07



 オレの雇い主は、オレがこの世界で唯一仲間と言える相手だ。冷徹にして冷酷、兵を駒と呼んで憚らない氷の仮面の男――そう言われている男、毛利元就。


「どうなされましたか――お疲れのご様子ですが」


 憔悴した、というよりは苛々が溜まってはけ口がないような顔をしている元就に訊ねれば、煩い家臣共から嫁を貰えと女を押し付けられたのだという。命を狙ってくるやもしれぬ女と床を共にする気になどなれぬと愚痴を言う元就の顔は噴飯ものだったが、忍らしく表情は一定だ。そりゃあ家臣たちが心配する理由も分るってものだ、跡取りがいないんだから。毛利家断絶――などとなれば、誰がこの中国を治めるというのか。


「我とて跡取りが欲しくないわけではないが、捨て駒ごときの娘を妻にしようとは思わぬ」


 つまり、意訳すれば『妻の肉親を捨て駒として切り捨てることができないから、家臣の娘を迎えることはしたくない』ということだろう。そのうちどこかの大名の娘を正妻にすることとなるとしても、妻であることに変わりはない。


「疲れの取れる茶を淹れましょう」


 優しい人だと思う。一度迎え入れた人間の責任も負う覚悟を決めている人だから。だからオレもこんなに息がしやすいんだ。


「――待て」

「はっ」


 行こうとしたオレを呼びとめ、元就は隣に座るよう指示した。ああ、いつものあれか。隠すことなく少し笑めば憮然とした顔で隣を叩く。忍を隣に座らせる大名など元就以外に知らんぞ、全く。一応茶を用意するため分身を厨に向かわせ、本体は床に腰をおろす。

 ポスリと茶色の丸い塊がオレの太腿に乗った。正座をしたら高すぎるらしく、胡坐をかいたそこに元就の頭が自己主張する。

 どこぞの馬の骨とも知れない女にされるよりも安心できるとは元就の言だ。この時代男色など普通のことだが、成人した――それも忍の男にこんなことをさせる奴なんて他にいないに違いない。だがそれが信頼の証だと思うと怒れないやら嬉しいやら。


「お前が女であれば、誰彼の養子にでもさせて娶っていたのだがな」

「元就様、オレは男ですが」

「分っておる、この忍めが」


 オレ自作のシャボンを使ってるから、オレはどこの忍よりも人間としての匂いが薄い。スンスンと鼻を鳴らした元就が口をキュッと一文字にするのを見ながら苦笑した。きっとオレは男や女など超越した存在だと思ってるんだろう。男くさくもなく女の甘い香りもしない。ただ空気の匂いがするばかりのオレは人間とは思えないに違いない。だがだからと言って道具扱いはしてこない元就は素晴らしい主だと――オレは思う。

 分身がお茶と茶菓子を手に戻ってきた。ついでにこの茶菓子はオレの手製だ。瀬戸内と言えば母恵夢だろうと、色んなところから和菓子の製法を盗んでやっと生み出した甘味は、とても懐かしい味がする。


「ぽえむ、とやらか」

「ええ」


 元就が身を起こし、皿に盛った母恵夢を手にとる。毒見はしない。それだけの信頼がある。


「忍」

「は――」


 二つに割った母恵夢を、半分は自分の、半分は俺の口に放り込んだ元就にゆるゆると笑む。

 優しい時間が過ぎていく。


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