その3



「キャンプ? 夏休みの間ずっと?」


 母は片眉を器用に上げ、家計簿から顔を上げた。


「友達のお爺さんの家で。三週間。交通費さえくれたら、夏休みの間消えてるよ」

「そう」


 母はすぐに興味を失くしたらしく、再び帳簿付けを始めた。面倒くさがりな父の真似をしてオレンジジュースの紙パックをラッパ飲みしていた弟は、面白いことを聞いたとばかりに、私にまとわりついた。


「なあ、家出てくの? 家を出てくの? なあ」


 小四で生意気の盛り。この子供を蹴りでもしたら母が煩いので、無視して踵を返す。


「ハル、嫌われてんもんな! オトコズキってどういう意味だ? 誠二のねーちゃんが言ってたぞ、ハルはインランでオトコズキで、気色悪いって!!」


 弟はニヤニヤしながら私の後をついてきた。


「なあ、インランだからウチ追い出されるのか? なあ!」


 しつこい子供に少し苛立つ。一体誰の背中を見て育てば、こんな子供になるんだろう。階段を上る私の後ろで「なあなあ」と煩い子供を気力で無視し続け、後ろ手で音を立てて扉を閉めた。扉に背中を預け天井を見上げる。××市――私が守るべき場所が、すぐそばにある様に思えて、ついと天井に手を伸ばした。もう私は十二歳で、子供じゃない。きっと取り戻して見せるのだ。胸の上に下ろした手をぎゅっと握りしめる。きっと、きっと取り戻すよ、お爺ちゃん。

 夏休みに入り、荷物を詰めた鞄一つを持って家を出た。待ち合わせは駅だ。歩いて十分もすれば駅前広場が見え、橙色に塗られた時計がすらりと広場の中央に立っている。時計を囲む台形の花壇には向日葵が咲いていた。ちょうど今が、待ち合わせ時間の五分前だ。


「よ!」


 ワンダーフォーゲル用のリュックを背負った少年が、私に気付いて片手を上げた。正平だ。正平の隣には旅行鞄を地面に置いた優斗と、キャリーの康雄。――ハイキング仲間のほとんどが墓参りに帰省しなければならないため、今回参加するのは、私を含めたたった五人。あと一人足りない。


「竜太郎は?」

「まだ。あいつ、また寝坊してんじゃねーかな」


 正平は肩を竦めた。竜太郎は土日のハイキングも四割の確率で遅刻するから、その可能性が高い。

 毎週ハイキングに言っていることは竜太郎の両親も知っていることなので、集合時間に間に合うか否かとなると、いくら竜太郎がぐずっても叩き起こしてくれているらしい。隣に住んでいる竜太郎の幼馴染の雅孝さんが、以前、笑いながら教えてくれた。

 花壇は地面から六十センチほど高く作られていて、三人ともそこに腰かけていた。それに並んで座ると、竜太郎が何分後に着くか賭けようと言いだした。


「十分じゃね?」

「五分くらいじゃないかな」

「まさかの三十分って大穴はどうだ」

「じゃあ私は十五分」


 正平、優斗、康雄、私の順で予想を立てた。賭けるのはお菓子で、全部を賭けたら負けた時怖い、という正平の主張により百円くらいのお菓子を一個ということになった。


「おばちゃんがちゃんと竜太郎起こしてくれてっかなぁ。おばちゃんも案外うっかり屋じゃんか」

「そん時はおっちゃんが起こしてくれるだろ」

「目覚まし一個で無理なら、二個三個と付ければ良いのにね」


 私は朝日と共に目覚めているから、目覚まし時計に世話になったことはない。でも、目覚ましがないと起きられない人もいることは知っている。


「あ、あれって竜太郎の家の車と同じ車種だよ」


 優斗が指差した方向には、ちょうどこちらの方向へ走って来る車があった。竜太郎が助手席で寝ているのが見える。


「竜太郎だ」

「え、マジか?」

「今何分だ――五分か。優斗の勝ちだな」

「え、ホントに? やった!」


 ガッツポーズを取る優斗は笑顔だ。


「おはよう、四人とも。また竜太郎が迷惑をかけたね――おい、竜太郎! 起きろ! 駅に着いたぞ!!」


 私達は荷物を持って車に近づいた。おじさんは車を広場の横に止め、竜太郎を叩き起こす。「んあ、あと五分」という声が聞こえて、四人で顔を見合わせて苦笑いした。

 半醒半睡の竜太郎の腕を正平が引っ張り、竜太郎の荷物を康雄がキャリーの上に載せて運んだ。××市までの券がいくらになるか、運賃表を見れば、二千円に満たなかった。目を閉じて、六年前を思う。あの場所まで、たった二千円で行けてしまうこと。それが悲しいのと同時に嬉しかった。

 竜太郎が荷物に埋まるようにして寝ているのをインスタントカメラで撮ろうとすると、親からデジカメを借りてきた康雄が代わりに撮ると言いだした。どうやら枚数の心配をしてくれたようだ。正平と康雄が悪乗りしてドアップで撮ったり鼻の穴を強調するように写したりと大騒ぎし始めた。他の乗客も少ないとはいえ、いる。ため息をひとつ吐いた。


「二人とも、他のお客さんもいるよ。もう少し静かに、ね」


 だけど、私が注意する前に、優斗が二人を抑えた。優斗を見やれば、優斗は柔和に微笑んで首を軽く傾げている。口パクで「ありがと」と言えば、ふるりと首を横に振って「おたがいさま」と口パクを返された。


「あー……ちょっとハイになってた。ごめん。友達でどっかに泊ったのとか修学旅行くらいだし」


 康雄が照れ笑いで眼鏡の位置を直し、正平も車内を見まわして顔を赤くした。二人はいそいそと席に座り、足を揃え、膝に手を置いた。


「テンションおかしーっぽいわ、俺。なんか全部が楽しすぎてやべー感じ」


 正平が貧乏ゆすりし始めた。祖父の家に行くことも楽しみなら、招待するという行為も楽しいからだろう。唸りながら頭を掻きむしり始めた正平を三人で撫でたり突いたりして、目的地までの電車を過した。

 電車の窓から見える景色が変わって行く。市街地らしいそれから、竹林、畑、遠景に山が広がる。過ぎ去る景色はまるで現代から時代を逆行して行くように思える。衝動的に窓を開けて、森の風を呼び込んだ。懐かしい匂いがする。


「わぶっ! ちょ、窓開けてどうしたん、だ……」


 風に顔を叩かれた康雄が私を振り返り、黙った。きっと今の私の表情は、泣きそうなそれだと思うから。


「どうしたの、ハル」


 優斗の優しい声に、今まで積み重ねてきた望郷の念や、やっと帰って来たという想いが溢れる。


「実はさ……私、小学生になるまで、××市に住んでたんだよ」

「え、そうなの!?」


 正平がすっとんきょうな声を上げた。


「お爺ちゃんとね、二人で。自給自足の暮らししてたんだ。でもお爺ちゃんは死んじゃって――大人たちが、お爺ちゃんの山も、何もかも、売り払っちゃって。イノシシも、兎も、鼬も、もちろん他の動物も沢山いた山だったのに。私が最後に見た山は、ショベルカーで禿げ山にされていく姿だったんだ」


 青大将の、最後の、訴えるような目。忘れられない。

 康雄は私の頭に手をポンと置いて、何度も撫でてくれた。優斗がゆっくりとした口調で、「本当にそこが好きだったんだね」と、掠れた声で言った。


「うん」

「荷物を置いたらさ、見に行こうぜ。な? 家が建ってんのかもしんねーしさ、えっと、そう! そこで新しい命が育まれてるとか、そういうことがある……かも、よ?」


 後半は自信なさそうな正平に励まされ、そんな三人に心が温かくなった。彼らと友達になれたことは、たとえお祖父の死が元になったからだとしても、嬉しいことだ。


「有難う、正平、優斗、康雄」


 竜太郎の「スカー」という寝息が聞こえて頬が緩んだ。




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2012/07/26


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