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額を擦ればいつも通りの感覚が指先に。右側だけ前髪を垂らしてあとは後ろへ流し、桜吹雪の刺繍されたシャツの上から規定の制服を着て寮の部屋を出る。そして一日の大半を筋トレで過ごして帰りに銭湯へ行き寮へ帰る。とても健康的なサイクルだね。
「先輩先輩、カフェ・ドゥ・マゴのあそこに座ってる女の子……これっすね」
今日の勤務も終わり銭湯へ行く途中、ツイッギーみたいなミニスカートの女がカフェのオープン席でケーキを食っていた。松田が音を立てずに手を合わせ、指を二本立て、親指と人差し指で丸を作り目元に当て、額に手を翳した。全くこいつは、これだから可愛い後輩なんだよ!
「……パンツ丸見え」
ピシガシグッグッ!
まだ二十歳かそこらだろうに黒だ。指を鳴らしてヤリィと言いたくなるけどしない。
「顔だけは清純派みたいっすど、ファッションセンスはお水系っすね」
「そういうところでバイトしてるんじゃないの」
「あ、そっか。いやーそれにしても顔の系統と服の差! なんかこうグッときますよね!」
「そのギャップ狙いじゃないかな。未緒だって引っ込み思案な眼鏡キャラに見えて実は自己主張の出来る子だっただろう」
「いや、誰ですかそいつ」
ウィンド○ズが日本でメジャーになったのは肌色がウィンドウズの方が綺麗に発色されたとかいう都市伝説があるというのに、何故お前はときメモを知らないんだ!?
とまあ、あまり人に聞かせられない会話をしていたのだけれど……観察するような、鋭く背中を這うような視線が僕を捕えているのを感じた。一体誰だ? 僕は観察されるようなことをしたはずはない。目だけで周囲を探れば、路地裏に一歩入ったところに巨大な白い影――空条さんが立っていた。何故僕を観察しているんだ? 敵スタンド使いとでも思われたか。仗助くんたちと着かず離れずの距離を保っている僕が不審なのかもしれない。
全く面倒なことだ。僕は幸運や道以外のものを「ひらく」つもりはないっていうのに。失敗は一度だけでもうコリゴリなんだ。額に手を当てればいつも通りの感触がする。――全く、スタンド使い同士はひかれ合う運命にあるというのは本当に面倒なことだね。
銭湯に着いたら何故か仗助くんと億泰くんがいた。隣接されたコインランドリーにシャツやパンツを突っ込みにいこうとタオルで前を隠しながら道を全裸で走っているのを見て、なんとも言い難い気持ちになった。
「なんなんすかね、あいつら」
「さあ……何か理由があるんだろうよ」
一人三百円払って脱衣所に入れば、すぐに後ろから番頭さんにわあわあ声をかけながら二人が飛び込んできた。
「やあ仗助くん、億泰くん」
「こんにちはっす!」
「偶然っすねぇー!」
「あれ、知り合いなんすか?」
「まあね」
松田に苦笑いを一つして制服を脱ぎ、シャツとパンツ姿になった。靴下を引っ張りながら空いた手で髪をぐしゃぐしゃに混ぜていたら、仗助くんが目をまんまるにして僕を見ていた――今日はなにやら見つめられる日だな。空条さんしかり、仗助くんしかり。ジョースター家に見つめられる日なんてのがあるならたまったものじゃないね。
二度あることは三度あるとか言って、帰り道にジョースターさんに見つめられたりなんてしてみろ、僕は泣くね。見つめられるなら女の子が良い。
「どうかしたかい?」
「いえ……花園さんのシャツって桜吹雪なんすねェ」
「お、本当だ! 好きなんすか?」
億泰くんも僕のシャツを見て目を丸くしながら笑んだ。愛嬌のある子供だよね、老け顔だけど。
「お前らなんだ、先輩の武勇伝知らねぇのかよ。そんなつっぱった格好してるのによ」
僕が答える前に松田が何故か自慢そうに胸を張りながらしゃべりだす。え、ちょっと松田!
「桜吹雪の花園って言えば知らねぇとは言わせないぜ。先輩はあの有名な遠山不沈艦なんだからよ!」
「松田、止めろ」
「え、なんでっすか!?」
「僕は既に引退した身なんだ。過去の栄光なんぞを声高に自慢するつもりは全くないんだよ」
口をぽかんと開けて絶句している二人は気にせず、さっさと服を脱いで風呂場への引き戸を潜った。後ろで松田が「先輩カッケー痺れるぅー!」と黄色い声をあげてたのも聞こえなかったふりだ。
放課後億泰と川で魚釣りしたんだが、風のびゅんびゅん吹く場所でじっとしてたのが悪かったらしく体が冷えきっちまった。銭湯でも行って温まって帰るのも良いってことで銭湯に来て――着替えの下着を持ってきてないことに気が付いて焦った。
「ば、番頭のおっさん、おれたち着替え持ってきてねぇの思いだした!」
既に風呂代は払っちまったし、やっぱり入らないから返してくれなんて言うのは男らしくねえ。どうしようかと助けを求めればコインランドリーで洗えばどうだと言われた。
「だけどよー、コインランドリーなんてどこにあるんだよ?」
「隣の建物さ、行って帰るのに二分もかからないよ」
首を傾げた億泰にかかと笑いながら番頭のおっさんはこの風呂屋の右手を指差し、フルチンで学ランを着るのは嫌だろうからタオルで隠して行けと言った。
「どうせここらへんを歩いてるのは年寄りばっかりだ、パッパと行ってチャッチャと帰ってきな。うら若い娘さんなんてここに来やしないんだから」
「う、うーす」
「行ってくるっす」
前を隠して外へ出れば番頭のおっさんの言う通り右手にコインランドリーがあった。そこへ飛び込み、洗濯機の一つにシャツとパンツを突っ込む。
「こんなに開放感に溢れたのは小学校以来だぜ」
「な、なあ仗助。おれの心臓めちゃくちゃドキドキしてんだけどよー……露出狂に目覚めちゃったらどうしよう」
「そりゃ恐怖のドキドキだから大丈夫だって」
もし目覚めた時にはクレイジーダイヤモンドで……クレイジーダイヤモンドって、性癖まで直せるのか?
「番頭のおっさん、パンツ突っ込んできた!」
「おーおー、お帰り」
「キレーなお姉さんには会わなかったぜぇー!」
「そりゃ良かったな、お姉さんもおめぇらみたいなのの汚いケツ見なくて済んだわけだ」
「この野郎ブン殴ってやろうか!」
殴りかかりそうな億泰を引きずって脱衣所へ入れば、おれたちがコインランドリーに居る間に入って来たんだろう、会社の制服姿の花園さんと、同じ制服を着た人がいた。
「やあ仗助くん、億泰くん」
片手をあげて挨拶してくれた花園さんに頭を下げる。
「こんにちはっす!」
「偶然っすねぇー!」
同僚らしい人が花園さんとおれたちを見比べて知り合いかと訊ねた口調から、花園さんの同期じゃなくて後輩だろうと当たりを付ける。
花園さんがバッと制服を脱ぐと、そのシャツは桜吹雪だった。肩から背中にかけて舞い散る桜の中に時々さくらんぼの隠れてるのが可愛い。まじまじと見てるのに気付いたんだろう、花園さんが不思議そうな顔で振りかえった。
「どうかしたかい?」
「いえ……花園さんのシャツって桜吹雪なんすねェ」
桜吹雪にさくらんぼってーと、あの時の恩人を思い出す。――けど、花園さんは不良って言うよりスポーツ少年タイプだろ。似た趣味の別人だろう。
「お、本当だ! 好きなんすか?」
だけど、億泰の質問に答えた花園さんの後輩の人はニマッと笑んで胸を張った。
「お前らなんだ、先輩の武勇伝知らねぇのかよ。そんなつっぱった格好してるのによ。桜吹雪の花園って言えば知らねぇとは言わせないぜ。先輩はあの有名な遠山不沈艦なんだからよ!」
……は? 花園さんが遠山不沈艦? 不沈艦の遠山さんだろ? 名字が変わったの?
あまりのことに口をあんぐりと開いたままのおれたちを見て花園さんは肩を竦めながら少し苦笑して、おれたちを置いて風呂場へ行ってしまった。
「不沈艦は遠山って人だろぉー? なんぜ花園さんが不沈艦なんだ?」
億泰がおれの代弁をするようにそう言えば、後輩の人は顔を盛大に歪めた。
「不沈艦の遠山じゃなくて、遠山不沈艦なんだっての。先輩は桜吹雪がトレードマークだからよ、『この桜吹雪』云々の遠山奉行から遠山、負けなしのことから不沈艦って呼ばれるようになったんだよ。間違えんなよ餓鬼共」
「じゃあ、全国タイマン旅行したのは」
「先輩に決まってるだろ。ここの山神とはめちゃくちゃ雪が積もった日にやりあったって聞いたぜ。あーあ、その喧嘩おれも見たかったなァ!!」
お袋が車の中でも何度も代えてくれた額の濡れタオル。体が熱くて辛くて手足を動かす気さえ起きなかったあの時……後輪の前に長ランを敷き車のバックドアに手を突いて押してくれたあの人の、あの人の着てたセーターは――桜吹雪にさくらんぼが隠れてたんだよ。
「まさか……おい、まさかじゃないっすか……」
なんてこった、こんな近くに、おれの命の恩人がいるなんてよぉ……!
「え、仗助どうしたんだよ。突然泣きだしたりしてよ!? どうどう!」
「どうどうってのは馬を止める言葉だろーが億泰。ちょっと目にゴミが入ったんだよ、特大のな!」
花園さん、花園さんはおれの恩人だったんっすね! この不肖東方仗助、頭が悪いもんでどうやって恩返しすりゃあ良いのか分りませんッ! だから、花園さんに身の危険が迫った時には身を挺してお守りしますっ!! きっと花園さんはちょっと車を押してやっただけのおれなんて忘れてるでしょうが、東方仗助は一度受けた御恩を忘れなんざしません!
そう簡単にこの涙が止まるもんか。嬉し涙だい、流させろ!!
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