男としての甲斐性だと払おうとしたのに、子供は黙って奢られなさいと言われ1シュテルンドルも払わせてもらえなかった方のユリウスですー。ちょっと切なかったなんて言わないんだからねっ。

 中央図書館前広場でジェラートを奢ってもらったり(泣きたくなった)、市庁舎の金のかかった彫刻を見たりして一時間ほど歩き回った。遊歩道のベンチに座ってそこから見えるビルの名前を教えてもらったりと有意義だが少し切ない時間を過ごす。高速がすぐ横を通っているが、消音板のおかげで騒音はない。


「あれはMW印刷所。業界三位の大手だけど、本社の社員はたった二百人しかいないという家族企業ね」

「業界三位って……仕事が沢山くるでしょうに、二百人だけで回せるんですかね?」

「実際回してるから怖いのよ。社員同士の繋がりがタイトで排他的なところがあるけど、基本的にみんな良い人ばっかりよ」


 妙に詳しいのは何でなのか訊いても良いのか悪いのか。やっぱり社会人ともなると幅広く企業の情報を手に入れなければならないのだろうか? セシカの指がその隣のDと大きなロゴマークの書かれたビルに滑る。


「あそこは有名進学塾のダッシュ進学塾ね。ついでに私も卒業生」

「へえ、なら当時からエリートコースまっしぐらだったんですか?」


 まだ三十路も始めなのに法律事務所の所長だというセシカにそう訊ねれば、親がそう望んだからねと返された。まあ、小学生が自分から中学受験したいですなんて言うのは珍しいし、それが普通なんだろう。オレも親が望んで中学受験したクチやし。


「でもあそこ、かなり厳しいことでも有名なの。入塾試験は中学生レベルだし、少しでも成績を落としたらすぐにクラスを落とされるのよ」

「うっわー。そりゃ厳しい」


 希学園みたいなもんか。あそこもかなり厳しいし、灘・東大寺・洛南・神女にぼろぼろ生徒入れとるしな。オレも一回受けたけど落ちたし。


「あ、ほら。あの子。あの鞄特徴的でしょ?」


 セシカが指さした先にはDと大きく書かれた鞄を背負った少女で、授業が終わったのか足早にビルを出てった。それに続いてちらほらと生徒がビルから出てくる。

 行きの電車で見た少年はどうやらダッシュ進学塾の生徒だったらしい。黄色と黒の特徴的な配色に白いDの文字はそう簡単には忘れられそうにない。小学校低学年っぽい、まだ十歳にもなってないだろう子供たちがわらわらと出てきて可愛い。


「低学年はお昼までなの。集中力も続かないしね」

「なるほど」


 一、二年生に集中力を長時間持続させろというのは難しい。――なら、中学年や高学年は何時までなんやろか。


「三四五年生は五時まで、六年生になると九時まで勉強よ」


 口に出したつもりはなかったのだが、疑問に思って当然のことだったのかセシカは肩をすくめながら答えた。


「当然じゃない、あと数週間もすれば受験ラッシュよ? 最後の追い込みにみんな目が血走ってるわ」

「あ、そっか。今は十二月だったね」


 中学受験は一月の後半からシーズンに入る。まあ、その一月の半ばにハイキングに行った人間もここにおるんやけどな。塾の先生には「お前、ホンマ剛胆やなぁ」と言われた。


「そ。泣いても笑ってもこれが最後。六年生は誰もかれも必死よ」


 そりゃあ必死になるか。中学から私立に行くか否かはかなりデカいもんな。

 セシカの声が一段トーンダウンした。


「懐かしいな……あのときが一番楽しかったのかもしれない」


 ベンチから勢いをつけて立ち上がり、セシカは表現しがたい笑顔を浮かべてオレを振り返った。


「あの頃は世界はもっと単純で、頑張れば何でもできるんだって信じてた」

「セシカ……」

「テレビの中のヒーローみたいに、誰からも賞賛される素晴らしい大人になれるんだってね」


 セシカはでも、と言葉を継いだ。


「みんながヒーローにはなれないのよね」


 なんて言えばええんやろうか。主役になれない永遠の脇役のように自分を思ってるんやろうセシカにかけるべき言葉が見つからへん。


「ごめんね! 年上の愚痴なんて聞かせちゃって! ちょっと疲れが出たのかも……恋人にはデート忘れられるし」

「そんな。愚痴くらいなら何日でもつき合いますよ」

「あら懐が深いのね。ありがとう、気持ちだけもらうわ。――――さ! 次どこ行く? ヒーローカードの屋台でも見に行っちゃおうか!! 今流行のシュテルンビルト土産といえばヒーローカードよ!」


 セシカに引っ張られて立ち上がり、引っ張られて遊歩道から中央通りへ連れられていく。始めの目的は達成できそうやけど、ナンパは不発のうえ可愛い年下兼愚痴聞き役。おっかしいなぁ……どこで間違うたんやろうか。うーむ。




Danach→


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