6話 見つめる先は

 沢田家は、朝からとても慌ただしかった。

「うわー!やばい、遅刻するー!!」
「ツナー、ご飯はー?食べないのー?」
「そんな時間ないよー!」

 ツナはキッチンから聞こえてくる母親の声に答えながらジャケットを羽織り、ドタバタと騒々しく階段を下りて、そのまま玄関に突っ走る。
 スニーカーに足を入れていると、不意にちょこんと、スーツ姿の赤ん坊がやって来た。

「おい、ツナ。今日、お前の友達を家に連れて来い」
「え?友達って……獄寺君と山本?昨日も来たじゃん」
「ちげーぞ。お前と同じクラスの、片桐音羽だ」
「なっ、片桐!?何でだよ?」
「ちょっと、試してーことがあるんだ」

 ――こいつ、何する気だー!?

 何か企んでいる、と言わんばかりにニヤリと笑うリボーンに、ツナの脳内で悪い想像が幾つも浮かぶ。が、残念ながらそれを一つずつリボーンに確かめている時間はない。

「!うわっ、やばい、ほんとに遅れる!行ってきまーす!!」

 ツナは玄関に置いていた鞄を引っ掴むと、勢いよく家を飛び出した。

「……」

 ――片桐音羽……、一回会ってみたかったんだ。今日は丁度、あいつも来るしな……。

 リボーンは、通りに駆け出すツナの姿を閉まりゆくドアの隙間から見送って、密やかな企みに想いを馳せるのだった。





 ――ああ……もう、絶望……。

 教室に入って席に着くなり、音羽はバタリと机に突っ伏した。

 昨日はいつも以上に雲雀のことを考えてしまって――というより、雲雀のこと以外は一切何一つ考えられず――ろくに眠れなかった。
 
 本当に、思い出すだけで恥ずかしくて死にそうになる。
 
 雲雀に頬を触れられたこと。その感触も、音羽を射抜く綺麗な青灰色の瞳も、何一つ忘れられない。
 そして極めつけは、自分の取った行動だ。

 確かに、転校して以来ずっと憧れていた雲雀に頬を触られて、しかもあんなに至近距離で見つめられたら、混乱しない方がおかしい。
 でもだからと言って、あそこまで馬鹿正直に真っ赤になって図書室を飛び出さなくても良かったのではないだろうか……。

 あれではもう、「好きです!」と言っているのと大差ない。

 ――ああ、もう!私のバカ!絶対私の気持ちバレちゃった……もう恥ずかしい……。雲雀さんに、これからどんな顔して会えばいいんだろう……。

 はあ……、と深く溜息をつくたびに、羞恥で目尻に涙が滲む。

 ――でも雲雀さん、優しかったな……。

 音羽はまた頬に熱を感じながら、もう何度目になるか、昨日の雲雀を思い出した。
 
 音羽の頬の汚れを拭ってくれた指も、決して乱暴ではなくて、寧ろその指先は丁寧に肌を滑った。
 瞳だって射抜くような鋭さはあるのに、どこか不思議な優しさがあったように思う。
 
 それらは全て、音羽の都合の良すぎる解釈かもしれないが、でも、思い返せば思い返すほど、そんな風だったと感じてしまう。

 ――あんなことされたら、もっと好きになっちゃうよ……。

 懺悔と羞恥に幾度となく襲われながら、音羽はまた溜息をつき、授業が始まる直前まで机に潰れていたのだった。





 一方――……。

 学校まで全力疾走という、ツナにとっては最早朝のルーティンとも言える通学を果たしたあと。
 ツナは、登校時間にギリギリ間に合ったことに安堵しながら、ぼんやりと授業を受けていた。

 ――そういえばリボーンの奴、何であんなこと言ったんだ……?急に片桐を家に連れて来いなんて……。――あっ!!


『……にしても、お前ら二人を惚れさせるなんて中々の女だな。見てみてーぞ』


 ――あれだーー!!

 思い至ったツナは、授業中でありながら思わず頭を抱えてしまう。

 ――うわー、片桐になんて説明しよう……。赤ん坊がカテキョーだし、スーツ着てるし……!ボンゴレとかマフィアとか、あいつ絶対べらべら喋るよなあ…!!
 
 獄寺はそもそもマフィアだから問題なし、山本は天然なので“マフィアごっこ”だと思っている。京子も、恐らく山本と同じように、何かの遊びの一つだと思っているだろう。

 だが、音羽が京子たちと同じように解釈してくれる保障はない。普通の人間なら、突っ込みどころ満載の状況にまず間違いなく混乱するし、最悪の場合揶揄っているのかと怒るはずだ。

 温厚そうな音羽が怒ることは想像出来ないが、それでも「どういうこと?」と説明を求められたらツナが困る。とても困る。

 昨日は気軽に音羽を誘ったが、よくよく考えればそういう問題があるのだ。周囲の人間が不思議なことにこの異常事態を呑み込んでしまうので、リボーンに言い付けられるまでつい忘れてしまっていた。

 ――だが、今更気付いたところで時既に遅しだ。今日音羽を連れて行かなければ、まず間違いなくリボーンにシメられる。

 ……ならばなんとしても、“面倒なこと”は音羽にバレないようにしよう。それが一番、全て丸く収まる。
 
 色々余計なことを言いそうなリボーンをどう阻止するか。ツナがその方法を真剣に考え始めたときだった。

「――コラ、沢田!なに頭を抱えとる!真面目に聞かんか!」
「!す、すみません……!」

 容赦なく教師に注意され、ツナは瞬時に赤くなった顔を俯ける。

 ――もう、最悪だ〜〜、あいつが余計な心配事増やすから……!

 ツナは己の家庭教師を心底恨めしく思いながら、仕方なく教科書に視線を落とした。





「え、沢田君のお家に……?」
「うん……。あの、特に深い意味はないんだけど……あ!そう、一緒に勉強しないかなあと思って……」

 休み時間、ツナは音羽の元へ行き、土壇場で用意した理由で彼女を誘った。

 でも、昨日の今日でまた勉強をしに来ないかと誘うのは流石にしつこ過ぎるし、無理があるよな……と、ツナは内心冷や冷やしつつ半分近く諦めてもいたのだが――、予想に反して、音羽はにっこり微笑んで頷いてくれた。

「沢田君が良いのなら、お邪魔しようかな。昨日は行けなかったから……」
「……!ほんと……!片桐、ありがとう……!」

 快い音羽の返事に、ツナがどれほど安堵したことか。

 音羽に気を遣わせてしまったことは申し訳なかったが、恐らくリボーンの中で“音羽を連れて来ない”という選択肢は存在しない。多少手荒い手段をとってでも、彼は音羽を沢田家に招くはずだ。

「じゃあ片桐、また放課後に……」
「うん、分かった。誘ってくれてありがとう、沢田君」

 ――ごめんね、片桐……。
 
 笑って言ってくれる音羽に少し罪悪感を覚えながら、ツナは授業開始のチャイムと共に自分の席に戻った。

 あとは、リボーンの“マフィア発言”にどう対処するかである。
 ツナは残りの授業時間を全て使って、その対処方法を思索するのだった――。
 




 放課後、音羽はツナと一緒に並中を出て、ツナの家へと向かっていた。

 ツナ曰く獄寺と山本も誘ったらしいが、二人とも今日は予定があるらしく、終わり次第出来れば合流するそうだ。
 また、ツナは気を利かせて京子のことも誘ってくれたようだったが、彼女もまた外せない用事があるらしく、結局今日の勉強会はツナと音羽のみの参加ということになっている。

「ごめんね、初めてオレん家来てくれるのに、片桐一人で……」
「ううん、皆予定があるなら仕方ないよ。それに獄寺君たちは、そのうち来るかもしれないし」

 音羽がそう言うと、ツナも「そうだね」と少し安心したように微笑んだ。

「……そういえば片桐、テスト勉強すごく頑張ってるよね。何かあるの?」
「!!」

 ツナに何気なく問われて、音羽は反射的に雲雀の姿を思い出す。当然、昨日のこともワンセットで浮かんできて、音羽は頬に集まる熱を感じて俯いた。

「あ、言いたくないならいいんだ!無理に聞きたい訳じゃないから…!」
「あ……ううん、違うの……!言いたくない訳じゃないんだけど……その……、好きな人に、良い点取ったって報告したくて……」
「……ええっ!?片桐、好きな人いるの……!?」

 ツナが心底驚いた声を出して、音羽を凝視する。ツナなら言いふらすようなことはしないだろうと思って正直に言ったが、やっぱり少し恥ずかしい。

 こくりと小さく頷くことしか出来ないでいると、ツナは少し間を置いて言った。

「……教えてくれてありがとう、片桐。あの……オレ、人に言ったりしないから安心してね。片桐のこと、応援してるよ!」
「!沢田君……ありがとう……」

 深く追究することもなく、そのうえ応援しているとまで言ってくれたツナに、音羽は半ば感動してしまう。ツナの優しさが、ただただありがたかった。

 ツナも、ほっと嬉しそうに笑う音羽に微笑み返しながら、同時に友人たちの姿を描く。

 ――本当は、獄寺君も山本も片桐のこと好きだから、片桐の好きな人ってめちゃくちゃ気になるんだけど……。

 でも、音羽のこの様子を見るに、やはり深く聞かなくて正解だったようだ。友達とはいえ、好きな人のことを第三者に話すのが難しかったり、照れ臭く思ってしまったりする気持ちは、ツナにも少し覚えがある。

 ツナの脳裏に京子の顔が過りかけたとき、ちょうど前方に自宅の屋根が見えてきて――ツナは、音羽に声を掛けた。
 
「――あ、片桐、もうすぐオレの家に着くよ!……って、あぁーーっ!!?」
「!?さ、沢田君……!?」

 真横にいたツナが急に大声で叫んだので、音羽はビクッ!!と飛び上がった。慌てて隣を振り返れば、ツナは前方を見て酷く青ざめた顔をしている。

 彼の視線を辿り、音羽も前を見てみると――。
 朱色の屋根のごく一般的な民家の前に、黒塗りの高級車が数台停まっている。しかも、黒いスーツに身を包んだ厳つい外国人男性が何人も、その民家を一周するようにぐるりと取り囲んでいた。

 家自体は“普通”であるはずなのに、どう考えても周辺環境が普通じゃない。

「ま、まさか、これって……!どうしてよりによって今日!!?」
「……あ、あの……ここが、沢田君のお家……?」

 この状況に何か思い当たる節がありそうなツナを戸惑いながら見つめると、ツナは肩を震わせて弁明を始める。

「いや!これは、あの……!オレの家なんだけど、ちょっと今知り合いが来てるみたいで……!」
「?知り合い……?」
「――ちゃおっス」

 音羽が小首を傾げた瞬間。
 ツナの家の塀の上から、ぴょんっと小さな影が飛んできた。

 音羽が声のした方――足元を見ると、黒いスーツに身を包み、黄色いおしゃぶりを首元に着けた赤ん坊がすっくとその場に立っている。
 屈んで視線を合わせると、黒くてぱっちりした目と視線が合った。スーツとお揃いらしいハットを被っている姿が、とても愛らしい。

「か、可愛い……!沢田君の弟さん?」
「げっ……!あ、えっと、そいつはその……!」
「オレはツナのカテキョー、リボーンだ」

 顔を引き攣らせて言い淀んだツナの代わりに、スーツの赤ん坊――リボーンがスラスラと答えた。

 あれほど授業中にリボーンへの対処方法を考えていたツナだったが、もうそんなことは頭にない。
 ツナは、こいつ言っちゃったよーー!!と顔を真っ青にさせ、冷や汗が背中を伝うのを感じながら、怖々と音羽を見た。

 ……が。
 音羽は目をぱちくりさせてリボーンを見つめたあと、いつものようにっこりと柔らかい微笑を浮かべる。

「……カテキョーのリボーン君……?私は、沢田君のクラスメイトの片桐音羽です」
「えぇっ……!?」

 ――片桐、あっさり受け入れたーー!!?

 愕然と音羽を見下ろすツナをよそ目に、リボーンはニヤリと笑みを浮かべた。

「ああ、お前の事なら知ってるぞ、片桐音羽。まあ、とりあえず中に入れ。この男たちはオレの“元生徒の部下”だから、心配しなくていいぞ」
「……元生徒の、……は、はい……!」

 リボーンはくるっと軽やかに踵を返すと、大きく頷く音羽と放心しているツナを置いて、真っ直ぐ家の中に入って行く。
 
 音羽と顔を見合わせると――すんなり受け入れたのだと思っていた彼女の顔は、明かに困惑していた。
 ……そりゃそうだ、自らを“カテキョー”と名乗る赤ん坊に、この厳つい外国人男性らが“元生徒の部下”だと言われたら、普通そういう顔になる。

 無理して一旦受け入れようとしてくれたんだな……、と身の縮む思いを感じながら、ツナは家の方に向かう音羽にこそっと声を掛けた。

「あの、片桐……、あいつの言ってたことなんだけど……」
「……何だかよく分からないけど……、沢田君のお家ってすごいね」

 音羽は苦笑してそう答え、小さく肩を竦める。

 音羽は、既に困り顔になってしまっているツナに気を遣ってくれたのか、それともこれ以上の情報は処理し切れないと思ったのか、いずれにせよ、彼女が沢田家の事情に干渉してくることはなかった。

 去年まではもっと普通の家だったんだよ……、とツナは心の中で音羽に弁解しながら、彼女が何も詮索してこないことに、今度はツナの方が感謝するのだった。





「お邪魔します……」
「ただいま……」

 二人して、どこかおずおずと家に入ると、玄関先にはさっきの赤ちゃん(と、言って良いのだろうか)、リボーンがいた。

「ああ、入れ。ツナの部屋は二階だぞ。ついでに、会わせたい奴も来てるからな」
「……会わせたい奴って……」
「……?」

 ツナはその人物にも心当りがあるようで、ガクリと力なく肩を落とす。
 音羽はその様子に首を傾げ、また、何を見ても何も言うまい……と覚悟も決めながら、階段を上って行った。

 そして、二人に案内されるまま一室の前まで来ると、ツナがごくりと生唾を飲んでそのドアを開ける。

「!やっぱり、ディーノさん……!」
「よっ、ツナ!」

 室内からツナに答えたのは、立派な肘掛椅子に座った二十代前半くらいに見える、金髪の、外国人の青年だった。

「お前ら、もう帰っていいぞー!」
「へへっ、ボス、ヘマすんじゃねーぞ!」

 青年が窓を開け、流暢な日本語で外に叫ぶと、下方から茶化したような、けれどどこか温かみのある声と笑いが返ってくる。

 ……どうやらこの青年が、リボーンの言う“会わせたい奴”であり“元生徒”、そして黒いスーツを着た厳つい外国人たちの“上司”、ということになるようだ。

 正直に言うとちょっと怖そうな“部下”に見えてしまったので、その上司となると一体どんな強面な人なんだろうと思っていた音羽は、思いのほか人の良さそうな青年の姿に少し驚いてしまった。
 
 ツナに見せた満面の笑みも、外にいる部下に向かって声を張る姿も、何となく親しみを感じてしまう。

 けれどその分、この青年と彼の部下たちの第一印象がきれいに結びつかず、音羽は戸惑った。
 部下、と言うからには仕事仲間なのだろうが、一体何の仕事をしているのか……、全く想像がつかない。取り敢えず、音羽の父親のようなサラリーマンでないことだけは確かだろう。

 そんなことを考えながら、ついじっと青年を見ていると、彼は視線に気付いたのか音羽の方へと目を向ける。

「ん?お前がリボーンの言っていた……」
「!」

 青年は呟きながら肘掛椅子から立ち上がり、音羽の方に歩いて来た。

 彼は音羽の目の前で立ち止まると、屈んで目線の高さを合わせ、音羽の目を覗き込むように見つめてくる。
 日本人のそれより明るい、アンバーの瞳。室外から差す光を隈なく映したその瞳は数秒すると見開かれ、左右にゆらゆらと僅かに揺れた。

「……あ、あの……?」

 じっと見られて当惑する音羽が堪らず声を掛けると、青年はハッと我に返ったように上体を起こす。

「っ……わ、悪かった、不躾に見つめちまって……。俺はディーノ!ツナの兄貴分だ」
「い、いえ……。私は、沢田君と同じクラスの片桐音羽です」

 音羽はぺこりと頭を下げて、ほんの小さく息を付く。

 近距離で綺麗な外国人男性に突然見つめられるものだから、少しドキッとしてしまった。
 ……でも、やっぱり、と言うべきなのか。昨日、雲雀に見つめられたあのときとは全然違う。あのときはもっと頭の中が真っ白になって、心臓が速く――。

 ――……!ダメだ……、思い出したらまた恥ずかしくなる……。

 音羽は心の中で自分を叱責し、強制的に昨日の記憶を脳内から締め出した。
 目の前にいるディーノに再度意識を向けると、彼は音羽を見下ろして優しい笑顔を向けてくれる。

「音羽か……これからよろしくな」
「!はい……!こちらこそ、よろしくお願いします」

 ――何をしている人なのかは分からないけど……。取り敢えず、悪い人じゃないみたい。

 ディーノの表情も纏う雰囲気も、どこか温かさがある。それを感じることが出来た音羽はようやく安心して、彼に微笑み返すことが出来た。

 
 息を呑んで頬の色を仄かに変えるディーノを、ツナは唖然として見つめるのだった。





 それから音羽は、リボーンとディーノの話を色々と、大まかに聞いた。

 リボーンは“最強の家庭教師(カテキョー)”で、昨年日本に来るまではイタリアにいたこと。
 ディーノは普段イタリアで仕事をしているが、今日は元家庭教師のリボーンと、弟分であるツナに会いに来たらしいこと。

 相変わらず謎は尽きないが、この三人の関係性は分かったし、三人とも――特にツナは――これ以上聞かれることを望んでいないように感じたので、音羽はそれ以上何も聞かないことにした。

 何よりリボーンは可愛いし、ディーノも気さくで人当たりが良い。多くを知らなくても、信用出来る人たちだと思う。


 一通り初対面の二人の話を聞き終わると、リボーンが改めて口を開いた。

「そういえばツナ、音羽。お前たち、今日は勉強しに来たんだろ。今日は特別、こいつが教えてくれるぞ」
「ああ!国語は流石に教えられねーが、それ以外なら大丈夫だぜ!」

 リボーンの小さな指に差されたディーノは、ぽんっと頼もしく胸を叩く。
 すると、先程から少し表情を和らげていたツナが、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「わー、ディーノさん、ありがとうございます!片桐、数学やってたっけ?」
「うん」
「じゃあディーノさん、数学教えてください!」
「おう、いいぜ!教科書見せてみろ」

 そうしてツナと音羽は、ディーノから数学を教わることになったのだった。


 ――……それから。
 
 勉強会は、ディーノがそれぞれの分からない箇所を都度教えてくれる形式で進んだのだが、彼は殆どツナに付きっ切りの状態だった。

「ったくツナ、ちゃんと授業聞いてんのか?」

 新しい問題を解こうとするたびに手が止まるツナを見て、リボーンが苛立ったように言う。

「それは……聞いたり、聞かなかったり――うがっ!!」

 答えた瞬間、ツナの頬にリボーンの強烈なキックがヒットした。

「ちっとは音羽を見習いやがれ、このダメツナ」

「確かに、音羽は殆ど言うことなしだな。オレに聞かなくても分かる問題の方が多いし、あとは本番でしっかり解けるかだ」
「!本当ですか?ありがとうございます」
「おう、オレのお墨付きだ!自信持っていいぜ」

 胸を張ってそう言ってくれるディーノに笑みを返して、音羽は再びノートへと視線を戻す。

 音羽からしてみれば、まだまだ自力で解けていない問題も多くあると思うのだが、客観的に見ると出来ている方なんだろうか。
 だとしたら、ここ数日の努力が報われる。

 ――でも、やっぱり一通り自力で解けるようになるまで、もうちょっと頑張ろう……!

 と、音羽が気合いを入れ直したとき。
 ドアの向こう――廊下の方から、バタバタと階段を上ってくる足音が聞こえてきた。

「――十代目!遅くなってすみません!」
「よっ!ツナ、片桐!お邪魔してるぜ!」

 バターン!と勢いよくドアを開けて入ってきたのは、遅れて来るかもしれないと言っていた、獄寺と山本だった。

「よう、スモーキン・ボム」
「なっ、跳ね馬!?何でてめーがここに……!」
「ああ、リボーンに頼まれてな。ツナと音羽の勉強を見てるんだ」
「ッ……!?てめぇ気安く……!……っ十代目も、言ってくださればオレが全てお教えします!!数学でも理科でも英語でも、何でも仰ってください!!」
「ああ、うん、分かった……!今度は獄寺君に教えてもらうから……!」

 わなわなと握り拳を震わせたあと、必死ささえ滲ませて言い募る獄寺に、ツナは怯えた顔で首を縦に振る。

 そんな二人をよそに、山本は「よっこらせ」と荷物を置くと、音羽の隣にやってきた。

「さーて、オレも一緒に勉強すっかな!片桐、ここ座っていいか?」
「あ、えっと、どうぞ……?」

 自分の家でもないのに「どうぞ」と言うのも何となく申し訳ないな……と思いつつ、音羽は隣に置いていた荷物を退けて、山本が座れるスペースを空ける。

「山本……!てめぇは何ちゃっかり座ってんだ!!」
「ハハッ、オレもいい加減やんねーと、数学やばいんだよなー」

 悪気なく爽やかに答える山本に獄寺は更に食いかかり、ツナがまたそれを宥めだす。
 ぎゃあぎゃあと騒がしい三人を見て、ディーノが溜息をつきながら言った。

「……ったく、こんなにうるせーと勉強になんねぇな」
「全くだな」

 リボーンも同意して、ディーノは気の毒そうに音羽を見る。

「音羽、うるさかったらうるせぇ!って、言っていいからな」
「あはは……頑張ります……」

 とても、この中には割りこんでいけない……。
 と、音羽は乾いた笑いを二人に返した。





 そうこうして、時に揉めたり宥めたりを繰り返しながら、勉強会は終了した。

 玄関を出ると、外は夕焼け空だった。辺りの家々も路地も茜色に染まり、西の空には夕映えの雲が浮かんでいる。

 音羽、獄寺、山本と、連なって沢田家を出た三人を、ツナたちが表まで出て見送ってくれた。

「片桐、今日はごめんね、うるさくて……。でも、来てくれてありがとう!」
「ううん、ちゃんと勉強出来たし楽しかったよ!こちらこそありがとう」

 ツナにお礼を言うと、ディーノも微笑みながら音羽の側に来てくれる。

「あー……、音羽。次はいつこっちに来れるか分かんねーけど、また日本に来たときは絶対会おうな!」
「はい、ぜひ!ディーノさん、今日は勉強も教えてくださって、ありがとうございました」
「またいつでも来いよ、音羽」
「はい!リボーン君もありがとう」

 音羽はそれぞれに別れを言って、獄寺たちと一緒に通りを歩き出した。


「――では十代目、また明日!」
「じゃあな、ツナ!」
「うん、また明日!」

 口々に言う獄寺たちの背が小さくなっていくのを見つめながら、ツナは長い息を吐く。

「はぁーー……片桐に色々バレなくて良かったけど、勉強も疲れたし山本が片桐の隣に座るから、獄寺君ずっと機嫌悪くて大変だったよ……。……おいリボーン、片桐見れて満足したか?」
「ああ。予想通り、将来が有望そうな女だったぞ。何と言っても、お前のファミリーを尽く落としていく女だからな」
「なっ…!そうなのか!?」

 ふっ、と機嫌良さげに口角を吊り上げるリボーンに、ディーノは目を見開いた。

「ディーノ、てめーもその内の一人だろ」
「っ……!何で分かったんだ……?」
「いや、ディーノさん、バレバレですって……」

 部下がいないとどこか締まらないディーノに、ツナは苦笑いを浮かべる。
 「そうだったのか……」とディーノが複雑そうに目を伏せると、地に立っていたリボーンがぴょんと塀の上に飛び乗った。

「音羽を呼んだのには、もう一つ理由があるぞ」
「?何だよ、もう一つの理由って……」
「今日はディーノが来るからな、ちょっと試してみようと思ったんだ。音羽がプロの殺し屋をも惚れさせることが出来るのか」
「んなぁ!?何だそれーー!?」

 叫ぶツナの隣で、ディーノは思い出すように顎に手を当てる。

「リボーン……だからお前、ツナのファミリー候補である音羽をよく見てくれって言ってたのか……。でも、なぜそんな事を試す必要がある?」

 ディーノの問いに、リボーンは悪く笑んだ。

「もし、プロの殺し屋を次々と落とせる女だったら、スパイ活動が捗るだろ。敵マフィアのボスに近づき、弱みを握って潰したりとかな」

「はぁっ!?お前、何怖いこと言ってんのー!?しかも、片桐にそんなことさせられる訳ないだろ!!」

「だが、ディーノはまんまと音羽に惚れたぞ。ツナ、音羽は将来役に立つ女だ。あいつも、お前のファミリーに入れるぞ」

「なっ、正気かリボーン!確かに、音羽には人を惹きつける魅力があると思うが……。オレは反対だぞ、音羽を血生臭い世界に入れるのは……!」

「そ、そうだよ!それに、ファミリーとかマフィアとか、オレには関係ないって何度も言ってるだろ!!」

 リボーンにきっぱり反対するディーノに、ツナもすかさず同調する。
 ――が、リボーンは教え子の意見を聞き入れてやるような優しい家庭教師ではない。

「知らねーぞ。オレはもう決めたからな」
「っ……勝手に決めるなぁーー!!」
「はぁ……」

 仕方ねぇなと溜息をつくディーノの横で、ツナが上げた悲鳴に似た叫びは、夕空に切なく消えていった。





 ――時を少し前に遡り。

 並盛中学風紀委員長、雲雀恭弥は、町内のパトロールを行っていた。

 今日は、放課後まで屋上で寝ていた雲雀の代わりに、副委員長が校内の施錠点検を済ませていたので、雲雀は帰るついでに町内を見回ることにしたのだ。

 しかし今日も、並盛町は平和そのもの。変わった所は特にない。
 商店街をそのまま抜けて、雲雀は住宅街に入って行った。

 草食動物の群れもなく、咬み殺したい獲物も見つからない。
 そんな退屈を持て余しつつ歩いていると――ふと、少し離れた所から賑やかな男女の声が聞こえてくる。

 声の数や気配からして、人数は恐らく三人程度。
 雲雀は、咬み殺すに値する獲物を見つけた悦びに、微かな笑みを浮かべた。

 退屈しのぎに丁度いい。
 雲雀は両手にトンファーを握って、声の聞こえてくる前方の角を曲がった。

 曲がった先には都合の良いことに、並中の制服を着た男子生徒が二人と、女子生徒が一人、楽しげに会話しながら歩いている。

 どことなく、見覚えのある男子生徒だ。――獄寺隼人と山本武か。
 他の生徒たちより幾分か咬み応えのある被食者に、雲雀の笑みが自然と深まる。

 どう咬み殺してやろうかと考えながら、雲雀が彼等との距離を詰めようとした、その刹那。

「!」

 それまで前を向いていて一切顔の見えなかった女子生徒が、二人の方を振り返った。
 垣間見えたその横顔に、雲雀の動きがぴたりと止まる。

「――獄寺君、山本君、今日はありがとう。私こっちだから、それじゃあ」

 そう言いながら、二人に笑顔で手を振る女子は、紛れもなく彼女――片桐音羽だった。

 雲雀は思わず目を見開く。

 音羽は二人と別れると、ゆったりとした歩調で別の角を曲がり、そのまま姿が見えなくなった。

 雲雀はいつの間にか、自分でも知らないうちに、持っていたトンファーを下ろしていた。そのことに少ししたあと気が付いて、雲雀はしばし立ち尽くす。


 なぜ、自分がトンファーを下したのか分からない。


 音羽が居ようが居まいが、そんなことはどうでも良いはずだ。
 何なら、彼女も彼等諸共(もろとも)咬み殺してしまえば良かった――いつもの雲雀なら、そうしていたはずだ。女子であろうと、腹に軽めの一発くらいは打ち込んでいただろう。

 その程度には、獲物を見つけたときの自分は飢えていたはず。

 ……だが、実際のあの瞬間の雲雀には、その発想さえ浮かぶことがなかった。
 その理由も、分からない。


 片桐音羽が、あの草食動物――沢田綱吉たちと同じクラスなのは知っている。しかし、彼等との間に交友関係があったとは。
 草壁からの報告にはなかったと記憶している。

 放課後、いつも一人で図書室にいる音羽は、自分から群れに加わっていくような人間ではないと思っていた。
 だが、実際はそうでもなかったらしい。

「……気に入らないな」

 雲雀は眉間に皺を寄せ、低い声で呟いた。
 足を止めて思考している間に、獲物はもう視界から消えている。

 自分が狩りを止めたのも、片桐音羽が草食動物たちと楽しそうにしているのも。
 なぜか、とても気に入らない。


 そして、そんなことを思う自分自身も。


「何から何まで気に入らないよ」

 雲雀は自分の中に湧き上がる、これまでに感じたことのない感情を持て余し、鋭い瞳で前を見据えて歩き始めた。
 あの草食動物たちに向けた音羽の柔らかい笑顔が、焼き付いたように頭から離れない。


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