その2



 何も出来ず立ちつくす私の目の前で、山は削られていった。ショベルカーが入った二日後、青大将が逃げて行くのを見た。私の横を過ぎる際、青大将は私をしばらく見上げた。まるで、役立たずと言われているかの様に思えた。梟が住んでいた木が伐採され、毎晩聴いていた梟の声がなくなった。山は見るも無残に地肌を晒し、私は全てを失った事を理解した。私が守るべき山はもう、奪われてしまったのだ。

 母は私を家に連れ帰り、私は都会の小学校に通うことになった。人間と自然のかけ橋になるんだよ、と言っていた祖父が教えてくれていたお陰で、平仮名とカタカナは完璧だった。漢字は自分の名前だけは書けた。内山晴。晴れると書いてハルと読む。祖父が付けてくれた名前だった。

 初めて触れる人間の同年代の子供は、精神的に幼くてついて行けなかった。まるで乳児に対するみたいにわざとらしく子供扱いする教師や、それに疑問を持たないクラスメイト、どちらも奇妙に見えた。


「ねえハルちゃん! シール作るのよ!」


 隣の席の由梨ちゃんがそう言って差し出したのは自由帳で、それに描いた絵を鋏で切って、セロハンテープで張る。それをシールというらしい。彼女が横で作っているのを何度か見て、知った。


「う、うん。分った。何描くの?」

「何でも! お姫様とか、犬とか!」


 何でも良いなら、動物を描こう。そう思って動物や虫を描いた。最後に見つめあった青大将も描いた。切なくなった。


「どんなの描いたのー……イヤー! 気色悪いー!!」


 色鉛筆で描いた、あの青大将を見て、由梨ちゃんは叫んだ。その声に男女なく集まり私の手元を覗き込む。男子は喜び、女子は嫌悪感に悲鳴を上げた。どこで見たのかとか、お前上手いなとか、男の子たちは私に次々と質問を投げかけた。青大将の絵は、クラスの餓鬼大将が鋏で切り取って、持って帰ってしまった。

 男の子たちは私の弟子になった。都市部の中でも比較的緑が多い公園に行き、虫を探し、駆けまわった。でも、裏山で身に付けた知識を披露するには何もかもが少なすぎた。

 女の子たちとは疎遠になった。男の子たちのリーダーをしている私を見るや、ヒソヒソと小声で噂し合った。学年が上がるにつれその悪口は悪化し、私が十歳になる頃には、彼女達の中では私は男好きだということになっていた。生みの両親とは反りが合わず、家庭もクラスの女子も、私のストレスの原因だった。

 中学生になれば活動範囲は目に見える形で広がった。隣町のみならず、十駅や十五駅先まで行くこともあった。私の影響なのか、体を動かすことが好きな奴が多いおかげで、ほとんどの土日はハイキングに行った。

 でも、私の野性本能がだんだんと衰えて行くのは止められなかった。六歳の時の方がもっと速く走れた。森を駆けまわれた。もっと、もっと、もっと……おおかみの姿に戻れずに、もう、六年と少しが過ぎていた。


「俺のじーちゃん家がさ、隣の県にあるんだよ。××市。知ってる? あそこホント緑が多くてさぁ。山とかすげーし川もきれーなんだよ。山登りしたくね? 川で泳ぎたくね?」


 初めての期末試験を迎える頃、同じ小学校から上がった正平が、夏休みのキャンプを提案した。

 ××市と言う名前にどこか、違和感が頭をかすめる。どこで聞いた? ××市――××市警察署。××私立病院。


「電車で二時間行きゃすぐそこだぜ。じーちゃんには俺が言うし! 来るヤツこの指とーまれ!」


 私は迷うことなくその指を握った。山を駆ける私には無縁な、祖父と私が暮らしていた場所の地名だった。





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2012/07/26


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