五歳の妹に十七歳のクロロは遠すぎた



 十七歳になったクロロ君には身長を追い越されてしまった――たった数センチのこととはいえ、もうこれは泣いて良いことだと思うんだ。向こうからしたらゆっくりオレに追いついたつもりなのかもしれんが、オレからすれば十日余りの間にニョキニョキ伸びて抜かされたという感覚なんで悔しさもひとしおだ。オレの身長はあと二十センチくらい伸びしろを残していると信じていたい。


「なあ、お兄さん」


 麻耶ちゃんは、クロロ君の顔が子供から少年へ変わって行くことをスルー出来ても、少年から大人へ変わってしまったことは受け入れられなかったらしい。麻耶のクロロ君じゃないと言って公園へ遊びに行ってしまった。


「なんだ?」


 ダイニングキッチンにはオレとクロロ君しかいない。昼に帰ってくる麻耶ちゃんの分を含めて三人分の昼飯を作りながら、クロロ君の呼びかけに返事をした。


「……今日の昼飯は?」

「マーボー丼だ。ただし麻耶ちゃんに食べやすいように甘口だからな」


 クロロ君はそうか、と一言口にして、再び黙ってしまう。何か聞きたかったんだろうか? それなら食後にいくらでも付き合うから、今はちょっと料理に集中させてくれ。

 クロロ君は静かにオレの背中を見つめ、オレはその視線に気付きながら無視して料理を続けた。――そして、クロロ君がやっとまた口を開いたのは、おやつにホットケーキを食べた後のことだった。いつものように緑茶でまったりとしていたオレに、クロロ君が口火を切った。


「なあ。お兄さんは、オレを不気味に思わないのか」

「は? 何を不気味に思えと」

「オレの一年はお兄さんの一晩なんだろう? 流れる時間が違いすぎる」


 大真面目な顔をしてそんなことを言うクロロ君に、オレは口を盛大に歪めてやった。


「何を気色悪いこと言いだすんだ。そんなことを言ったら、クロロ君こそオレが気色悪いだろ」

「お兄さんのどこが気色悪いって言うんだ!?」

「クロロ君の言ってることはそう言うことだろ? 流れる時間が違いすぎる――お互い様だ」


 オレからすればクロロ君は雨後の筍の如く毎日一歳年を重ねて行き、クロロ君からすれば一年経ってもオレはオレのまま変わらない。つまりお互い様だ。


「それでさ、どうしてそんな風に思ったんだ?」


 そう身を乗り出せばクロロ君は口をへの字にし、視線をテーブルの上でしばらくうろつかせた後、ぼそりと言った。


「本だ。最近読んだ本がファンタジーで、時間の流れが違う二人が出会って共に旅をするというものだった――結局、お互いを理解できずに二人は別れた」


 なんかシリアスで後味の悪すぎるファンタジーを読んだんだな……。老化が早く進む病気ってのも実在するから全く荒唐無稽な話だとは言えないけど、ノンフィクションのエッセーを読むならまだしも、ファンタジーでそんなのを読もうとは全く思えない。書いた奴は何を思ってそれを書いたんだろうか。

 冷めた緑茶を一口啜る。冷めてもまあまあ美味かったはずの緑茶は、今は何故か苦み走った味がする。


「なんて言えば良いんだろうな……オレは、クロロ君と出会えたのは奇跡だって思ってるって言えば良いのかもしれない」


 肘を突いて顎を乗せる。ホットケーキの乗ってた皿に残るカスを見ながら、思っていたことをぽつりぽつりと並べてみる。


「オレさ、弟も欲しかったのよ。可愛がって守りたい妹と、後ろでオレを支えて欲しい弟と、二人欲しかったんだよな。だから麻耶ちゃんがクロロ君を連れてきた時はびっくりした。もしかして運命的な何かがオレの元にクロロ君を導いてくれたんじゃないかって。最初ん時さ、手紙も渡したろ。クロロ君の保護者にクロロ君を施設へやるようにお願いする文面だったんだけどさ、打算があったわけ。クロロ君が施設に入ったら、親に土下座してでも養子にしてもらえないかなって……そんな打算」


 髪なんてベッタリと頬に張り付く程に脂ぎっていて、体は生まれてから一度も風呂に入ったことがないんじゃないかと思うくらい汚くて。優しい顔をしておけば、この子が施設に入った後にオレを頼ってくれるかもしれない。そんなことをちらっと考えた。

 ファンタジックな展開なんて望んじゃいなかった。オレが作ったおかゆ食べて泣きそうな顔で感動してる、この可愛い子供がウチの子になれば素敵なのに――そう思ってたのに、出会えたのはファンタジックな偶然によるものだった。ファンタジーなんて本の中だけで完結してれば良かったのに。


「なあクロロ君。こんなオレでも嫌じゃないって思ってくれるならさ。一度だけで良いんだ。オレを兄だと思って呼んでくれないか」


 オレが望んだのはファンタジーじゃなくてリアルだ。だけど一度だけ、クロロ・ルシルフルというファンタジーに、リアルを一つ望ませて欲しい。

 クロロはオレにはどうも表現し難い、悲しそうで嬉しそうで悔しそうな、感情がごちゃまぜになったような顔をし、それから無理やり気味に微笑む。


「初めて会った時から、お兄さんはオレにとって救いであり、親であり、最高の兄だ。幸也兄さん」


 言葉が終わるのと同時に、何の前振りもなく、クロロ君はダイニングから掻き消えた。


「……ファンタジーにリアルを求めちゃ駄目なんだな、やっぱり」


 席を立ってクロロ君の座っていた椅子に触れる。背もたれはまだ人の熱を残して温かく、つい今の今までここに人がいたのだと教えてくれる。


「やっぱ、ファンタジーなんてもんは信じないに限る」


 その椅子に座り、背もたれにギシリともたれかかる。

 ファンタジーなんてものはフィクションであって、ノンフィクションにはなれない。所詮は虚構で、夢みたいなもんだ。蜃気楼に向かって走ったところで水は無いし、夢の中で空を飛んだからと言って現実で空は飛べない。


「――夕飯作るかな」


 今日の夕飯はそうだな、冷凍庫のブラックタイガーを使って海老天うどんにしよう。


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