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最後の晩餐は酸っぱいカレーだった。実は二度目になる、お母さんの愛情たっぷり失敗カレー。だから蜜柑ピール入れちゃ駄目って前も言ったじゃん!? 家族全員でお母さんを責めて、福神漬けとウスターソースで酸っぱさを誤魔化しながら胃に流し込んだ。最後に味わった母の味があれって、虚しいと思わない?
そしてその日の晩、私は生を手放した。
「はじめましてぇ――そして、サヨナラや」
どこかで見たことがあるようなないような、黒髪に糸目の兄ちゃんが夢に現れた。輪郭線は霧のようにぼやけてて細身にも見えるし太っているようにも見える。ただ唯一はっきりしているのは、その兄ちゃんが鈍色に光る鋏を持っているということだけだ。長さはだいたい百六十センチくらいだろうか? 兄ちゃんは普通の鋏なら親指や人差し指を入れるはずのでかい穴に両手をかけて、開けているのかも分らない目を私に向けていた。
そして兄ちゃんはニカッと笑み、地面にその鋏を突き刺した。それと同時に胸を喪失感が襲う――理由は分らないけど、何かが私から失われたような感覚がしたのだ。
「え」
地面から視線を戻して兄ちゃんを見やる。地面は鋏の差しこまれた場所から穴が広がって、私の足元も飲み込んだ。襲いかかる浮遊感、下から吹き上げる底冷えのする風。ニコニコと笑みを浮かべていた兄ちゃんは私の顔をまじまじと見て目を見開いた。あ、茶色い。そして次の瞬間慌てた様子で口を開く。
「アカン、間違えた!」
え、何が?――私は重力に従って落下していく。そして伸ばされる腕。そこで私の記憶はふつりと途切れた。
エコーのかかった声が聞こえる。うぉぉん、うぉぉんと音楽室みたいに反響する音に顔を顰めながら目を開けば、ぼやけた視界で不快指数が跳ねあがる。もー、なんなのさ!?
「リリー! リッリーィ! 目を開けたよ、可愛いよー! 流石僕の娘!! 将来は傾国の美女だね、僕が保証するよ!」
「煩いわよジェームズ、レイノが起きちゃうでしょ」
すぐ近くにあった音源は、ちょうど焦点距離にいたのかはっきりと顔が見えた。くしゃくしゃの黒髪にハシバミ色の瞳、眼鏡、外人の顔の美醜は良く分んないけどきっと美形。そんな男が「リリーリリー」と叫び、ちょっと離れた場所から「ジェームズ」と彼だろうを呼ぶ女性の声がする。しゃべっているのは英語なんだろうけど、あんまり英語の成績良くなかったし、音が反響しているのもあって何を言っているのかさっぱり分んなかった。にしても、ぼやけた視界に反響して聞こえる音、視界の端にちらりとみえる幅二ミリもなさそうな指が五本並んだ紅葉の手……これは転生? 私は生まれ変わったわけ? 死んだ覚えなんてないんだけど、こんな証拠を揃えられたら信じるしかない。私は(理由は分んないけど)死んで、生まれ変わったんだ。おk把握。現実逃避とか気にしない。叫ぶのは後でもできるもんね。
それからしばらく男女の会話に耳を澄ませた。響いてて聞き取りづらかったけど人名は分った。ジェームズ(父?)にリリー(母?)ね――これで名字がポッターだったら楽しいんだけど、そんな妄想はきっと叶わないだろうなぁ。
「髪は私そっくりだけど、目は貴方そっくりね。ね、可愛い私達の赤ちゃん」
そう言って私の頬を突いたのは夕日色の鮮やかな赤い長髪に深い緑の瞳をした女性で、笑っているような気配がした。
黒髪にハシバミ色の瞳のジェームズに赤髪に緑の瞳のリリーとか、どこのハリー・ポッター? ハリーはどこじゃ。ハリーを出せ。名字はもちろんポッター、それ以外認めないからねっ!?
「はぁ……僕はリーマスにこの子の名付け親になってもらいたかったんだけどね」
リーマス、という人名が聞こえた気がする。
「言ってたじゃない。男の子は貴方の、女の子は私の友達に命名してもらうって」
だからむくれないでってば、とリリーはジェームズの肩を叩いた。そして衝撃の一言を放つ。
「セブ、素敵な名前付けてくれたじゃない?」
含蓄ある名前じゃない、良かったわね。ねーレイノ? とリリーは私に話しかけたが、リリーの発言に含まれた人名に体は強張ったままだった。
セブ、セブだとう!? もっもっも、もしやセブルスの愛称ではなかろうな!? そんなマジか、ここは魔法世界ですか正解ですかファイナルアンサー? こんなバナナなことがあって良いんですか良いんダヨグリーンダヨー!
「ね、レイノ。可愛い可愛いレイノ」
どうやら私の名前はレイノらしい。生き残った男の子の成り代わりトリップの場合ハリー以外の名前を付けられる可能性が高いから、例え名前がレイノだろうがパトリシアだろうが安心できないけど、なるべくなら――弟にハリーって子供が生まれないかなぁ。
ハリーはいた。双子の兄らしく、ジェームズに何度も「妹を守るんだぞ」と繰り返されてた。頑張ってねお兄ちゃん。私応援してる!