美食人間国宝6



 サラリとした液体に蓮華が差し込まれた。すくい上げられたスープが一滴、ピションと椀に零れ落ちる。その瞬間立ち上った香りは激しく胃を刺激した。恐るべき速さで胃が活動し、スープだけを招き入れるために食べ物を十二指腸へ落とす。腸が活発に活動し腹がぐぐううと唸り声をあげた。

 スープから目が逸らせない。口の中は唾液が泉のように湧いて、さっきから何度も嚥下しているというのに口の端から零れそうだ。トリコが大きく口を開いて口に含んだ、その姿を見てやっと視線をよそにやることができた。


「……っ、はは!」


 自然に笑い声が漏れた。全身のグルメ細胞があのスープを求めてスプーンと皿を打ち鳴らしている。あれを寄越せと理性を本能が押し潰そうとしている。アレが欲しい、アレはまだか?


「これが〆のスープの魔力……」


 美容に良い食べ物のあり場所を占えと飛び込んできたサニーに強請られるまま占い、その意外な結果に興味を引かれてここまでついてきた。サニーがいくべき場所はグルメパレス――前々から、占いの客でそこの常連だという男の話を聞いて気になってはいたのだ。身分と財力を余すところなく使い、金に糸目をつけず美食から美食を渡り歩いたというグルメ家をして、『一滴さえ残すことができず、あのスープを腹一杯飲めるのであれば全てを捨てても構わない』とさえ語らせた神の飲み物。小松君が飲んでいた時は他の食材の匂いに消されてしまって感じなかったけど、あとこのスープのみを残すとなった今ではその匂いがはっきりと嗅ぎとれた。

 トリコが目を一瞬見開き、肩をビクリと震わせる。蓮華を持った手がブルブルと痙攣し遂に取り落とした。そこらの美食家の何倍も味覚の優れた舌には毒のようなものだったのかもしれない。じっくり一分は舌の上で転がしてから飲み込んだトリコの体は爆発するように生命力を放った。


「うっめぇぇぇぇぇぇ!」


 空に叫び、再び蓮華でスープを掬っては口に含みを繰り返す。歓喜と興奮で暴れそうな体を押さえ込んでいるトリコの姿はとても異様だった。


「はい、ココと――サニーもどうぞ」

「おせーし!」

「お待たせしましたねクソ野郎」


 あの反応は見慣れたものなんだろう、小梅ちゃんはトリコなんて眼中にないといった様子でボクらの前に椀を置いた。上る湯気に唾液が溢れでる。


「うわぁ、ココさんでも涎垂らすんですね!」


 小松君が失礼なことを言っているみたいだけど、そんなのは全く気にならない。期待に逸りそうになるのを抑えて蓮華を手に取り、口に含む。

 先ず舌に感じたのは重さ。密度が水の三倍か四倍はあるんじゃないだろうか? 蓮華の重さもあって分からなかったスープの重みが舌と顎を押す。

 次に感じたのはその滑らかさ。ただの水を五十号の紙ヤスリにたとえるならこのスープは四百号かそれ以上。石灰岩で濾過された純水に勝る丸みに、じっくり味わう前に飲み込んでしまいそうになる。

 そして味。野菜とはこんなに甘かったのかと目を見張った。動物系の出汁など全く使っていないことは味からも分かるのに、どうしてこれほどのジューシーさがあるのか。まるで霜降り肉を炭火で炙るように滲み出る味わいはまさに芸術の一言に尽きた。

 喉の奥が求めるのに従って嚥下すれば体中のグルメ細胞が歓びに涙を流し、ヤンヤと胴上げせんばかりに喜び騒ぐ。――進化。一歩また階段を昇ったことが分かった。


「これは……」

「(コ)レすげーしっ! ほら、見るし!!」


 サニーの声に言おうとしたことが押し消される。邪魔されてムっとしながらサニーを見れば、髪の色がより一層鮮やかに輝いていた。肌も透き通り健康的だ。


「な、なあ小梅。これオレのフルコースに――」

「却下」

「そうか」


 トリコが先んじて小梅ちゃんに訊ねるもすげなく却下された。当然だ。もし小梅ちゃんの野菜スープをフルコースに入れようというなら、小梅ちゃんはトリコのパートナーとしてグルメパレスの所属を離れることになる。トリコが強いとはいえ、小梅ちゃんの料理の才能は突出し過ぎている。彼女の身を狙う者は多く、ずっと小梅ちゃんに貼り付いていられるわけではない個人の力ではどうにもならない。


「(な)らオレの専属になれし!」

「ダメですよサニーさん、小梅の将来の夢は弁護士なんですから」

「「「は!?」」」

「二十歳になったらここを辞めて、弁護士の勉強をしたいって昔から言ってるんですよ。ね、小梅」

「うん。料理人とかもう面倒だし、好きで始めたことでもないですし」


 も――もったいない……! その才能を欲しているのに持てずにいる人も多くいるというのに。簡単に才能の発露の機会を捨てようとしてしまう小梅ちゃんを見て、ボクはいてもたってもいられず口を開いた。トリコが先に何か言いかけたみたいだがどうでも良い。


「もったいない、もったいなさすぎる! そんなに料理人としての才能に溢れているのに、君はどうしてそんな簡単に捨てようとできるんだい?」

「ならたとえて言いますけど、貴方が単なる興味でフルートを始めたとします。どうやら貴方はとてもフルートの才能に溢れていて、フルートの先生が無理矢理プロデビューさせたと考えてください」


 小梅ちゃんは嫌そうにそうたとえ話をした。


「それは楽しいですか?」

「――いいや」

「でしょう。グルメパレスの料理長の座を狙った馬鹿と料理対決させられるのも、休日祝日なしで働き続ける毎日にも飽きたんですよ。ついでに言うとオーナーにも嫌気が差してるんですよ。今まで儲けさせてやったんだからもう良いじゃないですか」


 小梅ちゃんは椅子を引っ張ってくるやそれに腰掛け、足を組んだ。


「というわけで、私は誰のパートナーにもなりません。他に良い料理人を見つけてください」


 横でもったいないとブツブツ呟いているサニーの腰に肘鉄して黙らせ、ボクは残りのスープを楽しむことにした。

 料理人としてパートナーになるのが嫌だというなら、人生を共に過ごすパートナーになってもらえば良い。もし小梅ちゃんが奥さんなら、夫においしいご飯を作ろうって思ってくれるだろうし……ね。


「何考えてるし?」

「――さあ?」


 ボクは諦めが悪いから、長期戦でも全く構わないんだよ。














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ココが別人な気がする。やっぱり本誌を立ち読みしただけじゃ思い出せんなぁ←
2011.10/12

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