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 私が仕える主――少輔太郎様はまさに、この安芸の国の救い主でおられる。革新的だが民のことを考えた政策を次々と打ち出され、今では日ノ本で民が豊かな国と言えば安芸であると知られ渡っているほどだ。その全ての指揮を取られたのが太郎様であると嗅ぎつけた者共が太郎様を手中にせんと頻繁にやって来るが、殿がそれを分らぬはずもなく。私を始めとする忍隊を作り太郎様専属として付けられた。

 今太郎様は新しい何かをお考えになっているらしい、難しい顔で唸りつつ地面を睨んでおられる。まだ齢六つながら次代の毛利家の繁栄は間違いなしと言われるほどの方だ、きっとあの頭には私たちの知る由もない知識が詰まっているに違いない。そして、ハタ、と頭を上げられ呟かれる。


「そうだよ、何で忘れてたんだ」


 今でさえ民のためにその小さなお体を酷使されているというのに、思い出せなくて悔しいと、民に申し訳ないと顔を歪める太郎様はなんと心優しい方なのだろう。まるで――こう言っては何だが、生き急いでおられるように思えてならない。


「松山」


 太郎様が私をお呼びになった。目の前に降り立ち膝を突けば、先ほどまでの苦痛に満ちた表情はどなかったように微笑みを浮かべて私に訊ねられた。


「牛の乳を手に入れることはできる? なるべく新鮮なものが良いんだけど」

「牛の乳ですか」


 一体今度は何をなさろうというのだろうか? そういえば以前も南蛮では毒とされる赤い野菜を買ったりなさったのだ、今度も何かあるに違いないが――私には知りようもない。


「うん。牛の乳をね、料理に使おうと思って」


 御仏は獣を口にすることを禁じ、その教えはあまねく広まっている。だからこそ猪肉を牡丹と言い馬肉を桜というのであるが――まさか牛の乳とは。我々の意見を聞きたいと仰る太郎様ゆえ、私も発言の許可を事前に頂いている。そのようなものを料理に使うとはと口にすれば、柔らかく微笑みながら心配はいらぬと説明下さった。


「かつて日ノ本でも牛の乳から作った料理を食べていたけど、仏教の伝来によってその文化は失われてしまった。聖武天皇とその妻光明子は乳製品である蘇を食べながら酒を傾けていたという記録もあるし」


 だから心配はいらないと言われ、その博識と我々の戸惑いに対する心遣いにただひたすら感動するほかない。なんと、牛の乳は胃の薬ともなるというのだから驚くばかりだ。


「牛の乳を飲むことは罪ではないよ、松山」

「――はっ」


 仰る言葉は仏の教えに逆らうことながら、ご尊顔に菩薩のごとき微笑をたたえられる太郎様に――つい、顔を引き締めることを忘れた。すぐに表情を消してご命令に従ったから気付かれてはいないと思いたい。


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