森光蘭に呼ばれ、いるだけで殺意が底なしに沸く執務室へ向かう。この男さえいなければと何度考えたことだろうか――この男さえいなければ、蒼薇は。紅は。

 カードキーをスライドさせ部屋に入れば、分厚い防弾ガラスがはめられた一面の壁が目に入る。そして森光蘭の姿、と。利発な顔をした少女が森光蘭の膝の上に座っている。


「その……子は――」


 母上にそっくりの柔和な顔立ちにストレートの黒髪、黒目の少女。年齢的にも合致するその意味は――この子供が蒼薇であるということ。


「早かったな、紅麗。蒼薇、今日からあの人が蒼薇のお兄ちゃんだぞ」

「ホント!? 蒼薇のお兄ちゃんなの!?」


 嬉しそうに笑む蒼薇に、仮面の下でギリリと歯を食いしばる。この男……ッ!! どこまで厭らしい手を使うつもりか!

 森光蘭は『今日から』と言った。つまり蒼薇と私が実の兄妹であることを教えていないということだ。きっと蒼薇への何かの褒美と言う形で私と会わせ、私の監視をさせようというのだろう。


「蒼薇、これからパパは忙しくてなかなか蒼薇と会えないんだ。お兄ちゃんと一緒に良い子にしていられるな?」

「うん、私お兄ちゃんと一緒に良い子にしてるよ」


 蒼薇は森光蘭の膝の上から飛び降りると私に駆け寄り抱き着いてきた。途中でバシャリと水たまりを踏む――慣れ過ぎて気付かなかったが、もの言わぬ肉塊がそこに落ちていた。


「あ、汚れちゃった」


 血の跳ねたズボンの裾に困った顔をする蒼薇に頭がクラリとする。蒼薇はこちらの住人になってしまった、いや、されてしまった。あの男、森光蘭の手で。

 もし時間を巻き戻せるならあの時へ帰って蒼薇を守れればどれほど良いだろう。紅も生きている、蒼薇の手も白いままのあの時へ還れたら。蒼薇が私の腰に抱き着き、甘えるように頭を擦りつけた。……眼鏡が壊れそうなほど変形しているが平気なのか?


「蒼薇は素晴らしい殺人鬼だ……ナイフ一つあればどんな者でも殺すことができる」

「そう、か」


 蒼薇の両脇に手を差し込み持ち上げる。きょとりとした目は年齢相応のものだが、私と同じく妹は数え切れぬほどの他人の血を流して来たのだと思うと哀しさが募る。腕に座らせるように持てば嬉しそうに笑う蒼薇を見て心に決める――蒼薇は私が守る。森光蘭になど返しはしない。


「蒼薇、お兄ちゃんと『一緒に』いるんだ、分ったかい」


 ニヤニヤと笑みを深める森光蘭には、毎回のことながら反吐が出る。さっきから『一緒に』を繰り返すのは、麗の裏側の情報を私の近くで収集しろということなのだろう。やっと会えた妹だというのに、この男は全てを壊して行く。


「うん、お兄ちゃんよろしくね!」

「ああ、よろしく……蒼薇」


 この子を守るためなら何でもしよう。だが忘れるな森光蘭、私の牙は今もなお成長し続けていることを。


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