「俺の勘違いだったら恥ずかしいんだけど、もしかして俺にチョコレートくれようとしてた?」

話は唐突に切り出される。まだ校門を少し過ぎた所で練習中の野球部の声が聞こえるような場所だった。静雄は黙って頷いた。渡そうと思っていた気持ちは本当だったからだ。

「そっか、すげえ嬉しい。ありがとな」

今はまだ息を吐けば周りの空気が白くなるぐらい寒いのに、先輩が笑うだけでいっぺんに春が訪れたような気がした。だけど、どうしたって静雄はチョコレートを渡せない。

「もしかして、さっきの話聞いてた?」

真っすぐ前を向いたまま、先輩が言った。静雄は首を縦に動かしてから、しまったと思った。これで立ち聞きしてるのを肯定してしまったようなものだ。

「あの、すみません、た、立ち聞きするつもりじゃなかったんですけど…」
「ん?いいよいいよ。別に。」
「…先輩がチョコアレルギーって本当ですか?」

今一番聞きたいことを聞いてみる。神様はチャンスをくれたが、彼の体質が本当にそうだったら静雄には為す術もない。

「ああ、さっきのやつ?違うよ。あれただの断り文句」

へらりと先輩が笑う。

「えっえっ、何でそんな嘘なんか…なんでチョコ受け取らなかったんですか?」
「はぁあ、何でってお前、わからねえの?」
「わ、わかりませ…」

呆れた顔で先輩が静雄の顔をぐっと覗き込む。近くなった距離にびっくりして思わず顔を背けてしまった。

「だって、静雄俺にチョコくれるんだろ?」
「えっ?」
「だーかーらー、俺にはお前のチョコがあればいいの!恥ずかしいからみなまで言わせんな」
「えっ?……えええっっ!?」

夢にも思わない展開に、静雄は赤面する。普段は飄々としている先輩も今回ばかりは照れているようで、決して夕焼けのせいでない赤みが頬を染めていた。
渡すのは今しかないと思い、意を決して静雄は鞄の奥から少し歪んだラッピングのチョコレートを取り出した。もらってくださいと小さな声で絞り出して、彼の目の前に差し出す。

「サンキューな」

先輩の大きな手のひらが静雄の頭をふわりと撫でる。鳴り止め心臓!と念じたところで、この体が静雄のいうことをきいてくれるわけがない。
だけど、それでもやっと渡せたことに静雄は安堵の息を吐いた。

「あのっ、チョコとか初めて作ったんで、味とか保証できないんですけど…っ」
「静雄が頑張って作ったんだろ?美味しいに決まってる」

大事に食べるな、ありがとう。と言った先輩の言葉を静雄はどこか夢心地で聞いていた。二股に別れた道で、先輩は逆方向にも関わらず、静雄を自宅まで送ってくれた。じゃあまた明日学校で。簡単な挨拶を済ませて玄関の扉を開けた。出迎えた母親はおかえりと言った後に、ちゃんと渡せて良かったわね。と笑顔で台所に歩いていった。




********


しかし翌日の昼休み、何分経っても先輩は屋上に現れなかった。またお昼を教室で食べているのかもしれないと、帰りに勇気を出して三年生の教室に立ち寄ったが、先輩のクラスメイトの話によると先輩は風邪で学校を休んでいるらしかった。なんだか妙に胸騒ぎがして、放課後になってから静雄は田中先輩の自宅へと立ち寄った。インターフォンを鳴らすと、先輩の母親らしき人が中に入れてくれた。




「せんぱいの嘘つき」

静雄は泣きながらベッドに腰を掛けてる先輩を見る。先輩は困ったような顔で静雄にハンカチを差し出す。ハンカチはすぐに涙で濡れた。まぶたがすっと重くなって、ひゃっくりをあげながら嗚咽を漏らすと、田中先輩は申し訳なさそうにごめんな。と言った。

「いやです、許しませ、ん」

ぐすぐすと泣きじゃくる静雄の前には昨日のチョコレートの空箱があった。多分昨日のうちに全部食べてくれたのだろう。

「心配かけてごめん。もうしないから、許して」

先輩は眉尻を下げて、心底弱った顔をしながらこちらの様子を伺ってくる。今はこのぐちゃぐちゃの泣き顔を見られたくなくて、ハンカチを顔にぎゅうと押し付けた。先輩の匂いがした。

「せ、先輩はもっと、自分のからだ大事にしてください…!」
「うん。ごめん」

後から後から涙がこぼれ落ちる。結果的に先輩は風邪などではなかった。風邪の方がまだましなのに、現実は容赦なく静雄の胸を抉る。

静雄は先輩がカカオのアレルギーだということを先ほど会った母親から告げられていた。体調不良の原因はもしかしなくとも、静雄の作ったバレンタインのチョコレートだった。

「本当は学校行きたかったんだけどさ、情けないよな。かえって静雄に迷惑かけちまった」

不甲斐なくてごめんな。静雄はぶんぶんと頭を振る。

「だったら、無理して食べなくてもよかったのに…っ」

初めっからチョコなんて作らなければこんなことにはならなかった。それに昨日の女の先輩と同じように静雄のチョコも断れば良かったのだ。無理に受け取り食べる必要などどこにもない。
…何でそうしなかったんですか?

「うん。無理してでも食べたかったんだよなぁ」
「…っ?」
「好きな子の手作りだもん。絶対食べたかった。」

思わず顔をあげて彼の目を見上げると、照れ笑いを浮かべ、どことなく幸せそうに目を細められた。
顔がカッと熱くなる。だめだだめだ嬉しいだなんて思ってはだめだ。自分の作ったチョコのせいで体調を崩しているのに、こんなに嬉しいだなんて不謹慎にもほどがある。

「だったら。チョコは食べれないって言ってくれたら良かったのに…」
「バレンタインはチョコ食えないから別なものにしてくれって?そんな催促するような真似、かっこ悪くてできないだろ」

かっこ悪い。ただそれだけの理由。

「じ、自分の体を第一に考えてください!先輩のばかっ」
「ははっ、好きな子の前じゃ男はみんな馬鹿なんだぜ」

そういう気持ちわかる?あっけにとられる静雄の頬をひと撫でして、田中先輩はいつものように笑った。

「おいしかった。本当にありがとう。これだったら将来も安泰だな。おいしい料理の作れる嫁さんって自慢できる」
「えっ」

静雄が小さく声をあげた時、田中先輩が静雄の顎を引き寄せた。目を閉じる間もなく、ほんの一瞬だけ重なったそれに、頭が真っ白になる。離れていく彼のメガネの奥の瞳がきらきらと輝いて、静雄の胸が高鳴った。次の瞬間、怒っていたことも泣いていたことも忘れて、静雄は部屋を飛び出していた。

「ちょ、静雄っ!」

玄関までダッシュして、先輩が叫ぶ言葉も耳に入らずにお邪魔しましたとだけ叫んで路地を滑走する。
後ろから足音が聞こえて先輩が追いかけてきたことを知るが、走り出した足は止まらない。恥ずかしい恥ずかしい。キスなんてはじめてだった。今はこの真っ赤になった顔を見られたくなくて必死で全力疾走を試みる。

ああ、そういえば先輩は学校一の駿足だったなぁと後悔するのは先輩に肩を掴まれた数秒後のことだった。

嫌だった?と聞かれて、静雄は肩で息をしながら、嫌じゃ、ない、ですと途切れ途切れに答えた。今はこれでいっぱいいっぱい。

「なぁ、もう一回キスしていい?」

先輩の指が静雄の耳に触れて、呼吸が近づく。息はまだまだ整いそうになかった。

















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