雲雀の一番深い場所にごく自然に入り込んでいる。
何の違和感も嫌悪もなく、彼女はそこで、ただ温かく微笑んでいるのだ。
音羽が危機に陥ると、落ち着かなかったものの正体。
彼女が他の人間と群れているのが、心底気に入らなかったこと。
光に溶け入ってしまいそうな音羽の横顔に、手を伸ばしたかった理由も。
……今なら、全て分かる。
己が窮地に立たされて、音羽の身に危険が迫っている今、雲雀は否が応でも自覚せざるを得なかった。
あり得ない、と自分でも思うが――雲雀は、彼女のことを想っている。
群れるのは死ぬほど嫌いだ。雲雀の根本は変わらない。
しかし、音羽ならば自分の側に居てもいい。寄り添っているのもいいかもしれない、と。そう、自ずと思うのだ。
俄には信じ難い自分のそんな感情を受け入れてしまうのは、音羽の柔らかな笑顔ばかりを、思い出してしまうからだろう。
あの笑顔が、ともすれば自分の前から消えてしまうかもしれない。考えれば、今も感じたことがないほどに胸を乱される。
音羽の恥ずかしがる姿も、困った顔も、雲雀を見上げる潤んだ瞳も、包み込むような温かな微笑みも。何一つ欠かすことなく、自分の手で守りたい。
雲雀は拳の力を緩めて、またそれを握り直した。
夏祭りで握った音羽の手の感触が、まだ内側に残っている気がする。
小さくて、けれど温かい手だった。
緊張してこわばりながらも、雲雀の手をぎゅっと握り返していた力が懐かしい。
あのぬくもりに、また触れたい。
音羽の顔を見たい。
無事な姿を確かめて、そうすればもう、きっと放すことはない。必ず、自分が守る。
通気孔から差し込む微かな光を見つめて、雲雀は静かに誓った。
自分自身に対してでもあり、そして他でもない、音羽に対して。
それは、紛うことない音羽への想いだった。
◇
時を同じくして、閑散とした広い道路に一台のバスが停まった。
今は誰も降りることがない、そのバス停。黒曜ヘルシーランド前に、一人の少女がそっと降り立つ。
「――雲雀さん……」
音羽は眼前に広がった廃墟を見上げ、意を決して、前へと足を踏み出した。