マジック症候群
もそり、のたり、ゆらり。そういった擬音が似合う様子でベッドから起き上がる丈夫を、部屋の端に控えるメイドはハラハラと見守っている。絨毯の床に素足を置き、彼はボソリと呟いた。
「希望の朝だ」
まさか彼の頭の中で「午前六時にN○Kが流すラジオ体操の歌」が流れているとはつゆ知らず、メイドは内心突っ込んだ。旦那様、外は明るいかもしれませんが雨です。
彼はあくびを一つ噛み殺すと、素足のままペタペタと窓へ歩き出す。素足を好む彼のため、この部屋への入室時には室内履きに履き替えるか裸足にならねばならないという暗黙の了解があり、もちろんメイドの足には室内履きの靴がその存在を小さく主張している。
「ザンザス様、洗面の用意が整っております」
彼女は二分前に入室したばかりで、運ぶ時には熱かった洗面用の湯も今では少し体温より高い程度。真っ白で柔らかなフェイスタオルを手に声をかければのそのそと近付く彼ことザンザス。聞くところに寄れば彼は朝が得意ではなく、思考も動きものろくなるらしい。
――オフ時に時折(無自覚に)引き起こす大ボケを思えば可愛いものだ、と彼女はこっそち思っているが、それをもし口に出せばどうなることやら。ザンザスが許しても周囲がキレて大暴れすることは間違いない。彼らは「オフのボケボケしたボスもあれはあれで魅力的なんだぁ!! 可愛いだろうがぁぁ!?」とか「オフ時はパンダみたいで癒されるよね、笹とかモシャモシャ食べてそう」とか「ボス、はいチーズ!!(そう声をかけるとザンザスはいつもVサインをする)」とか……ゲイ・バイ的な愛情ではなく父性愛を彼に捧げている。オフ時のボスを貶すようなことを言えば未来予想は容易い。うちの子をよくも貶したね、と血涙を流す幹部集団などそう何度となく見たくはなかった。
顔を洗いさっぱりとしたのだろう。ザンザスは先ほどまでよりははっきりした表情を浮かべる。彼女が差し出したタオルでガシガシと顔を拭った彼に、次は水を差し出す。
「……軟水か」
「はい、軟水です」
昔九代目に連れられて日本に行ったことがあるらしいザンザスは、その時に飲んだ軟水に至極感動したらしい。それから「オレは軟水しか飲まない」と主張するようになり今に至る。それからだと思われるが、彼は大の日本文化好きだ。箸捌きなど九代目も羨むほどの美しさであり、日本人の精神を一番理解しているイタリア人といえばまさしく彼。日本出身の某幹部が「なんでアイツあんなことまで知ってんの? 教育係りに日本人でも付けた?」と九代目に訊ねた程だという。流石はザンザス様、でも逆にタタミゼしすぎてイタリア人としての感覚をどこかに置き忘れてきてしまったのではないだろうか。彼はワーカーホリックとしても有名だ。
「おはようございますザンザス様」
「ああ、おはよう」
やっと会話が成り立つようになって、彼女はザンザスに朝の挨拶をした。意識が覚醒する前に何度挨拶をしても無駄――取るに足らない音声情報など彼の右耳から左耳へと抜けていく。内乱だ、敵襲だ、火事だ、とでも誰かが叫ばない限り。
「…………くぁ」
小さくあくびをするザンザスはまだ眠いらしい。このまま無害な状態でいてくれれば楽なのにとこっそり心の中だけで彼女が思っていると、遠くからガツガツと足音が近付いているのが分った。そして扉の前で立ち止まり、ノック。ちっ、今日はアイツか。
「ん、入れ」
部屋の主の許可を得て、開けた当人の性格を考えると神経質すぎるほどゆっくりと扉は開かれた。
「ようザンザス、よく眠れたかぁ?」
「ああ」
「夢は?」
「見てない」
「寝苦しくは?」
「なかった」
過保護な親の様な質問の連続もいつものことだ。眠いせいで淡々と答えるザンザスに、入室者――スクアーロはニッカリと笑った。
「そーかぁ! なら良いんだぜぇ!!」
ザンザスの父親にでもなったつもりか、それとも母親か。彼女がそう思うのも無理はない。今のスクアーロの表情は、誰が見ても「我が子にデロデロの馬鹿親そのものの顔をしている」と言うことだろう。あれは半年ほど前だったか……オフモードで酒を飲んだため普段より酔いが早かったのだろうか? ボンゴレファミリーの身内だけで開かれたパーティでザンザスがレヴィ・ア・タンに折檻を加えている姿をほのぼのと見つめていたヴァリアー幹部連中に、ファミリー内の幹部の一人が「まるで子を見守る父親のような表情ですな……」と半ばあきれ気味に言った。その時のヴァリアー幹部連中の反応ったらなかった。あれはないだろうと誰もが思ったくらいに酷かった。
「えっそ、そうかぁ!? おっおっお、親父みてぇかぁ!?」
「パパンか、良い響きだね」
「ししっ、つまりボスはオレらの息子?」
「ならあたしはママンかしら? うふふ、ママンって呼んでくれるかしらねぇ、ボス」
とたん混沌とした空間になってしまったそこから、幹部は口の端を引きつらせながら逃げた。――私もその場にいたからこそ言うが、あの幹部をみっともないなんて言えはしない。はっきり言って気色悪かったのだから。
「オラ、ザンザス。飯食いに行くぜぇ」
「ああ」
ごく自然な動作で腕を掴んで主導するスクアーロの姿を見て、彼女はこっそり嘆息した。
あんたらは、ザンザスを一体いくつだと思ってるんだ、と。
――ザンザスは現在二十三歳である。運命の時はもう、すぐそこへ迫っていた。
+++++++++ ネタもどきからの移動。加筆・修正なし。 10/14.2012
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