その1



 夏休み。長期休暇には帰宅してるって言っても、雑草の生えた砂利の道や木造の建物を見れば「懐かしい」という感覚が湧きおこる。それは、ここの空気がゆっくり流れているからかもしれない。変わらないな――と、いつも思うんだ。


「え……お母さん、もう一回言ってくれる?」


 お昼ちょっと前に帰って来たこともあって、お昼の天麩羅蕎麦は二人で作ることになった。お母さんが蕎麦を湯掻き、私が天麩羅を揚げる。大葉の天麩羅が揚がり、オクラを揚げ始めていた、その時。

 母さんの放った衝撃的な一言がにわかには信じ難く、聞き間違いだってことを確かめたくて、もう一回言ってくれるように頼んだ。母さんはうふふと笑いながら、さっきの言葉を繰り返した。


「雨にね、お嫁さんが出来たのよ」


 手の中の菜箸がバキリと割れた。おっとっと、これじゃ菜箸の天麩羅になっちゃう。


「去年の秋に、山登りにここへ来た子なんだけどね。雨ってばその子と結婚の約束しちゃったんだって」


 ――油の中のオクラを放置しすぎて、気が付けば黒こげにしてしまっていた。


「えっと、その子はさ、どうして雨と結婚しようと思ったわけ? 雨、おおかみだよ?」

「うふふ、聞いてくれる? あのね、その子もおおかみ人間だったの」

「そっか……え? えええ――!?」


 聞けば、彼女はもう山に籠っているらしい。彼女の学校は夏休みが始まるのが早かったらしくて、昨日ここに着いた彼女は、貴重品とか「人間として必要なもの」をここに置いて山に飛んで行ったという。


「とっても可愛い子よ。四国からわざわざ雨に会いに来るなんて情熱的よね」

「普通さ、男が女の下に通うべきじゃないの、それ」


 大葉とオクラの天麩羅のはずが大葉の天麩羅と黒い何かになっちゃったけど、母さんは気にしない様子で、うきうきと蕎麦をザルに上げた。


「そんなことはないわ。女の子が行動的でも良いのよ。お母さんだって、お父さんと付き合うきっかけは、お母さんの告白だったんだし」


 母さんは、「おかえりって言ってあげるよ」って言ったのよ、とのろけた。何度も聞かされたから耳に蛸ができそうだ、とは言えない。母さんが父さんの思い出を大切にしていることは、十分に知ってるから。でも聞きあきたのは確かだから、そろそろその話は止めて欲しいかな……。

 居間のお膳に蕎麦と天麩羅を持って行く。座布団に座って手を合わせた。


「雨がね、幸せになれるなら、それで十分だって思うの」


 蕎麦をつゆに付けながら、どこかぼんやりと遠くを見るような目で、母さんは言った。


「晴ちゃんの――彼女の事情は、私は知らないわ。でもね、寂しそうな目をしてたの。きっと晴ちゃんも人間の世界に馴染めなかったのね。だから仲間を探したんだと思うわ」


 そして蕎麦をズルズルッと啜った。縁に衣の付いた大葉が、つゆの中でしんなりとしていた。


「お似合いの二人よ。雪も、そのうち晴ちゃんと会えるから、楽しみにしててね」

「う、うん。分った」


 オクラは見なかったことにして大葉だけをつゆに浸しながら、コクリと頷く。――まさかその日の晩に彼女に会うとは私は露とも思わなかった。

 夕方になって、母さんが「あら晴ちゃんお帰りなさい」と玄関で言っている声が聞こえてお茶を噴いた。布巾で急いで拭って証拠隠滅し、何事もなかったように彼女を迎える。母さんの後ろに続いて現れた影は、予想していたそれよりもだいぶ小さい。


「晴です、初めまして」


 そう言って頭を下げたのは、外はねの黒髪に茶色い瞳をした女の子だった。顔は可愛いって言うよりも、「引力がある」って言う方が近いかもしれない。どうしてか引きつけられる、そんな顔……ううん、雰囲気をしてる。


「雪です。こちらこそ初めまして」


 でも、これは予想の範囲外だ――彼女はどう見てもまだ、中学生。雨と同い年だと理由もなく思ってたから、これは悪い方に予想外だ。


「私に話せることなら何でも教えてあげるわ。雨の小さい頃の話とかね」


 晴ちゃんの横でニコニコ笑ってる母さんに詰問することもできず、当たり障りのないことでその場を誤魔化す。四国からわざわざここまで来るくらい情熱的っていうか雨のことが好きな彼女なら、そう言う話は好きだろうとも思ったしね。


「本当ですか? 嬉しいです!――でも、それよりも先に」


 顔色をぱっと明るくした彼女だけど、すぐに眉尻を下げた。どうしたんだろうと思う間もなく、彼女は言った。


「夏休みの宿題、教えてくださると助かります」


 学生らしい言葉に、つい声をあげて笑ってしまったのは仕方ない。




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2012/08/02


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