7話 渦巻く想い

 運命の金曜日がやって来た。

「――はじめ!」

 先生の合図と共に、問題用紙を一斉に捲る音が教室に響く。
 音羽も素早く用紙を表に返すと、問題を解き始めた。

 ――そう。
 今日は運命の日――数学のテストの日なのだ。
 今日のために、出来るだけのことはやってきた。何としてでも80点以上を取って、雲雀に報告したい。

 ――できる、できる、大丈夫……。

 心の中で、まるで呪文でも唱えるように呟いて、音羽は問題用紙に目を走らせる。
 公式を思い出し、そして雲雀の姿も浮かべながら、音羽は本気で数学のテストと戦った。





「――はい終わり!後ろから集めて来いー」

 始まったときと同じように、先生のその一声で、今度は生徒たちの声が教室中に溢れ出す。
 「どうだった?」と不安げに友達に尋ねる声や、「出来た!」と嬉しそうに報告する声など、皆の様子は様々だ。

 音羽はふぅ、と息を付いて、答案用紙を集めに来てくれた生徒に用紙を手渡す。

 ……手応えは――よく、分からなかった。いつもより出来ているのは確かだけれど、それが80点に届いているのかは分からない。
 取れているような気もするし、取れていないような気もする。

 ――どうか、どうか、80点以上でありますように……!

 音羽は教卓の方に運ばれていく答案用紙を見つめながら、切に祈った。
 実力を出し切った今、あとやることは神頼みだけである。




「――片桐、どうだった?」

 休み時間のチャイムが鳴って、音羽の席まで来てくれたツナは、気遣わしげにそう尋ねてくれた。
 きっと先日、「良い点を取って好きな人に報告したい」と言ったことを、覚えていてくれたのだ。

「どうだろう……出来た気もするんだけど、ちょっと不安かな……」

 ツナの優しさに微笑みながら、けれど肝心の点数に対しては絶対の自信がなく、音羽は結局曖昧な苦笑を浮かべる。

「大丈夫だって!片桐、あんなに頑張ってたじゃねーか!」
「ま、お前よりは出来てるだろうな」
「!山本君、獄寺君」

 いつの間にか近くに来ていた二人が励ましてくれて、音羽は「ありがとう」と小さく笑った。すると、
 
「音羽ちゃん、数学のテスト終わったね!」
「京子ちゃん!」

 今度は京子がやって来て、晴れやかな破顔を見せてくれる。

「テスト期間が終わったら、またハルちゃんとケーキ屋さんに行く約束してるの!だからそのときは、音羽ちゃんも一緒に行こう?」

 “そのとき、またこの前のお話の続き聞かせてね。ハルちゃんも気になってたみたいだから。”と、小声で京子に耳打ちされて、音羽はぽっと頬を赤らめて頷いた。

 公園でケーキを食べたとき、数学のテストの話は京子とハルにも伝えていたので、二人とも気に掛けてくれていたのかもしれない。
 音羽は京子にもお礼を言って微笑みながら、じんわりと心が温かくなるのを感じていた。


 並中に転校してきて、良かった。
 
 『友達を作らなくても、一人の時間は好きだから大丈夫』。
 ほんの少し前までは、そう思いながら学校生活を送っていた。

 だけどやっぱり、友達は居て悪いものではない。
 こうして他愛ない話が出来る存在のありがたさ。不安や喜びを、一緒に共有出来ること。とても、素敵なことだと思う。

 “友達”という存在が居てくれることにひしひしと感じ入っていた音羽は――、同時に、苦い思い出に浸かりかけて、慌てて思考の海から顔を出した。


 ――前の学校で、友達だった女の子。
 その子の泣き顔だけが、どうしてもすぐに消えない。
 結局、最後の最後まで仲直りは出来なかった。

「……」

 音羽は側で会話を弾ませる四人の声を聞きながら、そっと静かに目を伏せた。





 放課後、音羽はしばらくご無沙汰していた図書室へと足を運んだ。
 ツナの家にお邪魔させてもらったり、最近は自宅で勉強したりすることが多かったので、来る機会が減っていたのだ。

 今日も図書室に人の姿はなく、相変わらず室内は静寂に包まれている。

 本当は来週もテストなので勉強しなければいけないのだが、土日を挟むからたぶん何とかなるだろう。
 偶には息抜きも必要だし、長居はしないからと思い、今日は本を読むことにした。

 音羽は定位置の机の上に荷物を置いて、近くの窓を少しだけ開ける。
 湿気を帯びた温い空気が、しっとり室内に入ってきた。空には、今にも雨を降らしそうな、分厚い雲がかかっている。

「もう六月なんだよね」

 早いなあと思いながら、音羽はぼんやりと遠くの景色を眺めた。
 
 並中に転校して来て二ヶ月。四月の頃は色々慣れないことも多かったけれど、最近は移動教室で迷うこともなくなったし、ツナや京子たちのように少しずつ話せる人も出来た。

 そして、雲雀とも。
 きっと、ずっと遠くから見ているだけなんだろうなあと思っていた彼と、話すことも出来たし――雲雀自身から勉強まで教えてもらって、ほんの少しだけ、出会ったあの日より彼との距離が縮まったような気がする。


 ……思えば雲雀と出会ってから、毎日の時間の流れが早い。
 ただ事務的に学校に行って勉強をして、本を読んで。それだけの生活をしていたのなら、たぶん音羽はまだ五月の中に取り残されていただろう。

 雲雀やツナたちとの出会いがあったから、“学校に来るのが楽しい”、なんて。
 久しぶりに思うことが出来たのだ。

 だとしたら、この図書室は今まで以上に好きな場所になるかもしれない。
 雲雀と出会ったのも、ツナたちと出会ったのも、どちらもこの場所だったから。 


「……本、選ぼうかな」

 思いを巡らせていた音羽は我に返って、自然と口元が綻ぶのを感じながら窓際を離れた。

 それから大きな本棚の列に移動して背表紙に目を走らせ、興味を惹かれるタイトルがないか、ゆっくりと見て回る。

 ……そういえば、夏休みには読書感想文の宿題があるから、そろそろその本を探すのもいいかもしれない。
 そんなことを考えつつ、本棚の間を歩いていると。

 ――ガラ――

 と、不意に図書室の扉の開閉音が聞こえてきた。

「……?」

 ――誰だろう……?

 一瞬、雲雀かもしれないとも思ったが、彼がここに来るのはいつも下校時刻になったあと、鍵を閉める時間になってからだ。
 だから、たぶん彼じゃない。


 ……それに、もし雲雀に会ったら、一体どんな顔をすればいいのだろうか。

 この前逃げるように去ってから彼とは一度も顔を合わせていないし、きっと音羽の気持ちは既にバレてしまっている。

 それを知った雲雀が、音羽のことを迷惑な存在だと思う可能性は十二分にあるし――寧ろ、“群れる”ことを嫌っているらしい雲雀なら、それ以外の答えはないように思えた。

 ここ数日、音羽の足が図書室から遠退いていたのも、雲雀のそんな反応を見てしまうのが少し怖かったからである。
 

 だが、雲雀でないとするならば、他に誰がいるだろう……?
 「また来るね」と言っていたから、ひょっとしたらツナたちかもしれない。でも、それにしてはちょっと静かすぎるような……。
 ということは、ついに新しい図書室の利用者が現れたのだろうか?

「……」

 音羽は、扉が見える所まで足音を立てないように移動して、背の高い本棚の影からそっと顔を出してみた。
 すると――。

「っ――!?」

 びっくりして声を上げそうになり、音羽は慌てて口を押さえ、棚の影に首を引っ込める。

 ――ひ、雲雀さん……!?何でこんな時間に……!?

 入口にいた人物――それは、たぶん違うだろうと最初から高を括って可能性を排除していた、雲雀その人で。
 彼はなぜか、腕を組んで扉の前に仁王立ちし、室内を見渡している。
 
 ――ど、どうしよう……!まともに話せる自信がないから、今日も雲雀さんが来る前には帰ろうと思ってたのに……!
 まさか()っちゃうなんて……、どうか、気付かれませんように……!!
 
 音羽は息を殺して祈りながら、雲雀がこのまま帰ってくれるのを待つ。
 
 雲雀の姿を見られたのは嬉しいし、話したい気持ちも勿論あるが、それ以上に前回の自分の失態に対する恥ずかしさと、雲雀に拒絶されるかもしれない、という不安の方が上回っていた。

 彼の顔を見たからか、それともこんな所に隠れているせいか。
 バクバクと速く打つ自分の心音を聞きながら、雲雀が立ち去る音がしないか耳を澄ませる。


 ――しかし、音羽の祈りは届かなかった。


「――出て来なよ、片桐音羽」

「……!!」


 雲雀にはっきりと名を呼ばれ、音羽の身体がビクリと跳ねる。

 ……どうして分かったのか、どうして彼が「出て来い」と言ったのか。
 
 色々な疑問がいっぺんに湧き上がって、そして、自分の名前を呼んだのは間違いなく雲雀の声で。
 頬がじわっと熱くなるのを感じると、増々ここから出て行きたくなくなる。

 ――けれど、彼に気付かれている以上、出て行かない訳にもいかない。

「……っ……」

 音羽はついに諦めて、せめて雲雀に自分の好意がこれ以上見えてしまわないように、赤い頬を俯けて本棚の影を出た。

 ちら、と視線だけを上げて入口の方を見ると、黒い制服のズボンが映り、慌てて視線を元に戻す。

 ――雲雀さん、何で私がいること分かったんだろう……。

 羞恥心から気を逸らすために考えていると、雲雀が気怠い息を付いた。

「……荷物。そこに置いてるでしょ」
「あっ……!……」

 まるで見透かしたかのような雲雀の言葉に驚きながら顔を上げると、確かに定位置の机の上に音羽の鞄が堂々と載っている。
 そんな単純なことにも気が付かなかったなんて……ちょっとショックだ。

「…………」
「……」

 呼ばれて出ては来たものの、雲雀が口を開く気配はなく、図書室に沈黙が落ちる。

 どうしよう、何を言えば――。

 考えても、彼を前にすると勝手に生まれてしまう恥ずかしさと焦りのせいで、咄嗟に言葉が出てこない。
 でも、この何か、気まずい空気にも耐えられなくて、音羽は真っ先に浮かんだ疑問を何とか声にした。

「……えっと……雲雀さんは、どうしてここに……?」

 自分でも驚くほどか細い声が出たが、雲雀の耳には届いたらしい。彼はあっさり返事をくれる。

「君に用があってね」
「……?」

 ――……あれ?何だろう……?

 彼の声の響きに何か違和感を感じて、音羽は俯いたまま目を瞬かせた。

 いつもと同じ、人を寄せ付けないような少し強い口調。けれど何か……それだけじゃない。

 違和感の正体を確かめるべく、勇気を出して顔を上げると、

「ねえ君、獄寺隼人や山本武と群れてるの?」
「……え?」

 予想だにしなかった名前が出てきて、音羽は雲雀の様子に注視するのも忘れ、ぽかんと口を開けた。


 なぜ、獄寺や山本の名前が出てくるのか。
 どうしてそんなことを聞くのか。


「……!」

 理解する暇もなく、雲雀が足を踏み出した。ゆっくりとこちらに歩いて来る雲雀に、音羽は目を見開いて、思わず後退る。


 徐々に迫って来る雲雀はこれまでに感じたことのない威圧感があって、鋭い目で音羽を見据えていた。
 いつもと同じ、何を考えているか分からない無表情のはずなのに、確かにいつもと違うと感じる。
 
 今の彼の瞳に、この前感じた優しさのようなものはない。

 そんな彼の様子を見た音羽の頭に、ふと、一つの可能性が過った。

 ――雲雀さん……何か、怒ってる……?

 そうとしか思えなかった。

 口調も表情も普段とそう変わらないのに、彼の声や纏っている雰囲気の中には怒りがある。


 でも、それなら一体どうして?
 何に怒っているというのだろうか……?


 思い当たることが何もない音羽は、“怖い”というより寧ろ、困惑して雲雀を見つめた。

「ねえ、答えなよ」
「っ……」

 眼前の雲雀がそう言ったのと、音羽の背中が後ろの壁に触れたのは、殆ど同時だった。
 反射的に背後を振り返ると、ヒュッと風が鳴って――。

 刹那、喉元にひやりとした感触を感じる。

「……!!」

 慌てて雲雀の方を向き直った音羽の喉には、噂に聞いていた雲雀のトンファーが突き付けられていた。

「答えないなら、咬み殺すよ」

 冷たい声で言う雲雀の右手に握られたトンファーが、眼下で鈍く光る。

 まさか、こんな物が平凡な自分の喉元に突き付けられる日が来るなんて。
 到底想像は出来なかったが――なぜか、そこまで怖くない。

 否、いつもの雲雀に比べればとても怖いのだが、それは“咬み殺されるかもしれない”という恐怖ではなかった。
 そして恐怖というよりはやはり、疑念の方が強い。

「……っ、ご、獄寺君と山本君は、クラスメイト、です、けど……」

 音羽は答えながら、雲雀の真意を探ろうと彼の目を見つめる。

「……」

 雲雀は、そんな音羽を正面から見返した。

 音羽の瞳には、雲雀が今まで目にしてきた被食者が狩られる前に見せる怯えも、敵意もない。それどころか相も変わらず、彼女は雲雀に対する恐怖心すらも、やはりまともに抱いているようには見えなかった。

 
 それが、面白かったはずなのに。
 今日は無性に気に入らない。

 
 苛立ちに促されるまま雲雀がトンファーに力を込めると、音羽の圧迫された喉の隙間から「ん、」とくぐもった声が漏れる。

「……っ……」

 喉元を強く押される苦しさに、音羽は眉を寄せた。

 それでも音羽は、雲雀がこれを振り上げることはないと、信じていた。
 雲雀の指の感触を覚えていて、彼の瞳を見たからだ。
 
 例えその正体が音羽の願望だったとしても、自分の感じた想いを信じたい。
 だが音羽がそう思う一方で、雲雀の鋭利な眼差しは変わらなかった。

「この前、君が彼等と歩いている所を見たよ。僕の前で群れると、どうなるか知ってるかい?」
「!」

 雲雀の言葉に、音羽は大きく目を見開く。


 雲雀の言う彼等――獄寺たちと連れ立って歩いたのは、この前の勉強会の日。ツナの家を出て一緒に帰った、あのときしかない。

 どういう訳かは分からないが、雲雀はあのときのことを目にしたらしい。
 あのとき、音羽が“群れて”いたから、音羽は今こうして、彼の得物に急所を狙われている。


 ―――でも。

「でも、雲雀さんは、咬み殺さないと思います……」
「!!」

 どうして雲雀が、“自分が”群れていたことに対して怒っているのかは分からない。
 ただ単に、“群れる人間”が存在しているということ自体が、許せないだけなのかもしれない。

 彼の真意をその瞳から読み取ることは出来なかったが、音羽は自分の中に存在する確信めいたその気持ちを、ついそのまま口にした。

 音羽のその言葉に雲雀は目を瞠ったが、すぐにいつもの涼しい顔に戻ってしまう。

「……どうしてそんな事が言えるの?」
「……雲雀さんは、本当は優しい人だと、思うからです」
「!」

 まだ困惑はしているし、喉も変わらず圧されたままで声が掠れる。
 けれど音羽は真っ直ぐに、雲雀の瞳を見つめて言った。

 雲雀が本当にこのトンファーを振り上げるつもりなら、彼ならもっと前に――それこそ、獄寺たちと歩いているときに音羽を咬み殺すことも出来たはずだ。

 けれど、雲雀はそれをしなかった。
 そして音羽は、普段の雲雀も――あの瞳も、知っている。

 だからこそ、音羽にとっては雲雀に咬み殺されるかどうかよりも、雲雀が“怒っている”という事実の方が、余程怖かったのだ。


「……君にこれは効かないようだね」

 音羽の発言に気を変えてくれたのか、それとも揺らぎない眼差しに興が削がれたのか、雲雀はそう呟くとす、とトンファーを下に下ろす。

 喉元を解放された音羽は、身体の力を抜いてほうっと息を付いた。

 ――が、それも束の間。


 次の瞬間、雲雀が音羽の横の壁に、空いた左腕をついてきた。

「!!?」

 突然、雲雀との物理的な距離が更に縮まり、音羽は思わず呼吸を止めて目を瞠る。

 文字通り、目と鼻の先に雲雀の端正な顔がある。当然、こんなに近距離で彼の顔を見たのは初めてだ。心臓が勝手に跳ね上がる。

 息を付ける程度の余裕も一瞬で奪われて、音羽は頬が途端に熱くなるのを感じた。
 彼は見れば見るほど綺麗で、言葉が、何も出てきてくれない。

「君は僕が優しいなんて、勘違いしてるみたいだね」

 そう言いながら、雲雀は怪訝そうな顔を少し傾げてこちらに寄せてくる。

「……っ!!」

 今にも鼻先がぶつかってしまいそうで、音羽は慌てて下を向いた。

 雲雀の黒くてサラサラした前髪から覗く、青灰色の瞳も、長い睫毛も。
 早く目を逸らさなければ、どうしようもなく魅入ってしまいそうだった。

 ドキドキと鳴るうるさい心臓の音が、雲雀に聞こえてしまうかもしれない。

 これは、良くない。とても。
 この体勢が長く続いてしまったら――、本当に、死んでしまいそうだ。

 
 耳まで真っ赤にして俯く音羽に、雲雀はにやりと笑みを浮かべた。

 やはり彼女には暴力的な脅しより、“こちら”の方が効くらしい。

 さっきまで感じていた苛立ちはあるが、何か、獲物を咬み殺したときのような確かな満足感を覚える。

「なぜ赤くなっているの?片桐音羽」
「!」

 分かりきっているその理由は、以前はどうでも良かったのに。
 今は、彼女の口から言わせてみたい。

 雲雀に名前を呼ばれた音羽は、自分の心音が速度を増すのがはっきり分かった。

 雲雀のどこか楽しげな視線からも、この羞恥からも早く逃れたいと思うのに、雲雀の腕はしっかりと壁に張りついていて逃げ場がない。

 声を発する以外の選択肢は残されておらず、音羽は顔を伏せたまま視線を床で彷徨わせる。

「……そ、それは……」

 雲雀さんが好きだからです、

 と、この恥ずかしさと自分の大きすぎる気持ちに急かされて、今にも口から零れ出てしまいそうな言葉を、音羽はすんでの所で何とか止めた。

 ……しかし、彼はそんな甘えは許してくれない。

「っ……」

 雲雀は眉を顰めて右手を伸ばすと、俯いた音羽の顎を持ち上げる。

 雲雀と視線が絡んで、そしてまた雲雀に触れられて、ボッと身体中が熱くなった。

「君は、彼等にもこんな顔をしているの?」
「……!!」

 雲雀にじっと覗き込むように見つめられながらそう問われて、音羽は目を丸くする。

 真っ赤になって瞳を揺らす音羽とは対照的に、雲雀はほとんど表情を変えないまま音羽を見ていた。

 
 雲雀がなぜ、そんなことを聞いてくるのか分からない。

 けれど、音羽がその答えに行きつくことより、彼の瞳は音羽からの答えを求めている。

 音羽は、顎を押さえられていて俯くことが出来ない代わりに、目を伏せて、小さく首を横に振った。
 すると、上でふ、と雲雀がどこか満足げに笑ったのが気配で伝わってくる。
 
 彼はやっぱり、音羽の気持ちなどとっくに見通していたのだ。
 それなのに、わざわざこんなことをして音羽自身にその気持ちを認めさせた。

 恥ずかしいし、顔も身体も熱すぎるし――。
 羞恥の余り、徐々に視界が潤み始めるのを感じていると、雲雀の体がゆっくりと離れていく。

「今度群れているのを見つけたら、本当に咬み殺すからね」

 雲雀は口元に僅かな笑みを湛えてそう言うと、踵を返していつもと変わらぬ足取りで、図書室を出て行った。

「――はぁっ……」

 音羽はようやく解かれた緊張と羞恥に腰が抜けてしまい、その場にへたりと座り込む。

 ――私の気持ち、雲雀さんはやっぱり知ってたんだ……、恥ずかしい……。

 
 雲雀ならきっと、もう気付いていると思っていた。
 でもまさか、こんな風に自分の気持ちを確かめられてしまうなんて。
 
 雲雀はどう思っただろう。
 ――考えてみても、彼の小さな微笑から確かなことは分からない。


 ……それに、雲雀がどうしてあそこまで怒っていたのかも、音羽にはやはり分からなかった。

 彼にとって“群れる”という行為は、音羽が想像している以上に嫌悪するものなのかもしれない。
 けれどそれならやはり、音羽が獄寺たちといたあのとき、すぐに咬み殺せば良かったのではないだろうか。

 今日だって音羽が何と言おうと、どんな態度を取ろうと、雲雀ならやろうと思えばやれたはずだ。

 ――それをしなかったのは……。

「……」

 音羽は、覗き込むようにこちらを見てきた、雲雀の瞳を思い出す。

 雲雀はまるで、何かを確かめるように音羽の瞳を見据えていた。そして、音羽が小さく首を振れば、心なしか満足そうに。



 …………もし。

 もし、とても自惚れた解釈が許されるならば。


 ――私が、獄寺君たちと一緒にいた、から……?


 一瞬そう考えて、音羽はすぐに(かぶり)を振る。

 まさかそんな、あの雲雀が“自分”を相手に怒る訳がない。そんな嫉妬まがいな感情を、彼が音羽に対して抱く訳がないのだ。……抱く、理由がない。

 幾ら音羽が想っていても、雲雀にとって音羽は並中に通う一生徒に過ぎないのだから。

 ――もし“そう”だったなら、すごく嬉しいけど……。

 それはただの願望で、所詮音羽の幻想だ。
 だから、期待しても意味なんてない。


 そう、はっきり分かっているのに――。
 
 一度頭に浮かんだ考えは、どうしても音羽の胸に残ってしまった。夜空にたった一つ浮かんだ星のように、その小さな期待が心の中で微かに瞬いている。

「……雲雀さん……」

 会うたびに惹かれてしまう彼の名前を、音羽は耐え兼ねて呟いた。
 
 窓の隙間から入った風が、図書室の床に座り込む音羽の身体を生温く包んだ。





 ちょうどその頃。
 放課して生徒が帰宅した2年A組の教室には、数人の女子生徒が集まっていた。

「――ねえ、片桐さんって、最近獄寺君と仲良いよね」

「あ、それ私も思ってた。ダメツナは良いとして、武とも仲良さげに話してるし」

「……あっ!そう言えば私、この前三人で帰ってるの見かけたよ!何か二人とも楽しそうに話してたなぁ……」

「えっ、うそ、マジ!?ファンクラブにも入らないであの二人を狙うって……、ちょっと酷くない?」

 一人の女子生徒が言った言葉に、その場にいた全員が深く頷き、口々に「そうだよね」と同意する。

 
 穏やかな日々を揺るがす感情が、音羽の(あずか)り知らないところで秘かに渦巻いていた。


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