その6



 富山は寒かった。雪が降るほどってわけじゃないけど、今の恰好では少し肌寒い。


「どこから来たの? へえ、四国から。遠いところからよく来たねぇ」


 気の良いタクシーの運転手さんから、これから向かう場所について話を聞いた。日本で一番高い滝だとか、夜に遠吠えが聞こえることがあるとか。


「その遠吠えはおおかみのなんですか?」


 康雄の質問を運転手さんは笑って否定した。


「はは、そんなわけがないだろう? きっと野性化した犬だよ。あそこらは野性動物が良く出てね、イノシシなんかが畑を荒らしてくってんで、犬を飼う人もいるのさ」

「そう、ですか」


 遠吠えを聴けば、犬かおおかみかなんてすぐに分る。祖父の遠吠えを横で聴き、自らも吠え続けた私だ――判断できないはずがない。


「泊るところは決めてるのかい?」

「あ、いえ……宿泊施設がないので、テントかなって考えてます」

「危ないよ、そんなことしちゃ。ウチはここらじゃないから泊めてあげるのは無理だけど、誰か泊めてもらえないか聞いてあげるよ」

「え、ですけど」

「子供が遠慮しないの。韮崎さんならあのしかめ面で親切だから、韮崎さんに聞こうか」


 困惑する私たちを運転手さんが押し切ってしまい、今日の宿は誰かの家に泊めてもらうことになった。――車の外はどんどん山深くなり、電柱さえなければ、人の暮らすような場所には見えなくなっていった。

 タクシーが畑の前で停まった。運転手さんは車から半身を乗り出して、農作業をしていたお爺さんに声を張り上げた。


「韮崎さん!」


 お爺さんは鋭い目を運転手さんに向けた。それにひるむこともなく、運転手さんはケロリとして訊ねた。


「中学生がね、三人。男の子二人と女の子なんだけど、この三連休で山登りに来たんだって。ここらって泊る場所ないでしょ? 誰か紹介してくれないかな」

「……どんな子供だ」


 運転手さんは体を戻すと、後部座席のドアを開けた。


「紹介しろって。お代は後で良いから、とりあえず顔を見せてあげて」

「あ、はい」


 慌てて降りて、その韮崎さんという方を見上げた。眉間に皺が寄っていて、気難しいような顔をしている。


「内山晴と言います」

「武田康雄です」

「三輪正平です」


 頭を下げて挨拶をすれば、「ふん」という鼻を鳴らす音が聞こえた。韮崎さんは、顔を上げた私たちをジロジロと観察した。


「当てがある。わしが連れて行くから帰れ」

「そう? なら頼むよ」


 その場で立ち呆ける私たちに、韮崎さんの叱責が飛んだ。


「何をしてる。早くこっちを手伝え」


 急かされるまま登れば、畑には、葉が項垂れた玉ねぎが整列していた。


「収穫だ。引っこ抜け」


 六年のブランクがあるとはいえ慣れている私と、学校の田植え体験くらいしかしたことのない康雄と正平の手際には、大きな差が合った。

 私たちが収穫する横で、韮崎さんは、既に収穫してあった玉ねぎを五つずつまとめて、ビニール紐でくくっていた。


「腰いてー」

「爪の中まで土だらけだ」


 全ての玉ねぎの収穫が終わったのは三時半頃で、日は傾き始めていた。ポタポタと汗が落ち、康雄の眼鏡は曇っている。手足だけでなく泥だらけになった二人はもう疲労困憊といった様子で座り込んでいる。

 韮崎さんは私たちを睨む様な目付きで観察すると、私だけを呼んだ。


「ハルだったか」

「はい」

「先に風呂に入れ。こっちだ」


 先導されてついて行けば、雪深い地域でよくある、角度のきつい屋根の建物が二軒立っていた。小さい方は納屋だろう。

 扉は、滑りの悪そうな音を立てた。


「お帰りなさい、お風呂が沸いてるわよ……あら?」

「臨時手伝いだ。先に風呂に入らせてやれ」

「あらあら、可愛いお手伝いさんね。ほらおいでなさいな」


 おばさんがニコニコと私を手招きしたので、靴を揃えて中に上がり、お湯を頂いた。五右衛門風呂だった。風呂の窓の外から「つめてー!」「文句を言うな。泥を落としてからじゃないと家の中には通さん」「寒い……」という声が聞こえてきたから、急いで汚れを落として上がる。

 風呂を出たら、おばさんのだろうか、女物のシャツとズボンが置かれていた。有難く着ておばさんにお礼を言いに行く。裸足で歩く廊下はひんやりしていて、気持ちが良い。


「あの、お風呂有難うございました」

「良いのよ。おじいちゃんったら、貴方たちに何も言わずに働かせちゃって。お腹すいたでしょ」


 にゅうめんにしましょうね、とおばさんは笑った。

 韮崎さんに連れられて、正平と康雄が風呂場へ走って行ったと思えば、「何この風呂スゲー!」という声が聞こえてきた。おばさんはそれにクスクスと笑った。五右衛門風呂なんて今じゃ滅多に見かけないから仕方ないかもしれない。


「あの、手伝います」

「そんな、良いわよ、お客さんなんだから! でもそうね、お膳を拭いておいてくれる? 布巾ならここにあるから」


 お膳を拭いたりお箸を出したりと、出来ることを手伝っていたら、ズボン姿の正平と、シャツとズボンまでちゃんと着た康雄が居間に現れた。


「コラ正平、上も着ろ! コレ!」

「あちーんだから良いじゃねーか」

「人様の家だぞ、アホ! おらぁ!!」


 康雄は無理やり正平の頭にシャツをかぶせ、腕を通させた。


「元気ねぇ」

「すみません、騒がしくて」


 正平の頭を上から押さえて下げさせ、康雄は頭が痛そうに顔をしかめた。


「良いのよ、気にしなくて。さあ、ご飯にしましょうか」


 お椀に注がれたにゅうめんはほかほかと湯気を立て、正平のお腹がぐううと鳴った。




「泊る所がないの? ならそうね……花ちゃんのところが良いわ。雪ちゃんもまた学校に帰っちゃったし、この村で一番若いしね」


 おばさんの出した車で、更に山に近いところへ向かった。道があるからこそ人の暮らす場所だと分るけど、人家が見えなくなってからもう五分が過ぎている。


「その花さんって、どんな方なんですか?」


 朝早くからバスや電車に揺られ、畑仕事までして疲れたんだろう、正平たちは後部座席で眠ってる。


「優しくて良い人よ。十五歳の雪ちゃんって子供がいてね、でも全寮制の中学校に行っちゃったからなかなか帰って来られなくって。きっと仲良くなれるわ」

「そう、ですか」


 道なりにずっと真っ直ぐ走っていたのが、突然横に曲がった。


「そぉら、着いたわよ!」


 坂を登れば立派な日本家屋が左手に見え、私は目を見開いた。ここで夫婦二人っていうのは……広すぎじゃないだろうか。庭にはジャガイモが山のように積まれている。こんなに食べるんだろうか、謎だ。


「正平! 康雄! 着いたって!!」

「んがっ」

「うぅ……重い……」


 正平は睡眠時無呼吸症候群の患者の様に大きないびきを鳴らし、正平に凭れかかられていた康雄は苦しそうに呻いた。

 何度もあくびをしながら車を降りた二人は、やっぱり眠いらしく、とろんとした目で荷物を引きずった。康雄がぼんやりとした顔で呟いた。


「……ここ、どこだ」

「泊らせてもらう予定のお家」


 玄関先に三十代半ばの女性が現れた。


「おばさん、この子たちが?」

「ええ。登山に来たんだって、それも四国から。まだ十二歳なのに行動力があるわよねぇ」


 私たちの事情について説明を聞いた女性は、私たちを見て、花のように微笑んだ。


「三人ともいらっしゃい。上がってちょうだい」


 ノロノロと荷物を持って家の中へ上がり込んでいく二人に、おばさんと女性が笑い声をあげた。


「あの、有難うございました!」

「どういたしまして。帰りにも是非うちに寄ってね」

「あ、はい!」


 おばさんが帰って行くのを見送って、女性を振り返る。


「お世話になります。晴と言います。眼鏡をかけてるのが康雄で、もう一人が正平です」

「そっか。私は花。よろしくね」

「はい!」


 玄関で寝ていた二人と叩き起こして、部屋に転がした。私が、三人の中で一人だけ元気だということで、じゃがいもの片付けを手伝うことになった。畑を回って土の中に残ったじゃがいもを掘り出し、土を落とし、ずだ袋に詰めて行く。


「この畑……」


 時々だけど、ふわりとにおう。人間の体ではそこまで鼻が聞かないけど。ここは誰かの縄張りのようだ――犬を飼ってるのかな? でも、それにしては、犬の姿を見なかった。強いオスだと思う。野性? でも野犬が誰かの敷地を守ったりするとは全く思えない。


「どうしたの?」

「あ、いえ……」


 花さんなら分るかも知れない。


「この畑、守られてますね。イノシシやタヌキが来ないようにって」


 花さんは一瞬面食らったように目を瞬かせ、そして破顔一笑した。


「そう、そうなのね。――でも、どうして分ったの?」

「えーと、私、ちょっと鼻が良いんですよ」


 苦笑いで誤魔化した。花さんは理由を知ってるみたいだけど、この様子じゃ話す気はないみたいだ。


「凄く鼻が良いのねぇ」

「ええ。自慢の鼻ですから」

「自慢の鼻って、凄い表現ね」


 今晩、花さんが見てないところで、確かめないと。




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2012/07/27


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