イフタフ15



 シエスタの気付けにコーヒーを飲もうということで、ブローノ行きつけのカフェへ繰り出すことになった。ヨーロッパではサングラスをかける人が多いというか、かけるのが当然といった感じだ。目の色素が薄いせいで日光が僕たち日本人以上に眩しく感じられるせいらしい。びしっと決めたサングラスをかけたブローノを見て、僕も同じくサングラスをかけた。実はお局様サングラスにも種類があって、漫画で見るような典型的お局型、お前のドリルで天と地を突く型がある。今回持って来たのはお前のドリル型だ。胸が熱くなるぜ。


「特徴的なサングラスだな」

「面白いだろ? 一目で気に入ったんだ」


 あまりに流行を先取りし過ぎたせいか誰にも見向きもされず売れ残っててね、有難く五割引きで買ったのさ。

 ネオポリスの旧市街は店の商品棚がはみ出していたりごみ袋が散乱していたりで道が狭く、洗濯物が建物と建物の間をはためいているのがなんともかんとも。家の窓ガラスは曇っていたり割れていたり、半分朽ちた木箱の隅に埃の塊が潜んでたり。物乞いが道の端に座り込んで物言いたげな視線を寄こしてくるけど無視だ。日本じゃ見ない光景だね……ナポリっていうともっと陽気で元気なイメージがあったんだけど。バクシーシ包囲網よりはマシなんだろうけどさ、なんかね。本当にイタリアって先進国の一つなのかって思ってしまうよ。

 石畳が日本のそれと違い一つ一つ高さが微妙に違うせいで歩きにくい。ロードローラーでガリガリ削って道も何もかもまっ平らにしてやりたいと内心毒づきながら歩くこと二十分、ショーケースに並んだお菓子がなんとも甘そうなカフェに着いた。当然ながらショーケースのガラスはピカピカだ。ブローノが慣れた様子でコーヒーとスフォリアテッラという菓子を二人分頼んだ、けど、あのショーケースの中にある菓子はどれもゲロ甘そうでちょっと腰が引けるよ?


「ぶ、ブローノ。僕はあまり甘すぎるものは食べられないんだけど……」

「大丈夫だ、それほど甘くはない」

「そう、それなら良いよ」


 外人の味覚と日本人の味覚には差があるって聞くけど、今回はブローノの味覚を信じることにしよう。イタリアは日本と同じくシーフードを食べる国だ、そうさ大丈夫だ。ピッツァだってパスタだって日本人の味覚に合うじゃないか。それほど甘くないとブローノが言うんだからそれほど甘くないさ。

 五分ほどして来たコーヒーは黒々としていていかにも苦そうだ。イタリアンコーヒーは濃いという噂を聞いているし、こわごわと口を付け――驚いた。濃いけど甘い。砂糖の甘さじゃなくてコーヒー豆の甘さがとてもまろやかで、漫画で見るような『余りの苦さに吐きだす』ようなことは全くなかった。普段インスタントばかり飲んでいるせいか、コーヒーは苦いものというイメージに囚われていたみたいだ。でもちょっと砂糖が欲しい。


「美味しい!」

「だろう? ここは特に美味いんだ」


 これならブローノの言うスフォリアテッラもさして甘くないのかもしr――粉砂糖がこれでもかとかかっているよ? これで甘くないと言ったら詐欺じゃないかい?

 スフォリアテッラはムール貝の貝殻に似た形をしたお菓子で、ミルフィーユのように薄い生地の層が重なっているのが綺麗だ。街の中もこれくらい綺麗であれば良かったのに。フォークでサクッと切ってみれば中にはクリームが詰まっていて、レモンピールかオレンジピールかの粒がクリームの中に見える。


「では頂きます」


 甘そうだ。粉砂糖ももちろんだけどクリームも甘そうだ。一口サイズのかけらを口に放り込み味わう――甘い。いや本当に甘い。誰だ「それほど甘くはない」って言った奴。ブローノだ。

 コーヒーを口に含んで甘みを解消したけど、本音を言うとこれ以上食べたくない。もちろん甘い物が好きな人には美味しいのだろうとは分っているんだ。レモンピールの爽やかな香りやリコッタの優しい甘さとか、別に嫌いだって言うつもりじゃないんだ。僕には甘すぎただけで。

 一口だけ手を付けたスフォリアテッラを前にどうしたものかと困っていたら、少し離れた場所から喧嘩の声が上がった。街の人に仲介を頼まれたブローノが申し訳なさそうに眉を下げて「すまないが少し席を外す」と言って駆けて行った。


「さて、どうしよう」


 食べないのはもったいないけど、僕は食べたくない。どうするか。そこらへんの物乞いの子供に与える――これに味を染めて旅行者に集るようになったら問題だ。どうする……どうしよう。

 コーヒーカップをぐるぐると回してため息を吐き、肘を突いてスフォリアテッラを見下ろす。ブローノに渡すか。

 なんとはなしにカフェを見回した瞬間、コーヒーを噴きそうになった。店内でドッピオがカンノーラを食べていた。カンノーラはゴッドファーザーでマフィアのドンを暗殺するのに使われたシチリア銘菓だ。それをもう一つの人格とはいえドンが食べているのだから――なんともシュールだよ、うん。

 気付かれないうちに視線を外して今度は通りを見れば、また噴きそうになった。この店の看板の前でイルーゾォが尻ポケットとか胸ポケットを何度も叩いたり手を突っ込んだりしている。変なダンスみたいだ。


「くそ、財布を忘れたか……ッ!」


 しかも不思議ダンスの理由が情けない。その姿を見ていた僕に気付いたイルーゾォは僕をまじまじと見つめ、気付けば見つめあっていた。そしてマイケル・ジャクソンみたいにやけに大げさな歩き方で僕に近寄って来たと思えば、似合わない……おっと、笑みを浮かべ英語で話しかけて来た。


「あんた旅行者だろう? どうだ、ナポリは」

「まだちゃんと見て回ってないからなんとも言えないよ。――財布を忘れるなんて大変だね」


 イタリア語でそう返せば一瞬「マズッた」と言わんばかりの表情になったけど、すぐにまた笑顔を浮かべる。


「連れは今手洗いか? よければナポリ案内でもしてやろうか」

「気持ちは嬉しいけど、残念なことに連れがナポリ人なんだ。今は訳あって席を外してるんだよ」

「そうか……」


 イルーゾォは少し肩を落とした。僕の所へ来たのは集ってやろうという考えなのだろうと思ったらビンゴだったみたいだ。まさか暗殺チームに集られるとは思いもしなかったね――でもそういえば給料が安いんだっけ。集りたくもなるのも仕方ないのかもね。







 カフェでドルチェを食べようと家を出たは良いが、店に着いた後になって財布を忘れたことに気付いた。


「くそ、財布を忘れたか……ッ!」


 チームの奴等に見られてないだろうな? 誰か一人にでも見られたら笑いものにされる。そう思って周囲を見回せば、おれをきょとんとした顔で見ている旅行者らしき男がいた。――アジア系だろう彫りの浅い顔に低い身長、年齢は十代後半かそこら。この年なら家族旅行だろう。それにしても凄いサングラスをかけているな。似合っているから良いが、どこかのぼったくり土産物屋で押しつけられでもしたのだろうか。

 そんな旅行者が何故おれを見ている……一人で騒いでいれば目立って当然か。乳臭い顔を見て、妙案を思い付いた。こいつに会計を押しつければ良い。どうせ5ユーロにもならないんだ、勉強代として払わせれば良い。


「あんた旅行者だろう? どうだ、ナポリは」


 愛想笑いを浮かべて英語で話しかける。近くで見ると本当に餓鬼臭い顔だな。


「まだちゃんと見て回ってないからなんとも言えないよ。――財布を忘れるなんて大変だね」


 だが、おれの目論見はすぐに潰えた。くそッ!! この餓鬼イタリア語を話せるのかッ!!


「連れは今手洗いか? よければナポリ案内でもしてやろうか」

「気持ちは嬉しいけど、残念なことに連れがナポリ人なんだ。今は訳あって席を外してるけどね」

「そうか……」


 クソが!!

 内心顔を盛大に歪めて餓鬼を罵っていれば、餓鬼がにこりと笑んだ。


「僕が知っているイタリア人は一人だけでね、良ければ貴方の話も聞かせてくれないかい? コーヒーとドルチェの代金は僕が払おう」

「良いのか? いやしかし、年下に集るのは気が引ける」


 ハナから集る気だったが、まあそれは言わぬが花だ。そんな謙遜をしてみれば、諦めたような笑い声を上げながら餓鬼がこんなことを言いだした


「僕はこれでも二十五のおじさんだよ」

「嘘だ!」


 リーダーと一つしか違わないだと!? この見た目で二十五なんて嘘だとしか思えんッ! ええい身分証明書を見せろ身分証明書を!!


「これが僕のパスポートのコピー。ね、二十五歳だろ?」

「ほ、本当だ……」


 アジア人というのは成長が遅いのか? 怪物だ。全く恐ろしい……アジトへ帰ったら皆へ話してやろう。ソルベとジェラートがボスに殺されてから空気が悪いからな……。

 ノリアキは柔和に見えてかなり苛烈な男で、話していて圧倒されることが何度もあった。リーダーやプロシュートのような大きい背中の持ち主と言おうか。話したのはおれの予定もあって二十分に満たない時間で、別れ難かったためアドレスを交換して別れた。今日一緒にいるのは七年のペンパルだと言う。きっとおれも楽しく手紙のやり取りができるだろう。

 おれはノリアキのアドレスを書いた紙を尻ポケットに突っ込み、足取り軽くアジトへの道を歩き帰ったのだった。






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 24から転載&加筆修正有り。
2013/07/12

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