*タクシー運転手なトムさん
おいちゃんの口調が別人









「今日は早めに切り上げて終いにすっかなぁ」

今日は客足もよくないし、給料日前で客の財布の紐も堅いし、このまま流していても客は捕まらない気がする。
このご時世ガソリン代も高いし、初乗り運賃も上がったし、タクシー業界もより厳しくなったとトムは感じていた。胸ポケットから煙草を取り出すものの、タクシー内は全車禁煙。
火を付ける前にはぁと盛大に溜め息をついて、取り出したばかりの煙草を箱へと戻した。世の中の禁煙ブームはヘビースモーカーであるトムにはただのストレスでしかない。

(つーか禁煙車とかつくった馬鹿は誰だよ…)

トムはタクシーの運転手だった。しがない雇われの身に不景気の三文字が重くのしかかっていた。

はぁぁと再度ため息をつく。信号が青になり、アクセルを踏んで、じゃあそろそろモニターの表示を回送にしようと思った時に、交差点近くの歩道で手を上げている人が見えた。

(めんどくせぇなあ…)

仕事上スルーするわけにもいかず、しょうがなくそのまま脇にタクシーを寄せて客を拾った。先ほどまでであれば喜々として乗せていただろうが、帰宅する気満々のこの気分では、全く嬉しくない。

「どちらまで行かれますか、」

仕方なく気分を切り替えることにする。今日はこれで最後の客にしようと自分に言い聞かせ、トムは商売台詞を口に出した。

「………」

「お客さん…?」

行き先を言わない客を不審に思い、後部座席に座る客の顔を見ようと首を曲げる。そこには忘れたくて仕方がない男の姿があった。

(…う、嘘だろっ…!?)

人物を確認して思わず素っ頓狂な声を上げそうになる。無理して冷静を保とうとしても、ばくんばくん心臓は鳴るばかり。気付いくれるなよ!とトムは心で唱えていたが、向こうは既に気づいていたのか、こちらが口を開くより早く、相手がトムの名前を呼んだ。

「おぉ、田中じゃないか」

「…赤林…さん」

派手な柄のスーツにサングラス。西洋風の杖を持った長身痩躯の男。その見知った顔は俺の消したい過去の古傷となってる男だった。

「久しぶりだねぇ、元気してたかい?最後に会ったのはいつだったけ」

えーと3年前ぐらい前だっけねぇと、懐かしげに紡ぐ赤林の言葉に、思い出したくない過去の黒歴史が頭をよぎる。トムのテンションは最低最悪に落ち込んでいた。

「そうそう、思い出した。最後に会ったのは田中と別れた日だっけねぇ。そうか、もうあれからそんなに経つかぁ…」

「……っ!どちらまで行かれますか!」

言葉の続きを聞きたくなくて思わず強い調子で言った。仕事だ。これは仕事と割り切って。赤林は客。客。ただの客と思い込む。

「つれないねぇ」

「仕事ですから」

赤林はへらへらとした表情をして、じゃあちょっと遠いんだけどさぁと前置きしてから、ここから車で3時間ぐらいかかる駅名を告げた。

「…遠っ!ちょっと遠いどころの騒ぎじゃじゃねぇ…!」

「おいおい田中、仕事だったら客に文句つけちゃダメだろ?」

「…くっ!」

30秒前にトムが言った言葉を盾にして、赤林はけらけらと笑った。表情は完全にからかって遊んでいるそれだ。トムはやるせない思いを抱えながら右足にぐっと体重をかけた。ブロロとエンジンが鳴って大通りを二人が乗ったタクシーが進む。

深夜ということもあり、辺りに車は少なく、歩道を歩いている人も居ない。

しん、と静まり返った空気の中、規則的なエンジン音だけが響いていた。

トムは赤林と別れた3年前のことを無意識に頭で再生していた。
突然の別れだったこと、向こうは遊びだったこと、本気なのはこちらだけだったこと。

二人は正式に付き合っていたというわけではなかった。恋人とセフレの間のような曖昧な立ち位置で、飲みに行ったり、雀荘に誘ったり、風俗に行ったり、気まぐれに呼び出してセックスしたり、中途半端な関係が二人に築かれていた。
トムには赤林だけだったが、赤林には遊びの女の子が沢山いた。トムの中でもやもやが募る。

彼に本気になってもらいたい。

次第にこんな思いが顔を出して、赤林と関係を持つ見も知らない女の子に嫉妬するようになった。

とうとう今の立場に満足できなくなったトムはもっと多くを求めてしまう。

「好きです。赤林さんが好きです。俺と…………付き合ってください…」

その時のトムにはどういうわけだか自分を選んでくれるという絶対の自信があった。若かったのだ。だけどそれに対しての赤林の答えはあまりに残酷で。

「あぁ、ごめんねぇ、悪いけど、おいちゃんひとりに縛られるのは好きじゃないんだよねぇ」

赤林は飯にでも誘うような気軽さで、じゃあ別れようか。とナイフのようにトムの心を抉った。赤林は聡い男だ。トムの気持ちに気づかなかったわけがない。

あの日以来トムは赤林と会っていなかった。

……嫌なことを思い出してしまったと、トムは奥歯を噛み締める。





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