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以前と同じように練習は面倒……大変で、肉なんて食ってないに等しい私には大変だった。学業的な面でのリーチがあるからこそ練習に集中できるのであって、これがただのトリップだったりしたら私は死んでたと思う。良かったヴォルディーと一緒に勉強しといて。
「もうハロウィンね」
感慨深く言うアメリア。その通り時が経つのは早く、入学から二カ月が過ぎた。朝からひたすら甘いパンプキンパイの匂いが城内に満ちている。うえ……吐き気がするぅ。
「アメリア、どうしよう」
隣を歩くアメリアに凭れかかるように抱きつきつつ言った。
「どうしたの、レイノ?」
「パーティー出たくない」
「何言ってるの」
味も甘けりゃ匂いも甘い。どこへ逃げても追ってくるお菓子の香りに胸焼けして倒れそうだ。これで会場入りしてみろ、死ねるな。確実だ。
「出たら死ぬ。出なくてもそろそろやばい」
私の足はだんだんと重くて――もう授業受けたくない。おうち帰りたい。ミトンとエプロン付けたセブが「お帰り」って迎えてくれたら復活できるから、誰かそんなセブを用意してくれ。
「一体どうしたの、レイノ? 死ぬって?」
「これほどハロウィンの匂いがきつかったのかと、今更ながらに思い出してね」
そういえば一年目のハロウィンとクリスマスは匂いで酔った。二年目は部屋に引きこもり、三年目からはヴォルディーに負ぶわれて一応参加した。嫌な記憶だ。背中で吐いたこともある。
「何を言ってるのか良く分らないけど、良い匂いよね。夕食が楽しみだわ」
外人の鼻は一体どうなってるんだ。味覚もおかしいんじゃねーかコレ。皆は浮かれ騒いでるみたいだが、私にとっちゃこれほど憂鬱な日は他にないわ……。
夕食の席で唯一の気休めは蝙蝠ちゃんたちだった。セブがジジイを殺したあと変身するのが蝙蝠で――烏じゃないのが残念だ。私にとってセブは蝙蝠というより烏なんだよね、ハウ○の動く城っぽい感じで。
ネズミみたいな顔した蝙蝠を数羽捕まえて弄り倒す。モコモコ、ふわふわ……! 駄目だ、これはクセになるなぁ!! 羽毛も柔らかいがこれはこれでハマる! ネズミに羽付けたみたいな見た目で、丸い小さな黒の瞳が愛らしい。お持ち帰りしたくなりますウヘヘ。
「レイノ、食べないの?」
壁際の椅子に腰かけた私のもとにアメリアやパンジー、ドラコが立ち替わり入れ替わり来てくれる。しかし私は有り難く思いつつも断った。良い友人を持てたと自慢に思うよ……蝙蝠の腹毛柔らかいなこれ。
そろそろクィレルが来る頃なんだが寮に帰れないから暇だ。私はワクワクとクィレルを待った。ニンニク臭で授業時は毎回気が遠くなるけどクィレル自身は嫌いじゃないんだよね。ドモリ続ける演技力とか感嘆に値するよ。それに話相手がヴォルディーたった一人とか、鬱になっても仕方ないと思うね!
匂い対策として詰めた鼻の中の脱脂綿にだんだんと息苦しさを感じ始めた頃。突然大広間の扉が、耳に痛い爆音を立てて開いた。青いを通り越して白い顔をしたクィレルがこけつまろびつ駆け込んできた。やっと来たか!
「トロールが……地下室に……お知らせしなくてはと思って」
ゼイゼイと息を切らしながらクィレルは教師席に近寄り、校長にそう呟くと崩れ折れた。あれが演技だって言うんだから凄いもんだよ。
クィレルの尋常でない様子に静まっていた生徒たちは騒然とした。各地で悲鳴が上がり、俺こそがトロールを倒す! と血気盛んな歓声までした。お馬鹿さんか、教師がいるなら教師に任せなさい。ジジイがそれを爆竹で鎮め、監督生に寮に先導するよう命じた。遠くからパーシーらしき居丈高な声が聞こえる。
「レイノ、行きましょ!」
ドラコは真っ青だ。パンジーと握ってる手が死人みたいに白い。デコリーンちゃんってば本当にメンタル弱いな……。でも私はセブと一緒に帰ると首を振った。したいことがあるんだよ。
「分かったわ。ちゃんと五体満足で帰ってきてね!」
パンジーが頷き、私は人の流れに飲まれない様壁際に寄った。みんな、自分のことに必死で気がつかない――
「久しぶりだね、ヴォルディー」
赤毛でチビの少女が、見知らぬ黒髪の女とすり替わっていたことに。
倒れ伏したクィレルの肩がビクリと震えた。ターバンがずれる。
『鈴緒……お前は、鈴緒か……?』
布越しでくぐもってはいるが懐かしい――聞き覚えのあるそれよりも深みを帯びた声が訊ねた。
本体であるクィレルが、私を見て驚きに目を見開いた。『ド……小早川』と擦れた声で呟いている。ド、何だ?
「その呼び方を私以外の誰かがしてるなら、私以外のその誰かさんじゃないの」
『お前だな』
「うん、超久しぶりー。元気してた? 私が消えた後アブラカタブラの生え際後退させた?」
尻もちをついているクィレルを、腰を屈めて見下ろした。でも見てるのはクィレルっていうよりその後頭部だな。
『この姿を見て元気だと判断するような馬鹿でもないだろう? アブラクサスはとっくに死んだわ』
「知ってるよ。でも、アブたんの生え際が後退したか後退しなかったかはとーっても大切な問題なんだよね」
輝くデコ、見たかったと呟いたら、後頭部の寄生虫が哄笑した。
『お前は変わらないな――体があれば茶会とでも洒落こんだだろうが、今はそうも言ってられん。楽しい茶会は後だ。そのうちまたお前と会うことになるだろう』
「今度会う時はちゃんと自前の本体で来てね。私は人の後頭部と茶会する高尚な趣味は持ってないんだ」
別れの挨拶を交わす。クィレルはターバンを元の位置に戻し、私にペコリと一礼して扉に走って行った。
「なんでクィレルってば、あんなに慌てたんだろ……」
尊敬と、畏怖と。目上の者を見るような目をしてた。クィレルって体育会系だったっけ? それ以前に私、クィレルの先輩になった覚えないんだけどな。
足を怪我してるくせに走って私を探しに来たセブと手をつないで、過去で過ごした二十年間とこっちで刻んだ十一年を想う。
すまんなヴォルディー。私はあんたに協力できないし、する気もない。あんたと過ごした時間の方がセブとのそれよりどんなに長くても、どんなに密度が濃かったとしても、私は『お父さん』の方が大切だから。
「セブ」
「どうした、レイノ」
「早くクリスマスにならないかな」
私はセブを見上げた。セブは足が滅法痛いくせに、平気そうな顔をして隣を歩いてる。しかし少し引きずっているのが分ってしまい内心顔をしかめた。
「家に帰りたい」
ハリーの姿を見ると運命を思い出す。家にでも引きこもって、セブと一緒に、運命の輪から外れてしまえれば良いのに。