*中学時代、静雄が女の子
色々ねつ造設定
渡すなら今しかないと思った。
北風が吹きすさぶ2月中旬には恋の一大イベント、バレンタインがあった。毎年クラスの女子達は仲のよい友達同士で友チョコを交換しあっている。静雄には気心の知れた友人は新羅ぐらいしかいないため、店で買った義理チョコを渡すぐらいだ。
毎年女の子達が楽しそうに手作りのお菓子交換するのを横目で見ていた静雄は、あまりバレンタインという行事自体に関心がなかった。
だから静雄が好きな人に手作りチョコを渡したいと思ったのは生まれて初めてだった。
静雄がチョコを渡したい相手はニ学年上の田中先輩。化け物と恐れられた静雄をはじめて同じ仲間として扱ってくれた静雄の大切なひとだ。憧憬が恋に変わるのにそんなに時間はかからなかった。気付いたらごく自然に静雄は田中先輩を好きになっていた。3月に卒業を控える三年生にチョコを渡すタイミングは今しかないと、そう思う。
もちろんお菓子はおろか料理でさえもまともに作ったことがないため不安は募るが、幸い母親は料理上手でお菓子作りの右も左もわからない静雄に丁寧に教えてくれた。手作りチョコの作り方教えて?と告げた時の母親の顔は今でも忘れられない。あらあらまあまあ、静雄も一人前に女の子になっちゃったのね。からかい半分嬉しさ半分と言った様子で母親は嬉々としてチョコ作りを教えてくれた。かくして、母親監修のもと作られたはじめての手作りチョコは2月14日のバレンタインの今日、綺麗にラッピングされた箱の中に収まっている。先輩は昼休みは大抵屋上に居るので、その時に渡す予定だった。
すきです。そのたった4文字を伝えるには途方もない勇気が必要だということを静雄は身を持って実感していた。今日は朝から緊張して何回も頭の中でシュミレーションを繰り返したが、うまく言葉にできるのかどうか今から不安でいっぱいだった。
いらないって言われたらどうしよう
心優しい先輩のことだ。例えふられたとしても想いを込めたチョコをつっかえすような真似はしないはずだ。それでも静雄は午前の授業がひとつ終わる度にいいようのない恐怖に苛まれた。
そしてついに昼休みがやってきた。母親が作ってくれたお弁当を急いで食べながら静雄は屋上へと向かう。階段をひとつ上がる度に心臓も一緒に跳ね上がった。錆びた金属の扉を開けると、先輩の姿はなかった。今日は教室で食べてるのかもしれない。息を整えてからひとつ下の階の三年生の教室のある廊下に向かった。先輩の階に行くなんて屋上よりもハードルが上がった気がしたが、早くしないと昼休みが終わってしまう。もういっそ告白なしでも何でもチョコが渡せればそれでいいと静雄は思いはじめていた。
「あっ、田中先輩…」
階段のすぐ近くの廊下で窓の外を眺める田中先輩を見かけた。声を掛けるのは今しかないと思ったが、臆病なこころは言うことをきかない。根を張ったように足がそこから動かなかった。
先輩今大丈夫ですか?いつもお世話になってるお礼にチョコ作ったんです。良かったら受け取ってください。そんなシュミレーションは見事に無駄に終わった。いざ本人を目の前にしたら、言いたかった台詞がどんどん頭から抜けていくのがわかった。
そうこうしてる間に一人の女子生徒が先輩に話しかけるのがわかった。上履きの色を見て先輩の同級生なんだと理解する。すらりとした足にふわふわの髪の毛、とても美人な女の子だった。親しげに談笑した後、彼女は綺麗にラッピングされた箱を先輩に手渡した。静雄はどきりと胸が痛くなるのを感じた。多分彼女も静雄同じように想いを込めてチョコを作ったのだろう。
そうだ、忘れていた。田中先輩はモテるのだ。別に自分がチョコをあげなくてもチョコを貰う相手なんていくらでもいるんだ。なんて大事なことを忘れていたんだと落ち込んでいると、不意に彼女が、えーっ!と不満の声を上げた。
「気持ちは嬉しいんだけど、俺チョコレート食べられないんだよね。アレルギーあるんだ」
田中先輩の声。どうやらチョコレートを受け取らずに断ったらしい。女子生徒はそんなの嘘でしょ!と怒鳴ってから静雄の居る方とは反対の方向に駆けていった。
あの優しい先輩が、まさかチョコを断るだなんて夢にも思わなかった。
アレルギー?
静雄の頭に先ほどの言葉が突き刺さる。アレルギーというのが本当だったら、静雄は先輩にチョコレートを渡すことなどできやしない。例えアレルギーというのが嘘だったとしても、静雄も今の女子生徒のように断られる可能性もあるのだ。そう思ったらなんだか怖くなって、もと来た道を引き返していた。
慌てて自分の教室に戻って鞄の奥にチョコレートを押し込む。恥ずかしい恥ずかしい。自分はなんて勘違いをしていたのだろうか。
この日の午後の授業は全く頭に入らなかった。
三年生の授業がテストの都合で一時間早く終わると知ったのは放課後のホームルームでだった。もう渡せないのはわかっていたが、これでチャンスが完全に潰えてしまったということにとても悲しい気持ちになった。せっかく先輩に作ったけれど、しょうがないから家で幽と一緒に食べよう。せっかく手作ってくれた母親には悪いことをしてしまったと、静雄はそう考えながら下駄箱に向かった。
だからこんな所で不意打ちで先輩に会うだなんて思っていなかったのだ。
「よう、静雄」
びくり。体が強張ったのがわかる。一年生の下駄箱の前に腰かけていたのはまさしく田中先輩だった。
「えっ!?…先輩授業とっくに終わったはずじゃ…えっどうしたんですか」
「いや、どうしたもこうしたもお前昼休み三年の階居たじゃん。何か俺に用あったとかじゃねーの?俺の勘違い?」
先輩はいつものような優しい瞳で静雄に話しかけた。やっぱり先輩がチョコを受け取らなかったなんて信じられなかった。
もしかして待っててくれたんですか?一時間も?こんなに寒い玄関口で?
そんなのは駄目だ。もしかしたら自分が特別なんじゃないかという勘違いをしそうになる。だって期待、してしまう。
「…勘違いじゃ、ないです。トムさんに会いに行って、ました」
「ん、そか。良かった」
にこりと笑って、それじゃ一緒に帰るべ。と先輩は言った。静雄は慌てて靴を履き替えて先輩の後に着いていく。まさかの事態にこころが追いつかない。
渡せるはずのないチョコレートは未だに鞄の底に眠っていた。
→